東京の台東区の下町に住むひろちゃんが、すごい文章を送ってくれた。
前回のブログ記事「不運な友へのメッセージ」で自分が思うように表現できず歯がゆい思いをしていたことをぴったりと表す文章だった。
ひろちゃんは自分の唯一のおさななじみだ。2−3の印象的な出来事をのぞいてはほとんど自分の意識にはのぼらないほど、ひろちゃんの記憶は自分の細胞と同一化している。そんなひろちゃんからすごいタイミングでこんな文章を送ってもらえて、本当にびっくりした。
人間の生きているのは苦しむ為だ
その苦しむことが楽しくなるまで生きていることが養生というのだ
犬も猫も苦しければ逃げる
人間は自分の心身が苦しいことだけが苦しいのではない。他人の苦しみも苦し
む、世界の一切の動きに苦しむ。
人間の向上とは苦しみを拡げることだ。
動物の苦しみから人間の苦しみへの展開こそ人間の向上だ。その苦しみに徹し、
苦しむことが楽しくなるまで苦しむことだ。
苦しむことを拡大し、一切の苦しさに苦しむことが進歩というものだ
良きことも悪しきことも外にあるのではなく、自分のそれに処する能力にあるの
だということは明らかだ
それなのに悪しきことを避け、良きことを求めようとするのは何故か。
弱いからだ。
その心が起こるそのことがもう能力のないことを示している
そうしている限り安心はない。安心がない限り良いことも悪いことも心配の種だ
良いことは失うまいとし、悪いことは早く去れと希う。
ことの善し悪しに拘わらず、それに処する能力さえあれば、求めず、避けず、い
つも悠々としていられる。
それなのに何故、ひとはあくせくしているのか。
良いことや悪いことが外から来るのだと信じているからだ
能力がなかったら伸ばせばいい
腕の力でも、脚の力でも使っていけば強くなる
人間の一切の力を伸ばすことは難しいことではない
苦しいことをどしどし拡げて、苦しいことが楽しくなるまで苦しめば、それでよ
いのだ
苦しむことが楽しくなり、苦しんでいることが面白くなったら、それで能力が拡
がったのだ
依りかかることをやめて、自分で立つ。たてないで転んだら、また立つ。
また転んだらまた立つ。
立つ意志がある限り人は強くなり、その意志がある限り、転ぶ毎に人は伸び、能
力は増える。
転ぶことを厭うて、立たない人はどんどん弱くなる。
自分の脚であるかない人は歩けなくなる。立てなくなる。
立てなければ転ぶこともできない。
それなのに、転ばないことを慎重のつもりでいる人もある
慎重と用心は人が先のことがわかるつもりでいることから始まる。
これは智恵のある行為だ
しかし、その智恵のため決断と実行を失って、人は眠ってしまっている、しか
も、眠っている間に気が抜けてしまう
失敗したらやり直すだけだ。
失敗をいくら繰り返しても、失敗を活かそうとしている限り、失敗はない
そしてそういう人間に失敗はない
・・・
これは、
昨年末にご紹介した「
骨盤にきく 気持ちよく眠り、集中力を高める整体入門 」の著者・片山洋次郎の師でもあった、整体師・
野口晴哉が自分の指導する整体協会の機関誌に掲載した「雨と風」と題する文章だそうだ。昭和20年にこれを書いていた
野口晴哉は本当にすごい、と思った。(昭和20年と言えば、広島・長崎に原爆が落とされた年ですよね。)
ひろちゃんがこれを送ってくれる数日前の週末、39度近い高熱を出して寝込んでいた自分が寝床で読んでいた本が、ちょうど野口晴哉の「
整体入門」だった。主治医に電話をかけたら「そのまま様子を見ろ」と言われ、熱以外の症状がなかったのでその本に書いてあった通り足湯をして水を飲んで温かくして寝ていたら、その晩どっと汗をかき翌日熱がひいた。「
整体入門」の中の「風邪の効用」と題した章の中で、野口は、「風邪は病気ではなくて、体の歪みを正す方法」(p.149)と言っている。「風邪の前より体がさっぱりと軽くなります」(p.152)
病気を体の歪みを正す契機とみる視点と、苦しみを自己実現の契機とみる視点とは、ひとつのもののように思える。でももっとすごいのは上述の「雨と風」の続きの文章だ。
それ故、
安心は何もかも全く知らないでポカンとしているときと、
何もかも知り尽くして、その時そのように処する能力を持っているときだけに
あって、
慎重と用心からは生まれない
何もかも知り尽くすということは、
何もかも判らないと言うことが本当にわかったことをいうのだ
何もかも判るつもりのうちは、判るということはない
知り得ない人間が、知り得ない世の中を知り得ないままに歩んでいる。
手探りしている人は、知り得ないことを知っていない人だ。
知り得ないことを知った人は、大股で歩んでいる
闇の中で光を求めているのは、知り得ないことを頭で判った人だ。
知り得ないことを本当に納得した人は光を求めない、また頼らない。
その脚のおもむくままに、大股で闊歩している。彼はその裡なる心で歩いている
のだ。
後ろを振り返るのは弱いからだ。手探りをするのは信なき者だ。
足元を見ているのは、先の見えぬことを腹で判らぬ人だ。
あわれなことにそういう人はいつも汗をかいている
(昭和20年 野口晴哉)
光を求めないんだ〜
そうなんだ〜
読んだときびっくりしちゃった」
最後の3行は野口晴哉の文章ではなく、ひろちゃんのコメントだ。私もほんとうにびっくりしちゃったよ。
「うん、やっぱりこの部分がすごい
喜びと苦しみ
幸せと不幸せ
光と影
こーゆう二元論が生み出す葛藤を軽々とクリアしているところがすばらしい」
これもまたひろちゃんのコメント。(無断掲載)
自分も一行一行にたいして感想やコメントをつけ加えたいほど感動したが、読者の皆様に思い思いに味わってもらうためにも、これ以上何も言わないことにしました。