ヨーロッパに住んでいて、日本とちがうなーと思うことは色々あるが、未だにあまり好きになれないことが2つある。ひとつは、日曜日になるとどの店も閉まってしまうこと、もうひとつは、わりと日常的に小さな犯罪に巻き込まれることだ。
日本やイギリスと違って、この国ベルギーでは猟奇的な犯罪はまだほとんどないが、殺傷をともなわない犯罪のリスクは一歩外に出るとどこにでも転がっている。特に日本人は警戒心が少なく多額の現金を持ち歩いていることが多いので、必ずと言っていいほど、1度や2度は犯罪の被害者になっていると思う。
空き巣や置き引き、すり、かっぱらいなんて言うのは日常茶飯事だ。日本人の多く住む地域に「泥棒マンション」と呼ばれるマンションがある。ちょっと聞くと泥棒の棲家かと思うが、そうではない。泥棒の被害者の集まるマンションと言うことだ。ほとんど全ての世帯が何度も空き巣の被害にあっているため、こんな不名誉な綽名がついてしまったらしい。
一時は日本人駐在員の間で、ホールドアップされてメルセデス・ベンツを強奪されるという事件が続発した。知り合いの日系現地企業の社長さんなどは、自宅のガレージを出ようとしたところ、ピストルを突きつけられてメルセデスを取られた。新しいメルセデスを取り寄せた1週間後に、またピストルで脅されて持って行かれてしまった。その社長さんによると、同じ泥棒が戻ってきたらしいということだ。
かく言う自分も、20余年のヨーロッパ生活で、フランス、スペイン、イタリア、オランダで各1度ずつ、ベルギーでは数えるのもあきらめてしまったほどいっぱい、すり・置引・かっぱらい等の被害にあった。日本では一度もあったことはない。
ある日本の映画監督(ざんねんなことに名前を忘れてしまった)が雑誌のインタビューの中で、
「貧しい職人だった父の教えでいちばん印象的だったのは『盗人を恨んだらあかん!』という言葉でした」
と言っていた。それを読んだ私は、
「昔の日本には、庶民の中にもずいぶん立派なお父さんがいたものだな」
と感動した。以来、また街で盗人の被害にあったとき、相手をなるべく恨まなくても済むように20EURO(約3000円)以上の現金は持ち歩かないことにした(笑)。
最近この町で割と多いのは、女子のドライバー狙いの強盗だ。女が一人で運転している車が、人気のない道で赤信号などで停車した時を狙って、物陰から飛び出して来て助手席の窓ガラスをヌンチャクなどでガチャンと割って、助手席においてあるハンドバッグを強奪して去る。この被害にわりと最近あった女友達2人と、南駅近くのスペイン料理屋でサングリアを飲んで食事して、別れた後、気分よく人気のない大通りに停めてある自分の車に乗り込み、ハンドバックを助手席の足元に置いたとたん、少しはなれたところを歩いていた少年が急に方向転換してこちらにつかつかと歩いてきたと思ったら、いきなりポケットから出した右手を振り上げガチャンと助手席の窓を割った。一瞬の内に細かいヒビに覆われた窓ガラスを突き破って、少年の上半身が車の中に飛び込んできた。そして正確にハンドバックをつかむと、次の瞬間には少年は逃げ去っていた。
私は「ほー、これか!」と思ったが、ショックでしばらく呆然としていた。少年がハンドバックをつかんだとき、私も夢中で彼の頭をつかんだらしい。手の中に、薄汚れた化繊織の水色の帽子だけが残った。もう夜中近かったが、そのまま窓ガラスの壊れた車を運転して警察署に行き、携帯電話やクレジットカードや銀行カードをブロックし、アパートの鍵も一緒にとられたので夜中の2時過ぎに友人宅のベルを押して泊めてもらわねばならなかった。その翌日からも、車を修理したり、カード類を作り直したりと色々と面倒なことがあったが、例の映画監督のお父さんの言葉「盗人を恨んだらあかん」が頭に染み付いていたものか、恨む気にはなれなかった。現金も20Euroぐらいしか入ってなかったので、「実入りが少なくて残念だったね」と少年に言いたい位である。同時に、少年の手際のよさと正確さ、落ち着いた様子に感銘を受けてもいた。いったいどういういきさつで、こんな稼業をするようになったのだろうという好奇心もあった。でも、見知らぬ他人にいきなり攻撃されたと言う事実に、結構傷ついていたのだとおもう。その後しばらく、似たような場面が出てくる怖い夢を見た。
