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植物とのひみつの対話

植物と対話をしたと言う体験をお持ちの方はいるでしょうか?

私は、1度だけ、比喩ではなく、植物の声を聴いたように感じたことがあります。

私の住むブリュッセルの小さなアパートには、20年近く前からでっかい植物がいる。ブリュッセルで知り合った日本人の女の子がアメリカに移住する時に、彼女が育てていた植物を養子としてもらい受けたものだ。

名も知れぬこの植物くんは、2011年12月29日の拙ブログの一番下のビデオ画面にも写ってますが、今ではもっと大きくなって天井にくっつきそうになっている。アパートの窓辺には、ゴムの木、オリーブの木、イチジクの木、レモンの木、夾竹桃、蘭の鉢植えが並んでいるが、特にこの大きい、優美に枝と葉っぱを左右に広げた植物くんのお陰で、シャビイな我がアパートがぐっと居心地のよいものになっている。自分はアパートにぼんやりすわって、この植物を眺めているのが本当に好きなのだ。

さて、ある日、いつものようにソファーに座って植物くんの方に眼を向けながら、その日は何故か、
「あれからもう20年近くたったのかあ。この植物も大きくなったなあ。もし、彼女がもう一度ブリュッセルに戻ってきたら、私はこの植物を彼女に返すのかなあ?」
と、ぼんやり考えていた。

すると、その途端、植物が、その拡げていた葉っぱと枝ををきゅっと収縮したように見え、
「そんなの、いや!悲しい・・・」
というような想念とも気ともつかないものをばあっと放ったのだ。もちろん、そのような言葉を聞いたのではない。その時発された波のようなものを人間語に翻訳すると、上述のような言葉になったということだ。でもそれは、何か若い女の子の「胸キュン」に近いような感覚で、それで女の子言葉に翻訳された。

こちらは全く心の準備がなかったので、びっくりしてしまった。ただし、冷静に思いかえしてみて、これはもしかすると植物が「悲しい!」と思ったのは自分の気のせいで、じつは、自分が「この植物と別れるのは悲しい!」と思ったのを植物くんに投影したのではないか、と心に問うてみる。

でも、自分としては、アメリカに渡った友人が万が一帰ってきても「あの植物を返してくれ」等とは言わないと言う事はよくわかっているので、これほど差し迫った悲しさを感じる理由はない。どう考えても、植物くんがそう思ったような気がするのだ。あるいは、この感情は自分と植物くんの「あいだ」に生まれたものかもしれない。

ほんとの話だよ。

でもこの植物くんがこんな風に強烈に自己表現したように感じたのは、後にも先にも一度きりのことである。普段はお水をやり忘れても、しょぼっとしながらじっと我慢してくれている、善意と愛しかない優しい植物くんである。

こんな場所でも、こんな同居人でも、気に入ってくれて本当にありがとう。

***

もうひとつ、ほとんど誰にも話さなかった(話せなかった)ことだが、優しい植物くんではなく、意地悪で悪戯好きな植物くんにであったことがある。話せなかったと言うのは、その出来事があってすぐにブログに書こうとしたのだが、書こうとするたびにブログの記事が固まってしまったり、消えてしまったりしたからだ。おまけに、その日その場所で撮影したビデオも跡形もなく消えてしまった。

自分は、
「これは明らかに奴の妨害だ」
と結論して、以来、今日まで、本件は自分にとってのタブーになった。

「奴」というのは、2009年の年末にフロリダ・キイズのイスラモラーダの広大なマングローブの林の中を、野生のマナティーを探して(笑)亭主のグリとふたり、カヤックを漕いでいた時に遭遇した何者かである。(2010年1月10日のブログにあるビデオ映像は、マングローブ林の様子をどうしてもビデオに撮影したかった私たちが翌日再度カヤックに乗って撮影したもの。)

マングローブの林は迷路のようになっていて、おもしろがった私は、迷路がどんどん狭まって左右からトンネルのように頭の上まで枝葉が生い茂った方へ舵を向けていった。すると、亭主のグリが、
「こっちの方へ行くのよそうよ・・・」
と言い出した。
「なんでよ。こういう静かな方に、マナティーは棲んでるんでしょうが」
と私が抵抗すると、とつぜん、
「こんな暗い所に、マナティーがいるのかよ! いるわけないじゃん!」
と気が違ったように喚きだした。

グリがこんな風になるのは、以前、ブリュッセル郊外のハルの森(2010年5月3日のブログにも映像があります)に出かけたとき以来のことだ。(グリと行った時には、ブルーベルの花も散って、気持ちの良い緑の森の中を自分はゆっくり散歩したかったのだが、普段は機嫌のよいグリが急にイライラして、早く森を出たがったことがあったのだった。)人間には感じられない気配を感じて狂ったように吠える犬みたいに、感性が限りなく犬に近いグリも(笑)、あのハルの森で何かを感じたように、マングローブの茂る沼でも何か異様な気配を感じていたのかもしれない。

