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旧題「読書 この秘密の愉しみ」を改めました。
最近本当に読書をしていないので・・・
この地ベルギーに来て数年たってから東京にちょっと里帰りした時、当時ベルギー大使館の文化部にお勤めだった田辺さんという素敵にハイカラなおばちゃまに森美術館のヤン・ファーブル展のオープニングに連れて行っていただいたことがあった。(田辺さんは、1970年代にベルギーのポスト・シュルレアリスムの画家ポール・デルボー展を日本で開催するサポートをした時、当時「ヘア禁」だった日本の検閲と渡り合ったというつわものだ。)
ヤン・ファーブルと自分は同年代で、当時は二人とも20代。大昔のことだ(泣)。オープニングのインタビューが行われた小さな部屋で、ヤン・ファーブルは、「The Hour Blue(青の時間)」と題した自分のタブローについてひとしきり語った。それは、大判の画用紙の白い面を少しずつ色の違う青いボールペンの細い線で限りなく分割することによって、期せずして(?)青みがかった不思議な奥行きのある空間を現出させている作品だった。
その中で、ヤン・ファーブルは、自分のひいおじいちゃんだったアンリ・ファーブルがその著書「ファーブル昆虫記」の中で「青の時間」について語っていると言った。
「夕方が近づくと昼の虫たちが鳴くのを止める。そして夜の虫たちが鳴き始めるまでの間に、短い完全に静寂な時間がある。これを、俺のひいおじいちゃんは『青の時間』と呼んだんだ。」
ヤン・ファーブルが青いボールペンで描くそのタブローは、ゼノンのパラドクスを思い出させる。ボールペンの青い線により空間は無限に分割できる。時も無限に分割できる。だから昼の虫たちが鳴くのを止めてから、夜の虫たちが泣き始めるまでの間、無限の線を通過しなくてはならなず、そのためには無限の時間が必要である。それは昼と夜、生と死のように対立するものを分割しようとする時に現れるリンボーのような時間。
(それは、その後おぼえた瞑想の、意識の力で時を無限に分割することで時の流れを無限に引き延ばそうとする試みに似ている。)
しかしヤンにも自分にとっても残酷な時は流れ、その間「青の時間」はヤンの中で様々な展開を続け、さまざまな形で私たちの目の前に現れた。
***
ブリュッセルにもようやく春が来て、アパートの窓辺に置いたイチジクの木やオリーブの木が一斉に芽吹き、ミントの葉が勢いを増し、週末IKEAで買ってきたレモンの木が次々と花を咲かせた。今は亭主のグリが旅行中なので、夜遅くアパートに帰ってくると、街灯の光にうす赤く照らされた暖かい暗闇の中でレモンの花が頭がくらくらするほど強烈に香っている。
そうすると、長い冬の間に縮こまって眠っていた嗅覚への欲望が一気に目覚め、大昔、学生時代にパリで泊まったGeorge Vの近くのホテルの浴室においてあった「Eau d'Hadrien (ハドリアヌス帝の水)」という香水石鹸の匂いが無性に懐かしくなった。調べた結果、Annick Goutalというパリのサントノレ通りの香水メーカーの石鹸であり、我が家の近所アベニュー・ルイーズにも店を出していることが分かった。土曜の午後てくてく歩いて行ってハドリアヌス帝の水のオード・トワレットをひとびん買うと、素敵な名前のついた香水のサンプルをたくさんくれた。
「嵐の朝(Matin d'Orage)」シシリア産レモン、青じそ、しょうが、マグノリア、ジャスミン。これは、嵐の朝に濡れた地面に散った花のさわやかな荒々しい香りがしました。
「我がニンフェオ(Ninfeo Mio)」シシリア産レモン、ビター・オレンジ、いちじく、ガルバナム精油、レモンの木。これは、ローマ郊外のニンフェオ川が横切る庭園の、夕暮れの木々の匂い、湿った土の爽やかで苦い香り、苔の匂い、土の上に落ちたいちじくの匂いがする。
「ハドリアヌス帝の夜々(Les Nuits d'Hadrien)」シシリア産レモン、青いミカン、ベルガモット、バジリコ、クミン、サンダルウッド、糸杉、ホワイトムスク、松脂・・・。極めつけはこれ。カウンター・テノール歌手が高音で夜空に向かって歌うような、そんな香り。異様に澄みきった夜空に満天の星が浮かび、ハドリアヌス帝の褥を照らしているようなそんな夜の清らかで高踏的な香りです。
どの香りも、日常から一気にトリップさせてくれるような香りで、仕事につけていくと集中力が鈍りそうだ。
***
ハドリアヌス帝の夜々に匹敵するように思えるのは、リヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の唄(Vier Letzte Lieder)」の中の「眠りにつくとき(Beim Schlafengehen)」 です。(そう言えば「The year of living dengeoursly」と題する1982年の映画の中で、Linda Hunt演ずる中国人の小人と、革命前夜の熱病のようなジャカルタの夜に流れるキリ・テ・カナワの「眠りにつくとき」の歌声が異様な光彩を放っていました。脇役であるはずのLinda Huntのグロテスクなリアリティーが強烈過ぎて、主役のメル・ギプソンとシガニー・ウィーバーがペラペラに見えました。)
キリ・テ・カナワの高貴な歌声も好きだが、さらにそれに何か神話的な、大地母神のような深みを感じさせるジェシー・ノーマンの歌うこの歌がが大好きです。まあ春の宵に聴いてみてください。
Nun der Tag mich müd' gemacht 一日に疲れ果てた今
soll mein sehnliches Verlangen 私の熱い望みもすべて
freundlich die gestirnte Nacht 喜んで星の夜にささげよう
wie ein müdes Kind empfangen. 疲れた子供のように
Hände, laßt von allem Tun, 手よ、すべてを手放せ
Stirn, vergiß du alles Denken, 額よ、すべての思いを忘れよ
alle meine Sinne nun 私のすべてが今は
Wollen sich in Schlummer senken. 眠りに沈むのを望んでいる
Und die Seele unbewacht, そして解き放たれた魂は
Will in freien Flügen schweben, 自由に飛び回ろうとしている
Um im Zauberkreis der Nacht 夜の魔法の世界の中へ
tief und tausendfach zu leben. 深く、千回も生きるために
| 自然 | 05:56 | comments(4) | trackbacks(0) | ▲
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