BOOK OF LOVEは、英国のミュージシャン、ピーター・ゲイブリエルの唄の題名だ。とても短い歌で、最近、亭主のグリが繰り返し聴いているので、メロディーも歌詞も憶えてしまいました。
Book of Loveという言葉は、Book of Kells(ケルスの書)やBook of Mormon(モルモン書)のように、古い秘儀や秘跡を明かした古文書を想像させる。だから、「愛の本」ではなくて、「愛の書」と訳すべきかもしれない。
「愛の書」は長くてタイクツだ
誰にも持ちあげられないような代物だ
図式と事実と数字で一杯で、ダンスの踊り方が書いてある
でも君がそれを読んでくれるのが好きだ
そして君が読んでくれるのは何でもいいんだ
グリは一つの音楽を気にいると、誇張ではなく100回ぐらいぶっ続けで聴く癖がある。
食べ物やビールや、好きなジョークのマイブームは、1年から10年ともっとスパンが長い。現在のグリの食べ物のマイブームは、スモークサーモンとスペイン産の生ハムだ。それを、少なくとも5−6年前からほとんど毎晩食べているのだ。(お金がかかって仕方がないのだ。)
グリと初めて会ったのはもう20年近く前のことで、それから私たちの周りや、私自身にもめまぐるしく様々な変化があったが、グリの生活パターンは20年前に出遭った頃とほとんど変わっていない。朝の大量のフルーツサラダ、ジムでの筋トレ、毎日の日記、夕方バーで新聞を読みながら飲む1杯のビール、それが基本で、その間に仕事が変わったり、飛行機のライセンスをとったり、日記が手帳からワードファイルに変わったりしたが、それらは瑣末事でしかないらしい。
***
グリに初めて会ったのは、6月のある朝、当時勤めていた翻訳会社に通うために毎朝郊外バスを待つボタニック(植物園)前のバス停だった。当時の自分は不眠症に悩まされていて、朝がつらかった。どんよりとした気分でバスを待っていた時、いきなり、異様にハイな声で話しかけられた。
「ハア〜、ニホンジンデスカ!?」
そう変な日本語で言うなり、その20代後半と思しき男は、後は早口の英語で自分の勤め先でエレベーターの事故があったことを身振り手振りを交えて話し、一人で受けてぎゃははと笑った。
私は適当に相槌を打っていたが、バスが来たのでほっとしてそのうるさい男から解放された。ところが、翌朝もその翌朝も彼が嬉しそうに話しかけてくる。男は、バス停のある通りからほど近いアパルトマンに住んでいて、徒歩で通勤する途中で、このバス停を通りかかるらしかった。
当時の私は、人間関係も経済的にもどん底で、大変すさんだ生活を送っていた。今から振り返ってみると、人間不信で、被害者意識が強く、すぐ人の言葉に傷つき、仕返しに相手を傷つけると言うことを繰り返していた。できることなら、誰にも話しかけられたくなかったし、誰にも話しかけたくなかった。その男の明るさが、自分には馴染みのないもので、作りものとしか思えず、ただうっとおしいだけだった。
男は、話の合間に、バス停のはす向かいにあるゴージャスなアールヌーヴォーの建物を改造した「Ultieme Hallucinatie (終末幻覚)」と言う名のバーをを指差して、
「俺、毎晩あそこで友達と飲んでいるんだ。会社が終わって時間があればおいでよ」
と言った。もちろん行く気はない。
男は話しかけて来る度に、最後に、またそのバーの話をして、
「ねえ、会社が終わって時間があればおいでよ」
と繰り返すのだったが、そのうちあきらめたのか、バーのことは何も言わなくなった。
そうやって、数カ月が過ぎた。毎朝バス停で短い話をするルーティーンは変わりなかったが、その内、広いブラッセルの街のあちらこちらで偶然その男にばったり遭遇すると言うことが起こった。
週末スーパーに食料を買いだしに行こうとして歩いていると、長い長い並木道の向こうの方から、見たことのあるような姿がこちらに向かって歩いて来る。こちらが感心するほど間の抜けた顔をして、ぼんやり考え事をしながら歩いて来る。声をかけると、急に目を覚ました時のように目をぱちぱちっとさせてから、とつぜん満面の笑顔を浮かべて、
「やあ!」
と言う。
そんなことが何度か続くと彼の姿を見かけるたびに、
「ぷっ、またあの人・・・」
と思って、荒んだ気分の自分もつい笑い出してしまうのだった。
自分にとっては大変つらい夏が来て、そして過ぎ去ろうとしていた。ある天気の良い土曜の朝のことだった。今思い出しても大変不思議なのだが、何故かこれまでの悶々とした気分が全て吹っ切れた気がして、久々にモーツアルトのクラリネット協奏曲が聴きたいなあ、ロジェ広場の近くのメディアテークへ行ってCDを借りよう・・・と思って、普段は出不精で仕事以外はほとんど外出しない自分が突然外出する気になった。
ロジェ広場の地下鉄の駅に降り立った時、何とまたあの見知った顔にばったり出遭った。グリだった。少し立ち話をしたところで、
「あ、立ち話も何だからお茶でもするか」
と彼が言った時、自然な感じで「オーケー」と言っていた。
それからというものグリは、週末ごとに友人のホームパーティーや、職場のパーティー、それから、深緑色のルノー・クリオに乗せてあちこちドライブに連れ出してくれた。私は、なんだか深く深く心が和むなあと思った。長い間冷蔵庫の中に入っていた後で、急に春の縁側に出たような気持ちだった。グリがいつも自然に上機嫌でハイだからだ。いつ本性を現すかと身構えていた自分だったが、あの日本のテレビの軽薄外人そのものの明るさは、女の子をナンパするための作り物の明るさではないらしい。
