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見慣れた風景から見知らぬ風景が立ち上がるとき・聞きなれた音楽が聞き知れぬ言葉を話し始めるとき

・・・と言う体験をした方はいませんか?

多くのフォロアーを持つ人気ブログ「どこかの細道」の著者として名高い老真様に、辻邦夫の「夏の砦」 と言う長編小説をお借りしたことがあった。もう○十年ぐらいも昔のことだが、その小説には、記憶力の悪い私が以来一度も忘れることができない、そして折に触れては思い出す印象的な場面がある。

それは、主人公の孤独な若い女、冬子が北欧のある都市の美術館で中世のタピスリの前に立った時の情景だ。

「(・・・)私がそのタピスリの前に立った瞬間、一切は消えて、ただ葡萄葉文様がからみ合ってつくる不思議にしんと澄んだ世界がそこに現れていたのでした。それは一年前に見た色褪せたタピスリでもなければ、美術学校の図書館でみた色刷りのタピスリでもありません。
そこにはこの布地やガラス・ケースや陳列室をこえた別の世界ー異様に澄んだ甘美な別世界が、ちょうど水の底にゆらめき現れるように、現出していたのでした。私は自分が今どこにいるかということを忘れました。自分の見ているのが糸を織ってつくった布地にすぎぬことも忘れていました。私は、そうしたものの中を通って、不意に、その向こう側へ出てしまったのでした。ですから、私の見ているのは、タピスリをこえて、そのタピスリのなかに湛えられた水底の世界のような、澄んだ別世界だということができるのでした。」

何故この情景がこれほど自分にとって忘れられないのか。何故この情景を反芻し、一体これはどんな体験なのだろうと、何度も思いをめぐらしてしまうのか。それは、恐らく、美術作品を前にしてこれほど強烈な体験をしたことが自分には一度もないからだろう。

また、大学の時、1年先輩のKさんと言う人が、
「先日、美術展に行って始めて見たミロの抽象画の前で震撼した!」
と言うのを聞き、
「ふうん、そんなことってあるんだ!」
と感嘆した時のことを思い出す。その感覚が自分にはどうしても想像できないので、その時のKさんとのやりとりも後で繰り返し思い出すことになった。

上述のタピスリを見て別の世界が現れてしまう体験や、ミロの作品を見て震撼してしまう体験は、文学的な比喩では決してなく、本当に実在する体験なのだろうと言う確信はある。ただ、自分が、ボナールやドガやマックスフィールド・パリッシュやボッティチェリやフェルメール、フリードリッヒの絵を繰り返し眺めては、うっとりしてしまうという絵画の体験(*)とは、全く別の種類の体験のようなのだ。これはどういうことなのだろう、という思いがいつもあった。

(*)何となくお分かりですよね、これ。要は自分がうっとりしていたのは、たんに、具象的にそこに描かれた美しい世界に自分も入り込んでそこの住人になりたいと言うようなノスタルジーにすぎないんですね。(下はパリッシュの絵。)

 


***

謎の解決の糸口になったのは、お昼寝であった。そして、その時偶然かかっていた、シューベルトのアンプロンプチュOp 142の第2番であった。

ある日曜の午後、自分はアパートのCDの山の中から適当に選んだシューベルトのピアノ曲集のCDをかけっぱなしにして眠ってしまったのだった。特別シューベルトのピアノ曲が好きと言うわけではない。でも、眠りの中で聴くその曲が、不意に言葉らしきものを語り出したため、私は半分目が覚めてしまい、その言葉(のようなもの)を一心に聞き、意味を理解しようとしていた。

言葉とは言っても、それはドイツ語でも日本語でもなく「音楽」としか呼べない言葉なのだけれど、その音楽が、感覚や印象のほとばしりではなく、確かにある思惟の流れのような、意味を紡ぐようなシンタックスを持っているように思われたのは、今思うと、その楽曲の構造にあったのかもしれない。主題Aがひとつのメロディーをかなでると、それによく似た主題A'が、まるでAに呼応するように歌うのだ。それは、テーゼAがアンチテーゼA'に反駁され、アウフヘーベンしてBへ、BからB'へとらせん階段を上って行くようなのだった。(そういう意味では、その音楽の言葉は、ドイツ語に近い言葉であったかもしれない 笑)

