地橋秀雄氏の「
ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践」に出会えたこと、そして、7月4日(水)から15日(日)の10日半の当地(ベルギー東部のドリーパール)のヴィパッサナー瞑想合宿に参加できたことは、今後の自分を大きく変える原動力になるのではないかと言う予感がしている。
上司や同僚に10日間の休みを取ること、その目的が10日間の瞑想合宿に参加することであると打ち明けたとき、同僚のT氏から、「瞑想って、それやると、どうなるんですか?」と訊かれた。「はあ、どうなるかって言われても・・・」と言葉に詰まったが、気を取り直して、地橋秀雄の著書に書いてあった通りのヴィパッサナー瞑想の効用をそのまま列挙した。
・ 頭の回転が速くなる
・ 集中力がつく
・ 記憶力が良くなる
・ 分析力が磨かれる
・ 決断力がつく
・ 創造性が開発される
・ 現象の流れが良くなる
・ 苦を感じなくなる
・ 怒らなくなる
・ 不安がなくなる
・ 執着しなくなる・・・
しかしこれ以上に差し迫って自分をヴィパッサナー瞑想に駆り立てているものは、うまく言葉にはできないが、日頃からどこかが詰まった水道管のように自分を感じているということだった。その詰まりが、自分の知性や心の健全な働きの邪魔をしている、そしてそのことが自分自身だけではなく自分を取り囲む物事や人々をも巻き込み、健全な流れを妨げている、そんな感覚だった。
別の同僚のWさんが、「10日間やり遂げたらきっと達成感がありますよね!マラソンと同じで」と元気付けてくれる。うーん、10日間やって得たものが達成感だけだったら悲しいかも・・・と思う自分がいる。
初日の夕方、ベルギー・ドイツ・オランダの国境近くの森の中にある瞑想センターに到着し、登録、部屋の割り当て、貴重品の保管(ここで携帯電話、車のキー、財布などをまとめて預ける)、野菜と豆のスープの軽い夕食。全員の登録が確認された時点で入り口の門が封鎖され、男性と女性の立ち入りエリアがロープで仕切られる。宿舎と瞑想ホールを取り囲む森のベンチでしばらく休み、8時15分から瞑想ホールで最初の合同瞑想。この時点から10日目のメータ・デイ(慈悲の日)の朝まで一切の会話が禁じられる。
この瞑想合宿のプログラムは、ミャンマーの政府高官だったサヤジ・ウ・バ・キンが行っていたプログラムを、その弟子のS.N.ゴエンカ氏が継承し世界中に普及させたメソッドに従っている。このプログラムに従って、生徒は、起床・就寝、瞑想、食事、講話聴講を、厳密なスケジュール管理下で10日間続ける。ゴエンカ・メソッドの瞑想センターは世界中にあり、
日本の瞑想センターは京都と千葉(開設予定)にあると言う。
以下がプログラムの詳細だが、これは世界中のゴエンカ・メソッドの瞑想センターのプログラムと同じと思われるので、参考にしていただければ幸いです。
04:00 起床
04:30 - 06:30 ホールまたは自室で瞑想
06:30 - 08:00 朝食・休憩
08:00 - 09:00 ホールで合同瞑想
09:00 - 11:00 ホールまたは自室で瞑想
11:00 - 12:00 昼食
12:00 - 13:00 休憩
13:00 - 14:30 ホールまたは自室で瞑想
14:30 - 15:30 ホールで合同瞑想
15:30 - 17:00 ホールまたは自室で瞑想
17:00 - 18:00 お茶・果物・休憩
18:00 - 19:00 ホールで合同瞑想
19:00 - 20:15 講話
20:15 - 21:00 ホールで合同瞑想
21:00 - 21:30 講師への質問
21:30 消灯
合算すると1日11時間弱の瞑想だ。通常毎晩20:15からの合同瞑想の折に、ゴエンカ氏の声(テープ)が翌日の瞑想の方法のインストラクションを与える。インストラクションは毎日少しずつ異なる課題を与えていき、生徒たちは一日中一心にそれを練習するうちにその日の晩にはそれができるようになっている。そして毎日、だんだんと難しい課題をこなせるようになっていく。課題とは次のようなものだった。
