当地ベルギーをはじめ、ヨーロッパ北部の国々では、冬期に「季節性うつ病」が頻発する。冬になると日照時間が極端に短くなることと、関係があるらしい。冬の短い日照時間の間、太陽は、夜明けから直接夕暮れに向かうような動き方をする。つまり、日本など赤道に近いところから見る太陽と比べると、非常に低いところを動いて沈んでしまう。不幸なことに当地でうつ病の症状を呈してしまった駐在員やその家族に、医者は次のような忠告をする。
「とにかく、起きているときは、家じゅうの明かりを全部つけなさい。」
それでも元気が出ない場合は、毎日日没後と日の出前の一定時間、治療用に開発された紫外線ランプの光を浴びる。でも、多くのベルギー人は、そんな状態になる前に、経験的に冬になるとアフリカや南仏やスペインや、とにかく太陽のある国にどっと旅行する。
自分がベルギーに来たばかりの頃、ベルギーの暗いところが気に入っていた。特に、快晴の日本の正月をすごしベルギーに帰ってくると、その低い太陽、陰影の中の建物や木立、夜の街路にともるのオレンジ色の街灯などが奥が深くて、素敵と思っていた。だから、ベルギーの天気の悪さをなげくベルギー人たちの気持ちが今一つ分からなかった。
ベルギーに来て半年ばかり経った4月、日本から母親が訪ねてきてくれることになった。
ジャンおじさんは、1日休暇を取って、母親と私をきれいな郊外の町に案内するのだと何週間も前から張り切って計画を練っていた。
ところが、その当日の朝になって、とても深刻な声でジャンおじさんから電話がかかってきた。
「悪いけど、今日の約束をキャンセルしておくれ」
「え~?! どうしたの? 病気にでもなったの?」
「ちがうんだ。海に行かねばならないんだよ」
「海? 行かねばならない? どうして!?」
ジャンおじさんは絶句した。そして言った。
「天気がいいから」
たしかに、まるで一遍に夏が来たみたいな、天気のいい暑い日になりそうだ。
「だから、こんな天気のいい日は、あと何年間あるかどうかわからないんだよ」
ジャンおじさんは、そう泣きそうな声で言った。
(しかたなく、その日は、母親と二人ジャンおじさんにくっついて北海に面する海水浴場オステンドに行って過ごしたのだった。その日おじさんは、何着もの水着といくつものサングラスをとっかえひっかえつけて、数年に一度のベルギーの夏を楽しんでいた。)
その気持ちがいまではよく分かる。たぶんベルギーに住んで10年ぐらいたったころからだ。体内のビタミンDの蓄積が底を突いてきたのかもしれない。
その後、地球温暖化のおかげかここ数年はベルギーでも五月晴れのような快晴の日が増えてきて、昨年の夏は暇を見つけて外出して少しでも陽を浴びるように努めたのだが、それでも、冬になってみるとこの長い冬を太陽を浴びずに乗り切れる自信がなくなっていた。
亭主のグリにそう言うと、
「ブル・シット!天気に気分を左右されるなんて、ばかみたい」と馬鹿にする。
確かに彼は、雨が降ろうと、雪が降ろうと、いつでも楽しそうで騒々しい。夏と全然変わらないのだ。うらやましいかぎりだ。
ビタミンDの問題は別として、たしかに、天気の悪さで落ち込んでしまうというのは、パブロフの犬がベルを鳴らすと胃液を出すように、刺激と反応の間にあやまったリンクがつくられてしまっているだけなのかもしれない。この刷り込まれた誤ったリンクは、意思によって消すことができるとスティーヴン・コヴィ「
7つの習慣―成功には原則があった! 」は言っているし、気づきによって白紙にすることができると初期仏教のヴィパッサナー瞑想の指導者は言っているし、精神疾患の認知療法もそう言っているようだ。私もその通りと思う。
このサイトにもリンクを張らせていただいているブログ「どこかの細道」の著者の老真さんの、「冬には北へ、夏には南へ」、つまり、寒い季節にはさらに極限の寒さを体験できる場所へ、熱い季節にはさらに極限の暑さを体験できる場所へ行くという精神にもとても共感できる。そこには、極限を体験して、楽しもうというポジティブな姿勢が感じられるのだ。
確かにみなさんのおっしゃる通りなのですが、軟弱な自分は、グリを説得し、ぜったいに温かくて天気がよさそうで、かつドル安で東京よりは旅費が安そうなフロリダ・キイで年末年始を過ごすことにしました。
フロリダのキイ・ラーゴについてからは、「太陽をパクパクパクって食べちゃうの」とおっしゃった日本の首相夫人のように、陽光をむさぼるように毎日海に出かけていた。
ビデオは、カヤックでこぎ出したマングローヴ林。
ああ、太陽が高く、植物が豊饒だ。
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