植物と対話をしたと言う体験をお持ちの方はいるでしょうか?
私は、1度だけ、比喩ではなく、植物の声を聴いたように感じたことがあります。
私の住むブリュッセルの小さなアパートには、20年近く前からでっかい植物がいる。ブリュッセルで知り合った日本人の女の子がアメリカに移住する時に、彼女が育てていた植物を養子としてもらい受けたものだ。
名も知れぬこの植物くんは、
2011年12月29日の拙ブログの一番下のビデオ画面にも写ってますが、今ではもっと大きくなって天井にくっつきそうになっている。アパートの窓辺には、ゴムの木、オリーブの木、イチジクの木、レモンの木、夾竹桃、蘭の鉢植えが並んでいるが、特にこの大きい、優美に枝と葉っぱを左右に広げた植物くんのお陰で、シャビイな我がアパートがぐっと居心地のよいものになっている。自分はアパートにぼんやりすわって、この植物を眺めているのが本当に好きなのだ。
さて、ある日、いつものようにソファーに座って植物くんの方に眼を向けながら、その日は何故か、
「あれからもう20年近くたったのかあ。この植物も大きくなったなあ。もし、彼女がもう一度ブリュッセルに戻ってきたら、私はこの植物を彼女に返すのかなあ?」
と、ぼんやり考えていた。
すると、その途端、植物が、その拡げていた葉っぱと枝ををきゅっと収縮したように見え、
「そんなの、いや!悲しい・・・」
というような想念とも気ともつかないものをばあっと放ったのだ。もちろん、そのような言葉を聞いたのではない。その時発された波のようなものを人間語に翻訳すると、上述のような言葉になったということだ。でもそれは、何か若い女の子の「胸キュン」に近いような感覚で、それで女の子言葉に翻訳された。
こちらは全く心の準備がなかったので、びっくりしてしまった。ただし、冷静に思いかえしてみて、これはもしかすると植物が「悲しい!」と思ったのは自分の気のせいで、じつは、自分が「この植物と別れるのは悲しい!」と思ったのを植物くんに投影したのではないか、と心に問うてみる。
でも、自分としては、アメリカに渡った友人が万が一帰ってきても「あの植物を返してくれ」等とは言わないと言う事はよくわかっているので、これほど差し迫った悲しさを感じる理由はない。どう考えても、植物くんがそう思ったような気がするのだ。あるいは、この感情は自分と植物くんの「あいだ」に生まれたものかもしれない。
ほんとの話だよ。
でもこの植物くんがこんな風に強烈に自己表現したように感じたのは、後にも先にも一度きりのことである。普段はお水をやり忘れても、しょぼっとしながらじっと我慢してくれている、善意と愛しかない優しい植物くんである。
こんな場所でも、こんな同居人でも、気に入ってくれて本当にありがとう。
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もうひとつ、ほとんど誰にも話さなかった(話せなかった)ことだが、優しい植物くんではなく、意地悪で悪戯好きな植物くんにであったことがある。話せなかったと言うのは、その出来事があってすぐにブログに書こうとしたのだが、書こうとするたびにブログの記事が固まってしまったり、消えてしまったりしたからだ。おまけに、その日その場所で撮影したビデオも跡形もなく消えてしまった。
自分は、
「これは明らかに奴の妨害だ」
と結論して、以来、今日まで、本件は自分にとってのタブーになった。
「奴」というのは、2009年の年末に
フロリダ・キイズのイスラモラーダの広大なマングローブの林の中を、野生のマナティーを探して(笑)亭主のグリとふたり、カヤックを漕いでいた時に遭遇した何者かである。(
2010年1月10日のブログにあるビデオ映像は、マングローブ林の様子をどうしてもビデオに撮影したかった私たちが翌日再度カヤックに乗って撮影したもの。)
マングローブの林は迷路のようになっていて、おもしろがった私は、迷路がどんどん狭まって左右からトンネルのように頭の上まで枝葉が生い茂った方へ舵を向けていった。すると、亭主のグリが、
「こっちの方へ行くのよそうよ・・・」
と言い出した。