このトラウマが引き金になって、この出来事を中心に物語を書くことにした。物語を書くことは自分にとって、河合隼雄の箱庭療法や伊賀順子のコラージュと似たようなヒーリング作用があるみたいだ。
まず、少年がどんな生い立ちなのかを想像した。車の中で対面した少年の風貌からするとモロッコ移民ではないかと思われた。モロッコ人の友人も同僚もいるし、モロッコにも数回旅行したことがあるが、ブリュッセルの貧しいモロッコ移民のことについて自分がほとんど何も知らないことに気がついた。そこでモロッコ系の青少年のためのチャット・サイトをさがし、何日かかけて読むうちに、当地のモロッコ人移民事情が少しわかってきた。そこで語られた話、モロッコ出身の友人達から聞いた話などを総合して、強盗少年アジズの物語、アジズがどうやって遠い北の町ブリュッセルにたどり着いて、どのように成長し、どうして女子ドライバー狙いの強盗をするに至ったのか、そしてあの日私の車を攻撃し、逃げ去った後どうなったかの物語を毎日少しずつ思い描き、書き留めるのが習慣になった。
物語の中でアジズはまるで実在の人物のように躍動するようになり、いつしか物語の中に入った私自身の分身ユキの車を襲撃する。物語がそこまで進んだ頃には、私はアジズをもう一人の自分の分身のように感じていて、トラウマからは完全に解放されていた。それで物語の当初の目的は果たされたはずなのだが、物語の中のユキはそれに満足せず、逃げ去ったアジズをそのアジトまで追い詰めていく。それは、あの強盗少年が私の車を襲撃してから、どこに逃げ去ってどんな風にしているのかを見届けたいと言う、私自身の願望が、物語の中のユキをそのように行動させているようなのだった。もうひとつの理由は、ここで物語を終わることは、あの出来事を「あー、恵まれないモロッコ移民の男の子かわいそう!」みたいな、人類愛的でセンチメンタルな安易な物語の中に収束させてしまうことになると自分が感じていたことだった。安易な物語で終わらせないで、もうひとつ高次の物語に移行するためには、ユキに行動させること、それも危険と犠牲を伴う行動をさせる必要があると感じていたのだと思う。
箱庭療法を受ける人や、コラージュを作る人もそうなのだろうが、自分も物語を書き始めるときはほとんど結末を考えていない。書き進めるうちに、登場人物が勝手に動き出して、書手が予想もしなかったような展開へと導いていくのだ。
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さて、この物語を書き始めた晩にアパートの前に路上駐車してあった自分の車のガラスが再び破壊され、今度はCDプレーヤーとカーナビを盗まれた。まるで物語に呼ばれて、アジズが戻ってきて、「ぼくはここにいるよ!」と言っているようだ。私はこれで怖気づいて物語を続けるのを止めてはいけないと自分に言い聞かせた。
亭主のグリに、
「不思議。ちょうどあの強奪事件のことを物語に書いていたところなのよ。物語の中ではね、ユキはハンドバッグと一緒に盗られたアパートの鍵を取り戻そうと、強盗の少年を地下の隠れ家まで追い詰めるのだけど、逆に少年に殺されて、少年は私の代わりに私のアパートに住み始めるの」
と言うと、グリは呆れ顔で、
「なんだそれ。そんな物語誰も読まないよ。読者のシンパシーを生まないし、だいいち正義(ジャスティス)に反する。俺だったら、こう書くな。ユキは窓ガラスを割って入ってきた強盗の面におもいっきり催涙スプレーをぶっかけ、相手が倒れた所を車でひき殺す」
と真顔で言う。
「でも正義とはなんでしょう? アメリカがイラクを攻撃することでしょうか」と私は言いそうになったが、けんかになるので黙っていた。(グリのDNAには十字軍以来の回教徒との確執が組み込まれてしまっているのかもしれない。)
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書き終わった物語を、最近一年以上たって読み返していて、物語の中からある不思議な構造が浮き上がってくるのに気づいた。夜空を見上げていて満天の星の中に、星座が浮き出して見えるみたいに。これは、
ユング派の用語なのかもしれないが、
河合隼雄がよく「布置」とか「アレンジメント」とか「コンスタレーション(星座という意味もある)」と呼ぶものだ。訓練をつんだユング派の臨床心理士が、患者のつくった箱庭やコラージュから読み取ることができる「相」のようなものだ。