その時、左右から生い茂るマングローブの枝に絡まってボートが動かなくなってしまった。櫂でボートを枝葉から引きはがそうと躍起になっていると、右上から伸びていた蔓が鍵ホックのように私のサングラスを吊り上げて、私の顔から外してしまった。そのまま蔓はからかうように、サングラスを引っかけたまま私の頭の上でぶらぶらさせている。サングラスをつかもうと手を伸ばしたとたん蔓はバネのように上にひゅっと縮んだ。そして、一瞬もったいつけるような間をおいてから、ぽとんとサングラスを沼の中に落とした。沼はかなり深いらしく、サングラスがどこに落ちたのか見当もつかない。

もう5年以上も前のことなので、時効ということで、この記事を無事発表させてくれることをフロリダ・キイズのイスラモラーダのマングローブさんにお願いする。プレゼントのサングラス(香港製のフェイク・レイバン)と我が家の優しい植物くんに免じて。

なお、前述の通り、その日撮影したビデオも何故かきれいに消えてしまったので、翌日気を取り直してもう一度同じマングローブ林に行った。2回目ともなると、カヤックのこぎ方も少し上手になって、両脇から生い茂る枝葉に絡まることもなくなった。そのビデオを、Youtubeに掲載した時、見知らぬ人がコメントをくれた。
 
「やつらは、本当に悪者じゃないんだ。蜂と同じで、こちらが邪魔をすればやつらも邪魔を仕掛けてくる。(you know they really are not a bother. They are like bees, you bother it it will bother you.)」

当方は、前日サングラスをマングローブに取られたことなど、どこにも、一言も書いていない。この人は、どうしてマングローブの意地悪さを知っているかのような、こんなコメントをくれたのだろうか。

その人のコメントは続く。

「でも本当に恐れるべきなのは、海水ワニだよ。こちらの方が、奴らより少しだけ攻撃的だ…(The ones you should be afraid of is the Salt Water Crocodiles. Those are a little more aggressive)」

そう言えば、いつワニが出てきても不思議ではない沼だった(笑)

***

さて、長い間タブーになっていたマングローブさんとの出来事についてどうしても書いてみたくなったのは、この冬、カーボ・ヴェルデのサル島のサンタ・マリア海岸に1週間滞在した時、道端に生えていた灌木(豆の木)の下に落ちていた、長大なさやえんどうを拾った時だった。

その豆のさやを拾った時、指に、びびび・・・と強烈な何かエネルギーのようなものを感じたのだった。さすが、アフリカの豆!と思いました。

ほんとの話だよ。

さすがアフリカ!と感じたことは今回の旅では枚挙にいとまがないですので、次回書きます。

***

ビデオは、有名なヘンデルのアリア、オペラ「セルセ」の中でペルシア王クセルクスI世が愛するプラタナスの樹に向けて歌う「樹木の陰で(Ombra mai fu)」です。


Ombra mai fu di vegetabile, 樹木の陰で
cara ed amabile, soave più. これほどいとしく、愛らしく、優しいものはなかった

JUGEMテーマ:スピリチュアル

 

青の時間

この地ベルギーに来て数年たってから東京にちょっと里帰りした時、当時ベルギー大使館の文化部にお勤めだった田辺さんという素敵にハイカラなおばちゃまに森美術館のヤン・ファーブル展のオープニングに連れて行っていただいたことがあった。(田辺さんは、1970年代にベルギーのポスト・シュルレアリスムの画家ポール・デルボー展を日本で開催するサポートをした時、当時「ヘア禁」だった日本の検閲と渡り合ったというつわものだ。)

ヤン・ファーブルと自分は同年代で、当時は二人とも20代。大昔のことだ(泣)。オープニングのインタビューが行われた小さな部屋で、ヤン・ファーブルは、「The Hour Blue(青の時間)」と題した自分のタブローについてひとしきり語った。それは、大判の画用紙の白い面を少しずつ色の違う青いボールペンの細い線で限りなく分割することによって、期せずして(?)青みがかった不思議な奥行きのある空間を現出させている作品だった。

その中で、ヤン・ファーブルは、自分のひいおじいちゃんだったアンリ・ファーブルがその著書「ファーブル昆虫記」の中で「青の時間」について語っていると言った。

「夕方が近づくと昼の虫たちが鳴くのを止める。そして夜の虫たちが鳴き始めるまでの間に、短い完全に静寂な時間がある。これを、俺のひいおじいちゃんは『青の時間』と呼んだんだ。」

