11月11日火曜日は第一次世界大戦の終戦記念日で、会社は週末からの四連休だった。いつもの森の中のヴィパッサナー瞑想センターでOld Student用の3日間の合宿が予定されていたので、ずいぶん前から申し込んでいた。今年の8月に同センターでの10日間の合宿に参加した後、すぐに申し込んだのだ。定期的にこうしてブラッシュアップしないと次第に自己流でへんてこな瞑想を続けるようになるのが心配だった。また、早朝のヨガと水泳のように習慣として定着させていきたくはあったが、それだけの意思が保てるかどうか自信がなかった。
正直言うと、理由はもうひとつある。3ヶ月に1度位は、森の中で少しの間でも誰とも言葉を交わさずに過ごす時間がほしかった。・・・ぜいたくな話ではあるが。(はじめは「なにい?めいそう!?この間行ったばかりじゃない」と呆れていた亭主が、最後には「エンジョイ!」と快く送り出してくれたことに本当に感謝している。)
今回の3日間合宿の参加者は大半がオランダ語を母国語とする男女50人ずつのOld Student(ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想の10日間合宿の卒業生)だ。もっとも、合宿中は互いに言葉を交わすことも、目を合わせることも禁じられているので、母国語の違いはあまり関係ない。ただし、夕刻のS.N.ゴエンカ氏の講話(ダンマ・トーク)の時間だけ、それぞれ自分の母国語毎に小グループに分かれて講話のテープを聴く。
昨年6月に初めてこの瞑想センターの10日間合宿に参加し、ミャンマーのサヤジ・ウ・バ・キンを通じてS.N.ゴエンカ氏が世界中に広めたブッダの瞑想法(アーナーパーナ・サティとヴィパッサナー瞑想法からなる)の手ほどきを受けた。それは自分にとってすばらしい体験だった。そして、今年の8月に2回目の10日間合宿に参加した。それは自分にとって肉体的にも心理的にもとてもつらい体験だった。(その時のことはまた書きたいです。)
さて、第一回と第二回の合宿に共通して言えることは、最初の3日間は、日常のこと(=自分の場合、仕事のこと)が絶えず頭を離れないと言うことだった。最初の3日間、日常の考えに巻き込まれそうになるたびに、その考えにサティを入れ(=客観的に気付き)、かつラベリングをする(=簡潔な言葉で確認する)ことにより、ようやく4日目からほとんど頭が空白になる。サティとラベリングのテクニックはゴエンカ氏の10日間瞑想合宿では教えていないが、この作業なしでは瞑想に集中することは不可能な気がする。「雑念」が起こるたびにサティとラベリングを繰り返すことにより、次第に雑念が消え、4日目ごろから毎日11時間の瞑想中、自分の呼吸と体の微妙な感覚に集中できるようになる。
今回の3日間合宿は、仕事の事ばかりを考えて終わってしまった。それは、期間が短かったせいもある。加えて今回は、「雑念」が生じたときにサティを入れて雑念を消すのではなく、その雑念が起こるがままにして、それとじっくり向き合ってみようと思い、あえてサティを入れる事をしなかった。その結果、思考と感情の雪だるま状態にまきこまれ、「じっくり向き合う」どころではなくなってしまったのだが・・・。
H・D・ソローの古典的名著「
ウォールデン 森の生活」は自分の大好きな本だが、「
呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想」の中で著者ラリー・ローゼンバーグがソローの言葉を引用している。
「もちろん森に向かって歩を進めたとしても、それが私たちをかの地に連れて行ってくれないとしたら何にもならない。体は森に入ってすでに一マイル歩いているのに精神がそれに伴っていないことに気付くとき、私は不安を感じる。午後の散歩で私は午前中の仕事や社会に対する自分の義務などをさっぱりと忘れるが、それでも村のことがなかなか頭から離れない場合が時々ある。何らかの仕事についての思いが頭の中を駆け巡り、私は自分の体が存在するところにいない。正気を失っているのだ。何か森の外側の事を考えているのならば、森の中にいるのは何のためだ?」
自分の場合、食べることも、ショッピングも、社交も、趣味にも興味がないので、基本的に仕事の事を考えているのが自然な状態だ。亭主のグリにいつも批判されるが、社会で起こっていることにも興味がない。残念ながら仕事以外にほとんど考えることがないのだ。でも、毎晩家に戻ったとき、気分転換して「仕事の事をいったん忘れねば」と考えるとき、お酒を飲んでスイッチを入れ替えようとする。そのために非常に深酒をすることになる。