その明るさは、うまく説明できないが、彼の意識が自分自身に向かう代わりに、すべて外界に、観光地の綺麗な風景や、ビールや、友達に向かっているからだった。隣にいる私が、彼に無関心だったり多少落ち込んでいても、彼は必要以上に自分のせいではないかと気に病むこともないし、プライドを傷つけられて気を悪くすることもない。つまり私とは正反対なのだった。グリはある日こう言った。
「世の中の多くの苦しみは、自分に重要性を置き過ぎることから発するんだよ」
でも、自分がグリに完全に心を開くまでにはさらに10年ぐらいかかったかもしれない。グリはそんなこちらの気分をやわらげようと思ったのか、知り合ってすぐにアイルランドの両親ジェリーとジョーンのもとに連れて行って「ガールフレンドだ」と紹介した。
グリは母親のジョーンとの間に確執があるようだった。私の方は、すっかり打ち解けてジョーンと占星術の話で盛り上がった。ジェリーもジョーンも女の子供を持ったことがなかったのでとても楽しそうにしてくれた。
それを見ていたグリは、廊下に出て二人になると、
「俺、ジョーンとは喧嘩ばかりしてるけど、母親だからやっぱり愛してるんだよ。今日はありがとう。君と一生一緒にいたいよ」と優しい声で言った。
すると私は、思わず、
「一生のことなんて、誰に分かるのよ」
と毒のある声で言って、カラカラ笑ってしまった。
意地悪なことを言うと、相手が仕返しに更に意地悪なことを言う。そしたら、こちらはそれよりもっと意地悪なことを言って一撃でたたきのめすと言うようなコミュニケーションのパターンが自分にはいつの間にか沁みついていたのだった。そして、まだ知り合ったばかりのグリにも、思わずその癖を出してしまったというわけだった。
すると、グリは、こちらが思いもかけない反応をした。しゅんと下を向いて黙ってしまったのだ。仕返しの気配はまったくない。その時自分は、
「この人は、人に対する悪意と言うものを知らないし、人の悪意に対しても全く無防備なんだ〜」
と思って、深く後悔した。
時は流れ、グリはアメリカと中国とアイルランドとベルギーを行ったり来たりするようになり、その間、グリも私もかわるがわるにそれぞれの恋人が出来た時期もあった。でもそのことで互いに不愉快を感じたり、相手に嫌みを言ったりすることはなかった。そもそも、グリと私はほとんど喧嘩をするということがなかったのだ。グリも私も、他の人とは始終喧嘩をしていたのだが。
恋愛については、自分にはどうも、自分の心の傷を完全に解決していない相手とお互いに深く惹かれあうと言うパターンがあるようだった。同病相哀れむと言うことかもしれない。そんな理由で、暖かい両親のもとで育ち、母親との葛藤も相対化できる心の強さを持ったグリに対しては、恋愛感情を持てなかったのかもしれない。心の傷を持つ相手とは、始めはワンダフルな数カ月が続くが、そのうちお互いに相手の些細な言動に深く傷き、次第に泥沼にはまってしまう。そう言う関係がうまく行くわけはないことが、当時の自分には分からなかった。
ある日、矢羽打ち枯れてもう死んでしまいたいと思っている自分をグリが見つけ出し、救い出してくれた。
「俺たちは、もう一緒にはなれないのかもしれないけど、まりあに何かあったら世界のどこで何をしてても、ニシ・ヒガシ・キタ・ミナミ、どこでも飛んで行くからな」
とグリは言った。(東西南北を、グリは日本語で覚えているのだ。)
つづいて、あのジョーンまでが電話をくれた。
「あなたがグリと会わなくなっても、あなたはいつまでも私の家族よ」
グリはいい加減で、極端で、アテにならないところもある人間だが、生死の問題、とくに食べることや体調管理、衛生面など基本的な必要最低限のことに対しては、とてもまっとうな感覚を持っていてベルギーにいる間は私のスポーツトレーナー兼料理人になってくれた。不規則で時には数日間何も食べないで過ごしてしまうような私の生活をまっとうに戻してくれ、今の職場で人並に働けるようにしてくれた。
グリに対して自分が抱く気持ちは、恋愛感情であったことはなく、愛といった大層な抽象概念でもなく、20年間の間に彼がしてくれた一つ一つの行為に対する、その時々の感謝の念の膨大な堆積にすぎない。
一生変わらないものなんてありはしない、ということも分かっている。だから今の一瞬を大事にして、もしこれからグリに何かがあった時、グリがどこで誰と何をしていても、ニシ・ヒガシ・キタ・ミナミ、私は助けに行こうと思っている。
***
グリの言動には、自分にはよく分からないことが多い。まず、いくらマイブームだからと言って、動物ではあるまいし、何日も続けてまったく同じものを食べ続けると言う神経が理解できない。いくらいい歌でも、100回も続けて、Book of Loveを聴き続ける神経が理解できない。
100回目ぐらいで、グリが、
「ああ、この歌は本当に僕の心を歌っていてくれるよ」
と言う。そして、静かに泣きはじめる。
昔は、人前ではめったに泣かない向こう気の強いグリだったが、私が癌になってから私の前では泣くのが平気になってしまったみたいだ。でも、私にはグリがなんで泣いているのかがまだ理解できないでいる。