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バッタリ倒れてしまった年末年始(3) 再び、「抽象度を上げる」ということ

2012年の始めに立てた目標の内、完全に実現したのは「クロールが泳げるようになる!」という目標だけであった。

1年間の間、毎週ちんたら練習していただけであったが、1年の終わりには、「イアン・ソープ風の」と自分が信じるフォーム(笑)のフォー・ビートのキックで25メートルプールを何とか往復できるようになり、泳げない大人がゆったり泳げるようにと考案されたというトータル・イマージョンと言うツー・ビートの泳法では、もう少し長く泳げるようになった。

何もないよりはましだが、年の内で本当に実現した目標がクロールだけと思うと、何ともしょぼい。

***

自分にとって2012年を通じての最重要の目標は、やはり「思考の抽象度を上げる」と言うことだったと思う。「思考の抽象度を上げる」とは何とも抽象的な目標であるが、何故かこれを身につけられれば色々な問題が一気に解決するように思えたのだ。

「思考の抽象度を上げる!」。この目標を忘れないよう、自分のPCを立ち上げるパスワードを「Chushodo!」と設定していたくらいです(笑)。こうしておけば、毎日PCを立ち上げたり、スクリーンセーバーのロックを解除するたびに、この言葉を自分に言い聞かせ、常に自分が思考を抽象化する方に努力しているかを反省することになる。

でも、1年を振り返って見て、目標を山の頂上だとすると、やっと裾野にたどりついただけの自分がいる。ブリュッセル方言では、「まだ旅籠屋も出ていない(On n'est meme pas sorti de l’auberge.)」と言うところだろうか。

さて、こんな目標を掲げることになった直接のきっかけは、2011年夏に読んだ苫米地英人さんの本「すべての仕事がやりたいことに変わる―成功をつかむ脳機能メソッド40 」で、「思考の抽象度」と言う言葉に出会ったからだった。(2011年7月23日のエントリー

でも、もっと根本的な理由は、前回のブログエントリーの最後の方に初登場した、同僚のサイトーさんである。

サイトーさんは日本の提携先から弊所に出向してきた人で、駐在してから数カ月もたたない内にブレインのスマートさで弊所のベルギー人たちの間で一躍有名になってしまった。ベルギー人たちに認められるためには、凡人であれば語学力が大きく作用すると思う。でも、サイトーさんはとりわけ語学が達者と言うわけではない。でも彼が言葉少なに言うことが、人々のレベルをはるかに超えているのでぐさっと胸に刺さるのだ。

出向して半年たった時、上司のロニーが、しみじみと、
「サイトーは、前任の出向者が4年たってもできなかったことを半年でやっちまったな」
と言った。そんなことを言われるような前任者にはつくづくなりたくないなあと思うが、仕方がない。

サイトーさんは向かいの机に座っているので、ほとんど一日中いっしょにいて、彼の電話の一言一句を聞いていたり、一緒に会社を訪問したりするのだが、2年たった今でも、ほとんど毎日が感動と驚きの連続である。

頭脳が鋭くて回転が速い人はこれまでも周りにたくさんいた。でも頭の回転が2倍速とか3倍速の人であれば、自分でも追って行ける。だから、感心することはあってもびっくりすることはない。サイトーさんの場合はすこし違う。もちろんスピード感はある。そして、一気にバサッと切り捨てて、導く結論が説得力があり、適格でもある。でも、その持って行き方に、速さだけではなく、一つの次元から別の次元にワープするような不思議な飛躍があり、それが独特なのだ。恐らく同僚たちが強い印象を受けるのは、そのためではないかと思う。

「この飛躍は何だろう」、ずっと考えていた時に、前述の苫米地英人の「思考の抽象度」と言う言葉に出会って「これだ!」と気がついた。

多くの場合、あるひとつの問題を誰かから相談された時、自分の場合、相手と同じ抽象度の次元にとどまるように気をつけながら話すことが多いと思う。それは、自分のある種の「優しさ」でもあるし、同時に弱点でもあるように思う。