ヤン・ファーブルが青いボールペンで描くそのタブローは、ゼノンのパラドクスを思い出させる。ボールペンの青い線により空間は無限に分割できる。時も無限に分割できる。だから昼の虫たちが鳴くのを止めてから、夜の虫たちが泣き始めるまでの間、無限の線を通過しなくてはならなず、そのためには無限の時間が必要である。それは昼と夜、生と死のように対立するものを分割しようとする時に現れるリンボーのような時間。

(それは、その後おぼえた瞑想の、意識の力で時を無限に分割することで時の流れを無限に引き延ばそうとする試みに似ている。)

しかしヤンにも自分にとっても残酷な時は流れ、その間「青の時間」はヤンの中で様々な展開を続け、さまざまな形で私たちの目の前に現れた。


***

ブリュッセルにもようやく春が来て、アパートの窓辺に置いたイチジクの木やオリーブの木が一斉に芽吹き、ミントの葉が勢いを増し、週末IKEAで買ってきたレモンの木が次々と花を咲かせた。今は亭主のグリが旅行中なので、夜遅くアパートに帰ってくると、街灯の光にうす赤く照らされた暖かい暗闇の中でレモンの花が頭がくらくらするほど強烈に香っている。

そうすると、長い冬の間に縮こまって眠っていた嗅覚への欲望が一気に目覚め、大昔、学生時代にパリで泊まったGeorge Vの近くのホテルの浴室においてあった「Eau d'Hadrien (ハドリアヌス帝の水)」という香水石鹸の匂いが無性に懐かしくなった。調べた結果、Annick Goutalというパリのサントノレ通りの香水メーカーの石鹸であり、我が家の近所アベニュー・ルイーズにも店を出していることが分かった。土曜の午後てくてく歩いて行ってハドリアヌス帝の水のオード・トワレットをひとびん買うと、素敵な名前のついた香水のサンプルをたくさんくれた。

「嵐の朝(Matin d'Orage)」シシリア産レモン、青じそ、しょうが、マグノリア、ジャスミン。これは、嵐の朝に濡れた地面に散った花のさわやかな荒々しい香りがしました。

「我がニンフェオ(Ninfeo Mio)」シシリア産レモン、ビター・オレンジ、いちじく、ガルバナム精油、レモンの木。これは、ローマ郊外のニンフェオ川が横切る庭園の、夕暮れの木々の匂い、湿った土の爽やかで苦い香り、苔の匂い、土の上に落ちたいちじくの匂いがする。

「ハドリアヌス帝の夜々(Les Nuits d'Hadrien)」シシリア産レモン、青いミカン、ベルガモット、バジリコ、クミン、サンダルウッド、糸杉、ホワイトムスク、松脂・・・。極めつけはこれ。カウンター・テノール歌手が高音で夜空に向かって歌うような、そんな香り。異様に澄みきった夜空に満天の星が浮かび、ハドリアヌス帝の褥を照らしているようなそんな夜の清らかで高踏的な香りです。

どの香りも、日常から一気にトリップさせてくれるような香りで、仕事につけていくと集中力が鈍りそうだ。

***

ハドリアヌス帝の夜々に匹敵するように思えるのは、リヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の唄(Vier Letzte Lieder)」の中の「眠りにつくとき(Beim Schlafengehen)」 です。(そう言えば「The year of living dengeoursly」と題する1982年の映画の中で、Linda Hunt演ずる中国人の小人と、革命前夜の熱病のようなジャカルタの夜に流れるキリ・テ・カナワの「眠りにつくとき」の歌声が異様な光彩を放っていました。脇役であるはずのLinda Huntのグロテスクなリアリティーが強烈過ぎて、主役のメル・ギプソンとシガニー・ウィーバーがペラペラに見えました。)


 

キリ・テ・カナワの高貴な歌声も好きだが、さらにそれに何か神話的な、大地母神のような深みを感じさせるジェシー・ノーマンの歌うこの歌がが大好きです。まあ春の宵に聴いてみてください。


 

Nun der Tag mich müd' gemacht 一日に疲れ果てた今
soll mein sehnliches Verlangen 私の熱い望みもすべて
freundlich die gestirnte Nacht 喜んで星の夜にささげよう
wie ein müdes Kind empfangen. 疲れた子供のように

Hände, laßt von allem Tun, 手よ、すべてを手放せ
Stirn, vergiß du alles Denken, 額よ、すべての思いを忘れよ
alle meine Sinne nun 私のすべてが今は
Wollen sich in Schlummer senken. 眠りに沈むのを望んでいる