「なんでよ。こういう静かな方に、マナティーは棲んでるんでしょうが」
と私が抵抗すると、とつぜん、
「こんな暗い所に、マナティーがいるのかよ! いるわけないじゃん!」
と気が違ったように喚きだした。
グリがこんな風になるのは、以前、ブリュッセル郊外のハルの森(
2010年5月3日のブログにも映像があります)に出かけたとき以来のことだ。(グリと行った時には、ブルーベルの花も散って、気持ちの良い緑の森の中を自分はゆっくり散歩したかったのだが、普段は機嫌のよいグリが急にイライラして、早く森を出たがったことがあったのだった。)人間には感じられない気配を感じて狂ったように吠える犬みたいに、感性が限りなく犬に近いグリも(笑)、あのハルの森で何かを感じたように、マングローブの茂る沼でも何か異様な気配を感じていたのかもしれない。
その時、左右から生い茂るマングローブの枝に絡まってボートが動かなくなってしまった。櫂でボートを枝葉から引きはがそうと躍起になっていると、右上から伸びていた蔓が鍵ホックのように私のサングラスを吊り上げて、私の顔から外してしまった。そのまま蔓はからかうように、サングラスを引っかけたまま私の頭の上でぶらぶらさせている。サングラスをつかもうと手を伸ばしたとたん蔓はバネのように上にひゅっと縮んだ。そして、一瞬もったいつけるような間をおいてから、ぽとんとサングラスを沼の中に落とした。沼はかなり深いらしく、サングラスがどこに落ちたのか見当もつかない。
もう5年以上も前のことなので、時効ということで、この記事を無事発表させてくれることをフロリダ・キイズのイスラモラーダのマングローブさんにお願いする。プレゼントのサングラス(香港製のフェイク・レイバン)と我が家の優しい植物くんに免じて。
なお、前述の通り、その日撮影したビデオも何故かきれいに消えてしまったので、翌日気を取り直してもう一度同じマングローブ林に行った。2回目ともなると、カヤックのこぎ方も少し上手になって、両脇から生い茂る枝葉に絡まることもなくなった。そのビデオを、Youtubeに掲載した時、見知らぬ人がコメントをくれた。
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さて、長い間タブーになっていたマングローブさんとの出来事についてどうしても書いてみたくなったのは、この冬、カーボ・ヴェルデのサル島のサンタ・マリア海岸に1週間滞在した時、道端に生えていた灌木(豆の木)の下に落ちていた、長大なさやえんどうを拾った時だった。
その豆のさやを拾った時、指に、びびび・・・と強烈な何かエネルギーのようなものを感じたのだった。さすが、アフリカの豆!と思いました。
ほんとの話だよ。
さすがアフリカ!と感じたことは今回の旅では枚挙にいとまがないですので、次回書きます。
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ビデオは、有名なヘンデルのアリア、オペラ「セルセ」の中でペルシア王クセルクスI世が愛するプラタナスの樹に向けて歌う「樹木の陰で(Ombra mai fu)」です。
Ombra mai fu di vegetabile, 樹木の陰で
cara ed amabile, soave più. これほどいとしく、愛らしく、優しいものはなかった
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当方は、前日サングラスをマングローブに取られたことなど、どこにも、一言も書いていない。この人は、どうしてマングローブの意地悪さを知っているかのような、こんなコメントをくれたのだろうか。
その人のコメントは続く。
「でも本当に恐れるべきなのは、海水ワニだよ。こちらの方が、奴らより少しだけ攻撃的だ…(The ones you should be afraid of is the Salt Water Crocodiles. Those are a little more aggressive)」
そう言えば、いつワニが出てきても不思議ではない沼だった(笑)