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旧題「読書 この秘密の愉しみ」を改めました。
最近本当に読書をしていないので・・・
これまで拙ブログの中で、自分が癌になったことのポジティブな面ばかりを(笑)書いてきたように思いますが、ネガティブなことが全くなかったわけではない。(当たり前ではありますが。)
自分は癌になったことでたくさんの貴重なものを得たと思うけれど、もちろん失ったものもある。つまり、まあ、とんとんと言うところだろう。
***
失ったもののひとつは、眉毛だ。
癌になる前の私は、自慢ではないが、鹿児島出身の海軍軍人だった父方の祖父から受け継いだ、実に立派な眉毛をもっていた。ある日、この祖父の写真を亭主のグリに見せたら、
「きゃー、眉毛そっくり」
と大喜びして、それからというもの機会あるごとに、私の眉毛をシャリシャリとなでて、
「大丈夫。きっと、この眉毛が導いてくれるよ」
とわけのわからないことを言って元気づけてくれるようになった。
それが、抗がん剤治療を開始して2週間位たった時、毛が抜け始めた。お風呂に入ると、バスタブは、抜けてしまった私の毛で真黒になってしまう。私は映画「黒い雨」で田中好子粉する原爆被災者の娘が風呂場で髪がごそっと抜ける恐ろしいシーンを思い出したが、グリは、
「うはあ。ゴリラがうちの風呂に入りにきた後みたいだなあ!」
と面白がっている。
「このまま少しずつ毛が抜けていくのを待つよりは、いさぎよく剃っちゃおうぜ」
とすぐに私の頭をつるつるに剃ってくれ、「ソリダリティ(団結)のため」と言って自分の頭も剃ってしまった。
治療が進むにつれて、髪だけでなく全身の毛が抜けていく。鼻毛が抜けたのは嬉しかったが、眉毛とまつ毛が抜けてしまうと、顔がはっきり変わってしまうのですこしさびしい。
「でも、今の自分は昔の自分ではないんだ、今は戦いのときなんだ!」
と自らを鼓舞する役には立った(笑)。
抗がん剤治療3回目が終わったころの11月1日、ロシアの反体制活動家アレクサンドル・リトビニェンコが、ロンドンの寿司屋で倒れ、病院に収容された。何者かにより彼の体に放射線物質ポロニウムが注入されたのだ。髪も眉毛も抜けて病院のベッドに座ってカメラを見つめる彼の最後の姿が何度もニュースに流れるのを、自分も同じような姿恰好でベッドにへたばったまま眺めることになった。リトビニェンコはその3週間後に死亡した。
「ありがたいと思わないとな。君は個人的な病気を治すためにハゲになってるけど、彼はロシアと言う国の大きな病を治すためにこうなったんだから」とグリが言う。本当におっしゃる通りだ。
抗がん剤治療が終わってしばらくすると、頭には、再びおそるおそる髪の毛が生えてきた。春の芽生え。私の髪は、抜ける前はパーマもかけたことのない真っ黒でしっかりした直毛だったのが、再び生えてきたものは、茶色がかったふわふわのカーリーヘアだった。なかなかキュート。
が、眉毛は一向に戻ってくる気配はない。かつて自分を導いてくれていたものがなくなってしまったと思うと、自分が自分でなくなるようでもあり、いちまつの寂しさを感じるが嘆いても仕方がない。全身の細胞は3か月で全部入れ替わると言う。(だったっけ?) いつもおなじ「自分」があると言うこと自体が幻想なのだ。
***
もうひとつ、大幅に失われたと思うのは免疫力だ。
抗がん剤治療を経験された方はご存じと思うが、治療中は、白血球をぎりぎりまで減少させるので、細菌やウィルスの感染に極端に弱くなる。逆にいえば、抗がん剤治療以前は自分の健康な体の中でいかに精緻な防衛機構が働いていたのかということを、治療進行するにつれつくづく体感することになる。これも忘れられない貴重な体験だった。
これまで自分は、自分の強靭な免疫機構に胡坐をかいて、ずいぶん無茶をして来ていた。体の警報装置が鈍感にできているのかもしれないが、免疫力も強かったのではないかと思う。風邪もめったにひくことはなかったし、虫歯にもならない、けがややけどをしてもほっておけばすぐ直る、徹夜で友人たちと飲んでコンタクトレンズを目につけっぱなしにしたまま眠ってしまっても問題なし、毎朝朝シャンして乾いていない頭を真冬の零下の風にさらし30分以上も来ないバスを待っていてもへいちゃら、同じものを食べて仲間が全員食中毒を起こしたのに自分だけ平気だったと言うようなこともあった。
タイ→インド→バングラデシュ→ブラッセルと旅をして来たクチナ君は旅先でおなかを壊さないのが自慢だったが、ブラッセルの私のアパートに着いたとたん食中毒でたおれてしまった。私とジャンおじさんでいやがるクチナ君を無理やり病院に担ぎ込んだくらいだったので、かなり深刻な事態だったのだと思う。たしかあの時は「赤痢に違いない!」と思ったんだった。
それからしばらくして、ロンドン留学中の、クチナ君の友人の小川君も私のアパートに寝泊まりするうちにこれまたおなかを壊して寝込んでしまった。(やさしい小川君は、「きっと、前夜のレストランで食べたムール貝に中ったんだよ」と言ってくれたが、だれもが暗黙の内に、私のアパートにネズミが出るせいかもしれないと思っていた。)
でも、私自身はこのアパートでおなかを壊したことはなかった。じまんじゃないけど。
それが、治療の中半からちょっと油断すると、すぐにおなかを壊したり、目が炎症を起こしたり、口内炎にかかったり、熱を出したり、風邪をひいたりするようになった。はっきり言って、わたしたちはバイキンの海の中にいる。バイキンを吸い、バイキンを飲み、バイキンを食べている。それでも大丈夫なように、免疫機構ががちっと守ってくれていたのだ。それが、痛みと共にわかりました。
治療が終わってしばらくすると、白血球値も正常に戻ったが、一度落ちた免疫力は再び昔のレベルにはもどらなかった。
そのせいか、去年の冬は合計3回もインフルエンザにかかってしまった。昔の自分からは考えられないことだ。
そして今年も一昨日からインフルエンザにかかり、タミフルを飲みながら家で仕事をすることになってしまった。(ジムにもプールにも行けず、いつもより時間ができたので、楽しくブログ記事を書くことにしました。)
***
以上、失われたものは眉毛と免疫力だけではないのかもしれない。でも、何かを失うことによってしか、得られないものがある。自分が失ったものを嘆くよりも、それによって何が得られるのかなと思うと、なんだかすごくわくわくするのだ。
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