もちろん、そこで行き詰ると、頃愛を見ながら、角度を変えたり、少しずつ抽象度を上げたり色々試みる。でも相手の抽象度が低いとそのペースに巻き込まれてしまい、泥沼の中を一緒に這いずりまわるような思いをすることがあるのだ。相手はさんざん話した後でカタルシスを感じるかもしれないが、結局何の解決にも行きつかない。そして私自身はどっとエネルギーを失っている。

ところが、サイトーさんに何かを相談すると、たとえそれが日常的なことであっても、一気に会話のレベルがというか、抽象度が強引に数次元上がるのだ。すると、こちらもつられて自分の抽象度を上げざるをえない。お陰で、サイトーさんに話す前に、どう話そうかと考えている時に、知らず知らずに抽象度が上がるので、相談する前にあるていどは自分で問題が解決できてしまうようになったくらいだ。

お客様と話す時は、サイトーさんも、「これは要するに、こう言う問題と言いかえることもできますね。その前提でさらに考えると・・・」てなことを言いながら、「これから話の抽象度をちょっと上げますよ〜」と言うサインを送ることがある。でも同僚同士の会話では前置きなく数次元も上がるので、スピード感があるし、解決不可能に思えた問題があっという間に整理されてしまうので、ほんとうにびっくりするのだ。

抽象化の過程は、不純物をふるいにかけ、取り除くための網の目をどう設定するかによって全く違ってくる。網の目は、人によってまったく違う。サイトーさんについてすごいと思うもう一つの理由は、彼の抽象化の網の目が、彼個人の卑小な目標ではなくて、私たちのいる部署や、ファーム全体、グループ全体の「究極の目標」にそって設定されているからだと思う。

サイトーさんは、年がら年中ほとんど抽象的なことしか話さないと言っても良い。個人の感情とか、社内政治とか、誰それの噂話とか、今日何を食べたとかの具体的な話は全く出てこない。彼の抽象度の宇宙の網の目は本当に詰んでいるので、そう言う不純なごみみたいなものは完全に除去されてしまう。だからサイトーさんとの会話は、純粋な宇宙空間でテニスをするみたいなものだ。不純物を取り除いた宇宙は、本当にクリーンなので、球がものすごい速さで飛び交うし、太陽の光が本当に強くとどく。

太陽の光とは「究極の目標」ということだ。

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Comment

まりあさんのブログが復活してとてもとても嬉しいです、私も多少またエンジンをかけ始めました。と言っても私の内容はなんとも個人的な「思ったこと」の域をでなくて、そのサイトーさんとかまりあさんの周囲に居るあっとする様な人達が登場しないのです、これは自分の行動半径が非常に狭いのと自身のなかにあ全く飛躍しない部分をかかえたまま迷路を行ったりきたりしているからだと思います。それでも出来る事は一歩づつでも変えなくてはと思い、ひとまず変えたのがFacebookから暫く(半年か1年かあるいは1ヶ月だけかも)遠ざかるという事です。このツールは否定的な事だけでなく利用法によっては非常に素晴らしい部分もありますが事私に関しては「害」の方がはるかに多い気がしてきたからです。現に「禁断症状」みたいなものすらあり、これがいかに私の生活の穴にはいりこんでいたか思い知らされています。
が、生活空間を広げる方法は他にいくらでもあるはずだと思っています、ただそれに気がつかない、サイトーさんの様に発想が飛ばないのでしょう。と言う事で自己の中の模索をして居る所です。







| り | 2013/01/11 5:08 PM |

私も行動半径の狭さでは負けないですよ〜。お友達もベルギーと日本と合わせて5人位しかいないですし(りつ子さんも5人の内の一人)、週末も家とジムを往復するだけ、平日もジムと家と会社を往復するだけのわびしい人生です。

でも、自分の周りにいる人は1人残らず面白いので、時間があれば1人1人のことを写真入りで、ブログに書いていきたいくらいですよ。たまにハマムとか行くと、もうたいへん(笑)。

