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人は怒鳴りあったり傷つけあって生きて行くものだと思い込んでいた日々

自己イメージと、他人が自分に対して持っているイメージが随分ちがっているのに気づく時がありませんか。

以前にも書いたことがあるが、母親がある日、
「そう言えば、まりあが子供の頃怒ったり泣いたりしたのは見たことがなかったわね」
と言った。

たしかに泣くところを親に見られたことはなかったかもしれない。子供の頃の記憶は1歳半ごろまでさかのぼれるが、人に泣くところを見られるのが大嫌いだったので、親の前でも泣かないようにしていた。泣く時は茶の間のお仏壇の下に小さなビルトインの引き戸があってそこに入って泣いていた。

ただし、怒りや不快感を感じていたことは良くあった。人が笑い声を立てるのが耐えられなくて、良く笑う若い女性や、同年代の女の子が大嫌いであった。

ピーピー泣く子も嫌いだったので、近所の子供や、「かものはし日記」の著者の従弟のひろちゃんのこともぶんなぐって、
「泣くな」
と怒鳴った記憶がある。ひろちゃんに、「あの頃はいじめてごめん」と言うと、
「いじめられたこと? 憶えてないな」
と言う。

今の自分が思い出す、当時の自分1歳半から3歳半ぐらいまでの自分は、なんだか阿修羅のようなイメージである。でも周りの人のイメージはそれとは違うようなのだ。



さて、小さな小粒の宝石のような、炎のような阿修羅が、幼稚園に入り、小学校に入り、別の阿修羅たちといっしょに、磨かれ、すり減って、溶けてへにょへにょになったキャンディーと化していく。たしかに幼稚園から小学校にかけての自分は、物語を書いたり、本を読むのが好きな目立たない子供だったと思う。

でも、幼稚園を卒業する時、園長先生(オークマ先生と言う、えくぼの可愛い、とても優しいおばちゃん先生だった)が、私に別れの言葉を書いた紙をくれた。

「まりあちゃん、いつもきれいなお花のことを考えていてね・・・」

母親は、
「オークマ先生、なんであんなことを書いたのかしらね」
と言う。オークマ先生は、実の母親にも見抜けなかった阿修羅の存在に気づいていたのかなあ。もう亡くなったが、今思いだしても偉い先生だったなあと思う。



自分の育った家は、サザエさん一家のような三世代家族に、さらにナミヘイおじいちゃんの甥っ子・姪っ子、住み込みのお手伝いさん、看護婦さんとその亭主、みたいな人々がいっぱい住んでいて、いつも誰かが口論していた。

母親とおじいちゃんの後妻のスミエさま(これは素敵なおばあちゃんだった)がいつも大きな声をあげて口論しているので、
「おねがい、ケンカしないで」
と割って入ったことがあった。そうしたらふたりは、
「ケンカしてるんじゃないのよ」
と口々に言いながら笑い出してしまった。たぶん日常会話で大きな声で口論するのが習慣になって、自分たちでもそれに気づかなかったのだろう。

そんな環境で育ったせいか、つい最近になるまで、家族というものは、同僚というものは、恋人というものは怒鳴りあったり傷つけあって生きて行くのが普通で本物だと思い込んでいたのだった。

それがごく最近になって、そうではないことに気づいたのだった。優しい人々に囲まれていることによって、徐々にそう教えられたのだ。



写真は文章と関係ないですが、この夏、家のイチジクの鉢植がかろうじてつけた、それはそれは小さなイチジクの実。

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