昨今の自己啓発・能力開発本で、「葵の御紋」のように取り出されるキーワードは潜在意識だ。しかしフロイトが潜在意識のことを言い始めた時、それは「顕在意識をゆがめる悪い奴」という文脈でだった。ところが、その潜在意識が、今では一見不可能な夢を実現させる原動力の代名詞のようになっている。潜在意識のポジティブな効用に最初に着目し、全知全能の救世主として普及させたのは
ジョセフ・マーフィーではないだろうか。
マーフィーのシリーズは日本語だけでも山のように出版されているが、わたしの友人で、「マーフィーの法則」のシリーズを6冊持っている人間がいた。1冊読めば十分ではないかと思うが、6冊と言うのがすごい。
さて、「マーフィーの法則」にきちんと従えば、なんでも望みがかなうという謳い文句だが、この人は突然リストラを言い渡され、遠い国の関係会社に安月給で使われることとなった。おまけにこの国の法律により受ける権利のある退職金ももらえなかった。貯金も底をつき、アプローチした男にも振られてしまった。このままひとりわびしく年老いていくのかと考えると、うつ病になってしまいそうである。わたし自身も決してこれよりましと言える境遇ではないが、マーフィーの法則を6冊も読んだ彼女と、1冊も読んでいないわたしとが似たような境遇であるのは、何とも不公平な感じがして割り切れない。
彼女は、マーフィーの法則を全部わたしにくれて、この街を去って行った。
こんなわけで、私は6冊のマーフィーシリーズを1冊熟読し、残りは友人たちにあげてしまった。そうして、「マーフィーの法則」が何故このような成功を収め潜在意識の地位を格上げしたのか、そして、マーフィーの法則の一部の読者には、何故マーフィーの法則が全く効かないのかについて考えてみた。
マーフィーの法則がなぜ良く売れるのか。次から次へと出現する二番煎じや亜流、NLPの台頭などによって、今日マーフィーは少々かすんでしまった感もあるが、それでも目次を読むだけで血沸き肉躍ってしまうのは、さすがに元祖マーフィーだけのことはある。例えば「
マーフィー 自分に奇跡を起こす心の法則」の目次をざっと見てみる。
「潜在意識−この『力』であなたはあらゆる富と成功を手にできる!」
「人生に奇跡を起こすことは決して難しいことではない!」
「毎晩十五分のイメージングで大金を手に入れた男」
「今、あなたに必要な富・お金はこうして生まれる!」
「これが潜在意識の答え−夢で五万ドルのありかをつきとめた女性」
高揚感がある。成功者の話で次々とたたみかける。そして、何よりも、その方法の単純さゆえに実際に自分にもできそうな気がする。
もしマーフィーの言うことがほんとうであれば、この目次を毎日じっと見つめるだけでお金持ちになれそうだ。マーフィーのテクニックは単純だ。絶えず言葉で願望を唱える、または、願望が実現した場面を繰り返しイメージングする。これだけで、全知全能、霊的な超能力すら持つ潜在意識が望みをかなえてくれる。マーフィーが本書の中で挙げる「驚くべき実例」に嘘はないと信じよう。でも、マーフィー・シリーズを6冊も読んで実践しても、幸福になれなかった人がいるのは事実である。
マーフィーの法則がなぜある人々には効いて、別の人々には全く効かないのか。
まず、テクニックのひとつである言葉での暗示の入れ方が中々難しい。言葉が、その「て・に・を・は」の使い方によってすらも、いかに潜在意識に微妙に作用するかは、最近読んだレストン・ヘイヴンズ「
心理療法におけることばの使い方―つながりをつくるために 」で身に染みてわかった。だからこの暗示の言葉を練るのに中々のテクニックが必要である。
マーフィーの英語の暗示を、直訳体の日本語に変換した本書の暗示の言葉をそのまま唱えても、日本人の潜在意識に浸透させるのは難しいのではないか。特に、マーフィーの暗示の言葉の中に使われるキリスト教の神は、ピューリタンのアメリカ人の潜在意識に強烈なインパクトを及ぼすものと想像するが、日本人にはぴんと来ない気がする。若い日本人の中にも「宗教はないけど、神的なものとか、神様みたいな存在は信じます」という人が増えてはいるが、一部のアメリカ人の意識に刷り込まれているキリスト教の神様はそんな生易しいものではないはずだ。そんなわけで、日本人には、祈りの言葉ではなく、「富・成功・勝利・歓喜」と言う単語だけを繰り返す方法の方が有効ではないかと思った。祈りの言葉であれば、日本人用のそれを考える必要がありそうだ。
また、マーフィーはまるでそれが実現したかのように願望を具体的にイメージングせよと言っているが、そのようにできるようになるまでは相当の訓練が必要だ。
本書をよく読めば分かるが、「驚くべき成功例」の登場人物たちは、1ヶ月以上の間辛抱強くこれらの暗示とイメージングのテクニックを毎日繰り返しているのである。そんなことができる執念があれば、願望を実現できても当たり前と言う気もする。マーフィーの本を読んだが願望が実現しなかったと言って嘆く人は、はたして1ヶ月以上毎日祈りを唱え、イメージングの訓練を行ったのだろうか?