りつ子さんの周りの人々も、じっと観察すると、すごい!面白い!と思えることがきっとあるはず。

Facebookは自分のページはあるのですが、忙しいのと、使い方がよく分からなくて(泣)、しばらく御無沙汰していました。りつ子さんはたくさん書いているのですか? ブログだとコメントを送ってくれる人は限られていますけど、Facebookはもっと会話があって楽しいのでは…と想像します。

| まりあ | 2013/01/12 4:28 AM |

まりあさんのブログが復活して嬉しい嬉しいなんです。そうですね、よ〜く観察すればユニークで面白い人っているのに自分がよく見てないだけかもしれません。Facebookは事私に関してはボツです、1年半ほど経って「空しい」「底が浅い」という印象とそれにも関わらず中毒の様になってしまった感があり、今やめてたった1週間ですが(禁煙みたい)いかにあの媒体が私の生活の穴を安易に埋めていたかひしひしと感じてます。

何かないかな〜と開け、何かをポストし「いいね」と言われると嬉しくなる、でもっとこれでもかこれでもか、と「私を見てみて」と言う深層心理でもってまたポスト。Facebookの会話は軽く口先だけで適当な事を簡単に言える、言ってみれば井戸端会議に似てる気がします。よく私のおばあちゃんが「いい年つかまつってろくでないにもろくでないにも!」と言ってましたが、若い頃にはご愛嬌でも一定の年齢を重ねた大人が全く同じ事をしては滑稽になってしまう...と言う意味と解釈してます。例えばですが「若く見える」と言うコメントをもらうと嬉しくてポーズをとった写真をどんどんポスト、もっともっと言って....と言う状態になってしまうとか。まあ実害はないので本人が幸せならいいかもですが。

あの媒体は使い方によってはもちろん素晴らしく便利な事は確かです、ヴァーチャル外の実際の生活がしっかりなされている人にも出会えますので頭からバカにする事も偏ってるでしょう。が、その便利さ、安易さの落とし穴にいとも簡単に落ちてしまうのは危険、飽くまでもこれは個人的見解ですけどFacebook以外にも世界を広げる手段はあると思います。

| り | 2013/01/12 8:05 PM |

正月明けはまだ仕事が少ないので、今の内に2012年の反省をしておこうと思ってせっせと書いています。来週ぐらいからまた忙しくなりそうですが、「思考の抽象化」の練習のためにも(笑)今年は週に2回ぐらいは書き続けられれば良いなあと思います。

りつ子さんのお便りを見て、「どれどれ」とりつ子さんのFacebookのページを見てみたら、おお、すごいことになってますね〜!(セクシーなサルヴァドール・ダリ風の御主人のギさんと、相変わらず若く美しいりつ子さんの写真も見られて嬉しいです。)

Facebookってこうやって使うんですね。それにしてもFacebookという発明はすごい。感動したビデオやサイトや写真をぱっとアップロードできるので、今自分がどこで何を考えて、何に感動しているのかを人々とパット共有できるのが良いですね。ブログだと、なかなかそれができませんし、Facebookの方がコメントが来やすいように思います。

でもたしかにこれを一回始めてしまうと、どんどんくるコメントにも答えないといけないし、途中でやめるのが難しいですね。

自分の場合、誰かのご招待をうかつに受けたせいでFacebookに自分のページがあるのですが、ほとんど使っていません。数年前お誕生日の時期に、一気に10人位から「お誕生日おめでとう」のメッセージが来たことがあるのですが、たまたまものすごく忙しい時期でお返事する暇がなく、以来あきれられてしまったのか同様なメッセージは来なくなってしまいました(笑)。

