夫ジェリーを心臓発作で亡くした後の、義母のジョーンの不思議な平静さについて
前回少し触れた。
それに気づいたのは私だけではなく、最初の悲嘆の嵐がいったん静まった後、グリと三人の弟たちが、
「お袋の様子が変だな・・・お袋にとっては、ジェリーが死んだことと、『今日は雨でした』ということが並列的な出来事になっている気がする」
と言い出した。
ジョーンは昨年頃から、
「バチカンの陰謀で自分が監視されている」
と言ってはみんなをあきれさせていた。グリは、
「母さん。自分がそんなに重要人物と思ってるのかい。自意識過剰だぜ」
と言ってからかっていた。
ジェリーの亡くなった晩、ジェリーの死の影に包まれたアールウッドの家にいたたまれなくなって、グリとジョーンと私は、ウェスト・コークの入江の町キンセイルにある弟のデニスとヒラリーの家に避難してきた。末っ子のノールとブレンダンもやってきて、テークアウトのカレーをつつきながらみんなでしんみりと夜遅くまで語り合った。
そんなとき、ジョーンがバチカンの陰謀の話を始めた。みながその話を無視していると、ジョーンの声はだんだん高くなって重々しい演説のようになった。私は何かジョーンに別の人がとり付いているような気がして、その時は怖くなってだまっていた。
でも、翌日二人きりになったとき、ジョーンがまたバチカンの監視カメラの話を始めたので、思い切って、
「・・・監視カメラに気づいたのはいつ頃からなの?」
とそっと聞いてみた。
ジョーンの英語は、とても早口でケリー地方の訛があって分かりにくいのだが、どうにか、次の言葉が聞き取れた。
「2002年頃から自分はここアイルランドではいつも危険にさらされていると思うようになった。オランダに旅行に行った時は安全に思えて、初めてほっとすることができたわ。アメリカにいるロジャーの結婚式に飛行機に乗るのが怖いといって行かなかったわね。大事な息子の結婚式なのに。それも陰謀が怖かったからなの。ジェリーは、2年前に私に『お前と旅行するのはこりごりだ。もう絶対一緒に旅行しない』と言ったの。そして私を全く無視するようになったわ。それはジェリーが陰謀に巻き込まれて、操られていたからなの。ジェリーが死んだのも陰謀のせい。この国を離れていれば、ジェリーは死ななくてすんだのよ。」
2002年と言えば、アメリカに次ぎアイルランドでも聖職者による幼児の性的虐待とその隠匿が大問題になって、カトリックの権威が失墜した頃だ。私たち日本人にはぴんとこないが、それまで毎週日曜日には教会のミサに行き、聖職者を全面的に信頼し、実生活や人生観がカトリックの教義に根ざしていた人々が受けた心の傷は計り知れないものがある。グリは当時自分の受けたショックについては何も言わなかったが、今思うと、グリがそれまで毎週通っていたミサに行くのも止め、毎晩のお祈りをしなくなったのもその頃だったかもしれない。
自分を包み守ってくれていたと思っていたバチカンを頂点とするローマン・カトリックの社会組織が、実はおぞましく危険なものであったという、当時ジョーンが感じたかもしれない深いショックと、彼女のバチカン陰謀説とを結びつけるのは、自分の深読みかもしれない。
でも、ひとつ確かにいえるのは、
「自分の夫に『もうお前とは二度と旅行したくない』と言われたこと」
「自分の夫に無視されるようになったこと」
「自分の夫が自分の目の前で苦しみながら死んでしまったこと」
という事実の重みを自分のものとして受け止める強さを持たないとき、「バチカンの陰謀」などという、自分の力の及ばない巨大な組織を背景とするサスペンスまがいのストーリーの中にこれらの出来事を位置づけることが、心の平衡を保つのに役立っているのではないかと言うことだ。
それにしてもバチカンだなんて、荒唐無稽でどことなくおかしみがあるのが、さすがにグリの母親だなあと思う。グリとジョーンは犬猿の仲といってもよいが、私から見るとグリは大好きだった父親のジェリーとは何の共通点もなく、本当にジョーンにそっくりだ。政治経済社会を論じたがり結構知識もあるところ、ちょっとドジなところ、びっくりするほど服装に構わないところ、そして料理が下手なところがそっくりなのだ。これは、グリがジェリーからではなく、ジョーンから受け継いだ性質だ。(私もジョーンにはイライラすることもあるし、ジェリーのように「ジョーンと一緒に旅行するのはこりごりだなあ」と今でも思っているが、いつも心の中で「こんなに素敵な息子を産んで育ててくれて有難う!」とも感謝しているのだ。だから私にとってはとても大切な人だ。)
