「運の法則」と言うタイトルは、あたかも運が良くなるための秘密が書いてあるような印象を与えますよね。たとえば有名サッカー選手と結婚できたり、百万ユーロの宝くじに当たったりするための一定の「法則」をここで紹介しているのだろうと、これを読んでくださる読者は期待するかも知れない。
もしそうだったら、ごめんなさい。
ここでは
前回ブログ「運の法則(1)」で紹介したAさんの話をしたいと思う。彼女は、人知を超えた不思議なサポートのお陰でベルギーに来ることができ、ベルギーで暮らし続けることができて苦労しながらも幸せだったのだが、その後2度の人生の岐路において、非常に奇妙な偶然を体験している。ただし、ここにはサッカー選手のことも百万ユーロのことも書いていない。もっとずっと地味な話なのだ。そして、彼女の物語からある「法則」をすぱっと導き出すのはむずかしい。もっと微妙というか、霊妙な話なのだ。だから「運の法則」というタイトルは全くの羊頭狗肉と言われるかもしれないが、こうでも書かないと読んでくれる人がいないのでこう書いた。
Aさんがベルギーに来て10年が経とうとしていた。フリーランスの通訳として出発した彼女だったが、コンスタントに通訳の仕事があるわけでもなく、生活を安定させるためにハーフタイムで米系の翻訳事務所にも勤めるようになった。その内、彼女は忙しく移動し色々な人に会う通訳より、翻訳事務所でコンピュータ相手に翻訳をしたり、DTPをしたりしている時間が一番好きだと思うようになった。彼女は心の中でこの翻訳事務所でフルタイムで働ければと思っていたが、会社はフルタイムの日本人翻訳スタッフは必要としていないようだった。
一方、多岐の分野に渡る通訳・翻訳の仕事をしながら彼女は、次第に自分の仕事を法務関係に絞っていければと考えるようになっていた。大学で勉強したのが法学だったこともあるし、今から技術翻訳の専門家になるのは無理だと思った。勉強すれば何とかなりそうな分野で、かつお金になりそうなものは法務関係の翻訳だった。翻訳事務所の仕事の枠外で、個人的に法務関係の翻訳をすすんで探し、引き受ける内に、面白いことに気がついた。
法務関係の翻訳の仕事を依頼してくるのは、この国に事務所を構える日系企業の駐在員が多かったが、その人たちから、
「現地の弁護士事務所にちょっと質問したらさ、こんな30ページもあるレポート送ってきやがって・・・。全部訳す必要はないから、要約を作ってくれるかな。」
とか、
「弁護士事務所と会計事務所に調査をさせたんだけど、両方のレポートがちぐはぐでネ。」
とか言う言葉を聞くことがあった。
その時、与えられた書類をひたすら日本語に翻訳する翻訳家と言う立場ではなくて、もっとフレキシブルに動いて、現地の弁護士や税理士や会計士達とのコミュニケーションギャップを埋めるコーディネーターをこの人たちは必要としているんだと思った。
例えば、在る日系企業がこの国に子会社か支店を作ろうと考えている。設立の手続について弁護士事務所に頼むと、弁護士事務所は頼まれた通りにやってくれるが、税務・その他の面での留意点まではアドバイスしてくれないことが多い。設立がほぼ完了した時点で、税務上の大ポカが発覚して騒ぎになることもある。だから、設立などに際しては、会社法上の手続だけではなく、雇用法、移民法、税法のさまざまな分野をある程度視野に入れたオーケストラの指揮者のような存在が必要になる。
当時の彼女は、そこまではっきり分っていたわけではないが、何となく、日系企業と弁護士事務所・税務会計事務所とのすきまを埋めるという仕事のイメージがあった。そこで、これまで翻訳の仕事でつきあいのあった弁護士事務所や、地元の小規模の会計事務所や税理士にコンタクトを開始し、自分のアイデアを話した。具体的には、自分が日系企業を訪問して、これらの事務所を売り込む。契約を取ってきた後は、自分が引き続き、その日系企業と事務所の間のコミュニケーションのサポートをするというアイデアだった。そのためには、法務だけではなく会計・税務の知識が必要だ。彼女は自分のアイデアに自信があったが、会計・税務の学校に行くお金も時間もなかったし、実現するのはあと何年先かな・・・と思っていた。