殺された主人公ユキは、自分を殺した少年に、一番大切にしていたアパートの鍵をあげるのだ。アパートの鍵を受け取ったアジズは、最後にユキのアパートに入り、そこでつかれきった体を白いベッドに横たえ、深く眠る場面で物語が終わる。眠る前に、無性にのどが渇いているアジズは冷蔵庫からミルクを出して飲み干す。その時、ユキを殺したために両手を汚していた血がまるで奇跡のように消えているのに気づく。この結末には、血に対しては、血で制裁するのではなく、乳で癒すことによって、戦いを止めるしかないのだと言う自分の祈りのような気持ちが込められていることが自分で分かる。
その時、この物語がユキが女友達とスペイン料理屋でサングリアを飲むシーンで始まっているのに気づいた。Sangriaは、Sang(血)と言う語を含む。つまり、この物語は、血で始まって乳で終わっていることになる。
でも、スペイン料理屋でサングリアを飲んだのは、物語の主人公だけではない。物語の外にいるはずの自分も、現実にあの強盗にあった晩、現実のレストランで女友達とサングリアを飲んでいた。
そうすると、物語の中だけではなく、現実の世界ものみこむような大きな構造の中に自分がいるような気がする。自分があの晩、あの場所で少年に襲われた事は、まだ全貌が明らかにされていないこの巨大なシナリオの一部であると考えることもできる。
こんな風に、日常の様々な事柄の中に、隠れた巨大な布置の表象を読み取ろうとする癖がついてしまっている。こんな自分を、私は自嘲気味に「シンクロニシティ・マニア」と呼んでいる。ただ、安易な物語で満足することなく、常に物語を開いたままにすること、物語からの逃走、物語を裏切り続けることが大切なのかなと思っている。
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さて、以下はおまけです。
強奪事件から、2ヶ月ほど経ってから私の不在中に警官が郵便受けに一枚の書状を残して行った。「事件のことで追加の聴取をするので即日警察署に出頭するか、アポのために電話をするように」と言う内容だ。ベルギーの警察は保険会社に提出するための被害届を作成するのだけが仕事だと思っていた私は、「最近のベルギーの警察は、意外と仕事熱心だわね」と内心驚いた。翌朝警察に電話をしようとしていた所に、呼び鈴が鳴り、体格が良く目の鋭い若い警官が乗り込んできた。警官は硬い声で、「盗まれた携帯電話をあなたが購入したときの領収証が必要なのです」と言う。「この携帯電話は会社のものでしたので、領収証は有りません。会社の人事部に電話をかけてみれば、保管してあるかもしれませんが」と言うと、警官は真剣な表情で「それでは、早速人事部に電話をかけてください」と言う。自分の被害届の真偽が疑われているのかと思い不安になりながらも人事部に電話をかけ、警官に受話器を渡す。「社員用の携帯電話は数百個単位でまとめて購入するため、1個1個に対応する領収証はありません」と人事部の担当者が言うと、「それでは盗まれた携帯電話のシリアル番号を」と警官は食い下がる。警察からの電話に泡を食った人事部担当者がシリアル番号を探す15分ほどの間、警官は受話器を耳に当てたまま辛抱強く待っていたが、ようやく相手から番号を告げられると、持ってきた書類の中に記入し、それを復唱した。
盗品携帯電話の闇取引のリングに対する大規模な捕物でも始まったのかしらと、どきどきしながら期待の目を向ける私に、警官は言った。
「御協力ありがとうございました。実は、この事件の書類をチェックしていた上官に、携帯電話の領収書番号の記述だけがぬけていることを指摘されたのです。お陰さまで書類が埋まりましたので、本件をクローズし、ファイルを保管所に送ることができます。もうこれで今回のようにお邪魔をすることもなくなります。あなたもこれでこの件をすっかり忘れることができるし、わたしも忘れることができます。」
そう言って、警官は始めて晴れ晴れとした笑顔を見せた。警官の仕事が終わるのを今か今かと待ちかねていたグリが、自分のパソコンまで警官を引っ張っていき、警官をネタにした冗談ビデオをみせる。警官は、グリと一緒にしばらく楽しそうにそれを見てから、ニコニコしながら帰っていった。
これは、小説のような話ですが実話です。