Und die Seele unbewacht, そして解き放たれた魂は
Will in freien Flügen schweben, 自由に飛び回ろうとしている
Um im Zauberkreis der Nacht 夜の魔法の世界の中へ
tief und tausendfach zu leben. 深く、千回も生きるために

太陽の力(2) アーヘンの温泉ランドにて

10月から11月にかけて、地上に届く紫外線の量はガクッと減り、その状態が2月頃まで続くそうだ。北ヨーロッパでは、元々日照時間が少ないためビタミンD不足から骨の病気になる人が多く、この季節になるとさらに免疫力が落ちて風邪をひきやすくなるし、季節性うつ病も多発する。出社する頃はまだ夜が明けておらず、退社する頃にはもう日が沈んでいるので、一週間ずっと夜みたいだ。

そのせいかどうかは知らないが、11月になると自分はむしょうに温泉に行きたくなる。ベルギーとオランダとドイツの国境の周辺は温泉場が多いが、自分は大聖堂で有名なアーヘンの温泉ランドが気に入っていて、亭主のグリや友達のみっちゃんを連れて、もう数回泊りがけで行った。

温泉水の流れるプールの他に、バルト海沿岸風サウナやフィンランド式サウナ、中近東風ハマム、バスローブを着たまま食事をできるレストランもある。

その中に、キャラバン・サライと呼ばれる大きな部屋がある。床一面に敷き詰められた砂漠の砂の上に、薄いマットをしいて横たわると、心地よい微風が吹いて、太陽の光がさんさんと降り注ぐ。弱めの紫外線を含む人口の太陽光だ。砂の上に横たわって目を閉じると、本当に太陽をいっぱいに浴びて砂の上に横たわっているようだ。(この写真では薄暗いが、もっと強烈に明るくなる。)



晩秋の寒さと湿気で収縮して固くなっていた全身の骨や筋肉が、柔らかい太陽の光を浴びて思い切りゆるむような気持ちだ。皮膚を通って太陽の光が徐々に体の芯までしみこんで行くのを感じ、ああ、やっぱり太陽の光が必要なんだな・・・と思いながら、いつの間にか気持ちの良い深い深い眠りの中に吸い込まれてしまった。

誰かが乱暴に腕を蹴飛ばした。はっと目を開けると、太陽の光を背景に亭主のグリの黒い影がこちらをみおろして、
「おい、起きろ!ラクダに水をやる時間だ」
と言った。

自分が今天気の悪いドイツの温泉ランドにいることを理解するまでに、しばらく時間がかかったのであった。

***

今年の正月、エジプトはギーザの砂漠で立小便をするグリ。太陽が高かった。ああ、ほんもののサハラ砂漠でキャンプをしたいな。



JUGEMテーマ:健康
 

森が好き(2)

映画に狂っていた高校時代には逆立ちしても見ることができなかった、ケン・ラッセルや、ベルナルド・ベルトルッチ、ピエル・パオロ・パゾリーニ、フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ・・・の映画を今では簡単にYou Tubeで見れることに気がついて週末は映画を一本ずつ見ています。

ベルトルッチのIl Conformista(邦題「暗殺の森」1970年)。ジャン・ルイ・トランティニャンとドミニク・サンダの車の窓ガラス越しの最後の対面のシーンが怖い。森の美しさと凄絶な暗殺シーン。ブリュッセルの南に広がるソワーニュの森もこの森と似ていますが、これを見た後は「もう森へなんか行かない」と思いました。




特に好きな監督ではないがピエール・グラニエ・ドフェールのLa Veuve Couderc(邦題「帰らざる夜明け」1971年)は、逃亡するアランドロンが森の中をかけるシーンと音楽が泣けた。この映画のアランドロンはリアリティーがあってなかなか良い。シモーヌ・シニョレのリアリティのお陰かもしれない。



極めつけは、Elvira Madigan(邦題「みじかくも美しく燃え」1967年)の森のシーン(←埋め込み画像禁止なのでこちらをクリック。)若い陸軍中尉とサーカスの綱渡りの少女が駆け落ちをして、金策もつき、食べるものもなく森の中で心中してしまう。少女を演ずるピア・デゲルマルクが本当にすごい。

小学生のころNHK教育テレビで見たこの映画が、自分の映画狂いの発端だったかもしれない。食物が尽きて、森の中で無心に野イチゴやキノコを食べる少女の映像も、彼女が森の中で綱渡りをする映像も、自分の見たシュールな夢だとばかり思っていたが、ぜんぶYou Tubeで見れた。