その時分かったことは、平常の意識では気が付かない音楽の言葉を不意に聞けたのは、半睡によって脳の状態がいつもと違っていたからであろうと言う事であった。脳生理学に還元したくなければ、カルロス・カスタネダの言う「左側の意識」でもいい。アーノルド・ミンデルの「ドリーム・ボディー」でもよい。「脳って本当に、何でもありなんですよ!」(と、茂木健一郎先生も言っていた。)

それ以来、半睡状態のときほど鮮烈にではないが、平常の意識であっても、シューベルトのアンプロンプチュ2番を聞くたびに確かにそこで何者かが謎の対話をしている言葉を聞くことができるようになった。(でも、アルフレッド・ブレンデルが演奏するアンプロンプチュ2番ではよく聞き取れない。何故かはわからないが。)

ちなみに、こちらは、ブレンデル演奏のアンプロンプチュOp 142の2番。



***

ここ数年、遠いお客様の会社などへ行くため一人で車を走らせることが多くなり、フランダース地方の平坦な田園地帯や森の中を1時間近く車を走らせている間、電話をしている時以外はベルギーの二つのFMラジオ局の「Klara」か「Musique 3」を聴いている。車の中で聴く音楽は、自分が自宅に持っているどの音響機器で聴くよりも、はるかに鮮明できれいな音を出す。夕方は、少し疲れて気持ちもゆったりしているせいか、午後4時〜5時頃は何故か音楽が一層美しく聞こえることが多い。

昨日は夕方5時ごろオフィスに戻ってきて、パーキング・ロットに車を駐車している時、流れてきたバッハのピアノ・パルティータ2番の音色を聴くなり、自分はそのまま固まってしまった。パルティータはバッハの中ではめちゃくちゃ好きな曲ではない。でも、固まってしまったのは、ラジオから聞こえてきた演奏がこちらに極度の集中力を強いるような、1つ1つの音を分子の振動に分解できるような極度の集中力をその名も知れぬ演奏家が発揮しているように感じられたからだ。その時、
「ああ、すぐれた音楽家は、こんな風に、ヴィッパサナ瞑想の時の極度の集中状態みたいな、こんな異常な脳の使い方をしているのか〜。」
と目からうろこが落ちた様な気がしたことであった。

それは、これまでフォーレやペルゴレージやモンテベルディ―やコダーイやブリテンの綺麗な音楽を繰り返し聴いてはうっとりするというような、子供のころからの自分の音楽体験を覆すような体験でした。

このピアニストの名前は、Zhu Xiao-Mei。問題のパルティータ2番はYoutubeでは残念ながら見つからないのですが、彼女の弾くバッハは全部いい。好きです。ただ、当方のラップトップでの再生の音が悪いのか、あの時の、こちらの意識までナノ秒単位に分解するような異常な集中力へと引きずられていくという体験を再現するには至らず。

 

時には小さなことを気にしてみよう。

最近大量購入した脳関係の本のうち、築島節先生の「脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める (生活人新書) 」は、自分のように記憶・集中・思考力の低下に恐れおののく中高年を対象として、具体的なアドバイスとその科学的な根拠が説明されている有難い本でした。

雑誌「壮快」とかに出てきそうな、「適度な運動、腹八分目を心がけましょう」等と言う記述を読みながら、「ああ、自分もついにこんな本を読むようになったか」と少々情けなくなったが、科学的な根拠の丁重な説明が若い人が読んでも面白いのではないかと思う。

15個の習慣の内、すぐ実行に移してみて劇的な効果があったのは、
「習慣13−脳の自己管理:失敗ノートを書こう、自分の批判者を大切にしよう」
だった。

***

自分の場合、あきれるほど小さな忘れ物が多い。毎朝、ジムに行ってから、会社に行くのだが、そのどこかの過程でいろいろなものを忘れるので、非常に効率が悪い。昔からそうだったのかもしれないが、この本を読んでから、毎日ひとつは必ず何か忘れものをしていることに気がついて、深刻な気分になった。

忘れ物をする原因の一つは、もともと注意散漫な性格のくせに、自分が毎朝ずいぶんと複雑な操作をやっていることだった。前の晩、ジム・バッグに翌日オフィスで着る衣類を注意しながら一つ一つ入れる。水のボトルを入れる。化粧品を入れる。朝になると、家のキーや車のかぎをすぐ取り出せるようにコートのポケットに入れ、お弁当とキャッシュカードとアイホンは書類カバンに入れる。家を出る時は、書類カバンとジム・バッグを手に持っているかどうか確認する。車に乗る時、会社の従業員カードとジムのパーキングカードが車の中にあることを確認する。ジムに着いて車を降りる時、パーキングカードとジム・バッグを手に持っており、書類カバンをもってきやしないかを確認する。ロッカールームからジムに上がる時、水のボトルとアイホンを忘れないように注意する。シャワーの後、液体せっけんをシャワールームに忘れていないかどうかを注意する。車をジムのガレージから出す時、パーキングカードを手に持っているかどうかに注意する。
 
