<< 鹿を見ました。 | main | 自分を外から見ると言う呪い >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |

鹿を見てから考えました。

前回の「鹿を見ました。」というエントリーに対するMichikoさんの「動物は神様のお使い」というコメントを読んで考えました。

オフィスの裏の林で自分が見た鹿が、そく神様のお使いであるとは考えませんでしたが、変な場所で出遭う動物は、確かに一種のエネルギーが凝って出現したものではないかと思ったことは度々あります。

自分は動物の夢を見ることが多いのだが、夢の中で見る動物は、夢の中で見る人間よりももっと存在感があって、現実味がある。人間が白黒なのに、動物はテクニカラーで現れることが多い。そして夢の中の動物は何かの象徴と言うよりも、自分の心的エネルギーが凝って動物の形になって動いていると言う感じがする。だから、現実に見る動物も、その類推でそんな風に思えるのかもしれない。

***

カール・グスタフ・ユングの「自伝」に書いてあったエピソードだったと思うが、ある日女性患者がユングに、自分の見たスカラベ(黄金虫)の夢について語っている時、後ろの窓にかすかな音がするので、振り返って見るとまさに黄金虫が中に入ろうとして、しきりに窓にぶつかっているのだった。

自分も、癌の自宅療養中に、夜一人で、これまで見た夢の記録を整理していてちょうど鳥の夢について書いている時、開いた窓からいきなりかなり大きな鳥が飛び込んできたということがあった。大きな鳥の黒い影が、外に出られずにリビングの天井あたりをぐるぐるすごいスピードで飛び回るので、怖くなった自分は、廊下に出てリビングの扉をしっかり締めた。しばらくして帰って来た亭主のグリが狭い廊下に座り込んで震えている私を見つけ、「なにやってるの〜」とあきれ、リビングの扉を開けるともう鳥はいなくなっていた。

また別の時、うつ病になってしまった女友達が毎晩おそく電話をかけてくると言うことがあった。うつ病予備軍を自称する自分は、うつ病の人と話していると自分も病気になってしまいそうだ。彼女は暗い声で、延々と自分がいかに不幸であるかを語る。何とか彼女の助けになるようにと思い、話を聞こうとするのだが、電話がかかってくるたびに恐怖心をいただくようになってしまった。ある晩、とても夜遅く、携帯電話が鳴ったのでとるとやはり彼女だった。「ああ、怖いなあ」と思っていると、自分が座っているベッドの下から、見たこともないような大きい真っ黒な毛虫が這い出てきた。「うへえ」と鳥肌が立ちながらも、あわててそばにあった空の陶器のマグカップを逆さにして、虫にかぶせた。しばらくしてグリが帰って来たので、「コーヒーカップの中の毛虫を外に逃がしてやって」と言うと、カップを持ちあげたグリが「ねえ、何もいないよ。何言ってるの?」と言う。虫が忽然と消えているのであった。

また試験を受けに行く朝、バス停でバスを降りた途端、ばさっ!とでかい音がして、目の前の街灯のてっぺんにフクロウが降り立った。鹿と同じで、動物園の外でフクロウを見たのは初めてであった。「フクロウと言えば知恵の女神ミネルヴァが連れていた鳥じゃん。縁起いい!」と思ったことを憶えている。それで、見事その日の試験に受かったら、フクロウは本当に知恵の女神のお使いだったのかもしれないのだが、試験には落ちた(笑)。

自分の心的エネルギーが凝って動物の形を取ったのか、それとも、心的エネルギーに感応した動物が引き寄せられてきたのかはわからない。または、カスタネダの本の中のように、ちまたでは神様とか霊とか呼ばれる何か外的なエネルギー体が、自分の目には動物の姿として映った言うことかもしれない。または、そう言う動物は、いつも自分がひとりきりでいる時に現れるので、単にぜんぶ自分の白昼夢であったという可能性も排除することはできないのだった。

こんな風に、なんだか良く分からなくて、半信半疑というのが好きですね、わたしは。科学の言葉や、スピリチャリストの言葉、精神科医の言葉で整然と体系的に説明されてしまうと、その言葉の外側にある何かがこぼれおちてしまいように思え、つまらなくなる。

鹿は今日もいない

鹿は今日もいない。


JUGEMテーマ:スピリチュアル


スポンサーサイト

| - | 03:45 | - | - |

Comment

まりあさんの最新ブログが又加わったので嬉しいです。私は不思議に動物の夢は見ない。唯一出てくる動物は人間だけです、しかも非常に日常に密着した出来事に関連してます、現実どっぷりでスピリチュアルなものに欠けてる気がします、生活に追われているからでしょうか、もちろん私だけではないですが...。まりあさんのおっしゃる「少しでも進みたい」と言った状態は全く同感です、と言うか今はとにかく払うものを払わねば、片付けるものを片付けねばという状態で日々が回転してるんですが、時々これだけで年とって死んでしまうのはあまりにも空しいなぁと思います、せめて自分の責任を果たした定年後は「これだ」と言う生活をしたいんですが、それには自分と真正面に向かい合っておっしゃってた;ごまかしてないか、はしょってないか、人のせいにしてないか?等々のチェックをしていかないとならないんでしょう、見たくないものを見るかもしれませんね。

それにしても鬱病の人の電話って怖いですね。とある友人が鬱病は贅沢病だ、と言ってたのが心に残ってます、彼女曰く食うや食わずで道端で死んでゆく様な生活の人(インドとか)が鬱になるかと言うとそんな事はない、意外と端でみると恵まれてる人がそういう状態になってる、一概には言えないし、本当に深刻な問題がある場合もあるけど、友人に延々と「私はいかに不幸か」と語る人はその人自体の何かに問題がある様な気がするんです、意外と本当にものすごい大変なものを抱えてる人がかえって人にそういう迷惑をかけないで格闘してるんではないかと思います。

| り | 2013/06/16 5:55 AM |

りつこさん、お便りありがとう〜。

先週までのドタバタが急に静まり、今週は5カ月ぶりぐらいのエアポケットのような週でした。ほんでもって、来週からまた忙しくなるのかなあ…と思いつつ、今の内にブログをできるだけ書いておくことにしたのでした。

私も昔は動物の夢は全く見ませんでした。2005年5月(病気になるちょうど一年前ぐらい)から、動物や鳥が良く夢に出てくるようになりました。夢は眠りの深さと関係あるようで、深い眠りほど深層意識に近い夢を見ると聞いたことがありますよ。

りつこさんが、日常に密着した夢しか見ないと言うのは、眠りの浅さとか深さに関係あるのかもしれないですね? でも、私も最近年をとって体質が変わったのか、朝ものすごく早く目が覚めるようになってしまい、結果、眠りが深くなりすぎて、かえって(記憶できるようなはっきりした)夢をほとんど見なくなってしまいました。

夢を記録しておいて、少したまった頃見直すと、意識していなかった深い自分の心が夢の記録を通知で語りかけてくるような気がします。だから最近印象的なはっきりとした夢を見れなくなったのがちょっと残念なのでした。

うつ病の人の電話は、怖くない人には怖くないんでしょうけどね。自分は感応すると言うか、どうもすぐに巻き込まれてしまうようなんですよね。

| まりあ | 2013/06/16 9:41 PM |

Submit Comment









Trackback URL

http://terub.jugem.jp/trackback/202

Trackback