映画の中の森は、いつも何故か死に結びついているのだった。

自分がベルギーくんだりまでやってきて、森の近くに住んでいるのも、何のことはない、これらの映像の森が原点だったのかもしれない。

そして、森を散歩している時、自分が見ているのは森自体ではなく、映画の中の人工の森のまぼろしなのかもしれない。

雪が降りました(2)

 幻想小説同人誌「逆光線」の同人のはしくれに加えていただいていたのだが、10月の締切に全然間に合わず、主催者の私市先生にも他の同人の皆様にも多大なご迷惑をかけていた。

私を「逆光線」の同人に加えてくださり、いつも励ましたりおだでたりして私が物語を書き続けるように仕向けてくれたのは、あの欧州をまたにかける天才営業マンのタニさんであるが、彼もいまやI社のベルギー子会社社長になり、営業活動だけではなく会社をしょってたつ八面六臂の活躍で、なかなか小説を書く時間がない。

12月も半ばになり「作戦会議をしましょう」というタニさんからのメールをいただく。もちろん、同人誌に投稿する小説の作戦会議である。

けっきょく2人の都合が合わず、I社の忘年会に紛れ込ませていただき、その2次会でこそっと作戦会議をさせていただけることとなった。

I社の忘年会には、タニさんが日ごろから「あの三流会計士がっ!」とこき下ろす弊社の会計士パトリックも呼んでいただいていた。(パトリックとは10年以上の付き合いだが、年を取るにつれてだんだん偏屈で頑固な会計士になって、最近扱いづらくて手を焼いていた。それがI社の忘年会をきっかけに、昔のような和やかな関係になることができた。タニ社長の人徳のたまものである。)

忘年会では、以前から知っているモリナガさん、セリさん、エリカさん・・・に会えた。みんな優しい人ばかりだ。タニ社長を除いた日本人が、私を含め全員イノシシ年(3世代)であったというのも嬉しいことであった。

宴もたけなわとなった頃、降り続いていた雪が吹雪のようになりブラッセル中の交通が完全に麻痺してしまった。レストラン「櫓」のあるショッセ・ド・ワーテルローからアベニュー・ルイーズまでみんなで雪合戦をしながら歩いたがタクシーが全然ないので、留守番していた亭主のグリに車を出してもらうことにした。

グリは皆に会えると思うと大喜びでやってきた。タニさん、セリさん、モリナガさん、ツジさん、私、グリの6人で一つの車に乗り、大雪につつまれし〜んとしたブラッセルの町を車で走った。みんなが「グリちゃん」と優しくしてくれ、タニさんはとっておきのジョークを英語で披露してくれた。

グリはなぜかカメラを持ってきたので、私は雪の中を歩いていく皆さんをカメラで撮った。

皆を降ろした後、調子にのったグリは人気のないブリュッセルの街をぐるぐるまわり、雪の中で生き倒れになりかけたブラジル人の女の子ミラを救出して家に届けた(笑)。



2次会の作戦会議でタニさんは、
「小説のテーマは雪にしよう」
と言った。そして、本当に雪をテーマにした小説を書いてしまった。

わたしは、
雪は人々を近づける・・・雪は人々を閉じ込める・・・う〜ん・・・
と苦吟難吟しながら結局雪の小説は書けずじまいであった。


今年初めて森に行きました

日本から仕事を探しに来たみっちゃんといっしょに、森に行くことになった。夕方の6時頃にみっちゃんのアパートに車で迎えに行き、それから30分ぐらいワーテルロー街道や、色々な森の中の道を通り抜け、畑や、野原や、村の細道をやっとこさで通り抜け、4月の終わりから5月の初めのごく短い間まるでまぼろしのように、ブルーベルと呼ばれる青い花で覆われる「ハルの森(Hallerbos)」に行く。まだ陽は高いがほとんどひとけはない。



私は森は大好きなのだが、花の咲いていない森の方が好きなのだった。緑だけの豊かな濃淡、ほとんど黒々とした緑から、青みがかった緑の影、茶色がかった緑が好きなのだった。好きなのは、色よりも匂いかもしれない。自分がこれまでに一番すごいと思った森は、以前にもお話ししたがフランスのバルビゾン村の外れの黒々とした森だ。

花盛りの森は何だか不自然で怖い感じだ。バックに、自分が正直言ってあまり好きではないEnyaの音楽を重ねたのは、純正律でつくられたEnyaの音楽とブルーベルの森との間に何か両者に相通ずるもの、そこだけ空気の質が違う空間があるように思うからだった。

イルカの目

イルカの映像を前回掲載したばかりですが、今日、同僚のTさんからお借りした貴重な朝日新聞を昼休みに読んでいる時に、和歌山の古式イルカ漁を隠し撮りしたドキュメンタリー映画がアカデミー賞を受賞して、和歌山の人々が憤慨しているという記事を見た。昼休みが短かったので、残念ながらヘッドラインしか見れなかったのだが。

