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「セルビアの皇太子」(1)  トレンチ

みなさんは、中学校の歴史の授業で、第一次大戦のきっかけとなったサラエボ事件を何と習いましたか? わたしは、「セルビアの皇太子」がオーストリア大公夫妻を射殺した事件、と習ったんです。

おかげで、自分は○十年の間、第一次大戦と聞くたびに、ひよわで青白い薄幸の王子(頭にはなぜか大きな羽飾りのついた王冠をかぶっていた)が、毛皮のむくむくしたコートを着込んだ太った大公の胸に、ピストルを突き付けてパンと撃った図を思い浮かべてきたのです。

それが最近、亭主のグリと第一次大戦の話をしているときに、わたしが「セルビアの皇太子」に言及すると、息も絶え絶えになるほど笑った挙句、オーストリア大公夫妻を狙撃したのは、頭に羽根飾りを付けた憂愁のプリンスならぬ、プリンセップという名のセルビア系ボスニア人の若い結核持ちのテロリストであることを教えてくれました。

たぶん多くのみなさんも「ぶっ。セルビアの皇太子?」と思われたことでしょう。でも、わたしの日本語の歴史の教科書には、ほんとうにそう書いてあったんですってば。まんがいち、わたしとおなじように、オーストラリア大公夫妻を狙撃したのが「セルビアの皇太子」であったと記憶されている方がいましたら、ぜひお便りください。

ともかく、それ以来、「セルビアの皇太子」は亭主のグリが、私の、ひいては日本人の戦後世代の歴史音痴を揶揄する時の決まり文句になりました。この私だけではなく、日本人の戦後世代もやり玉に挙がってしまったのは、私の元同僚のWちゃん(当時35歳ぐらい)がその昔、「えっ? 原爆って、日本に何発落ちたんですかっ?」と口走ったことを、さすがにショックを受けた自分がグリに話した時以来のことである。

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いずれにしても、なぜ、青年の銃弾が欧州各国や日米を含む16か国に飛び火する大戦争へとつながったのかは、自分にとっては大きな謎だった。

かろうじて理解できたのは、当時、欧州の大国の帝国主義がほぼ飽和状態で、各帝国の勢力争いが一触即発の状態であったこと、そして、各帝国は複雑な同盟網にがんじがらめにされていたということだった。

まず、青年の銃弾にオーストリア大公が倒れたことをきっかけとして、オーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに攻め込むと、セルビアをバックアップしていたロシア帝国が牽制、これに対しオーストリアと同盟を結ぶドイツ帝国がロシアと、ロシアと同盟関係にあるフランス帝国に宣戦布告。ドイツは、フランスを攻撃するために中立国ベルギーを通過しようとし、1914年8月2日、ベルギー国王アルベール一世に対し軍の通行権を要求し、国王は中立権に基づきこれを拒否。これに対し、8月4日、ドイツ軍が東の国境からベルギーに侵攻すると、大英帝国が参戦。

これは、同年6月28日のサラエボ事件からわずか1か月強のことで、これにより、戦死者8,530,000人、民間戦没者7,750,000人を巻き込む5年間の大戦争が始まってしまった。

特に、西部戦線が通過するここベルギーからフランスにかけては、激戦場になり、町や村や野畑や森も砲撃やトレンチ(塹壕)堀りでぼこぼこにされた。ジョルジュ・ブラサンスの唄に、「Mais, mon colon, celle que je préfère, c'est la guerre de 14-18! (でも、大佐、あたしはやっぱり14-18年の戦争のほうが好きでさあ! 」というセリフがあったと思うが、この戦争の思い出はこの地に生きる少し年取った人々のDNAにも深く食い込んでいるのか、繰り返し語られ、想起され、再現される場面にしばしば遭遇する。

今でも、ベルギー・フランダース地方の工場用地の真ん中に、よく保管された英軍のトレンチ跡を見ることができるし、毎年11月11日のドイツと連合国の休戦協定記念日には、各地で記念行事が行われる。3回の激戦で完全に破壊されたベルギー・イープルのメニン門の英国軍戦没者の記念碑には、毎晩8時に欠かさず慰霊式典が行われ、イギリス人をはじめ多くの人々が集まり、真っ赤なポピーの花輪を供える。

第一次大戦の西部戦線でとりわけ悲惨なのは、2016年7-11月、開戦から数時間で2万人の戦死者を出したと言われるフランス北部のソンムの会戦かもしれない。英仏連合軍は、100年前とそれほど変わらない戦法で、間隔1ヤードの横隊で徒歩でドイツ軍に向かって前進する。100年の間に機関銃・速射砲が発明され、大変整備された強固なトレンチから攻撃してくるドイツ軍に向かって、イギリス軍は銃剣を携えたまま前進していく。まあ、この戦法がどれほどあほらしいか、このBBCドラマ「ザ・トレンチ」の映像の後半3分の1を見てください。



一方、こちらはドイツ軍側のトレンチ。レマルク原作「西部戦線異状なし」から。



ソンムの会戦は4か月後に、連合軍・ドイツ軍それぞれ60万人ずつの死傷者を出し終結したが、戦線自体はほとんど動かなかった。大いなる浪費。

この映画のドイツ兵士の一人が呟いたように、自分の命を犠牲にしてまで守るべき祖国などない。皇帝も将軍も政治家も同盟を結ぶのは勝手だが、その同盟に従って、「自分たちが、リングの中で棒を持って、服を脱いで戦えばいい」。

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