自分の場合、エネルギーが余っている時は人々に向けるエネルギーがあるのですが、エネルギー不足の時には、乏しいエネルギーが自分を立て直すための思考の方に集中してしまい、お友達に注ぐエネルギーがあまりありません。と言うわけで、お友達に不義理をしないために、お友達は前述の通り5人に限ろうとしているので、一気に友達がふえてしまうFacebookは都合が悪いということもあるのですよね。

| まりあ | 2013/01/13 11:13 PM |

まりあ様、Facebook自体を否定するつもりは全くありません。ただ私の場合自分の状態に「あっこれはヤバい」とある日突然感じてしまったのです。楽しいならともかく、逆にストレスすら出てきて、でも見ないと居られない、これはまさに中毒症状です。遠ざかる事を決めたら軽い禁断症状とともに別な意味で生活が広がった部分もあります、安易なこのツールがない分別なものを開拓しようと言う気持ちになります。

もちろん実際の生活が充実しててそれプラスアルファという冷静な利用が出来ている人もいますから全く個人差がありますし、これで知り合った5〜6人の日本に居る人達はそれぞれに魅力的です。ただ400〜500人と言う「友達」を持っている人はどうやって管理してるのか私には想像もできません。アーチストで「僕にとっては広報活動です」と言ってる人もいますが、ポストがそれを超えて魅力あるものです。結局その人となりって表れてしまう気がします。

| り | 2013/01/14 8:36 PM |

中毒になるのは、自分の精神のバランスをとるために必要としていると言うことですね。(アル中予備群だった自分にはよく分かります。)

前の前のコメントで、Facebookによって自分が(短期的に)得ることができた満足感の正体について、りつ子さん御本人が深層心理を鋭く分析してくださったおかげで、りつ子さんがFacebook中毒になってしまった理由については良く分かりました。

Facebookと言う公の場に載った自分の写真や言葉は、人の視線を経由することによって、現実の中で自分が見る自分自身の心もとない姿や声よりも、確固とした存在感があって、もっと生き生きして、(写真以外の部分の記憶は読者にはないので)幸せそうかもしれません。それが自分の気に入っている写真だったら、なおさらかもしれません。そしてそれがコメントで確認されると、より確固としたものになると言うことでしょうか。

私もブログをはじめて、中毒にはならないまでも、とても爽快感を感じることがあります。2つの場合があって、
‘票圓魄媼韻靴峠颪い討い襪里如多少なりとも自問自答しながら厳密に書いていこうとする内に、これまで自分の意識の枠を超えた考えが不意に言葉になって出てくる時。
もうひとつは、
⊇颪い燭海箸呂曚箸鵑匹修両譴破困譴討い襪里任垢、後で自分のエントリーを読み直す時は多少なりとも読者の目になっています。その時、読者の目を通じて文字の羅列を読むことで、ふだんは空っぽの存在で心もとない「自分」に、ここにある言葉の羅列という実体が生まれたような、自分の輪郭が生まれたような手ごたえが感じられるのです。

これについては、以前からブログに書こうと思いながら、中々言葉にするのが難しくて、そのままになっておりました。(同時に、こんなことを思うのは単に自分の頭がイカレているだけかもしれないとも思ったりします。昔から、現実生活より、日記の方にリアリティーを感じられた人間なので。。。)

| まりあ | 2013/01/15 3:31 AM |

まりあ様、結局自分に潜んでいる自己顕示欲を満たす媒体という意味ではブログもFacebookもカテゴリーは同じとは思うのですが、上下という意味でなくやはり違いはあると思うのです。Facebookはうんと「安易」です。写真とYoutubeを引っ張って載せ二言三言絵文字も加えて載せれば完成、沢山の「フレンド」が居れば50件でも60件でも「いいね」が入る...嬉しい、その数が2〜3件と50件とでは格段に満足度が違う、いや2〜3件では不満になってしまったりして、これでもかこれでもかと人目を引く何かを捜しだしてポスト。ちょっと怖い図だと思いませんか?反応してくれなかった特低の人に反発感すら持ったりして。一方ブログは顔写真掲載とかはなくはないにしても基本的に文章である事からある程度「思考」してまとまったものを書かねばならない所に自分自身の何かを模索して作り上げる部分があると思うし、何人読んでくれたかは数字に出るけれど多ければ嬉しいが少ない場合あらちょっと少ないなぁ、もっと面白い話題さがして書こう、とその程度で済む、これは私の見解にすぎませんけど。Facebookは暫く離れてしまうと忘れ去られてしまうという程度の絆の前段階ではないかと言う(全部がそうとは言いません)気がします、その意味で「わざと」あの騒音から離れてみる事にしたのです。大切な友達が5〜6人居るだけで本当にありがたい、500人も友人は要りません。