ところが、合宿中はお酒も飲めないし、人々と会話をすることもなく、毎日11時間以上目を閉じて座っているので、1つの事を考え始めるとさえぎるものは何もない。思考がものすごい勢いでエスカレートする。半跏府座を組んで座っている脚の痛みも忘れて数時間、仕事に関するひとつの問題だけをグルグル考えると言うことが起こってしまった。それが、2日目、3日目と静まっていくのではなく、だんだん考える持続時間と強度を増していく。(そんなに悩むほど大した仕事をしてるわけではないのですが・・・。)
仕事のことばかりを考えて瞑想に集中できない焦燥感がつのり、瞑想時間と瞑想時間の間の休憩時間中も、短い食事を取る時間を除いては、瞑想用の独房にこもり瞑想を続けてしまう。1日に2回の食事をするのも面倒くさくなるが、無理やり食堂に足を運ぶ。都合1日15時間瞑想を続ける。でも結局、仕事の事を考えてしまい自己嫌悪に陥ることになった。
***********************
2日目午前の合同瞑想中に相変わらずグズグズ仕事の事を考えていた時、突然、ドーンとある映像が目に浮かんだ。それは、どこかうらぶれたアスファルトのゆるい坂道の途中にある小さな食堂の映像だ。ギリシャのミコノス島辺りだろうか。それともサントリーニ島だろうか。荒涼としたアスファルトの田舎道。夜とも真昼ともつかない風景。その途端、仕事に関する思考が完全にストップした。なぜか気分がさーっと楽になった。そして瞑想の姿勢で座りながら、ギリシャを旅行したときのこと、サントリーニ島の西端で見た夕日の色などを鮮やかに思い出していた。そして、何故か深く安心していた。
どうして10年以上も前(1996年5月)と思われるそんな記憶が突然よみがえったのかはわからない。ただ、その小さなうらぶれた食堂の映像の断片が繰り返し頭の中に現れる。その映像が私に何かを伝えたがっているようなのだった。
その気持ちのよい(そして少し悲しい)映像と感覚は少しの間続いたが、数時間瞑想を続けるうちにまたもや奔流のような仕事関係の思考に巻き込まれ、かき消されてしまった。
***********************
そんな風に3日間がまたたくまに過ぎ、3日目の昼の最後から2番目の合同瞑想の時が来た。これが終わったら、3日間の「沈黙の戒」が解かれ、周囲の人々と話をしなければならない。昼食の後、最後の瞑想があり、夕方まで皆で掃除をしてから帰途に着くのだ。
「3日間が仕事の事を考えながら過ぎてしまった。何か森の外側の事を考えているのならば、森の中にいるのは何のためだ?」
ソローの言葉を思い出し、心底情けなくなった。
それは、アーナーパーナ・サティの瞑想(呼吸に意識を集中する瞑想)とヴィパッサナー瞑想(体の感覚に気づく瞑想)の数日間の訓練を締めくくるメッタバーナ(慈悲の瞑想)の時間だった。
ゴエンカ氏のテープの声がホールに響く。
「周囲の人々に慈悲の気を送りなさい」
と言う意味の事を言っている。
今の自分にはとてもそんな元気も資格もない、そう思うと心底惨めな気持ちになった。思えば自分はこんな気分を夏ごろからずっと引きずっているのだ。でも仕事の方が忙しく且つ快調だったので、それにわれを忘れて問題を先送りしていたのだ。それに気付くと涙が出そうだった。
そうしたら、ゴエンカ氏の声が言った。
「周囲の人々に慈悲の気を送る元気のない人は、自分に慈悲の気を送りなさい」
その時、とつぜんまるで稲妻みたいに、
「天山遯」
という言葉が頭に浮かんだ。それは夏の瞑想合宿に入る前、気分的に切羽詰っていた頃、易を立ててみたところ出た卦だった。その卦の象意をさまざまに解釈しようとし、結局、8月の瞑想合宿で山に逃れることを表しているのだろうと表層的に解釈しようとしていた。
ところが今、「天山遯」という卦が表す夕暮れの天の下に黒々と山が動かない風景が何を意味しているのかが、突然すっきりと判ったような気がした。同時に長い託宣のような文章で、ある一連の言葉がすらすらと心の中を流れて行った。複雑な話なのでここには書かない。今の状況で、自分のすべきことがすっきり全てわかったように思えた。ただしその困難さも同時に分った。(合宿中はノートを取ることは禁じられているので、家に戻ってすぐにそのときの託宣を全て書き留めた。)
今思えば、その夕暮れの山の風景は、合宿の2日目に思い浮かべたギリシャの島の丘の中腹から見た夕暮れの風景とも呼応しているように思える。
瞑想の時間が終わり、一同がホールを去っても、自分はまだしばらくそのままの姿勢で座り続けていた。やがてホールを出たときには、夜が明ける前に重い気持ちで瞑想ホールに入ったときとは全く違った、晴れやかで幸せな気分になっていた。思いがけなく空が晴れ渡り、秋の色の庭と林一面に明るい陽光が射していたのに驚いた。
その後、自分の家のある夕焼け空の美しい西に向かって車を走らせつつ、自分はつくづく幸せだなあと思った。