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旧題「読書 この秘密の愉しみ」を改めました。
最近本当に読書をしていないので・・・
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1枚の招待状とは、ここブラッセルの中でモロッコ人が多く住むと言われるスカルベーク地区の共同浴場ハマムからのものでした。
ハマムは、風呂好きの自分と亭主のグリが、モロッコやトルコなどを旅する時には血眼で探しまわる場所です。日本の銭湯や温泉に匹敵する充実感のあるお風呂を日本の外で探すとなると、今の所ハマムかイタリアの山奥の温泉ぐらいしかないように思われるからです。(他にもすごいお風呂を御存じの方、ぜひ教えて下さい。)
さて、ここブラッセルは北アフリカ人や中近東の人々が多いので、彼らが集まるハマムをずっと探していたのだが、中々手頃な施設が見つからなかった。それがひょんなことから、スカルベーク地区のハマムから御招待状をもらったのです。
ハマムは、女性の入れる時間帯と男性の入れる時間帯がはっきり分かれている。日曜日は女性専用の日なのであった。それで、グリが旅行中の日曜日の朝、風邪気味で家で寝ていたい体に鞭打って、トラムでスカルベークまで行く。ハマムのあると言う通りを見つけるのに手間取り、エキゾチックな風貌の八百屋のおばちゃんに通りの名前を尋ねると、「ワタシ、フランス語、話さない」と言われる。こんなの昔のブラッセルではなかったような気がする。モロッコ系ではなく、東欧系の人かしらと思い悩みながら、極寒の中をしばらく歩きまわりようやくハマムのある建物を見つける。
中に入ると、モロッコ人風のおばちゃんが怖い顔で、
「何にすんの、ハマム? ヘヤカット? エステ?」
と聞いて来る。招待状にあった通り
「ハマムとアカスリおねがいします」
と言うと、番号の書いた札を渡される。どうやらアカスリの整理番号のようだ。
外から見ると普通の町屋なのだが、中は、トルコやモロッコのハマムそっくりの薄暗い雰囲気。地下に降りて行くと、結構広い本物のハマムと洗い場がある。おばあちゃんから、小さい女の子を連れた家族連れ、若い女の子のグループなど、回教徒風の女の一群が続々と入ってくる。
すっぽんぽんになってハマムの中に座ると、別のおばちゃんが血相変えた表情で来て、
「あんた、パンツをはいて!」
と言う。トルコのハマムではすっぽんぽんでよかったのだが、そう言えば、モロッコのハマムではパンツを履かなければならなかったなと思い出す。ヘンな東洋人の自分は、皆の冷たい視線の中、あわてて脱衣所に取って返してパンツをはいて戻る。
皆に倣って、蒸し風呂に座り、入口で渡されたSavon Noirという黒い石鹸を体中に塗りたくり、待つこと15分。しばらくすると暑さで我慢ならなくなるので、蒸し風呂の中の水槽から冷たい水を汲み、頭からかぶる。そして、また蒸し風呂に座る。そうして、体の表面を何度も冷やしながら蒸し風呂に座っていると、体の芯が深く深く温まってくる。
番号を呼ばれたので出て行くと、大理石のテーブルの脇で、顔はとびきりの美人だが、体は小錦風のお姉さんが待っている。鼻歌に合わせて私をテーブルの上に転がしながら、アカスリをしてくれる。
また、蒸し風呂に戻り、1時間。Savon Noirのお陰か、体に触ると体から垢が、顔に触るとまた顔からぽろぽろ垢が出ました。うへえ。洗い場に出て、自分でアカスリをする。先刻の、サンスケお姉さんが、乱暴に客のアカスリをしながらベルベル人風の歌を歌い、吠え声を響かせ、客がみんな歓声を上げる。
ゆであがって一皮むけて、上階に上がる。鏡で見ると顔がつるつるになって色が白くなっている(笑)。
上階はモロッコ風のソファーのある素敵なサロンになっていて、お茶を飲めるようになっている。ガウンを着たままソファに寝そべっているおばあちゃんや、若い女の子の一団もいる。先程のおばちゃんが怖い顔で来て、
「あんた、何飲むのよ」
と言うので、
「ミント・ティーおねがいします」
と言うと、おばちゃんの怖い顔がにかーっとする。おばちゃんは、たっぷりの生のミントの葉っぱの入った銀のティーポットとガラスのカップを運んで来てくれ、
「あんた、今回初めてだからこれはおごりよ」
と言って、またにかーっと笑った。笑うと凄味があるが、でも優しいおばちゃんなのだ。
それで、この町の雨や暗さや寒さがつらいなあと思う会社の帰りに、少し遠まわりをしてここに来ることにしました。
写真は、Savon Noirです。
| イスラム教徒・我が隣人 | 04:55 | comments(7) | trackbacks(0) | ▲
