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「金に魂を売るのか」と、母親に罵られました。

  (前回エントリは、かなり飲んで書いていましたので、記事が終わらない内に、送信ボタンを押していました。
その後ずっと開けていなかったので、フロレスタンさん、りつこさんからもコメントをいただいていたのに、気づかなくて本当にすみません。
かなりわけのわからない文章で、そして唐突にアマゾンのアンタッチャブルの部族の映像なんかが挿入されていたですのに、お二人とも、当方の気持ちを深く理解してくださっていて、本当に感謝しています。
わけのわからない記事を整理して書きなおしても良いのですが、お二人のコメントと符合しなくなりますので、前の記事はそのまま残し、続きを書きたいと思います。お二人のコメントへのお返事は、もうちょっとしたら、前回の記事の方に投稿しておきます。)

***

ある日、母親にこう言われたことがある。
「あなたは、親の遺産とかを当てにしてはいけません」
「はあ・・」
(どちらにしろ遺産なんかないじゃ〜ん)と思いつつ、
「それは、どうしてですか?」
とたずねると、母親が御託宣のように、
「あなたは、自分の手で財をつかみ取るという運勢だからです」
と厳かに言った。

その前後のコンテキストは全く記憶にない。

そこで、
「そうか。ひとりで財をつかみ取らなければならないのか〜」
と思って、すなおに朝も昼も夜も週末もあくせく仕事をしていると、母親が言う。
「ところで、文学の方は?」
「文学? 仕事をするのに必死で、文学なんかやっている暇がなかなかありません」
すると、
「金に魂を売るのか!?」
と言われた。本当のことです(笑)。

それからは、だれに何と言われようと、亭主に仕事中毒と言われようとも、自分の手を汚さないで綺麗事だけを言っている輩は無視することにしました。ジャンおじさんをあのハエのたかる下水の匂う貧民アパートからもう少し日当たりの良い環境に出し、亭主のぐりが日雇いを脱し、稼ぎは少なくとも誇りを感じられるディーセントな仕事を見つけるまで、統合失調症の義母も、じつは寂しがりの父親も、気の弱い母親も、全部まとめて面倒見れるだけのエネルギーと力と金を獲得し、自分が死ぬ日には、
「ほれ、これで頑張ってくれ」
とにっこり笑って去っていけるようになりたいと思うのです。

自宅での抗がん剤治療の合間に、少しでも私が元気になると、私の家の近くのオフィスで仕事をするりつ子さんや和子さんが、私を元気づけようと食事に誘ってくれた。明美さんやサトーさんもご飯を運んでくれた。みんな、わたしと同じで決して裕福ではない。そんな中でみんな自分にできる最大限以上の方法でわたしに生きる元気を与えてくれました。その後仕事に復帰してからは、会う機会がほとんどなくなってしまったのですがあの時のご恩は本当に忘れません。数少ない友達に、まんがいち何かあった時には御恩返しができなければいけない。

第二回目の抗がん剤治療の後、動けないで自宅で寝ている時、両親がやってきた。私は動けないので、亭主のぐりが二人を空港まで迎えに行ってくれた。とても狭い私たちのワンルームアパートに、グリが両親を連れて入ってくると、二人はベッドで動けない禿げ頭の私の方を見ることができず、一番遠くのソファーにちょこんと座ったまま固まっている。バケツに向かって吐いている私の背中をグリがさすったり、バケツの中身を洗っていたりするのに、両親は固まったままでいる。その姿を見ると、(しょうがないなあ・・・)と思いながら、両親が本当にかわいそうになってしまった。

毛糸の帽子で禿げ頭を隠して、やっとのことで二人のソファーに這いずって行くと、父親がついと立って、いきなり服を脱ぎだして、夏物のランニングシャツとステテコ姿になってしまった。私とグリがびっくりしていると、ランニングシャツをめくり、痩せた胴体にぐるぐるに巻きつけた腹巻の下から、なんと札束を出した。この治安の悪いベルギーへ、五十万円相当のユーロの札束を腹巻に入れて運んで来たのだった。とりあえずの治療費の足しにと思って持って来たらしかった。(後で聞いたら、家屋敷も売るつもりだったと言うことだった。)

治安の悪いベルギーで大金を家に置いていくのは危ないので、グリの護衛付きで、全員でぞろぞろ近所の銀行まで歩いて行って、50枚の100ユーロ札を私の口座に入れることにした。私のサインが必要なので私も行かなければならない。銀行の窓口で列を作っている時、気分が悪くなった私は立っていられず、座り込んでしまった。そうしたら、行員さん達が待合室にある子供用のおままごとの椅子を出してくれて、私を座らせてくれた。
その後、行員さんがお札を数えてみると49枚しかなかったので、首をかしげながら、4900ユーロを口座に記録してもらった。その後、アパートに帰った直後、ベルが鳴るので出て見ると、銀行の支店長さんが立っていた。支店長さんは、
「後で数え直してみたら、100ユーロ札が49枚ではなくて50枚あったようなのです。でも、最後の100ユーロ札が貴方のお財布から出てきたものか、他から来たものかが分からなくなってしまったのです。今一応、100ユーロお返ししますが、万が一出所が分かって、やっぱり100ユーロ足りないと言うことになったら、ご連絡しますのですみませんがその時は返していただけませんか?」
と申し訳なさそうに言う。私は、自分の汚いアパートに、わざわざ支店長さんが来てくれたのですっかり恐縮してしまった。

父親は仕事が忙しい中を来てくれたので、両親は3日しかベルギーにいられず、父親はアパートにいる間もずっとパソコンで職場からのメールをチェックしている。母親は、
「シーフードが食べたいわぁ」
とかとんちんかんなことを言っている。(たぶん、私が病気になっていると言うことを、認めるだけの強さがないのだな〜、しょうがない奴。)と思いながら、
「近所に、日本人のやっているおいしいフレンチがあるから、そこに行ってくれば?予約しといてあげるから」
と言うが、めまいと吐き気がして電話をかけるのもやっとなので、まだしばらく寝ていると、
「ねえ、ちゃんと予約してくれたの?」
と人使いがあらい(笑)。

あの時、両親が、3日で東京とブラッセルを往復すると言う強行軍で、身体を張って運んでくれたお金のお陰で、抗がん剤治療と手術の後すぐに放射線治療を受けることができた。

会社も、フリーランス契約の私が働けない間の給与を払う義務もないのに、気持ち良く払ってくれ、上司や同僚みんなが応援してくれた。だから、必死で働いて、会社にもあの時の恩返しをしないといけない。

こんな体験をするまでは、私は抑うつ症になりたくないためだけに仕事をしているようなものだった。抑うつ症の特効薬は、人のために何かしてあげることだとどこかで読んだけど、人のために何かしてあげたいと思うようになってから、自分のそれは直ってしまった。でも、いつまた癌が再発するかわからない。自分には本当に、時間がないのだ。抑うつ症になっている時間も、断じてないのだ。
 

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