自分はその映画を見ていない。それに、亭主のグリと違い、自分は世間で起こることにいつも憤慨したり、喝采を送ったりしている訳ではないし、特に意見らしきものもない。でも次のような感想を持った。

イルカと泳いだ時、一番印象的なのはその目だった。前回の映像を見ていただけるとお分かりのように、イルカが泳いでいる人間にスッと寄り添ってくる時、こちらの目をじーっと見る。こちらの目をじーっと見つめ続けながら、すっと通り過ぎていく。あの目に見つめられたら、いちころです。

そういう体験をしてしまった人は、たしかに、イルカがこんな風に扱われているという事実には耐えられないのだろう。魚が捕えられたり、牛がトサツされたりするのには無関心であってもである。

自分にだってその気持ちは分からないでもない。でも、「イルカが魚ではないから、殺されてはならない」と言うのは後からくっつけた理由のように思える。イルカは殺される時悲しみ苦しむが、魚は苦しまないとでも言うのだろうか。もっと言うならば、「イルカが殺されてはならない理由」があるとしたら、それはイルカの側にあるのではなく、人間の心の側にあるような気がする。

自分だって、この間釣りに出かけて、自分が海の中にたらした釣り針に魚の子供がわき腹を引っ掛けて死んでしまってから、しばらく魚を食べられませんでしたよ。(こんなことで凹むと分かっていたら、そもそも釣りなんかにでかけるべきではなかったのだが。)以前、友達からもらって大事に育てていたアヒルの子供が死んでしまった後、しばらくの間好物の北京ダックが食べられなかった時と同じである。

自分は極度な肉食だが、(とくにヴィパッサナー瞑想を始めてからは)ビーフステーキを前にすると悲しげな牛の顔が思い浮かび、以前ほど無心に食事を楽しめなくなった。「申し訳ない、有難う」と思いながら食べるので、食欲と悲しみとが入り混じった妙な状態になるのだ。逆に、会社の近くの牧場でかわいい牛の姿をみつけると、「かわいい!」と思うと同時に、「おいしそう!」とも思うようになってしまった。池で、アヒルが泳いでいるのを見ても、同様だ。この「かわいい」と「おいしそう」の拮抗が崩れると、レストランや肉屋に走ることになる。(「呼吸と瞑想の日々」の読者を失うかもしれませんね。)

だから、他に何も食べるものがなくなって、それでも生きなければならないと思えば、「ごめんね、ごめんね」と泣きながらイルカだって食べてしまうかもしれない。

***

小学校の時、アンデスの山中に不時着した飛行機に乗っていたチリのラグビー選手たちが、生き残るために死んだ仲間の肉を食べたということについて、同じクラスのケイコちゃんと議論になった。

「私もそういう状況になったら、友達の肉を食べるかもしれないな」

という私に対し、ケイコちゃんは、

「自分はぜったいに人間の肉なんかたべない」

と言い張った。その時私は、それは彼女が人の身になって考える想像力が欠如しているのか、単純な三段論法(人間は必要とあれば人の肉を食べることもある。私は人間である。私は必要とあれば人の肉を食べることもある。)ができない人なのだろうと思った。ただ今では、彼女にはそう言い張らねばならない深い心のバリアがあったのだろうと想像できるようになった。(ケイコちゃんはその後ユング派の精神分析医になった。)

***

人は、自分が生きることによって、他の生き物を(時には自分の愛するものを)殺し続けていることを自覚するべきなのだ。

イルカの目は、そういうことも全部見通しているようにも見える。というのも人間の勝手な思い込みなのかもしれない。





雪がふりました

この冬は時々ドカ雪が降ります。

昨日はドカ雪のせいで国中の高速道路が渋滞で、遠くから車通勤している同僚たちは会社に来れず、家で仕事をしていた。

ラジオのアナウンサーが、
「こんなのは初めてです!高速道路は、正真正銘のスケート場と化しております!」
と興奮して叫ぶのを聞きながら、このわたしも車をつるつる滑らせながら、ギヤはほとんど2速のまま会社に来た。ひどい渋滞で普段30分の通勤が1時間以上かかってしまった。お客さんの所に行った後、上り坂で車を発進できず、見知らぬおじさんに一緒に車を押してもらったがびくともせずおじさんも断念。そのままバックして坂道を下る。

同じような目にあって、仕方なくUターンして坂道を下った同僚のWちゃんは、坂道が大通りと交差する所でブレーキが利かず、そのまま大通りに飛び出てしまった。ちょううど、バス停に停まったバスが道をブロックしていてくれたおかげで、他の車は通りにいなかった。いきなり飛び出てきた車に、バスの運転手が目をまん丸にしていたという。

