瞑想には危険もあるかもしれない。瞑想合宿に何度か参加するうちにそう思うようになった。
10日間のヴィパッサナ瞑想合宿の5日目ぐらいで、突然、悲しみの発作に陥り途中退場する女性を見たことがある。合宿途上で宿舎の窓から飛び降りてしまった男性もいる。10日間の合宿の間に、100人の内かならず10人ぐらいはそれ以上瞑想を続けることに耐えられず、脱落者が出る。理由は様々だが、毎日11時間の瞑想を続けることで知らず知らずの内に心の深い部分まで下降していくので、生半可な気持ちで始めると怖い目に会うかもしれない。
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以下は、ヴィパッサナ瞑想を通じて知り合ったある日本人女性から聞いた話だ。「瞑想には危険もあるかもしれない」と私が本当に思ったのは、彼女が合宿中に遭遇した体験について私に語った時だった。少々前置きが長くなるが、彼女の話はこんな風に始まる。
彼女は、東京の私立の女子高校に通っていたが、友達を作ることができずひとりで本ばかり読んで、クラッシック音楽ばかりを聴いていた。3年間の高校生活で、ほとんど学友たちとまともに話すことができず、人の目を見ることができなかった。
そんな彼女に始めて友達と言える人ができた。しかもそれは、男性だった。
彼女は、毎週水曜日の晩、学校の帰りに予備校でドイツ語の授業を受けていた。そのクラスには彼女と同じ高校生はほとんどいず、かなりの数の大学生がいた。
ある初秋の水曜日の晩、授業が終わって国鉄の駅に向かって歩き始めた彼女に追いついてきた男の人がいた。
「きみ、今の授業に出てたよね」
とはなしかけてくる。眼鏡をかけた大学生だった。彼女は当たり障りのない受け答えをして、自分の電車の来るプラットホームに上る階段まできてようやく気詰まりな会話から開放された。
その次の水曜日の晩、授業が終わった後、またその大学生に話しかけられるのがなんとなくいやで、彼女は別の出口から予備校の外に出た。その出口から出ると、駅にはかなり遠回りになる。でも仕方がなかった。
予備校の出口の前に、おかしな家があった。それは、傾きかけた古い木造の小さな平屋だった。草庵といってもよい。ぼさぼさの植木鉢の向こうの硝子の開き戸からは、小さな部屋の中が見える。なぜか石膏像が置いてある。そして、チェロとヴァイオリンが。
変な家だなあ。何だか、宮沢賢治の童話みたい。と思いながら、彼女が小さな家の中を覗き込んでいると、中から、真っ白なおじいさんの姿が、にこにこ笑いながら手招きしている。
おじいさんは、中華料理のコックさんが被るような真っ白い帽子と白衣を着て、髪も真っ白、顔もまるで洗いざらしにされた白骨のように真っ白だった。
気の弱い彼女はおじいさんの手招きを無視するわけにもいかず、またちょっと好奇心にも駆られながら、背をかがめて草庵の中にはいった。正面には大きな錆びた鏡があり、その前に大変古びた椅子。そこは、おじいさんの経営する床屋さんだったのだ。
その時、どんな会話をしたのかを彼女は思い出すことはできない。でもおじいさんは、長年培った床屋さんと言う職業のプロフェッショナリズムというものだろう。暖かく包み込むような雰囲気があり、また、90歳と言う高齢なのに大変な聞き上手だったのだと思う。これまで人とまともに口を聞けなかった彼女も少しずつ話をすることができるような気がした。
その日を境にして、毎週水曜日の晩、彼女は予備校の授業に戻ることはなく、学校が終わるとそのままおじいさんの草庵に直行した。
彼女が来ると、おじいさんは、小さなでこぼこのお鍋でサツマイモを煮てふるまってくれた。おじいさんから渡された割り箸は、おじいさんがその前にお魚を食べたらしき匂いがまだ残っていて、ちょっと「こまったな」と思ったが、水で煮ただけのサツマイモは甘く、とても美味しかった。
おじいさんは、
「京大の○×先生からいただいたものです」
と言って、立派な装丁の「平家物語」を見せてくれた。そして彼女に、
「平家物語の○×章がとても良いのです」
と言って、『音楽天にきこゆ』と言うくだりを含む章を教えてくれた。
彼女は、すごく美しいと思った。そして、おじいさんにその部分を朗読して聞かせた。
彼女は、高校のクラスで習った「平家物語」のなかでも自分が特に好きな、「那須与一」の部分も綺麗な声で朗読してあげた。