この複雑な操作を一つ一つする過程で、その内の要素の一つに過剰な注意を向けたり、ちょっと考え事をしたりすると、必ず他の要素に対する注意が空白になって、完全に忘れているということが起こる。そのため、ジムのトレーニングを終わって、さあ会社に行こうという時になって、化粧品を忘れていることに気づいたり、ブラを忘れてきたことに気づいたり(笑)、車をガレージから出す時点でパーキングカードを忘れていることに気づいたりする。

「脳の問題を自覚するもっとも良い方法は、自分がした失敗を分析することです。特に繰り返しする失敗には、脳の悪い使い方や機能の低下が分かりやすく表れています。
 それを分析し、改善の指針にするには、まず失敗を記録しなければいけません。(・・・)
 記録しておかなかった失敗はどうしても忘れてしまいます。『そんなことはない。自分は失敗した経験こそよく覚えている』と思われる方もいるかもしれませんが、それは、その失敗によって大きな痛手を被り、何か意識的に努力しなければならなくなった場合だけではないでしょうか?その他の小さな失敗は、ほとんど忘れているのが普通だと思います。
 しかし、その小さな失敗の中にこそ、おおきな失敗を未然に防ぐ警告が含まれているのです。」

築島節先生は頑固な老人を諭すような口調で、辛抱強く丁寧に説明を続ける。

「失敗を分析するとき、大きな失敗に注目しても、なかなか原因が見えてきません。大きな失敗の中にはいろいろな要素が含まれているので、かえって本質的でない(しかし感情的に引っかかっている)要素に注目してしまいがちなものです。それよりも、日常的によくする小さな失敗から注目していく方が本質に近づきやすいでしょう。」

素直な自分は、10月は、月記の習慣を中断して、失敗を毎日細かに記述することにした。それを読み直して、複雑な過程のなかで簡略化できるものは簡略化したり、構造上失敗を予防する方法があれば改善してみる。たとえば化粧品は2セット用意し、ジムのバッグと書類カバンにそれぞれ常備することにしてみる。

不思議なことに1カ月失敗日記をつける内に、失敗がほとんどなくなって行った。たぶん失敗日記をつけることで、日常の動作のひとつひとつに注意が行きとどくことになったのではないかと思う。一種のヴィパッサナー瞑想である。

「この『失敗ノートをつける』という習慣は、脳を自己管理する上で、非常に有効だと思いますが、続けるには意志の強さが必要ですから、実行できそうもないと感じる人も多いでしょう。そういう人は、人から指摘される自分の問題点をまとめておくだけで違うと思います。
 その人がよくする失敗や問題行動は、本人よりも周りの人がよく分かっている場合が多いものです。しかも、小さな失敗を一度か二度したからといって、問題だと指摘する人はいません。何度もするから周りの人が『おかしい』と思って指摘するわけです。面と向かって指摘を受けた直後は、どうしても感情が邪魔をするので、素直には耳を傾けにくいものですが、書きとめておいて、冷静な時に見返してみると、『確かにその通りだ』と納得させられることが多いと思います。それを直そうと努力してみて下さい。脳の使い方が改められ、大きな失敗を未然に防ぐことにもつながるはずです。」

***

小さい失敗を繰り返すという傾向を助長して、脳を怠慢にしてきたのは、自分の「小さいことを気にしない性格」だったということに気がついて反省しているのであった。


JUGEMテーマ:健康

人を動かす「超」話し方トレーニング

前回に続き)苫米地先生の「すべての仕事がやりたいことに変わる―成功をつかむ脳機能メソッド40 」をよんですこし落ち込みから回復してきたので、ベッド際に積んであった同著者の「人を動かす [超] 話し方トレーニング【サブリミナルCD付き】 劇的な成果が手に入る驚異の会話術」(すごい題名!)に手を伸ばす元気がすこしでてきた。

まだベッドの上にへろっと横たわったままではあるが、前回気がついた「小さな100の階段」を上るためのまず第一歩がこの本の中にありそうだという予感がして、力を振り絞って本を開ける。