不思議なことに、この日の私とジョーンとの会話を境に、ジョーンはぴたりとバチカンの陰謀の話をしなくなった。これまで皆に無視されていたためにエスカレートしたのが、耳を傾けてくれる人に向かって話すことによって、逆に自分の言うことの矛盾に気づいたのかもしれない。
したり顔でこんなことを言っている自分も、ジョーンとそう違いはしない。愛する人の死は、ナマのまま受け止めるにはあまりに強烈過ぎる。死はあまりに理不尽なのだ。だから荒唐無稽であれ常識的であれ、何かのストーリーの中に押し込め、死を意味づけることによって消化するしかないのだ。
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ジェリーの死をめぐって、他のみんなも様々なストーリーをつむぎだしていくようだった。
死の翌々々日の朝、セントフィンバーグ教会のミサでは、教区司祭が「死は終わりではなく、将来私たち皆が行く場所での、新たな生の始まり」と壇上で言った。そう信じたいが、本当にそうなのだろうかと私は考え込んでいる。
この教区司祭は、グリが7歳のときのコミュニオンの司祭だったそうだ。この神父はその後すぐ教区を去ったが最近になって戻ってきて、はからずもグリの父親の葬儀のミサの司祭となった。グリはそこに偶然とは思えない不思議さを感じている。でも、この神父は、通夜の晩にスニーカーをはいたまま現れたり、埋葬ではサングラスをかけていてまるでマフィアみたい、参列者を見下したような話し方をすることから、グリも親族の誰も、彼の言葉を感動をもって心に納めることができないでいる。
司祭自身も信じていないように思える死後の生というストーリーの外側で、ノールもグリも、ジェリーの魂がまだ生きていることを信じたいのだろう。
末っ子のノールは、
「ジェリーが倒れたとき、僕は自分の家のバスルームで眉毛を切りそろえていたんだよ。ちょうどその時、鏡が床に落ちて砕けたんだ」
と言う。
グリは、ジェリーの死の翌朝まだ夜の空けきらないうちにベッドの上に起き上がって朝焼けのさしてきた空を見ていた。その時、白くて丸い雲が空のとても低いところにひとつだけ浮かんでいるのを見た。その雲は、まるでグリに話しかけるようにゆっくりとゆっくりと流れていった。
グリは、
「あれはきっとジェリーだったんだよ」
とぽつんと言う。
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一方、子供の頃から「あなたの知らない世界」などの霊界番組に日頃からさらされており、最近では「オーラの泉」の影響や(笑)立花隆の「臨死体験」などから霊魂の存在をほぼ科学的事実のように受け入れてしまっている自分が、ダブリンからコークに向かう車の中でジェリーの死の知らせを受け取ってまず感じたのは、
「ジェリーともうパブでビールが飲めないのか。さびしいなあ」
と言う気持ちと、
「ジェリーは今どんな気持ちでいるかしら」
という心配だった。
アールウッドに着いてベッドに横たわるジェリーの冷たい手を握り締めたとき、いちばんつらかったのは、ジェリーの死そのものよりも、取り乱して泣き崩れているグリの姿を見ることだった。私は立花隆の「
証言・臨死体験 (文春文庫) 」を思い出して、ジェリーは、心臓が止まって徐々に死につつある体の中にいるのではなく、天井の方から私たちを見下ろしているに違いないと思った。そして、ジェリーは自分がいったいどうなったのか分からず、泣いているみんなを見下ろしながら途方にくれているに違いないと思った。そして、自分がここにいるのに誰も気がついてくれないのをさびしいと思っているかもしれなかった。
だから天井の方にジェリーの姿を目で探しながら、「ジェリー、そこにいるのはちゃんと分かっているから。心配しないでね」と心の中で言った。ジェリーにこの言葉が届いてくれるといいなと願った。
翌日のお通夜(Rosary)では、フュネラル・ディレクターが管理する霊安所に、例のスニーカー神父がやってきて、樫の棺に綺麗に納められたジェリーと親族の前で祈りを唱えた。