ユング派の精神分析医河合隼雄が提唱し普及させた、
箱庭療法について、以前「心理療法と物語」と題した記事の中で触れた。
同じユング派の秋山さと子の教え子であったと言う伊賀順子と言う先生が、カルチャーセンターで夢分析とコラージュのワークショップを主催している。夢分析は、生徒が自分の見た夢を記録し、先生やグループの皆に披露し、先生や他の生徒たちがコメントを言うと言う形式で進められるらしい。コラージュの方は、先生が用意してくれる古雑誌のグラビアから、各自が気に入った写真を切り抜き、それをA3大の紙に思いつくままにぺたぺた貼っていき、一枚の絵を仕上げる。
うちの母親は数年間このワークショップに通っているが、特に気に入っているのはコラージュのようで、電話をかけてきては、今回はこんなコラージュを貼っちゃった、とか詳しく説明してくれる。私の方は実物を見ているわけではないので、「へええ、おもしろいね!」とか言うしかないのだが、私が気晴らしに物語を書くときに感ずるようなカタルシスを、母親もコラージュをやりながら感じているらしいと言うことだけは分った。
ただコラージュには単なるカタルシスでは片付けられない、上述の
箱庭療法と同じようなヒーリングの効果があるらしいことがその後分った。
数年前のことになるが、自分の存在を揺るがすような・・・と言ったら大げさかもしれないが、ある意味たましいの危機ともいえる危ない時期を、母親は潜り抜けていたようだ。それは(私の目から見ると)わりと些細な出来事がきっかけだったのだが、それから彼女の人格を支えていた何かが粉々にくずれてしまった。その出来事の少し前に、母親が15年以上子供のようにかわいがっていた猫が死んだ。まるで前兆のようだ。
その危ない時期は数年間も続き、その間私は数回彼女を気晴らしの旅行に連れ出したりする以外には何も助けにならずに、遠くから手をこまねいて見守っていた。やがて彼女はものすごい力で自分で立ち直った。それからと言うものは、まるで別人に生まれ変わったようになった。これまで、どちらかと言えば貧血性の文学少女がそのままおばさんになったようなぼーっとしたタイプだったのだが、目に見えて生き生きとして、受け答えがシャープになった。まるで「守護霊が入れ替わった」みたいに。
少し前に電話で久々にその時の話をしていて、
「それにしてもよく元気になったよねえ。一時はどうなるかと思ったけれど」
という私の言葉に、
「立ち直れたのはコラージュのおかげだったの」
と母親は意外なことを言った。良くわからないけれど、コラージュを貼っているうちに「どんどん楽になっていくような気がして」、心の病気の元が自然に治ってしまったらしいのだ。
元気になった今でも伊賀先生の下でコラージュは続けているが、先日それに関して不思議な事があったと言ってきた。
前回の伊賀先生のワークショップで、雑誌のグラビアの仏像の写真に惹かれて、それを自分のコラージュに貼った。その、名も知らぬ不思議な仏像の名前が知りたくていろいろ調べてみたけれどどうにも見つからない。そんな時にふとチャンネルを合わせた「仏像百選」というテレビ番組で、あれほどさがしていたその仏像の映像に出くわし、それが京都の室生寺の十一面観音であることが分った。それからと言うもの、母親は、十一面観音のことが知りたくて本を探す。それと前後して、掃除の最中に10年以上前に買ったまま読まなかった「
覇王転生」と言う本が手に触れた。そして、読もうと思って場所を移しておいた。今日ふとその本を開くと、その本のいたるところに十一面観音の記述があるではないか。
一方この本を買ったいきさつはこうだ。10年以上前に島根県の神魂(かもす)神社を訪れたときそこで平安時代の服装をしたスサノオノミコトと天照大神の壁画を見た。その壁画のスサノオが秋篠宮殿下にそっくり(笑)の顔なので「面白いな」と思っていた。さて、しばらくして本屋で、例の壁画のスサノオの顔が表紙に印刷された本を偶然見つけた。それが上述の「
覇王転生」と言う本だった。
こういうのを「
シンクロニシティ」と呼ぶのかもしれないが、これがどのような意味を持っているのかがいずれは母親の目に明らかになる日がくるのだろうか。
母親や私のちっぽけな人生の中では明らかにされないような、壮大な布置が隠されているような気もするのだが・・・。
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