自分がこの本を買ったのは、たぶん自分の今の仕事のほとんどの部分が「人との話」で構成されており、その中での自分の人と話す能力が低いことを痛感する場面に多く遭遇するためだろう。

この本は煎じつめるとこう言う事を言っている。

話し方には論理的話し方と情動的話し方があり、この二つを混ぜることはできない。ビジネスにおいての常道は論理的話し方であり、情動的話し方は一種の禁じ手である。情動的話し方を取り入れる場合には、前回ブログで書いた自分の抽象度を上げる(つまりより俯瞰的な視点に立つ)ことにより、二つの方法がごちゃまぜにならないように注意し、かつあえて非利己的な目的にゴールセッティングすることにより我欲をコントロールすることが必要になる。

論理的話し方の章では、ディベートで使われるトゥールミン・ロジックの原理を簡潔に説明している。(トゥールミン・ロジックの原理であればインターネットでもかなり詳しく紹介したページがあるので、それを読んでもよいかもしれない。)

情動的話し方の章では、たぶん著者の「洗脳」などの読者にとってはおなじみの概念なのかもしれないが、自分に有利な「話す状況」を作りだしその「臨場感空間」を相手と共有し、同時にその空間の支配者になることにより相手をコントロールすると言うメカニズムについて話している。

たぶんこの本の優れた点は、この本のタイトルに「超」がついているように、本来混ぜてはいけないふたつのメトドロジーを「超越」する、著者の言葉を借りれば抽象度を上げることにより、俯瞰的な視点を獲得しようと言う事と思う。そのことは最後にちょこっとしか書いていないのではあるが。





JUGEMテーマ:ビジネス
 

試験のてんまつ(2)−心に地図を書く

前々回ブログ「試験のてんまつ(1)−砂漠の十字路」で、なんと中国古来の占術たよりに口頭試験の勉強をし、みごと(笑)合格した顛末をお話ししました。(あ、誤解を避けるために言うと筆記は落ちたのよ。だからも一度やり直し。)でもいくら能天気な私でも、のめのめと占いばかりをやって試験に挑むほど楽観的ではありません。この試験勉強中に、もうひとつ、ものすごい秘密兵器をみつけたのだ。

自分は普通の人の10倍ぐらい記憶力が悪い。以前のブログには、
「そんなら人の10倍勉強すればよいのじゃ!」
と開き直って書いたが、今回は本当に時間がなかった。それに人の10倍も時間をかけていたら、税理士になる前に、定年退職年齢に達してしまうだろう。

自分の記憶力の悪さのルーツを手繰って行った時、小学校1〜3年のクラスメートだったサワグチさんという天才少女のことを思い出した。彼女は、教科書を丸暗記してしまうくらい記憶力が良いばかりか、体育や、絵や、音楽もずば抜けて上手だった。成績もオール5だという噂だった。(自分の方は、小学校1年の1学期の成績は今でも憶えているがオール3であった。)ある日、彼女が国語の時間の作文の中で、「私の記憶術」のようなノウハウを披露したことがある。

彼女の記憶術は非常にシンプルだった。それは、「心のノートに書き留める」であった。

それをきいた私は、「心のノートってどこにあるの!?」と思った。自分の頭の中にはノートらしきものはなかったし、どういう鉛筆を使って書き留めるのか見当もつかない。私はその後うん十年間、折にふれてはその言葉を思い出し、あいかわらず、「心のノートってなに!?」と自問していた。大人になるにつれて、「彼女は、比ゆ的な意味で言ったのだろう」と一見合理的な解釈をするようになっていた。でも、ごく最近になってようやく、彼女の心のノートが比喩ではなく、現実に彼女が見たり、字を書いたりできるものであることが分ったのだ。

****

口頭試問は、試験官の質問に一言で答えるのではなく、試験官が「○×について話しなさい」とテーマを与えて、それを5−10分ぐらいの時間でプレゼンしなくてはいけない。セミナーとかのプレゼンだと、パワーポイントスライドを見ながらできるが試験中は何も見ることができない。一回の試験でテーマを10個ぐらい出題され、それについて話せなくてはならない。

複雑なテーマを何十個と理路整然と頭にインプットし、それをまた、試験官の前で思い通りにアウトプットするのはけっこう骨だ。というか、これまでの自分の能力では絶対無理だ。

そんな時、奇跡が起こった。「心のノート」ならぬ「心の地図」という手法に出会ったのだ。

大昔買ったはいいが、忘れていた本、



の中にあったマインドマップという手法を試してみる気になったのだ。試してみると、この手法が、複雑な事象を整理して理解し、記憶し、アウトプットするための強力なツールであることが分かった。