年が明けて大変なことが起こった。ハーフタイムで仕事をしていた米系翻訳事務所に出社すると、所長が開口一番、「明けましておめでとう。実は、米本社の決定で、この事務所を閉めることになりました」と言う。小さな事務所ではあったが、所長をはじめ全員が職を失うことになったわけだ。彼女はフリーランス契約だったので、とうぜん退職金も解雇補償金も出ない。失業保険もない。でも不思議とショックは受けなかった。貯金があるわけではないが、かといってローンの返済もないし、扶養家族がいるわけでもない。「これまで忙しすぎてお昼ご飯をゆっくり食べる暇もなかったから、これからは自分のペースで仕事をできるな」と思って、嬉しいくらいだった。
翻訳事務所の閉鎖を告げられたのが1995年1月4日。同1月15日に阪神・淡路大震災が、同3月20日に地下鉄サリン事件が起きた。彼女が定職を失ったと聞いて、以前彼女が仕事をした2つの日系銀行が親切に仕事のオファーをしてくれたが、決心がつかず返事を保留していた。そんな時、あまり頻繁に連絡のない友人から、「あるベルギーの会社が日本人をさがしているから、会いに行ってみれば?」という連絡を受けた。急いで定職を探していたわけでもないので、軽い気持ちで会いに行った。そうしたら、その場であれよあれよと「いつから来てくれる?」と言うふうに話が決まってしまい、押しの弱い彼女は翌月からその会社にフルタイムで通うことになった。せっかくのんびりしようとしていたのに、ちょっとがっかりだった。
それは名前も聞いたこともない会社で、他に日本人もいなかったが、入社してみると、1つの会社の中に弁護士事務所と会計事務所と税理士事務所と監査法人の部門をかかえた会社だということが分った。そして、その会社は日系企業の顧客を多く抱えているために、通訳と翻訳をするかたわらで、日本人顧客とベルギー人の弁護士・税理士・会計士とのすきまを埋める、日本人コーディネーターを求めていたのだった。
彼女が、そんな会社が存在することも、そんなポストが存在することも知らない内から、その仕事の正確なイメージを抱いていたのが非常に不思議だし、絶妙なのは、そのタイミングだ。彼女が気に入っていた米系翻訳事務所が急に閉鎖されることがなければ、彼女にそういうオファーがあっても、彼女はそれに耳も貸さなかったことだろう。また、日系銀行からのオファーに慌てて飛びついていたら、彼女の人生はもっと違った展開になっていただろう。(その日系銀行は、二行ともその翌年に撤退してしまった。)
私の目から見れば非常に不思議なこの偶然を、狭い解釈の枠にはめてしまいたくはないのだが、やはりユングの言うシンクロニシティということを思わずにはいられない。わかりにくいシンクロニシティの概念を最もよく言い表しているように思えるのは、イギリスの物理学者デビッド・ピートの次のような言葉だ。
「シンクロニシティは、しばしば変換の時期にむすびついている。たとえば誕生や、死や、恋愛や、心理療法や、集中した創造的な仕事や、ひいては転職といったような場合にまで。まるでこういった内的な構造の作り変えが外的な共鳴をうみだすか、あるいは『心的エネルギー』の爆発が、外の物理的世界へとつたえられてゆくかのようなものです」(デビッド・ピート『
シンクロニシティ』)
人間が現在の状態から、別の何かへと変容しなければならないときに、内部からの強い促しにより、ある「意味のある偶然の一致」が起こり、人間を本人の意思にかかわりなく根底から変容させていくのだと言う。この「意味のある偶然の一致」をシンクロニシティと呼ぶ。
彼女は言う。
「米系翻訳事務所での仕事は本当に好きでした。とても居心地が良かったんです。でも、あそこであのまま仕事を続けていたら、ある意味で私の成長はストップしてしまったかもしれません。新しい会社でハードに働かせられ、勉強させられることによって、無理やり成長させられたんだと思います。」