前回の続きを早く書かなければと思っていたのですが、エジプトの革命騒ぎで中断してしまいました。
エジプトは紅海のほとりのダイバー村に、亭主のグリと10日間の予定でやってきました。
10日間、ダイビング三昧で過ごそうと意気込んでやってきたグリと自分だったが、ダイビングは1年ぶりで今一つ自信がない。夜遅く到着し浜辺のテントで一夜を明かした我々は、翌朝、さっそく他の3人のダイバーたちにくっついて海に入っていった。機材一式をしょって、浜辺からジャブジャブ海の中に歩いていき、水面が腰の辺りに来たところで、フィン(足ひれ)をつける。ところが、グリがもたもたもたもたして、なかなかフィンをつけられない。他の3人の無口なダイバーたちは辛抱強く待っていてくれる。いらいらする私。ようやくグリのフィンがついて、みなで一斉にBCD(浮力コントロールのついたチョッキ)の空気を抜き海中に下がっていくときになって、私だけどうしても体が沈まない。紅海は内海なので塩分が濃く、いつもつけているウェイトベルトでは軽すぎるのだった。
しかたなく3人のダイバーたちは私たちを残して行ってしまい、グリと私はとぼとぼと浜辺に戻ってきた。
その時、濡れて体に冷たくまつわりつくウェットスーツのせいかもしれない。まだ小学校一年の私が見た総武線の水道橋駅の汚くてじめじめしたトイレの光景が突然鮮やかに思い出された。私は学校の帰りに、急におしっこをがまんできなくなって駅のトイレに駆け込んだ。でも女子トイレのドアはどれも冷たく閉じている。ドアの一つ一つをがんがん叩いていく私。どれも開こうとはしない。絶望が私を襲ったと思ったとたんに、じょー!とおしっこが出てきてしまった。すると、真ん中のドアが突然開いて背の高いOL風の女の人が出てきた。
小学校一年の私は、何故かその時とっさに、
「まあ。まりあ、おしっこしちゃったのね。だめねえ」
と言った。
それは、今思うと、出てきた女の人に対し、「わたし」は、ここでおしっこを漏らしている小学生とは別人だと思わせようとする、むなしい試みであったのだと思う。女の人は、無表情な一瞥をこちらにくれると、そのまま出て行ってしまった。恥と惨めさと劣等意識の原体験。思えば私の小学校時代はこのような体験の連続であった。
グリもしょんぼりと沈み込んでいるところを見ると、かれも別の原体験を思い出しているのだろう。
***
気を取り直した私たち二人は、翌日、インストラクターについて初級のおさらいコースを受けることにした。インストラクターは、落ち着いたパリジェンヌのカロリーヌ。いっしょに授業を受けるのは、エジプト人の男の子メッギーで、この人はカナダでダイビング救助隊員の免許を取ったくせに、なぜか酸素ボンベとレギュレーターの装着の仕方も忘れてしまったというツワモノだ。
昨日の3人の無口なダイバーの一人がやってきて、
「どうだい」
とグリに声をかける。彼は、ドイツから一人で潜りに来ているのだ。
「うん。初級のおさらいコースをもう一度うけることにしたんだ」
グリが悪びれずに言う。
「そうか、がんばってな」
と言いながら他のダイバーと一緒に海に出て行く彼を、グリはうらやましそうに見送っている。
5メートルぐらいの海底にインストラクターと4人で潜る。水中でマスクが外れてしまったとき、マスクに水が入ってしまったとき、ボンベに酸素がなくなってしまったとき、レギュレーターが作動しないとき、BCDと酸素ボンベが脱げてしまったとき、ウェイトベルトが外れてしまったとき等々の非常事態の対処のおさらいをする。波が強くて透明度が悪く、お互いがよく見えないが、3人とも劣等生だししっかりしたインストラクターも一緒なので気楽な感じで始めた。
ところが、異変が起こったのはその後だった。水中でウェイトベルトをはずし、また装着する練習で、バランスを崩した私の体がいきなり荒波にさらわれて吹っ飛んでしまった。グリが追いかけてきて、かなり遠くの水面近くでまだウェイトベルトと格闘している私を見つけて海底まで引っぱって戻る。