これまでの私は、教科書を読みながら、教科書に線をひいたり、ノートに箇条書きにメモをとったりしたが、内容をさっぱりおぼえられなかった。それをきっぱりやめて、A4半分ぐらいの紙に、マインドマップを描きながら教科書や資料を読む。





すると、これまで全然理解もできないし、理解できても数時間もたつと全部忘れてしまう複雑な内容が、画像としてすっきり頭に入る。

すっかり嬉しくなってしまった私は、3日ぐらいかけて、100枚ぐらいのマップを作った。

もちろん、3日後に見直すと完全に内容を忘れてしまっているマップもある(笑)。




ところが、内容を忘れてしまった時こそ、このマップが本領を発揮する。つまり、本を読み直すのと違って、復習が数秒でできるのだ。そこで100枚のマップを見直すのに100分。つまり、100個の複雑なテーマを100分で復習するということが可能になる。

そこで手書きのマップの束を肌身離さず持ち歩き、ご飯を食べる最中も、スーパーのレジに並ぶ間もひたすら読み直した。そうするうちに、マップを持たなくとも、目を閉じるとおぼろげにマップの画像を思い浮かべることができるようになった。心のマップの中にはっきりしない所があると、紙のマップで確認する。こうやって記憶が強化されていった。

天才少女サワグチさんは、おそらく「心のノート」に直接書き留めた時点で、記憶にしっかりインプットされたのだろうが、私の場合はいったん紙にマップを描き、それを何度も見直しながら記憶にインプットしなおす必要があったのだ。

をうやって何度もインプットしなおしたので、試験当日は、試験管たちを前にプレゼンをする時も、心の中のマップを見ながら落ち着いて話すことができた。

ほんとうだってば。だまされたと思ってやってごらんなさい。

****

教科書にマーカーやノートに箇条書きが記憶しにくく、マップだと記憶しやすいのはどうしてなのか。多分前者では、時間の流れに沿って事象のつながりが頭にインプットされるのに対し、後者では空間的に事象のつながりがインプットされるためだろう。通時的と共時的と言ってもいいかもしれない。

JUGEMテーマ:夢・目標
 

「頭が悪くて勉強好きな人」のための試験攻略法 − イメージ・トレーニング

先週土曜日の試験が終わる頃を見計らって、母親から日本の食材やら「オーラの泉」のDVD録音と共に、ロンダ・バーン著「ザ・シークレット」という本が送られてきた。と言うわけで、試験が終わってからと言うもの日本のおせんべいを齧りながらDVDを見たり読書にふけったりという、至福の一週間をすごしました。母に感謝。

ザ・シークレット」は、アメリカの様々な自己啓発リーダーや、スピリチュアル伝道者、カウンセラー、教育者、講演家などの証言を通してある「秘密」を明らかにしていくという面白い本だった。天才とか偉人とか呼ばれ、世に偉大な業績を残した人々は、みなこの秘密を知っており、それを最大限に利用していたと。この本は、同名の映画と平行して作られ、映画の方はまだ日本で発売されていないが、



でさわりを見ることができる。

さて、本書に名を連ねている証言者たちのほとんどが自分にとっては初めての人々だが、中でデニス・ウェイトリー博士と言う名前にだけは見覚えがあった。2006年の正月にAmazonを通して大量に取り寄せたNLP関連本の中に、デニス・ウェイトリー著成功の心理学―勝者となるための10の行動指針」の英語版と日本語版があったのだ。この本は、その時取り寄せたその他のお手軽自己啓発本に比べてあまりに内容が深い気がして、そのまま書棚に積んであった。(笑) デニス・ウェイトリーは、いわゆるイメージ・トレーニングを開発し、NASAの宇宙飛行士の研修やオリンピック選手の強化プログラムに携わったことで有名だ。

ザ・シークレット」では、ビジュアライゼーション(視覚イメージを思い浮かべること)に物事を実現させる力があると言っている。ありありと視覚イメージを思い浮かべるだけでそれが宇宙に働きかけて、物事が必ず実現するということを、自分は一概に信じてはいない。一面の真実はあると思うが、本書には書いていない複雑な制約条件、「因」から「果」が生まれるための「縁」のようなものがあると思う。でも、ビジュアライゼーションが(宇宙全体はともかく)本人には強く影響すると言うデニス・ウェイトリーの言うことは現実的だし、イメージ・トレーニングの有効性も信じられる。

