前回、森がすきと書いたばかりですが、海も同じくらい好きである。今年はなぜか、夏になるのが待ちきれず5月と6月の日曜日に北海岸(フランスとオランダ)に2回も出かけてしまった。
泳ぐわけでもなく、海岸を散策する人々に交じって、カモメに餌をやったり、砂交じりの潮風と太陽を浴びたり、亭主のグリがバンジージャンプをする間、テラスでビールを飲んだりして、1日ぼーっと過ごしただけであるが、後で気がつくとずいぶん元気になっている。
海の力だ。
自分の場合、海の物語を読むだけでも、Youtubeで見る海の映像の切れっぱしでも同じように元気が出る。
幼稚園の頃、「海の音楽隊」という絵本が大好きで、何度も読んでいた。船の上の音楽隊が、魚やクジラ達に楽器の演奏を教えると、その生き物たちが見事な演奏をするという物語だったと思う。夕焼けの中で、ラッパやフルートを携えた魚たちを描いたきれいな絵本だった。
小学校になると、今江祥智の本が大好きで、「ぼんぼん」や「山の向こうは青い海だった」などを学校の図書室で借りてはずいぶん読んだが、中に「海の日曜日」という
宇野亜喜良(?)の素敵な挿絵のついたすてきな物語があった。少年と少女、そして馬が出てくるほかは、ストーリーはおぼえていないが、それを読んだ後、1週間ぐらい感動でぼおっとしていたことを思い出す。
20年以上前に東京のイタリア映画祭で見たタヴィアニ兄弟の映画「カオス」も同じような海の力に満ちた映画だった。
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これは「カオス」の3つ目のエピソードの最後のシーン。1度だけ見て、その後ずっと見ることができずにいたのにYou Tubeで映画のクリップを見れることに最近気づき、さっきあっさり見つけてしまった。本当にすごい世の中になったものだ。
このバックに流れる歌の名前を20年前の自分は知らなくて、家に帰ってすぐに楽譜に書きつけ、その後時折思い出していたのだが、ベルギーに来てからモーツアルトの「フィガロの結婚」を観ている時に、4幕のはじめに庭師の娘バルバリーナが暗闇で床を照らしながら何かを探しながら歌うとても短い歌「失くしてしまった」であることが分かった。
何かを失うことによってしか得られないものがある。少女が失くしてしまったものは何なのだろう。
前回も書いたが、最近いまさらながらに思うのは、映像や音楽を前にすると言葉は無力だなあと。