一昨年病に倒れる前から、自分にとっては未知であり苦手と思われる分野ではあるが、「自分もやりたいなあ」とあこがれていた仕事上の役割があった。でも自分にはそんな役割を演ずることができるような知識も能力も体力も性格的な資質もないと思い悩み、半ばあきらめていた。
そんな自分を神様が気の毒に思ってくださったのか、昨年秋ごろから上司や同僚の好意で、上述のような仕事上の役割が徐々に自分に振り当てられるようになった。それを一生懸命こなしているうちに、少しずつそんな役割に自分を慣らして行くことができ、「まだ完璧には程遠いけど、この調子で行けば、まったく不可能な役割ではないんだな」と自分で納得することができるようになってきた。
ただ、前述の通り、自分にとっては未知の分野で、勉強しなければならないことも沢山あり、かつ自分の生活習慣や性向を変えていかねばならなかった。特に今年に入ってから、そんな局面が加速的に増加した。そのため、今年の春頃までは、
・仕事:75%
・勉強:10%
・精神的なケア(ブログ書き・瞑想):10%
・健康上のケア(毎朝のジム・水泳):5%
・・・とそれぞれに費やす時間が、こんなふうにいい具合のバランスを保っていたのだが、春頃からせっかくのチャンスを生かそうとこれまで以上に仕事に注力するようになったため、上記のリズムがガタガタになり、
・仕事:95%
・勉強:0%
・精神的なケア:0%
・健康上のケア(毎朝のジム・水泳):5%
こんな状況になってしまった。
かろうじて、毎朝のジム・水泳の習慣は保っていたが、5月頃から仕事上の宴席が増え、またストレスのためか家での飲酒も加速し、せっかくの5%の努力も帳消しである。この頃から、会社では「絶好調です!」と言う風を装いながら、実は心身ともに疲れきり、戦々恐々とする日々が続いていた。
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もう絶体絶命!と思うときに、自分は易を立てる。易は大宇宙と小宇宙の接点であると言われるが、精神分析医カール・グスタフ・ユングは、易を広大な無意識との接点であると考えていたらしい。(秋山さと子「占いとユング心理学」)
「今から秋にかけての、自分の仕事は?」と言う私の問いに、出た卦は「雷火豊」。上掲書によれば「盛運が極まる」という卦である。ところがこの卦は、私の場合、「天山遯」(退く時を逃してはならない)という卦に逆転する。
この卦を見て、余計に落ち込んだ。
でも心を落ち着けてこれらの卦を見つめているうちに、「天山遯」が8月に参加する10日間のヴィパッサナー瞑想合宿の事を表しているのかもしれない・・・と都合よく解釈することができるようになってきた。ひらめく雷や炎のように一見派手に立ち回っている職場からひと時退いて、10日間の合宿では、広い天の下の不動の山のように、座して沈黙し瞑想を続ける。胡坐を組んでじっと瞑想する姿勢は、確かに山みたいだ。
昨日の朝合宿から帰り、今朝から職場に復帰してみて、心身ともにすっかりリフレッシュしていることに気づいた。仕事の後に、2ヶ月あまりもストップしていたブログを書く心の余裕も出てきた。
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さて、自分にはもうひとつ、気になっていることがあった。昨年から、ベルギーでの税理士資格試験の準備とは別に、もうひとつ別の試験を日本で受けようと思い勉強を続けていた。上述のように仕事に全力投球したくなったため、その勉強を今年の3月頃からなし崩しにやらなくなっていた。そして、今年8月の試験は断念してしまった。もう一度チャレンジすべきかどうか、大いに迷った。そこでこれについても易を立てた。
出た卦は「山風蠱」。ただしこれも、老陽で「地風升」という卦に変わる。「山風蠱」は「腐敗を正す」という象意がある。特に「蠱」と言う文字は、お皿の上に沢山虫がたかっている様子からも、これまでの自分の状態(生活が不規則になり、ストレスで酒びたりの状態)を的確に言い表しているように思った。一方、「地風升」は少しずつ努力を重ねれば成果があるという象意だ。
まずは生活の腐敗を正し、それから少しずつ地道な努力を重ねる。そうすれば時間がかかっても、必ず合格する。自分が心のどこかで気づいていた事を、易は端的に教えてくれるようだ。たいしたもんだ。