さて、百歩譲って、1ヶ月以上絶えず祈り続けても願望が実現しない人がいたとする。その場合はマーフィーの法則に語られていない盲点があるに違いない。そう思って本書をよくよく読みなおす。すると、数々のセンセーショナルな成功例の陰に、そこここ「免責条項」みたいに目立たないように、願望が実現しないケースに関する警告が書かれている。要約すると、「真の望み」であれば辛抱強い祈り・イメージングで実現するが、「子供じみた空想」であれば実現しないか、たとえ実現しても悲劇に終わる。真の望みとは、神の義に沿ったものでなければならない。
そのため、マーフィーの暗示の言葉には、願望が「神の義に従って実現される」と言う文言が織り込まれている。これによって、自動的に、神の義に従う願望だけが実現するという保証があるため、人は安心して何かを願うことができるし、願うことの罪悪感から免れることができると言う仕組みである。たとえば、「お金をください」と祈る場合に感ずる「自分は強欲ではないか」と言う罪悪感は、「神の摂理により与えられるべきお金をください」と祈るとき払拭される。物事の実現を妨げる最も大きなマイナスの力は罪悪感である。マーフィーの暗示は、神を登場させることによって、マイナスの力を無化し、願望の力を全開にするのだ。すごく巧妙だ。
「真の望み」と言う考え方や、願望に反作用を及ぼすマイナスの力について早い時期に私に教えてくれたのは、原久子著「
呼吸を変えれば人生に奇跡が起こる」だった。原久子は、願望の実現のためのイメージングの大切さについて言及し、ボディービルダー北村克己氏の例を挙げている。
北村克己はボディービルの世界選手権大会で東洋人としては初の入賞を果たした人だが、トップ・クラスのボディービルダーの勝敗を決めるのはイメージ力だと言っている。北村克己は瞑想の中で理想の体型のビジョンをイメージし、食生活やトレーニングスケジュールまで全て潜在意識からのインスピレーションに従う。そして大会の直前に「自分でも怖いくらいに」、細かい部分まで自分の理想とした体型になっていったと言う。
原久子はこのようなイメージ力が一見不可能なことも可能にすると言う一方、イメージ力による願望実現を妨げる様々な要素についても言及している。原久子は、このネガティブな力を取り除く方法について、「
心の曇りが晴れる本―心の浄化から真我実現へ 」の中で詳述している。
前述のように、マーフィー書を注意深く読めば一見キリスト教的な祈りの言葉の中に、同じような心の浄化を行うテクニックが盛り込まれている。ただ、日本人には、マーフィーの暗示の言葉をそのまま使って効果を上げるのが難しいだけだ。
こんな風に思っていたとき、林貞年「
催眠誘導の極意」の中にそれを一言で言い表す言葉を見つけた。「願望達成のマニュアル本にある自己暗示は確かに分かりにくいと思います。それは、大衆に対するアドバイスしかできないからです。成功するためにしなければいけない自己暗示やイメージは、人それぞれ違うのです。」(p.182) また、自分の「うつわ」に合わない願望は実現しないか、実現してもすぐに終わってしまうので、暗示をかけるときでも自分の「うつわ」を広げることを考えねばならないと言う。マーフィーの本はここまで明確に「うつわ」のメカニズムについて書いてはいないが、様々な実例のなかでそれを暗示しており、抜かりはない。
そうなのだ。マクドナルドのコーヒー・カップに「熱い!危険!」と書かないと裁判で負けて、賠償金を取られる国のことだけはある。マーフィーの本には全てが書いてある。だから、この本を最低10回は読み直し、アドバイスを忠実に守り、自分の心を見つめ、自分自身の祈りの言葉とイメージングを見つけ、1ヵ月半それを続ければ願望はぜったいに実現するのだ。
ジョセフ・マーフィー
マーフィー 自分に奇跡を起こす心の法則―潜在能力は、それを信じる人には無限の富と成功を約束する!
三笠書房 560円(税込)