先週末、瞑想を終日続けたお蔭で「うぁーん」という自分の心の泣き声を聞くことができた顛末を書きました(「
誰かが泣いている」)。
好きなだけ泣かせてあげたせいか、今週はひさびさに毎日しゃっきり5時半に起きて、バリバリ仕事をできるようになりました。泣くことは人間にとって必要なカタルシスのプロセスなのだろう。それができない自分は、汗をかけない人が体に毒ををためていくように、心に毒をためていくことになるのかもしれない。
癌になった時も、やはり一回も泣かなかった。(日本人って、けっこう私みたいな人が多いんじゃないでしょうか。)検査の結果を先生に聞いて、「えーっ?そーですか…」と言って、そのまま会社に行って上司たちに報告して、いつものように夜の11時ごろまで仕事をして、夜中頃に家の前の駐車場に車を停めた時、車の中でちょうど亭主のグリのCDが「First the thunder... then the storm...」と歌っていた。5階のアパートの窓には暖かな灯りがともり、グリが私の帰りを待っていることがわかる。でもすぐに車を出てアパートに帰る気になれずに、しばし呆然としてその歌声を聴いていた。(これまで注意して聞いたこともないその歌は、後で調べたらアイルランドのグループClannadとU2のBonoが歌う「
In a life time」という歌でした。)
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それからドタバタ手術をすることになり、手術の前日に撮影したMRIで癌が予想以上に大きく広がっていることがわかり、「これでは、切っても無駄である。取り急ぎ、体中に散らばっているに違いない癌細胞をやっつけよう」ということで、ドタバタ手術が中止になり、いきなり6か月の抗がん剤治療に入ることになった時も、一番くやしいと思ったのは死ぬかもしれないということより、仕事を休んで同僚たちに後れを取ることだった。仕事上の懸念を除けば、癌の治療期間はむしろ自分にとっては楽しみと発見と感謝の体験ばかりだった。
今思うと、自分の心を死への恐れや不安に対して鈍感にすることによって、自分を守っていたのかもしれない。そういうことに気付くようになったのは、瞑想のおかげで自分の心の観察力が増してきたためかもしれない。たとえば、洋服ダンスを整理しているときに5年前に抗がん剤治療中にかぶっていたカツラが出てきたときの、ほんの0.0001秒ぐらいのかすかな心のちくっとした痛みを、見逃さずに気づくことができるようになってくる。
それでも、癌の治療期間が自分にとって楽しく幸福な6か月間だと思えたのは、泣けない自分の代わりに、誰かが泣いてくれていたおかげではないかなあ…と、最近になって思う。
検査の結果を当時の日本人の上司のTさんにまずは報告しなくてはと思い、オフィスに行き「すみません〜。癌になってしまいまして…」と切り出すと、Tさんは「えーっ!? えーっ!? えーっ!?」と叫んで椅子から転げ落ちそうになった。(Tさんの写真をここに掲載できないのが残念だが、しいて言えば55歳ぐらいのコアラが流暢に大阪弁を話している姿を思い浮かべてほしい。だから、椅子から転げ落ちそうになる姿は本当に可愛かった。)私自身が癌の宣告をされたときの3倍ぐらいのびっくりの仕方をTさんがしてくれたので、非常に癒される感じがしました。
2回目の抗がん剤治療が終わって頭の毛がすっかりはげてしまった後、はげあたまにスカーフをかぶって会社に仕事の道具を取りに行った。私は同情を引くのが嫌だったのでカツラをかぶって行こうとしたのだが、グリにはその気持ちが理解できない。「はげあたまを恥と思うな」とかとんちんかんなことを言って強硬にカツラをかぶらせないので、しかたなくはげあためにスカーフだけかぶって行くことになった。オフィスの駐車場の前で私を見つけた秘書のロランスが、いきなり私に抱きついて「うぁぁぁぁ」と泣きだした。(だからカツラをかぶって来たかったのにい… 人に泣かれるのが嫌なのにい…)と思いながらも、彼女が泣いてくれたことで、泣けない自分が癒されていたのではないかと、今では思うのです。
その他にも、随分いろいろな人が、泣けない私の代わりに泣いてくれました。同僚のWちゃんが電話をくれて、「まりあさんの病気の発表があった後、あのプライドの高いジェシカがオフィスで一人で泣いていましたよ」と教えてくれた。「え〜、困るなあ」とか言いながらも、私はそれによって深く癒されていたのではなかったでしょうか。
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さて、話は最初の場面にもどりますが、ようやく気を取り直して車のエンジンを切り、アパートに戻ると、やはり亭主のグリが「おれ、ちょっとこの状況、耐えられないよ」と言って、子供のようにぽろぽろ涙を流し、しくしく泣き始めた。グリを泣かせてしまったことの方が本当に心が痛んで、「大丈夫。ぜったいに死なないからねっ。心配するな」と力強く言いました。
でもそんな風に言えたのは、グリが、家族が、友達や同僚が私の代わりに泣いてくれたからではなかったからでしょうか。