「与一 鏑を取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ。小兵といふぢやう、十二束三伏、弓は強し、浦響くほど長鳴りして、誤たず扇の要ぎは一寸ばかりを射て、ひいふつとぞ射切つたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上りける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。夕日の輝いたるに、皆紅の扇の日出だしたるが、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、船ばたをたたいて感じたり。陸には源氏、箙をたたいてどよめきけり。」
それからと言うもの彼女がおじいさんを訪れる水曜日の晩ごとに、おじいさんは、
「あの『音楽天にきこゆ』の章を読んで頂けませんか」
「那須与一を読んで頂けませんか」
とせがむようになった。
彼女はおじいさんが演奏するチェロとヴァイオリンに耳を傾け、自分も恐る恐るチェロとヴァイオリンを試してみた。彼女は、ちょっとした指の使い方で音が狂ってしまうセンシティブなヴァイオリンよりも、おおらかなチェロの方が好きだな思った。
こうして水曜日の晩ごとに彼女はおじいさんを訪れた。秋が過ぎ冬が来た。12月の初めての水曜日、彼女は風邪を引いて学校を休み、おじいさんの家にも行けなかった。その翌週の水曜日、いつものようにおじいさんを訪れると、おじいさんは、
「もうあなたが来ないのかもと思いました」
と言って、彼女を驚かせた。
「風邪を引いただけだったのです」
と言う彼女に、おじいさんは、家の奥から古い茶色の革のブリーフケースを出してきて、たくさんの書類の奥から、長さ1.5センチ、直径5ミリぐらいの小瓶をとりだし、
「もうあなたがこないかもしれないと思って、これを飲んで死んでやろうかと思いました」
と言って見せた。小瓶には小さな塩の塊のようなものが入っていた。
「これは戦争が終わる前、『鬼畜米英が来たらこれを飲んで死ぬように』と言われて女たちに配られたものなのです。戦争が終わったので、ある女が私にくれたのです。ふたを開けると酸化してただの塩の塊になってしまうのですが、しっかり栓がしてあるので大丈夫です。これを飲めば5人は楽に死ねるのですって」
彼女はおじいさんがふとした勢いでそれを飲んで死んでしまうかもしれないこと。また、おじいさんが自分にふるまうお茶の中にそれを入れてしまうかもしれないことについては特に何の感慨もなかった。それほど当時の彼女は、彼女自身、死というものに近い場所にいたのだ。
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冬が終わり春が近づいていた。
ある女性週刊誌に、「90歳のおじいさんが、10億円の資産の相続人をさがしている!」というセンセーショナルな題で、おじいさんのことが掲載された。
聞くとおじいさんは、確かに床屋さんをしながら少しずつためたお金で国債や公社債を買って資産があるようだが、ちゃんと娘さんたちもいて相続人を探しているわけではない。週刊誌ってずいぶんいい加減なことを書くもんだなと思い、彼女は驚いていた。
「それからというもの、こんな手紙をたくさんもらいました」
と、おじいさんはにこにこしながら少し困ったように手紙の束を見せてくれた。それは、どれも女性からの手紙で、自分の窮状をうったえたり、週刊誌に掲載されたおじいさんの写真を見て「優しそうな方だと思いました」と言うような事を書いていた。要は自分と結婚してほしいという主旨の手紙だった。会ったこともない人にこんな手紙を書くなんて、世の中にはずいぶんかわいそうな人がいるもんだなと言うのが彼女の感想だった。
ある日、彼女が学校帰りにおじいさんの家に来て話をしていると、お客さんが来た。その人は、読売新聞の記者さんだと言う40歳ぐらいの人だった。その人はおじいさんの友達で、時々遊びにくると言うことだった。おじいさんが彼女のことを紹介すると、その人は、セーラー服を着た彼女を上から下まで眺めて、哀れみと軽蔑と若干の好奇心が混じった目をした。
「あなたを上野の精養軒に連れていきたいんです」
とおじいさんは彼女に言っていた。そして、ある日、おじいさんと彼女は初のデートをした。まだ春も浅い日で、ぼうぼう風が吹いており、おじいさんはインバネスというのだろうか、彼女が始めてみるような古臭いマントを翻して彼女の手を引いて上野の精養軒に向かった。
床屋さんをかねた草庵の外で見るおじいさんは、とてもとても小柄で、上野駅の雑踏の中で消え入るようだった。ただでさえ人ごみ恐怖症の彼女は、とても心細く感じた。彼女は上野の精養軒で何をいただいたか憶えていない。おじいさんと何を話したかも憶えていない。