私の向かいの席の同僚のMさんは、車を滑らせて、駐車している別の車にぶつけてしまった。

でも、雪の中で苦労を共にすると、見知らぬ人同士でもなんとなく優しくなれるような気がする。平時であればお互いの車がちょっと触れ合っても、大騒ぎするベルギー人同士でも、「ドカ雪ではしょうがないよね」みたいな。下は、なれない突然の大雪に、スノータイヤもつけておらず右往左往し、苦労を共にするベルギーの人々。





この季節になるといつも、病気になって知ったベルギーの人々の優しさをあらためて思い出す。それについては、この大雪がやまないうちに、書きたいな。

次はぐりがアパートの窓から撮影した冬の風景。ぐりの好きなヴァンゲリスの音楽をバックに入れてみました。うちのアパートの下の通りには、毎晩東欧から来たと思われる若い娼婦たちが立っているのだが、雪の日に立ち続ける彼女たちの映像が涙ぐましい。


我、海から出でて、海に還る。

2006年の後半は、半年間の抗がん剤治療という貴重な体験をした。

3週間に一度病院に行き、点滴で抗がん剤の投与を受ける。抗がん剤の投与を受けた後の10日間は、(個人差があるということだが私の場合は)薬の副作用で、知性も品性もアメーバ以下に退行してしまう。

固形物を口に入れるとすべて吐いてしまうので、スポーツドリンクで水分を補給しながらじっと寝ていると、毎日少しずつ原生動物状態を脱し人間に近づいているのがわかるのだが、まだ
「今朝の気分は三葉虫・・・」
とか、
「おお、きょうはシーラカンスか」
とか遅々とした歩みである。
「立てた!歩行以外の目的で両手が使える!」
と言いつつ、パソコンのスイッチを入れる元気が出てくるのは点滴後2週間目の終わり頃だろうか。

3週間目になるとこれまでの寝たきりのフラストレーションを取り戻すように、3日間ほど、家の片づけをしたり、同僚の仕事の手伝いをすることができる。日本やベルギーの友達や同僚とこれまでになく密度の高い交流ができた貴重な3日間でもある。

このようにしてダーウィンの進化の過程をほぼ3週間で完遂するのだが、それも束の間、また次の点滴でアメーバ状態に逆戻りと言う繰り返しで、これが6ヶ月間続いた。

初めの3回ぐらいは、
「明日からまた抗がん剤かー!がんばるぞー。」
と、エベレスト登山に行くような気持で、スポーツドリンクを買いに行ったり、色々準備をする元気もあるのだが、治療が2か月、3か月と続くうちに、殴られ続けた犬のように、なんだかいじけた気分になってしまう。副作用による直接的なつらさだけではなく、赤血球や白血球が減ってきて二次的なつらさが発生してくる。薬が私の病気を治そうとしてくれていることが分かっていても、体のつらさがそんな風に心に影響してしまうらしいのだった。

6ヶ月間の治療の後、2007年1月12日に手術をした。亭主のグリは、抗がん剤治療の開始日・終了日、手術日、放射線治療開始日・終了日、ホルモン剤治療開始日をすべて覚えていて、その日が来るたびに「記念日」のお祝いをしたり、記念写真を撮ってくれたりする。自分は全然覚えていないそんな年月日をぐりが覚えてくれているのは、こういう日々が私にはそれほどでもなかったが、ぐりにとってはつらく重い時期だったからではないかと思う。申し訳なかったね。

***

さて、そんな自分が死ぬ前にもう一度(笑)やりたいと思っていたのが、スキューバダイビングであった。癌が発見される数ヶ月前に潜っていたのだが、その後はもう二度とそんなことができるようになるとは思わなかった。

2008年・2009年とグリのおかげで少しずつジムに通い、体力を回復していった。一時はがりがりになった体に、なんとか筋肉と脂肪がついた。

フロリダに着いて、いざダイビングをする時になって、3年ぶりのダイビングで器具のセットの仕方や使い方をすっかり忘れていたので不安でどきどきしたが、キイ・ラーゴの周辺の海で4回ほどダイビングをすることができた。3回目のダイビングでは、重しを背中につけすぎて背中から海底に落下し動けなくなり、グリに助けてもらった。(ビデオをご笑覧ください。)

