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バッタリ倒れてしまった年末年始(1) 2012年に去って行った人々

風邪との戦いを楽しみながら、悠々と正月を迎えるつもりでしたが、ゴール直前でバッタリ倒れてしまいました。東京オリンピックで3位ゴールと同時にバッタリ倒れてしまった円谷選手のような心境です。今も思うと、円谷選手は3位入賞でも全然嬉しくなかったのではないか。自分の体力、自分の弱さ、自分の限界を知って情けないと思う気持ち。自分も、風邪のつらさよりもその情けないという気持ちの方が大きくて、布団に張り付いて本当に落ち込みました。

仕事の面では、ほとんど脇目を振らず400メートル走ぐらいのスピードを維持しながら駆け抜けた2012年であった。最後の方では、色々な物事や人々を、踏みつけにしないまでも切り捨てることになった。それが正しいことだと思う必要があった。

「ゴール直前で」と言う表現は、正しくない。折り返し地点と言うべきだろう。それから400メートル走と言うのも正確ではない。競争相手がいるわけではないからだ。でも、こんなにまで必死で走り続けた理由は、そうしないと「退場」の札を渡されてしまうからだ。

「退場」の札とは、もっと具体的に言うと、会社をクビになってしまうと言うことです。冗談ではない。今年は、自分と常に一緒に仕事をしていた直属の上司が3人もクビになった年だった。

まずは、2012年の幕開けと同時に、会社法部パートナーのアンヌ・クリスティーヌが辞めて行った。夏になると、関税部ディレクターのレオが、秋には、付加価値税部ディレクターのパスカルが、マネージメントの決定により去って行った。

3人ともダイナミックで、熱意があって、知識ももちろん一流で大変素晴らしい上司だった。でも、マネージメントにとっては、何かがすこしずつ足りなかったり、多すぎたり、過剰だったりしたのだと思う。私は今になってだが、それが分かるような気がする。それが分かることは、同時に、自分が大幅に、何かが足りなかったり、多すぎたり、過剰だったりすることに気づくと言うことでもある。

一言で言えば、それは腹をくくって、自分の力で会社を維持し、会社を大きくし、自分の配当も稼ぐと同時に、部下たちを食わせて行くんだと言う気概の有無と言うことかもしれない。そのためには、特にはクライアントにも部下にも、上司に対しても鬼にならなければならない時がある。

同じ上司でも、私にとっては最悪で、若いのにいつも不機嫌で顔色が悪くて、チーム全体を引っ張って行くのに苦労の絶えない個人所得税部ディレクターのグンターがパートナーに昇進したのは、ここが違うと言うことかもしれない。

前者が(私も含め)雇われ人根性に甘んじて居るのに対し、グンターは経営者でステーク・ホルダーだと言うことかもしれない。

***

関税部ディレクターだったレオが、今日が最後の日と言う朝、一緒に仕事をしていたみんなにメールを送った。

This morning is my last day at XXXXX.

 

It has been a funny, interesting, meaningful, joyful (and sometimes hard) journey. I have met a lot of extraordinary people of whom I have learned so much…regardless of the hierarchy & their grades.

 

In line with our culture & values, I just want to say goodbye with a quote that describes a bit the way I describe the challenges we all are facing.

 

« Il faut toujours connaître les limites du possible. Pas pour s'arrêter, mais pour tenter l'impossible dans les meilleures conditions.  » R. Gary (自分にできることの限界を知ることは大切だ。でも、それは、その限界で立ち止まるためじゃない。自分にできないことに、最良の条件下で再びチャレンジするためだ。)

***

会社法パートナーだったアンヌ・クリスティーヌが辞める時、彼女のオフィスにあった鉢植えの植物を私にくれた。彼女のごちゃごちゃのデスクの上で死にかかっていた植物は、今私のデスクの上で元気に育っている。

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Comment

まりあさんの属している世界は比べ物にならない位厳しいのだなぁとつくづくど〜んと感じました。何が違うかと言うとこれは現実的に仕事のレベルが違う(これは本当です)単に言われた事をやってるだけでいいという事務職ではない「売り上げ」を上げる事、会社の経営に直結している怖い位置にいるのだと言う事です。私なぞ、よっぽどひどい事をしない限り、あるいは年寄り整理でもない限り首にはならない(と思うのですが...)ある意味ではぬるま湯です。でもでも、くれぐれも体を壊して無理はしないでください、仕事の為に生きるのではなく生きる為に仕事をするというのが私の持論です。それと、グンター君(私より年下なのであえてこう呼ばせてもらいます)が会社人として有能としても私はきっと彼と友達になりたいとは思わないでしょう、多分辞めていった人達のなかにより魅力的な人がいるのではないかと勝手に思っています。これこれぐちゃぐちゃ言うのも、還暦を迎えた私にとって人生をより豊かにするにはミクロコスモスの事務所以外に目をむけないとやばいと思い始めたからです。

| り | 2013/01/08 11:00 PM |

りつこ様

コメントありがとうございます。自分のいる会社は昔はもっとのんびりとした人間的な会社だったと思うのですが、この10年で本当に変わりました。

もちろんのんびり人間的な会社だった頃に比べると、同僚たちも、以前の同僚たちと同じベルギー人とは思えないほど優秀でダイナミックになっています。それはある時からアメリカの本社の管理がとても厳しくなったため、半年とか1年の短いスパンででスタッフを評価をして、評価の低いスタッフはどんどん首を切って、新しい人と入れ替えるという方針になったからだと思います。

