スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
| - | | - | - | ▲
旧題「読書 この秘密の愉しみ」を改めました。
最近本当に読書をしていないので・・・
| 心と現実 | 04:23 | comments(9) | trackbacks(1) | ▲
| わたしの周りのすごい人々 | 04:08 | comments(2) | trackbacks(0) | ▲
| わたしの周りのすごい人々 | 04:54 | comments(2) | trackbacks(0) | ▲
| パワースポット巡礼 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
| わたしの周りのすごい人々 | 18:12 | comments(4) | trackbacks(0) | ▲
船で沖に出て、見渡す限りの海の真ん中で夫のグリとふたりで泳いでいると、海が荒れている時などすごく怖くなることがある。グリの方も同じことを感じているのか、ペンチのような馬鹿力で私の腕をがっちりはさんで泳ぎ続けている。
それは、なにか過去に同じような状況があって、海の上で生き別れになってしまったような(ありえない)記憶がよみがえるような感じだ。グリとは知り合ってから20年ぐらいたつが、いつもお互いに顔を見合わせて、
「ああ、今日もぶじ生きてたね、よかった〜」
と言い合う事が多い。それは、まぬけな2人が何度か一緒に、または、どちらかが、死ぬような危ない目に何度もあっているという言う事もある。
だけどそれだけではない。
私は、多分グリが先に死んでしまったら、何もできなくなって今の仕事も辞めて、お寺か何かに入ってしまうような気がする。無気力体質の自分がせっせと仕事や勉強に励めるのも、こんなブログを書く元気があるのも、いつもグリがそばにいて過剰な元気をわけてくれているからだ。
私が死んだらグリは「ハートがぶっつぶれてしまう」と言っている。彼のハートがぶっつぶれることを考えると、それだけでこっちのハートがぶっつぶれそうだ。そうならないために「死んだら、グリの守護霊になってあげるよ」と約束している。
ただ、その日はいつか来るのだろう。私たちのどちらかが、見わたすかぎりの大海原に一人取り残される日が。だから時々は心の中で予行演習をしたりしている。
****
1995年の阪神大震災の後に書かれた村上春樹の素敵な短編集「神の子どもたちはみな踊る 」にこんなくだりがある。
ニミットはコーヒーカップを手にとってひとくち飲み、それから音をたてないように注意深くソーサーの上に戻した。
「彼は私に一度、北極熊の話をしてくれました。北極熊がどれくらい孤独な生き物であるかという話しです。彼らは年に一度だけ交尾をします。年に一度だけです。夫婦というような関係は、彼らの世界には存在しません。凍てついた大地の上で一匹の牡の北極熊と一匹の牝の北極熊とが偶発的に出会い、そこで交尾がおこなわれます。それほど長い交尾ではありません。行為が終了すると、牡は何かを恐れるみたいにさっと牝の体から飛び退き、交尾の現場から走って逃げます。文字通り一目散に、後ろも振り返らずに逃げ去ります。そしてあとの一年間を深い孤独のうちに生きるのです。相互コミュニケーションというようなものはいっさい存在しません。心のふれあいもありません。それが北極熊の話です。いずれにせよ、少なくともそれが、私の主人が私に語ってくれたことです」
「なんだか不思議な話ね」とさつきは言った。
「たしかに。不思議な話です」とニミットは生まじめな顔で言った。「そのとき私は主人に尋ねました。じゃあ北極熊はいったい何のために生きているのですか、と。すると主人はわが意を得たような微笑を顔に浮かべ、私に尋ねかえしました。『なあニミット、それでは私たちはいったい何のために生きているんだい?』と」
****
BBCプラネット・アース。陸地をさがして大海原を泳ぎ続ける牡の北極熊の姿。このBBCの映像は圧巻です。
「陸地が見つからなければ、泳ぎつかれてこどくにおぼれ死ぬしかない」と、デイヴィッド・アッテンボローのナレーションが言う。とても悲しくて美しい。
| 病と死 | 05:12 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
| 1/1PAGES |