私の見る夢は、圧倒的に水の夢が多かった。ところが、水泳をするようになってから、なぜか確実に水の出てくる夢を見なくなった。水泳をすることと、水の夢を見なくなったこととの間に因果関係があるのかどうかは分からない。村上春樹が、「小説を書いている間は、夢を見ない」(「
村上春樹、河合隼雄に会いにいく 」)と言っているが、ここに何かのヒントが隠されているのかもしれない。夢には一定の役割、まだ完全に解明されているとはいえないが、精神の平衡を保つための一定の機能があるらしい。村上春樹にとっては小説を書くことが夢見と同様の役割を心に及ぼすため、小説を書いている間は夢を見なくても済むのだろう。
同様に、毎日実際に水の中に体を浸すことが、これまで水の夢が私の心に及ぼしていたのと同じような効果を及ぼし、水の夢が必要でなくなったのかもしれない、と考えてみる。そして、夢の中に出てくる水は、象徴としてではなく、水という物質そのものとして心に何らかの働きかけをしているのではないだろうか。とすると、私の夢の中に現れる水はどのような役割を持っていたのだろう。そして、泳ぐこと、つまり水に触れ、水に体をあずけると言うことは、軽い運動による循環器系の改善や脂肪の燃焼以上に、どのような意味があるのだろう。
一番古い水の夢の記憶は、母と一緒に海辺へ出ようとして、近道をするために病院のような暗く大きな建物の中に入り込むが、中が迷路のように入り組んでいて、なかなか向こう側の水辺へ出られないと言うものだ。
その後子供時代を通じて、じめじめとした暗い建物の中に、浴場があるという夢も良く見た。(ちょっと、つげ義春の「
ゲンセンカン主人」に出てくる旅館の浴場を大掛かりにしたような不気味な湯治場。)
ここ10年位は、安らぎに満ちた海または水辺へと通じる細い長い下り坂が、少しずつ形を変えて何度も夢に出てくる。本当に美しい水辺に辿り着くことができたのは、ずっと昔に見た夢の中1度きりだったような気がするが。2002年8月24日の夢では、いつもは人気のなかったこの水辺へと降りる坂道が、有名になったものか、大勢の人が往来し、道の入り口には入場券を払うための小さな事務所まで設けられている。
スイミング・プールの中で、おぼれそうになる振りをしていると、日本人の駐在員(ちょうど私の仕事のクライアントとして毎日会うような人)が自分も飛び込んで、プールサイドまで引っ張って行ってくれる。私は、引っ張られながら、右手を高く水の上に上げて、手に持った本(「眠らない少女」というタイトルの実在の本)をぬらさないようにしている。おぼれそうになった振りをした私を日本人が助けてくれたのに対し、プールサイドの椅子に座っている白人の監視員は知らん顔をしている。
上記のプールの夢を見たのは、ユングの著作を集中して読んでいた頃だ。ユング主義者はユング的な夢を見ると言うが、これも「解釈して!」と言わんばかりの夢だ。ジャン・ジロドゥの戯曲「ウンディーネ」では、水の精ウンディーネは人間の世界に来て男の妻になるが、水の中に戻ると人間界での記憶を失ってしまう。私のこの夢でも、水ははっきりと無意識とか忘却の象徴であるように思える。
2005年3月28日の夢では、大きなガラスの水槽の中に、ミドリムシ、ゾーリムシ、ウジなどがいる。その水を飲んだらしいことに気づく。水槽の中に藻などを入れて、それらの生物の成長を観察したいとも思うが、一方で、それらがどんどん成長して収拾がつかなくなることも恐れて、その水槽の中身をすてて綺麗にしなければと思う。
2005年7月24日の夢では、回遊式プールの中で、毛に覆われた目のかわいい小型のアザラシの子供と遊ぶ。
2006年1月4日の夢では、キヨスクのようなバラックの裏で子供のチンパンジーをしっかりと抱いている。チンパンジーは、私と会話もでき、わたしは「頭がよい子なのだな、字も読めるかしら」と自問する。水路をはさんだ向かいにある書棚に天井まで本が並んでいる。本の背表紙の題名をチンパンジーに読ませ、ひらがなだけは読めるらしいことが分かる。私は彼女の名前を呼ぼうとして、名前が間違っていないことを祈りながら、「・・・ソフィー」と呼んでみる。(その日、眼が覚めてから「ソフィー」の名前の由来=「ソフィア(知恵)」であることに気づく。)