| り | 2013/01/15 7:10 PM |

りつ子さんがFabookにはまった根本の理由を自己顕示欲と割り切ってしまうのはちょっと乱暴な気がしました。
Facebookでりつ子さんが求めていたのは、「私がいることを認めて!」という単にそれだけだったような気もしますがどうでしょうか?人が「いいね」ボタンを押してくれることにより、自分が「そこに・いる」ということが認められる。人が自分の存在を認めてくれると言うことよりも、人に存在を認められることによって、自分が「ここに・いる」ことを、自分が認めることができる。これは顕示欲よりも、もっと根本的な基本的な欲求のように思います。

りつ子さんとのやり取りのおかげでようやく気付いてきましたが、それにしてもFacebookはすごい発明ですね。他人のビデオや音楽をボタン一つでアップできて、それが投稿者自身の「表現」として共有される。それを見た人々は「いいね」というボタンでひとつで、手間も時間もかけずに自分の共感を表すことができ、それにより手間も時間もかけずに人間同士が「ゆるく」つながっていれる。自分自身はどうしてもFacebookには、はまれなかったのですが、やはりすごいものだと思います。

| まりあ | 2013/01/16 8:01 AM |

なるほど、そうかも知れません。私は飛びぬけて自己顕示欲の強い人間ではないと思うので単に埋没したパーツみたいに感じた自分を人間として認識したかったのかも知れませんね。でも、中には本当に「あれ?」というほど突っ走って自己陶酔してるのではという人がいたので自分がそこに落ち込む危機を感じたのかもです。

今はブログに戻って来た感がありまた書き始めたので時間があったら読んでくださいね。まりあさんのも楽しみにしてます。

| り | 2013/01/16 11:50 PM |

まりあ様、この前に送った質問がなんだか届いてない様なので再送です。2つ質問があって、ひとつはサイトーさんのその「抽象化」とは
具体的にどういう事なのかです。推測するに、日常の俗な金勘定とか損得とか、誰それがああ言ったとか本に書いてあったとか言う情報の受け売りでなく本当に自分の目で見て自分の中から出てきた発想、テキストにないオリジナルな発想を目的に向かってまっすぐ行動する為に見つけ出すと言う事でしょうか?

あとはグンター君を「こいつはすごい!」と思ったのはどんな事ででしょうか?

もちろん答えていただくのは随意なんですが、こういう本当に自分を持っている人はやっぱり私の周りにはごくごく少なくて、今の段階では誰一人いないので興味あるのです。

| り | 2013/01/18 4:54 AM |

まりあ様、Facebookを断って20日ほど経ち面白い事に気付きました。
始め「禁断症状」があり、なにか穴の開いた部分をどうやって埋めようかと感じていたのが逆に暗黙の義務と騒音から逃れられた様な安心感に変ったのです。何か追われていたものから逃れられた様な...結局あの媒体は一見しっかりと生活を束縛している様に見えてもそれがなくなったからといって何かを失う事はない、が私よりもっと中毒が進んでいる人にとってはきっと孤独を埋めるには必須のものだという思い過ごしはかなり浸透しているのではないかと思います。私の場合その分またブログを書き始め、書き始めると物を見る目も何か違ってきます。それと「自己顕示欲」というのはいい意味でもあり、ブログでの自己顕示欲も頭をもたげてきて、読んでくれた数が増えると嬉しいです。で、Facebookで知り合った日本のひとりが「最近ポストがないですがお元気ですか?」と聞いてきました、これは素直に嬉しいです、あ、気にしてくれてる人もいるのだなとそんな気がしました。暫くしてまた戻るばあいまた違った目と距離でポストが出来るのではないかと思っています。と、何だかだ言ってやっぱりこの威力はすごいのかもしれませんね。