つぎにBCDと酸素ボンベをはずして装着する練習で、また私の体が突然消えてしまった。グリが水面まで追いかけて行ってみると、水面に浮かんだままよじれたBCDと格闘している私が見えた。そして、ゾディアック(モーター付ゴムボート)が私の方に向かって来るのを。グリは必死で泳いできて私を捕まえると、水中に引っ張り込んだ。私のすぐ頭の上を、ゾディアックのプロペラが通り過ぎていった。
水中に私を引っぱってみなのところに戻ったグリだったが、その直後突然苦しそうな顔になった。そしてもがくように水面に上がってしまった。私も水面に上がった。後から、カロリーヌとメッギーが追いついてきた。
「どうしたの」
と言うカロリーヌに、グリは自分の酸素メーターを見せた。メーターの目盛がゼロになっていた。私を追いかけて、水面と海底をかなりなスピードで往復したために、酸素をすっかり使い果たしてしまったらしい。それを見たカロリーヌは泣き出した。
「ごめんなさい。インストラクターの私があなたのメーターをチェックすべきだったのよ。でも、インストラクター生活長いけど、生徒が酸素を使い果たしてしまうなんて事初めてだったものだから・・・」
そういって、カロリーヌはいつまでも泣いていた。
私も自分の失敗が原因でみんなに迷惑をかけてしまったことに、本当に落ち込んでしまった。エジプトの紅海のほとりで太陽を浴びながら、水道橋駅の汚いトイレにいるような気分だった。
ドイツ人の無口なダイバーがまたやってきて、
「どうだったい」
と優しく声をかける。
「インストラクターの心を、立ち直れないほど傷つけちゃったのよね」
憮然として私が答える。
「インストラクターの心を、立ち直れないほど傷つけたのか」
ドイツ人は面白そうに眉を上げる。
「グリ、話してあげてよ。一部始終を」
私がそう言っても、ぐりは下を向いて何も言わない。
***
翌日、自分たちはこりずに昨日のやり直しに挑戦することにした。
昨日の体験で水中で体のバランスを崩して波にさらわれる怖さがわかったので、カロリーヌとの待ち合わせの時間より早く砂浜に出て、グリを相手に昨日習った動作をひととおり復習した。カロリーヌや他のエジプト人のインストラクターたちもやって来て、皆でアドバイスをしてくれた。
海底に潜ると昨日より更に波が強く、透明度も悪い。体のバランスを崩すとおしまいなので、細心の注意をはらい一つ一つの動作を確認しながらゆっくり課題をこなす。
そうするうちに自分の集中力がこれまでになく研ぎ澄まされて、同時に心がしんとしていることに気づいた。そして、その状態が何かに似ていることに。この極度な集中状態が、ヴィパッサナーのサティパッターナ・スートラ、つまりサティ(気づき)による瞑想について本に書かれている状態に非常に似ているのだった。
2日目は、1日目と違って、グリも私もメッギーも3人ともすばらしい成績で効率的に課題をこなすことができた。1日目に酸素不足で窒息死しかけた体験や、モーターボートのスクリューに頭を丸刈りにされかけた恐怖の体験が、この例外的な集中力をを可能にしたのかもしれない。
翌日から3人は、気が狂ったようにダイビングに明け暮れ美しいサンゴ礁や魚の群やウミガメを見たが、いちばん感動的な体験は、この初級コースの1日目と2日目の体験だった。それは荒い海流の中で体のバランスを取りながら装置を操作する集中力を発揮できるようになったことで、なにかずしんとした自信が自分の中に生まれたという体験かもしれない。
水道橋駅の汚いトイレから一歩外に出られたような気持だった。
***
ビデオは、最近のBBCのドキュメンタリーHuman Planetより。この人のように水の中で体を垂直にして立つのは本当に難しいのです。肺に空気をためながら同時に、ウェイトベルトもつけず20メートルの海底に足をつけることができるほど、浮力をコントロールできることも信じられない。
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