それが、彼女がおじいさんと会ったほとんど最後の日となった。
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春が来た。大学に入ると、彼女の人生がまるで花が開いたようになった。彼女のいた女子高校では誰も彼女の言葉に耳を傾けてくれる人がいなかったのが、大学に入ってから突然彼女に興味を持ってくれる人が少なからずいるようになった。
これまで彼女が自分の欠点だったと思っていた内気さまで好意を持って認めてくれる人がいると言うことがわかった。そして、彼女に興味を持ってくれた3人の男友の一人が彼女のボーイフレンドになった。
彼女がボーイフレンドにおじいさんとの交流のことを打ち明け、「しばらく会いに行っていないのが気になる」と言うと、彼は、「君は子供だなあ。そうやって人を傷つけているんだよ。おじいさんに会いに行こう」と言った。
彼女はボーイフレンドと一緒におじいさんの草庵を訪ねた。おじいさんは、以前の通り感じがよかった。淡々とボーイフレンドの髪を刈ってくれた。でも、別の訪問者をもてなしており、あまり話すことができなかった。おじいさんの彼女に対する様子は、髪を伸ばして、少し薄化粧もした彼女を、あの水曜日の夜長ごとに平家物語を一緒に読んですごした女子高生とは別の人と思っている様子があった。それが、彼女とおじいさんの最後の日となった。
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その後、大学を卒業すると彼女はヨーロッパに渡り、長い年月が過ぎた。あるとき、彼女は人生に絶望し本当に死んでしまいたいと思った。でも苦しみながら死ぬ勇気はなかった。その時ふと、「楽に死ねるんですって」というおじいさんの言葉を思い出して、あの薬をおじいさんからもらうことを考えた。そのために日本に帰ってきたが、何故かタイミングが合わずおじいさんを訪ねることはなく、彼女は生きながらえることになった。
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おじいさんと最後に会ってから30年が過ぎようとしていた。あのとき死ななかったお陰で、彼女は本当に幸せな日々を送っていた。信頼できる夫と愛する仕事、深く充実した日々だった。おじいさんとの短い交流も、他の様々な人生の経験と感動の内で、彼女の半生を豊かにしてくれた心温まるエピソードのひとつになっていた。
そんなとき、彼女はヴィパッサナ瞑想の合宿に参加した。2回目の合宿の半ばで、彼女は突然おじいさんのことを思い出した。おもいだしたのはもちろんそれが初めてではない。でも、それはいつもあくまで自分の立場から感謝と共におじいさんのことを思い出したという経験だった。でも合宿の半ばで彼女が得たのはそれとは異質の体験だった。その時彼女は、自分ではなく、突然おじいさんになってしまったのだ。
瞑想の途中で、突然彼女はおじいさんになってしまった。彼女が風邪のため1週間おじいさんを訪問しなかったときのおじいさんの気持ちを、春の嵐の中を精養軒に向かって手を引いていったおじいさんの気持ちを、そして、彼女が初めてのボーイフレンドを連れて行ったときのおじいさんの気持ちを感じたのだ。
その感覚は彼女を打ちのめした。その後、合宿の数日間、8月の半ばと言うのに、彼女は自分の体がまるで死体のように冷たくなったと感じた。合宿の間は、早朝6時と昼の12時に食事が用意されているのだが、何も食べる気がせず、ひたすら瞑想を続けていた。自分が死んでしまったようだった。
瞑想の8日目ぐらいから、体温が戻ってきて人心地がついてきた。食べ物も食べられるようになってきた。彼女はどうも危機を脱したようなのだ。でもこれが何を意味するのか、彼女には説明できないでいる。この間彼女に何が起こったのかについての解釈は、
「おじいさんが彼女の中に入って悲しんでいた」
のでも、
「彼女自身のおじいさんに対する隠れた罪悪感が浮上した」
のでもどちらでもよい。(どちらでも同じようなものだ。)
どちらにしても肝心なのは、霊魂にしても、罪悪感にしても人を殺してしまう場合があると言うことだ。瞑想は、日常の意識をいったん封鎖し人を空っぽにするので、霊魂なり罪悪感なりが一気に力を増して、その人を占領してしまうことがあるのだ。それはとても危険なことだ。
でも、それをのりこえることが、たましいを生き返らさせ強くするのかもしれない。