こんな感じで、ダイブしながらたくさんビデオを撮った。仕事につかれて海が恋しくなったら、しばらくこれを見ながらしのげそうだ。





JUGEMテーマ:旅行
 

太陽の力

当地ベルギーをはじめ、ヨーロッパ北部の国々では、冬期に「季節性うつ病」が頻発する。冬になると日照時間が極端に短くなることと、関係があるらしい。冬の短い日照時間の間、太陽は、夜明けから直接夕暮れに向かうような動き方をする。つまり、日本など赤道に近いところから見る太陽と比べると、非常に低いところを動いて沈んでしまう。不幸なことに当地でうつ病の症状を呈してしまった駐在員やその家族に、医者は次のような忠告をする。

「とにかく、起きているときは、家じゅうの明かりを全部つけなさい。」

それでも元気が出ない場合は、毎日日没後と日の出前の一定時間、治療用に開発された紫外線ランプの光を浴びる。でも、多くのベルギー人は、そんな状態になる前に、経験的に冬になるとアフリカや南仏やスペインや、とにかく太陽のある国にどっと旅行する。

自分がベルギーに来たばかりの頃、ベルギーの暗いところが気に入っていた。特に、快晴の日本の正月をすごしベルギーに帰ってくると、その低い太陽、陰影の中の建物や木立、夜の街路にともるのオレンジ色の街灯などが奥が深くて、素敵と思っていた。だから、ベルギーの天気の悪さをなげくベルギー人たちの気持ちが今一つ分からなかった。

ベルギーに来て半年ばかり経った4月、日本から母親が訪ねてきてくれることになった。ジャンおじさんは、1日休暇を取って、母親と私をきれいな郊外の町に案内するのだと何週間も前から張り切って計画を練っていた。

ところが、その当日の朝になって、とても深刻な声でジャンおじさんから電話がかかってきた。
「悪いけど、今日の約束をキャンセルしておくれ」
「え~?! どうしたの? 病気にでもなったの?」
「ちがうんだ。海に行かねばならないんだよ」
「海? 行かねばならない? どうして!?」
ジャンおじさんは絶句した。そして言った。
「天気がいいから」
たしかに、まるで一遍に夏が来たみたいな、天気のいい暑い日になりそうだ。
「だから、こんな天気のいい日は、あと何年間あるかどうかわからないんだよ」
ジャンおじさんは、そう泣きそうな声で言った。
(しかたなく、その日は、母親と二人ジャンおじさんにくっついて北海に面する海水浴場オステンドに行って過ごしたのだった。その日おじさんは、何着もの水着といくつものサングラスをとっかえひっかえつけて、数年に一度のベルギーの夏を楽しんでいた。)

その気持ちがいまではよく分かる。たぶんベルギーに住んで10年ぐらいたったころからだ。体内のビタミンDの蓄積が底を突いてきたのかもしれない。

その後、地球温暖化のおかげかここ数年はベルギーでも五月晴れのような快晴の日が増えてきて、昨年の夏は暇を見つけて外出して少しでも陽を浴びるように努めたのだが、それでも、冬になってみるとこの長い冬を太陽を浴びずに乗り切れる自信がなくなっていた。

亭主のグリにそう言うと、
「ブル・シット!天気に気分を左右されるなんて、ばかみたい」と馬鹿にする。
確かに彼は、雨が降ろうと、雪が降ろうと、いつでも楽しそうで騒々しい。夏と全然変わらないのだ。うらやましいかぎりだ。

ビタミンDの問題は別として、たしかに、天気の悪さで落ち込んでしまうというのは、パブロフの犬がベルを鳴らすと胃液を出すように、刺激と反応の間にあやまったリンクがつくられてしまっているだけなのかもしれない。この刷り込まれた誤ったリンクは、意思によって消すことができるとスティーヴン・コヴィ「7つの習慣―成功には原則があった! 」は言っているし、気づきによって白紙にすることができると初期仏教のヴィパッサナー瞑想の指導者は言っているし、精神疾患の認知療法もそう言っているようだ。私もその通りと思う。

このサイトにもリンクを張らせていただいているブログ「どこかの細道」の著者の老真さんの、「冬には北へ、夏には南へ」、つまり、寒い季節にはさらに極限の寒さを体験できる場所へ、熱い季節にはさらに極限の暑さを体験できる場所へ行くという精神にもとても共感できる。そこには、極限を体験して、楽しもうというポジティブな姿勢が感じられるのだ。

確かにみなさんのおっしゃる通りなのですが、軟弱な自分は、グリを説得し、ぜったいに温かくて天気がよさそうで、かつドル安で東京よりは旅費が安そうなフロリダ・キイで年末年始を過ごすことにしました。

フロリダのキイ・ラーゴについてからは、「太陽をパクパクパクって食べちゃうの」とおっしゃった日本の首相夫人のように、陽光をむさぼるように毎日海に出かけていた。

ビデオは、カヤックでこぎ出したマングローヴ林。

ああ、太陽が高く、植物が豊饒だ。





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