そう言う意味では、今は、会社の全てのレベルの人(管理職、営業職、アシスタント、事務職・・・)が、それぞれ期待された能力を満たしていないと評価されてしまうと、全員同じように半年か1年後にクビを切られます。

確かに会社の評価と言うのは、人間の価値の評価とは別物だし、仕事の世界と言うのは、人生の大きな枠組みで見ると本当に狭い価値観に支配されたごく狭い世界、りつこさんがおっしゃるミクロコスモスであると思われます。でもしばしば言われるように、ミクロコスモスはマクロコスモスの集約でもあると自分は感じているのかなと最近では思っています。

たとえば、村上春樹が「走ることが、自分にとっては書くことと同じで、そして人生を生きることと同じになっている」と言っています。それと同じような意味で、仕事の中で、例えばコピー取りをしたり、Excelシートに数字を埋め込んだり、お客様に電話で怒られているということの一つ一つの中に、人生全体が金太郎あめのように集約されているのでは、だから、仕事は人生のリハーサルで修業なのだと言うようなことを最近考えるのです。

こういう極限的な職場で、グンターが自分の上司で、私をクビにさせないために、私を叱咤しているから、グンターのすごさが初めて理解できるのであって、毎週日曜日に村の集会所で楽しく彼に会っているだけのお友達関係だったら、決して分からなかったように思います。

そう言う意味で、自分が一緒に仕事をした人は、自分にとっては友達以上に思い出深いし、一緒に仕事する人々のすごさに触れることは自分にとっては最も大切な体験のように思えます。

その人の仕事の仕方だけを見ても、その人の人間性が全て現れているように思うのです。だから、自分も、どんなにくだらなく思える仕事の中でも、自分の仕事の仕方を磨きつづけることは、人生自体を磨くことのように思えます。

そんなことを、この週末布団の中でへたりながら考え、自分の駄目さ加減に落ち込んでいた次第です。

| まりあ | 2013/01/10 4:49 AM |

まりあ様

はじめまして。「瞑想」をキーワードに検索中に、こちらのサイトに出会いました。とても素敵なブログですね。

私もヨーロッパの小国で(ベルギーの近所です)先月まで仕事をしていたので、まりあさんに大変共感しました。毎日、闘いの日々でした。期待される仕事はできてあたりまえ、会社に(顧客に)プラスアルファの価値を与えつづけないと、いづれは、新しい人にとって替わられる、そんな危機感を日々感じていました。「あと1期(3ヶ月)だけがんばろう」と思いながら12年も走り続けていました。

過去5年前くらいまでは仕事をしている間は、仕事仲間や、お客さんとのやりとり、ドラマなどに感動したり、気づきを得たりしていました。でも、ここ5年ほどで、仕事環境が厳しくなり、どんどん仕事のスピードを上げざるを得なくなり、息継ぎする時間もないくらい。、心が疲れてきて、それは同僚も同じで、人と人の心のつながりというか、仕事をする上でのやりとりも薄くなっていました。

私がもともと友情を感じていた、とても仕事ができる同僚「M」がいたのですが、Mは、仕事が成功するにしたがい、プレッシャーも大きくなり、成功のためには、人を傷つける好意も平気でするようになり、破壊行動もあったりと、心がやんでいったようでした。それでも、短期的な結果がでれば、会社はその同僚を評価するし、昇給もさせる。だから、Mは、自分が病んでいることにも気づかない。

私はMを助けてあげたい、力になりたいと思ったのですが、Mは私を近づけなくなり、私に対して暴言を吐くようになりました。今から思うと、私はMの一番繊細な部分を知ってしまい、それがプライドの高いMにとっては屈辱だったのだと思います。

それでも、社内でMの仕事にプラスになることは、影で応援し続けていました。問題の多いMでしたが、Mは、まりあさんの同僚、サイトーさんのように、私に新鮮な驚きという風を吹き込んだ、まれなる同僚だったのです。

Mの存在のおかげで、私はいろいろと自分についての発見があり、仕事上でもいろんなインスピレーションを得ました。

いまから思えば、極限的な環境だったからこそ体験できたことがあるのですね。Mと、もっと楽な環境、またはプレイベートな環境で出会っていたら、ただすれ違っていただけかもしれません。そんなことに気がつかせてくれたまりあさんのブログでした。ありがとう。





| Ginger | 2013/02/19 9:54 PM |

Ginger様

貴コメント、そして、同僚のMさんにまつわる貴重な体験をシェアしていただいたことに深く感謝します。

Gingerさんの職場は、当方の職場にも増して熾烈な場所であったようですね。そんな中で、尊敬する同僚のMさんに暴言を吐かれたりする日々は、Gingerさんにとってさぞかしつらいものであったのではないかとお察しします。でもMさんの与えてくれた感動やインスピレーションを今でも鮮やかに思い出せるということはほんとうに素晴らしいことだと思います。

(大変恥ずかしいのですが)以前の自分は、誰かを尊敬したり、誰かにびっくりしたり、感動すると言うことが全くできませんでした。でも、今の職場で自分の限界に挑戦させられたり、苦しい体験を重ねるようになってから、全ての同僚や後輩や上司に多かれ少なかれ感動する毎日が続いています。

でも、こういう人々との関係は仕事と言う場所の外では輝かない、仕事という場所の外では存在しえない友愛であるようにも思えます。仕事を辞めた後は一生会うことのない人々になるような気もしています。でも自分が彼らに感じた感動は、自分がある日職場を去った後でも、自分の人生の宝のような深く長く続く思い出になるのではと思っています。

GingerさんにとってのMさんも、そう言う存在になるのかもしれませんね。

まりあ

| まりあ | 2013/02/21 5:53 AM |

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