| り | 2013/01/23 5:23 PM |

りつこさん、
コメントありがとうございます。しばらく自分のサイトを見ていませんで、ご返信が遅れてすみません!
「ちょっと離れてみる」ことは、何にしろ大切なのかもしれませんね。私はFacebookもブログも中毒まで行ってませんけど、アルコールとは「ちょっと離れてみる」事ができればいいなあ・・・と思っています。
まりあ

| まりあ | 2013/02/21 4:29 AM |

りつ子さんからの「グンター君を「こいつはすごい!」と思ったのはどんな事ででしょうか?」

うーん、ある1つの出来事を見て、「こいつはすごい!」と思ったわけではないんですね。

うれしかったことや、ものすごく不快な体験を全部総合して、今振り返って見て「自分が、グンターの立場だったらここまでできたかな。この不景気に10人の部下をかかえて、誰もクビにさせないように守ってこれなかっただろう」と思うと、「やっぱりすごい!」と思うわけです。(他のチームでは、上司がにこにこしながら部下の首を切ってましたんで。)

まりあ

| まりあ | 2013/02/21 4:41 AM |

りつこ様

今日は早目に家に帰り、りつ子さんへのコメントに対し上記の返事を書いている時、当のグンターさんからコミュニケーターでメッセージが来て笑いました。

G&uuml;nther (BE - Brussels) 20:25
watching television again?

Maria (BE - Brussels) 20:26
No, writing my blog

G&uuml;nther (BE - Brussels) 20:26
very good - which blog?

Maria (BE - Brussels) 20:27
my blog in Japanese. I am also writing on my colleague.
only good things!

G&uuml;nther (BE - Brussels) 20:31
very very good
こんばんは持っている

Maria (BE - Brussels) 20:46
グンター、すごい!

G&uuml;nther (BE - Brussels) 20:47
は本当に、単にいくつかのテキストを翻訳する

This conversation is saved in the Conversations tab in Lync and in the Conversation History folder in Outlook.

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「こんばんは持っている」と言うのは、たぶん、「Have a nice evening」と言いたかったのだと思います。機嫌が良い時もあるのですよね(笑)。

まりあ

| まりあ | 2013/02/21 7:22 AM |

あっ久しぶりにまりあさんのコメントだ。そうか、なるほど、グンター君のすごさはそういう所にあったんですね、判る様な気がします。実際私も同じ事務所で彼とすれ違っててなんて無愛想な奴(ごめんね、機会があったら謝っておいて)という印象しかなかったんですが、確かに愛想をよくして一見いい人ぶるのは簡単、でも何かの機会にその人の本性が現れてしまうとするとグンター君はある意味での本物なのでしょうか?はは、今は仕事上のコミュニケーションで私は「客」に変身しグンター君のサイン入りメールが入ってきてますよ。これから違った目で彼のメールを読む事でしょう。

ここでまたFace bookに一言コメント(またか!)。出ずっぱりでこれでもかこれでもかといろんなのをポストしてる人の中で、本人が「見せたい、見せてる」と思ってる部分ではなく逆にそれらのポストを通してその人の根本の欲望とか精神状態が見えてしまう事がある。その意味では怖い媒体でもあるなぁと思います。

| り | 2013/02/21 5:49 PM |

グンターさんの
「は本当に、単にいくつかのテキストを翻訳する」
と言うのは、まりあさんに「すごい!」と言われて照れて、
「いや、単にグーグル翻訳を使っただけだったんだよ」
と言いたかったんだね。
この人、結構ほんとうは気の弱いのを隠しているかも。

東京もようやく暖かくなってきました。

| フロレスタン | 2013/03/09 6:46 AM |

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