2006年7月17日(第一回目の抗癌剤治療の日)の夢の中では、2年前の7月24日の夢に出てきたアザラシの子供を捜している。それは、金色の目をした特別のアザラシで、水の中に沈んでいないかと、石の水槽の中を探すが見つからない。日本の地下鉄に乗っているときに、ドアと窓の間の壁からコードのようなものが飛び出ていて、それを引っ張ると壁がはがれ、氷の破片と一緒に埋められたアザラシが出てくる。
その後数日間熱が出て夢うつつの中で見た夢。巨大なビルディングの窓から中に入ろうとして、窓から中を見ると、そこにはまるでドックに乗り上げた船のように、黄色いバスが窓の方に車首を向けて乗り上げており、制服を着たままの運転手が休んでいる(それとも、休んでいる運転手の制服が脱ぎ捨ててある)。ビルディングの2階で落ち合おうと主人に言い残して、私は地上階から建物に入る事にする。建物は水の上にあり、地上階の入り口にはボートでアクセスすることが出来る。ボートで移動する間すばらしく美しい夕焼けを楽しむ。やがて自然にボートが入り口に着き、建物に入ることができる。
最後の夢は、病気になったことで、「巨大なビルディング(会社)で、大きなバスを運転するような力仕事から解放されて、水の流れに運ばれて自然に入口につける事になった」と、言語的に翻訳できる。象徴ではなく記号的に解釈できるのは、比較的眠りの浅い時に意識の表層に近い部分で見た夢なのかもしれない。仕事を長期間休まなければならないことが分かり断腸の思いでいたときに、この夢を見たことで、随分気が楽になったのを思い出す。
2006年7月28日の夢。ホテルを出ると、なだらかな傾斜を下った先に、暗い森に囲まれたすばらしい青い湖(または入江)が見下ろせる。「ここは観光案内にも乗っていない場所にある宿泊所で、町の方に行くためには地図もないだろう。ホテルの人に道順を聞かなければ」と思いながらそちらの方に向かって歩いていく。道は泥道の下り坂で、やがて崖っぷちにつく。がけの上から30メートルほど下を見下ろすと、下も泥地で、泥にまみれたような色の馬や牛がいる。車が走ってきて、がけに落ちないよう急ブレーキを踏むが、タイヤが滑って中々停まらず危険な感じがする。
再びがけ下を見下ろすと、巨大な緑の鰐が別の爬虫類(リクトカゲ?)と戦って食べようとしている。しかし良く見ると、仲良く組み合って寝ているようにも見える。
2007年1月23日(手術後10日ほど経過してから)の夢。陰気な感じの湯治場の木造の建物の中にいる。いろいろな小部屋があり、木の柵の中にかなり古いちょうちんを沢山つけたみこしのようなものが安置してある。真ん中の給水桶のようなものから木の筒が出ており、そこから薬効のあるうす青いお湯を出して胸の傷にかける。奥の部屋に白い陶器の浴槽がありその中に体をつけると暖かくて気持ちが良い。
いずれにせよ、これらの夢の中で、水はつねに強い感情的電荷を帯びており、物質としての存在感と多義性がある。水は水なのだ。だから、夢を分析することにはあまり興味はわかない。夢の象徴解釈を行うのではなく、秋山さと子が「
夢診断」の中で言うように、「夢を味わう」ことにより何かが得られるような気がする。
水は洗い清めるものであると同時に、汚濁の温床でもある。水は遮るものであると同時に、何かを運ひ、結びつけもする。水の中は母胎のように安らぎに満ちた場所であると同時に、恐ろしい死の世界でもある。このような水の両義性は、近年自死したダイバー、
ジャック・マイヨールをモデルにした、
リュック・ベッソンの映画「
グラン・ブルー」に余す所なく描かれている。
学生時代、ベルギー象徴主義の戯曲作家で博物学者
モーリス・メーテルリンク
の戯曲「
ペレアスとメリザンド」に関するレポートを書いているとき、この戯曲に実にたくさん出てくる水のイメージを読み解くために、
ガストン・バシュラールの「
水と夢―物質の想像力に関する試論」を援用したことがあった。まず、戯曲の幕開けに下女達が水で門を洗う。泉のほとりで泣いている少女メリザンドが発見される。メリザンドは泉の中に指輪を落としたと言っている。メリザンドの髪のなかで溺れる少年ペレアス。城の地下の湖・・・。バシュラールは、水という物質の「下方に溜まる性質」と「全てを溶解させる性質」について言っていたことを思い出す。水は主体と客体の対立を溶解し、言葉を溶解し、時間を溶解する。この本をもう一度読み直すことで、水の夢をより深く味う助けになるかもしれない。