「あなたが視覚化するとそれが現実化します。そこがマインド(頭)の興味深いところです。私達はオリンピック選手にレースで走る姿を頭の中でイメージしてもらいました。そして、彼らをとても精密なバイオフィードバック装置に繋げました。彼らがトラックを走っているのとまったく同じようにイメージしていると、驚く事に、その時と同じような順番で実際に筋肉が使われたのです。どうしてこのようなかことが起こるのでしょうか?それは、頭脳はその人が実際に走っているのか、リハーサルのイメージに過ぎないのかを識別できないからです。」( 「ザ・シークレット」 p.134)

さて、今回のような大切な試験準備中は、自分も一種のイメージ・トレーニングを無意識的に繰り返しておりそれなりの効用があったことに、本書を読んでいて後から気づいた。

自分がイメージするのは、試験会場の自分が座る場所、自分の服装と持ち物、そしてもちろん、試験問題など、試験に関するあらゆる具体的な細部だ。後で考えてみてわかったのだが、自分は試験準備中これらを何度も何度も繰り返し思い浮かべてきたような気がする。年に1回の試験は、土曜日の朝に、いつも同じ大学の講堂を借り切って行われるので、試験会場は良く知っている。何時何分に家を出て、どこで車を降りて、会場まで歩いていき、講堂のドアを開けたら階段を登って行き、一番真ん中の席に座ろう、そんな具体的なことまで考えている。電卓と六法、そしてペンは予備を何本持っていこう。そんなことも考える。4時間の試験中にトイレに行きたくならないように水分は取らないこと。寒さで集中力が鈍らないように、厚めのセーターを着ていこう。いよいよ試験開始。ここからは、実際の過去問や教科書の例題を、持ち込み可能な六法だけをたよりに本当に解いてみる。「うわっ、この問題お手上げ!」と言う場合には、現実の試験中に分からない問題に遭遇したときとまったく同じひどいショックを受ける。でもすぐに、これは単なるシミュレーションなんだ!と思い直して、深く安心する。それでも、始めに感じたショックが大きいので、その後教科書を見ながら答えを探すときに頭に深く刻印される。こうやって失敗しては、何度でもシミュレーションを修正していく。そんなことを何度も繰り返した後なので、実際に試験を受けるときには、ほとんど全てがあらかじめ思い浮かべていた通りに起こり、すごくリラックスしていることができる。そして、自分が思い浮かべていた通りの問題が実際に出題されていると、「この試験いただき!」と思い、わーっとエンドルフィンが分泌されるような気がする。

もちろん、試験準備中このようなシミュレーションだけをやっていたわけではないし、それはあくまで実際の勉強を補足するものでしかない。試験に成功する自分の姿をいくら完璧にビジュアライゼーションできても、超能力でもない限り、ある程度時間を割いた勉強や鍛錬なしでは試験に成功しようがないのだ。 「ザ・シークレット」は、時間と言うのは社会の決め事で、潜在意識のレベルでは時間はないから、強烈にビジュアライゼーションしたことはその瞬間に実現していると言う。ただ、自分は、ビジュアライゼーションが物事を実現させるためには、「絶対時間」とも言うべきもの、ある程度の時間が流れることが必要だと思っている。

たとえば自分の知り合いにピアノの演奏の上手な人がいるが、ラフマニノフの難曲がいくら練習しても弾きこなせない。あきらめて練習をやめてから数年経った時、ふと試してみたら、今度は見事に弾きこなせるようになっていたと言う。この人の場合、その数年間の間、無意識に想像力の中で何度もシミュレーションをしていたのではないか。つまり、 「ザ・シークレット」の言うようにビジュアライゼーションがラフマニノフの演奏を可能にしたというよりも、無意識のイメージによる、数年間にわたる鍛錬が演奏を可能にしたのだ。そんな気がする。

そういう意味で自分としては、ビジュアライゼーションだけで全てが実現するという「ザ・シークレット」の主張よりも、「「成功の心理学―勝者となるための10の行動指針」の中のデニス・ウェイトリーの次のような言葉の方が好きだ。
「真の"勝利"とは、ただ自分のもっている能力を自分なりにとことん追求することを意味するのだ。(・・・)
"勝利"とは、これまで五番だった成績を、ヘトヘトになるまで頑張って四番に引き上げることだ。」( 「成功の心理学―勝者となるための10の行動指針」p.7)