1日目(到着日の翌日) 鼻腔の感覚に注意し自然な息の出入りをはっきり感じ取る。
2日目 鼻腔の内側を含み上唇の上から鼻全体の感覚に注意する。
3日目 上唇の輪郭を底辺とし鼻にいたる小さな三角形の部分の感覚に注意する。
これらの課題はどれも私にとっては難しいものだった。特に最初の2日間は、職場での色々なことが絶えず思い出され、しばしば集中が途切れて思考の雪だるま状態になっていくことが多かった。
また普通に静かに呼吸をしている状態では、鼻腔の内側の感覚を感じ取るのがほとんど不可能だった。さらに鼻の下の皮膚は、私の場合ほぼ無感覚と言ってよい。
そこで定められた瞑想時間だけではなく、休憩時間は森のベンチに座って昼寝をするふりをしながら、消灯してからはベッドに横たわったまま、暇さえあれば一心不乱に練習を続けた。そうする内に鼻の下の三角の部分の感覚がクリアになっていき、さらに少なくとも30分は他の事は一切考えずにこの感覚に意識を集中できるようになった。
瞑想ホールに座り鼻の下の三角形の部分の感覚に意識を集中する。集中があるときがくんと深まり、さらに階段を下りるようにまたがくんと深まっていくのを感じる。感覚への集中はそのままで、クリアな思考が「この感じは何かに似ているな」と考える。そして、それが深い催眠状態と似ていることに思い当たる。
グラスナー博士の「ヒプノテラピー」も、「催眠とは深い集中状態である」と言う意味のことを言っていたと思う。少しがっかりして、「それでは、今やっていることは催眠とどう違うのか?」と考える。そして、「違いは、いま自分が深く集中しているだけではなく、鼻の下と言う限られた場所のかすかな感覚を感じ取り、観察し、気づこうとしているということだ」と考え、それ以後は安心して自分の感覚の観察に集中できた。
この初めの3日間の訓練はブッダが説いた特別な経「アーナーパーナサティ・スートラ(出息入息に関する気づきの経)」に従っているらしいことが分った。この経は、ラリー・ローゼンバーグ「
呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想」に紹介されているように、「サマタとヴィパッサナーの両方を包括するために呼吸に関する意識をどのように使えばよいか、そのアウトラインを示したもの」(p.4)であると言う。後に4日目、5日目と訓練を続ける中でようやく、これがいかに大切な訓練であるか、いかに大きな力を発揮するものであるかを体感することになる。
ベルギーで行われているのは10日間コースだけだが、ミャンマーなどで行われている1ヶ月以上のリトリートの場合でも、修行期間の始めの3分の1がかならずアーナーパーナサティの訓練に割かれるという。
さて、3日目の3時の合同セッションで、今から初めてヴィパッサナー瞑想に入ることが宣言された。この時から、自分にとってはこの合宿がとつぜん修行の様相を帯び始めた。
ゴエンカ氏は言う。これから行うヴィパッサナー瞑想は心の大手術のようなものだ。心の深層の部分は体の感覚と結びついていて、ヴィパッサナー瞑想ではこの体の繊細な感覚に深く分け入りながら心の中に入っていく。これを続けるうちに、かつて自分が積み重ねてきて自分の中に堆積しているネガティブな反応(嫌悪や渇望などで「サンカーラ」と呼ばれる)が浮き上がってきて、不快感や重苦しい感覚を感じさせるだろう。その時、この感覚は自分ではないこと(アナッター)、そして、生成するが消滅するものであること(アニッチャ)、この二つを体の感覚を通じて理解しなさい。常に平静であることを心がけなさい。そしてヴィパッサナー瞑想が始まったら、どのように苦しくとも、体のどこかが痛み始めても、少なくとも合同瞑想の間の1時間は目を開けることはおろか体を一切動かしてはなりません。そのように硬く決意しなさい。
(
続く)