ヨガや呼吸法や早寝のお陰か、朝起きるのがつらくなくなり、車での通勤時間帯がこれまでより30分から1時間ぐらい早まると、今度はもろにラッシュアワーの渋滞にぶつかると言う問題に直面した。
これまでは、ラッシュアワーを微妙に外していたお陰で、ジムを出てから車で20分ぐらいで会社に着いていたのだが、時間帯が違うと30分から50分ぐらいかかってしまう。高速を出て、会社のあるインダストリアル・パークに向かう道が、数千台の通勤自動車で溢れ、時速50m位のスピードでしか進めない。これには参ってしまった。
さらに2時間ぐらい通勤時間帯を早めれば解決するのだろうが、まだ今の自分には5時起きは辛い。(将来の目標ではあるが。) 今の時間帯で通勤しながら、車の中の時間を活用する方法を考えた。
昨年3月に、原久子さんの瞑想呼吸法を通勤・帰宅の車の中で続けることを思いつき、1年間続けている。1ヶ月ぐらい続けたところで、車に乗り込んでハンドルを握ったとたん、無意識的に呼吸法を始めるような癖がついてしまった。だから、1年間続けることは思ったよりずっと簡単だった。
この習慣はもちろんこれまで通り続けるにしても、両手をハンドルにかけたままで何か他にもできることはないものか。勉強のCDを聴こうか。色々考えた末、デニス・ウェイトリーの「Psychology of Winning (成功の心理学)」のCDを聴くことにした。
以前紹介したロンダ・バーン著「
ザ・シークレット」で紹介されている著者たちの中で、自分が最も共感できるのがこのデニス・ウェイトリーだ。デニス・ウェイトリーはオリンピック強化選手やNASAの宇宙飛行士のメンタル・トレーニングに携わった人として有名だ。
「
成功の心理学―勝者となるための10の行動指針」は、ずいぶん以前に買って時々眺めていた本だが、Amazonの書評で、「この作品は本で読むよりも、CDを聴いた方が一層素晴らしい」と誰かが言っていたのを思い出した。そこで、これを思いついた晩に早速AmazonでCDを取り寄せ、CDが届いた翌日から毎日これを車の中で聴き始めた。
「何だこの、洗脳テープ」 これが、うちの旦那のグリの最初の反応だった。
「まあ、まあ。面白いんだから、ちょっと聞いてみてよ。」 そう言って説き伏せて、「Positive Self Direction(積極的目標設定)」の章で、ユダヤ人の心理学者ヴィクトール・フランクルのアウシュヴィッツ収容所の中の体験について語っている部分を聴かせる。
「アウシュヴィッツを行き抜いた者は、約20人に1人の割合だが、その人たちは、ほとんど例外なく生きることに積極的意義を見出している人たちだった。何かやりたいことがあるとか、愛する者にもう一度会いたいというような目的をもっていた。」(デニス・ウェイトリー「
成功の心理学―勝者となるための10の行動指針」p.128)
力強く流れるナレーターの声に、グリも、「ヒズ・マスターズ・ボイス」の犬が、蓄音機から流れる主人の声に耳を傾けるような神妙な顔つきで耳を傾けている。「Positive Self Estimation (積極的自己評価)」の章では、時々、「これもうやってるよ、俺!」とか「まさに俺のことだな!」と得意そうに声を上げる。でも、「Positive Self Training (積極的自己訓練)」の章が始まってしばらくすると、急にしゅんとしてしまった。そのうち、車に乗るたびに同じ力強い、暖かいナレーターの声が流れてくるので、ついにヒスを起してしまった。そこで、彼が同乗しているときは、彼の好きな音楽をCDで流し、降りて私一人になるとすぐさまデニス・ウェイトリーのCDに切り替えるというのが習慣になった。
Psychology of Winningは、2枚組みで合計2時間位のCDだ。このCDを買った昨年末から今日までの3ヶ月間というもの、1日も欠かさず朝晩このCDの1枚目だけを聴きながら車を運転していた。遠出するときも、どんな渋滞にぶつかっても、「その分だけデニス・ウェイトリーのCDを聴ける」と思うと全然気にならない。
2月は、現地人の同僚とペアを組んで、クライアントをあちこち車で訪問するということをやった。私の車で行くときには、もちろんいつもデニス・ウェイトリーが流れている。始めはナレーターのアメリカ式発音を口真似しては面白がっていた同僚も、最後の方には、「うわああ、もういい加減にしてくれ」といい始めた。この時期は、仕事の上でかなり精神的にきつい思いをした時期だったが、このCDを聴きながら、毎朝気分を盛り上げて会社に通うことができた。
「成功は、ほとんどが気力、集中力、忍耐力しだいである。一つがだめでも他の方法を試みるなど、望んだ結果を得るためには、よりいっそうの努力が必要となる。」(「
成功の心理学―勝者となるための10の行動指針」p.86)
また、自分について考えるヒントやものさしを与えてくれる内容でもあり、これを毎日聴きながらあれこれ思いをめぐらすことが自分にとって大きなプラスになったと思う。とくに、深く考えさせられたことは(別の機会に詳しく書きたいと思うが)、自分の場合、特に「Self Estimation(自己評価)」や「Self Image(自己イメージ)」が極端に低いのではということだった。一生懸命準備して、仕事をこの上なく上首尾に完遂し、同僚にもクライアントにも喜んでもらった1日の終わりにも、その事実をまるで無視するかのように依然として「ダメな自分」の自己イメージが、まるで幽霊みたいにしょんぼりと自分の横にいる。まるで仕事を上首尾に運んだのは別の誰かで、本当の自分はここにいると言わんばかりに。これが自分の重い足かせになって、元気を無くさせる原因になっているのだ。これまではこういうことを意識することはなかったのが、CDのお陰で、その原因を小学生ぐらいまでに遡って考え直すきっかけになった。
自分が苦手とする英語の勉強にもなった。ナレーターの話す速度は、アメリカ式に比較的ゆっくりなのだが、何度聞いてもわからない言葉がある。そこで、2ヶ月ぐらい聴いた後で、英語の原著を読んでみて、分からなかった所を見直した。自分の知らない単語だったこともあるし、たんに聞き取れなかった単語もある。これをやったお陰で、ずっと横ばい状態だったボキャブラリーが飛躍的に増大した。
こうして3ヶ月も欠かさず聴いていたので、発音は悪いがナレーターの声に合わせてほぼ同時スピードで台詞を言えるほどになった。数日前、久々に私の願いを聞き入れて車に乗りながら一緒にCDを聞いてくれたグリにこの芸当をやって見せたら、さすがの彼も「ほー」と感心していた。継続は力なり。でも、ナレーターの声なしで台詞を完全に憶えるまでには至っていない。子供の頃、ピーターパンの絵本が大好きな妹が、母親にせがんでは何度も読み聞かせられているうちに、文章を全部空で言えるようになってしまったのを思い出すが、そういう本当の芸当ができるのは子供だけなのかもしれない。
もうひとつこの習慣の副産物と言えることがある。以前車の中でCDで音楽を聴いていた頃は、帰宅して瞑想を始めると今日聴いた音楽がはっきりと頭の中に再生されてしまい、止まらずに、困っていた。音楽の代わりにデニス・ウェイトリーを聴くようになってから、瞑想中には何の音声も再生されなくなった。音楽と人間の話す声とは、脳の別の部分で処理されているのかもしれない。