だいいち、ビジュアライゼーションだけで、努力もなしに一瞬にして全てが実現してしまったら人生は退屈だ。

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「頭が悪くて勉強好きな人」のための勉強法

前回、スティーヴン・コヴィの「7つの習慣―成功には原則があった! 」にある、緊急性と重要性による時間管理のマトリックスを紹介した。これに限らず、2つのパラメータのスイッチオン/スイッチオフで、4つのグループを作り、物事をそこに分類すると、さまざまな物事がクリアになる場合がある。

たとえば、有名なところでは、フランス人とイタリア人とスペイン人とポルトガル人の違いを際立たせるために、「金持ち度」と「気前の良さ」の2つのパラメータを使ったマトリックスがある。

1. 金持ちでケチなのがフランス人
2. 金持ちで気前がいいのがイタリア人
3. 貧乏なくせに気前がいいのがスペイン人
4. 貧乏でケチなのがポルトガル人

しばらくこのマトリックスにはまって、いろんなものを手当たりしだい分類していたことがあった。これについては別の機会に話しますが、このマトリックスが特に有効と思えるのが、2つのパラメータが「似て非なるもの」である場合だ。たとえば、「お勉強が好き」と「頭がよい」は混同されがちだが、それぞれの定義はともかくとして、2つが明らかに異なる概念であることは、なんとなく次の4種類の人間がいることでも分かる。

1. 頭がよくて勉強好きな人
2. 頭がよくて勉強嫌いな人
3. 頭が悪くて勉強嫌いな人
4. 頭が悪くて勉強好きな人

高校生のころ、教科書をひゃーっと1回読んで全部憶えてしまうクラスメートが何人かいた。それから、直接の知り合いではないが、オーケストラのスコアにひゃーっと1回目を通して全部記憶して、すぐにピアノで弾けるという人がいた。「頭がよい」の定義はさまざまと思うが、私にとってはこういう人が「ひえー、頭いい!」と思える人の典型だ。ざんねんながら、自分にはこういう頭の良さはない。特に、学習能力の中でも記憶力が人よりかなり劣っているような気がする。だから、高校の授業でも、全体的に成績はぱっとしなかったが、特に年号とかを覚えなければならない歴史とかはお手上げだった。

さて、上述のマトリックスで言うと、たいていの人は1か2か3のどれかに当てはまるのではないかと思う。そして、いちばん目立たないと言うか、「そう言えば、あまり見たことないわね?」と思えるのは、4の「頭が悪くて勉強好きな人」ではないだろうか。そして、ある日、自分はまさにこの珍しいタイプに分類されるのではないかということに気づいた。そして、自分が飛躍的に「伸びた」と思えるのは、そういう自分の姿に気づいたときからだった。

自分の強み(勉強が好き)と弱み(頭が悪い)がはっきりわかったからだ。

自分を正しく認識することで、自分に一番合った勉強法がわかる。たとえば、試験に受かるなどの目的を達成しようとするとき、「2.頭がよくて勉強嫌いな人」の場合は、頭がよいという強みを最大限に発揮しながら、勉強嫌いという弱みを克服すべく、勉強時間をできるだけ切り詰めるなどの努力をするべきだ。一方、「4.頭が悪くて勉強好きな人」は、おのずからそれとは異なるアプローチをしなければならない。人々は必勝勉強法通りにやって思うようにいかないと落ち込むが、落ち込む必要はない。あたりまえのことだが、タイプによって勉強法を変えねばならないのだ。

つまり、自分の場合、人が「3回教科書を読んで内容を憶えた」と言うのを聞いて、自分が3回読んで憶えられないことに落ち込んではいけない。たんに、10回読めばよいだけだ。勉強は嫌いではないから、自分のする努力としては、教科書を10回読む時間を確保するだけだ。簡単なことだ。大学生活も後半にさしかかったころ、ようやくそれがわかった。

上述の「強み(Strengths)」と「弱み(Weaknesses)」は、自分の内的な要因だが、これに外部のファクター「機会(Opportunities)」と「脅威(Threats)」を加えると、ハーバード・ビジネス・スクールの有名な、SWOT分析になる。自分の場合、試験の1ヶ月前に試験準備計画を立てるときに、簡単なSWOT分析をしたことで、試験前の頭の中のゴタゴタが整理されてクリアになった。

自分の試験準備のためのSWOT分析はこうだ。
(内的要因)
・ 強み: 勉強が好き。
・ 弱み: 頭(特に記憶力)が弱い。疲れやすい。
(外的要因)
・ 機会: 勉強の教材が職場に豊富にある。
・ 脅威: 仕事が忙しく、勉強時間を確保するのが難しい。

SWOT分析のいいところは、次に何をしたら良いかがクリアに分ることだ。つまり試験合格という目標達成のために、上述の「強み」と「機会」を最大限に利用し、「弱み」と「脅威」をできる限り取り除くことがポイントだ。たとえば、「勉強が好き」と言うのはほとんど唯一の自分の強みなので、これを維持し、強化すべく、勉強する内容を楽しいと思い続けられるような時間配分を工夫する必要がある。特に、気分的に盛り上がって「もっと続けたい」と思ったときでも、時間が来るとストップして、仕事や運動など別のことをやるようにした。

最大の「脅威」だった時間マネージメントは、前回ブログに書いた方法で何とかクリアできた。問題は、今回のように記憶力が勝負の試験で、どのようにして自分の弱い記憶力を補うかということだった。試験科目は4教科で、教科書は100ページ位だが、試験場に当地の六法全書と電卓を持ち込むことができる。六法全書には、コンメンタールの抜粋や判例なども載っているので、どこに何が書いてあるかさえ記憶できれば、かなり助けになりそうだ。でも、条文は500条以上もあって、しかも(わたしの目には)順不同に並んでいる。とても憶えられそうにない。

とりあえず、最初の2週間で教科書にマーカーやペンで書き込みをしながら徹底的に読むことを繰り返した。大体理解できたところで、対応する法律の条文と一緒に何度か読んだ。そして、最後はスーパーマーケットでレジに並んでいる間も、ジムで自転車をこいでいる間も、少しずつの時間を利用して、六法の関連する判例の部分を読み続けた。どんくさいというか、泥臭い勉強法だが、結局自分にはこれが一番合ってるみたいだ。

その間に気をつけたことは、1つの教科をまとめて長時間やらず、4つの教科を2−3時間ずつ区切ってやることだった。これは、以前トニー・ブザンの「頭がよくなる本」から学んだ勉強法だ。これを読んでもまだ頭は良くなっていないようだが、記憶に定着させるコツやマインドマップのテクニックが今回の勉強に役に立った。4つの科目をぐるぐるまわりながら少しずつ勉強すると言う方法を取ると、ある日ひとつの教科を勉強して、他の教科を一巡して4日後にまたその教科の勉強に戻ったとき、前に勉強したことを完全に忘れていると言うことが起こる。いっしゅん絶望的な気分になるが、それにめげずにまた始めから教科書を読み直すと、前回勉強したことをだんだん思い出してくる。そして、3回目、4回目と同じ教科を勉強するときには、かなり記憶が強化されてきて、だんだんと忘却の淵が浅くなってくる。これは、頭の悪い人だけが味わうことのできる、勉強の醍醐味だ。(笑)

もうひとつ、効果のほどは半信半疑だったのだが、2年前に当地で講習を受けたフォト・リーディングを応用してみる気になった。フォト・リーディングは、高速でページを繰りながら、ページに印刷された文字を、まるで写真を写すように大量に脳にインプットしていく技術だ。夜寝る前に瞑想をし、集中力が高まったときを見計らって、ひざの上に六法全書を広げ、フォト・リーディングをするということを10日間ほど毎晩繰り返した。

上述のフォト・リーディング講習中、小型の辞書が生徒に配られ、全員でそれをフォト・リーディングをした後、先生が、ある単語を言い、その単語がページのどの位置にあったかを、辞書を見ないで当てると言うゲームをした。このゲームがなんとほぼ十発十中で正解だったので、今回、六法全書の内容を憶えるまでには至らぬまでも、何条に何が書いてあるのかを覚えるのに役立つのではと思ったわけだ。

さて、教科書を10回繰り返して読んだお陰なのか、フォト・リーディングのお陰なのかは不明だが、試験中は、必要な条文にすみやかにたどり着くことができた。特に条文の番号を覚えようと努力したことはなかったのだが、教科書に出てきた条文の番号がいつの間にか頭に入っていた。また、教科書になかった問題が一題出たのだが、この問題を解くために必要な条文を全て見つけることができた。

フォト・リーディングは、すごく簡単で、高いお金を払って講習を受けなくても、参考書を読むだけで簡単にできるので、一度試してみてください。参考書はここ↓をクリックください。
ポール・シーリィの「あなたもいままでの10倍速く本が読める」。

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