そのむかし友人から借りた萩尾望都のSF叙事詩「銀の三角 」で印象に残っているのは、殺された一人の少年の叫びによって宇宙が歪んでしまったと言うくだりだった。
失業中だった若いチュニジアの野菜売が、商品と秤を警察官に没収され、さらには婦人警官の1人から暴行を受け、没収品の返還と引き換えに賄賂を要求され、抗議の焼身自殺を遂げたのは昨年の12月だ。青年の怒りと悲しみが、チュニジアからエジプト、リビアへと波及し、あっという間にアラビア半島にも飛び火した2011年だった。2011年の正月にエジプトから帰った直後に、エジプトが炎上したと聞いた時さいしょに思い浮かべたのはウン十年前に読んだ「銀の三角」のこのエピソードだった。
一人の名もない青年の絶望や死が、今回のように地域や国境を越えて人々に行動を促すと言うことは、FacebookやTwitterの存在なしには考えられなかったと言われている。
最近のモスクワでのウラディミール・プーティン反対デモも、規模はちっちゃいがわが町ブリュッセルののジョゼフ・カビラ反対デモもこの余波を受けてのものではないかと言う気がする。
ジョゼフ・カビラ再選反対デモは、12月17日の我家の御近所のポルト・ド・ナミュール(コンゴ出身者が多い)で和やかな感じで始まったが、最後にはなんだか暴力的な感じになり、結局144人が逮捕され、可哀そうなベルギーの警察官16人が負傷した。
一本隣のアベニュ・ルイーズに住み、アパートの前に路駐している自分は車のガラスを割られるのは慣れているが、イクセル通りに路駐してたらボコボコにされるところだった。イクセル通りに路駐してなくて、ほんと、ヨカッタ・・・。
ディクテーターのいない西欧諸国の人々は抗議するターゲットがないので(?)、しかたなくEU本部の前で「キャピタリズム」に対する抗議集会をしたり、最近では「バンクスター」と呼ばれている銀行の前に抗議のテントを張ったりしている。打倒すべき具体的な顔が存在しないせいか、何を要求しているのかがわかりにくいデモンストレーションで、いまひとつ迫力にとぼしい。
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個人の絶望や死が、言葉や映像としてリアルタイムで世界中に共有されてしまう。3月11日の東北地方太平洋沖地震のすさまじい映像もリアルタイムでヨーロッパまで入ってきて、(日本で放映されたかどうかはわからないが)被害者の骸などの映像も含めて繰り返しこちらのテレビで放送された。1995年1月の阪神・淡路大震災の時は、週刊誌のグラビア等を通してわずかに映像を見ることができるだけだったので、隔世の感がある。
世間はコロネル・ガダフィやオサマ・ビン・ラディンやキム・ジョン・イルなどの大人物がこの世からいなくなり、シルビオ・ベルルスコーニや、ブライアン・カウエンが退陣したにぎやかな一年であったが、自分はと言うと、昨年からチャレンジしていた試験にようやく受かったことを除けば、あとは粛々と自宅と職場を往復しながら、仕事では鼻先にぶら下げたニンジンをひたすら追っかけ、毎朝ジムに通い、瞑想をし、試験も終わり少し時間の余裕ができた週末には、買い集めた脳関係の本を読みふけり幸せ感に浸ると言う地味な一年だった。
その中で一番のイベントは、以前登場したジャンおじさんのお陰で、6月に、狭いアパートの古い木の床を張り替えられたことだったろうか。
あまり執着するものはないのだが、自分が一番大切に思っているのはやはり自分の住居だとおもう。小さいアパートであるし、家具や食器もぶっ壊れたようなものしかないのだが、火事で焼けてしまったり、津波で押し流されてしまったりすれば、たぶん、しばらくの間精神的に立ち直れないのではないかと思う。
だからアパートは大切に綺麗に住みたいのだが、平日はほとんど外にいるし、週末の限られた自由時間を何に使うかと言えば、インテリアの優先順位は低い。
友人が、
「なんか、いつ来ても引越しの途中みたいなアパートだね」
と言えば、亭主のグリもしみじみと、
「なんか、爆弾テロの後みたいだね」
と言う。
爆弾テロの後みたく見えるのは、片付けても片付けても、グリの脱ぎ捨てた洋服や読み捨てた新聞や雑誌がアパート中に散乱しているのが主な原因だが、数十年も経っていると思われる木の床が相当痛んでいることも大きいと思えた。
6月にグリが10日間位旅行に出かけることが分かったので、この隙にジャンおじさんに床を張り替えてもらうことにした。床の張り替えは結構大変な仕事だ。アパート中の家具を片方に寄せ、古い床をはがし、新しい床板を張り、つぎに家具を別の方に移しまた同じことを繰り返す。
ジャンおじさん一人では無理そうだったので、友人のギイおじさんを連れてきた。ジャンおじさんとギイおじさんは、毎日9時から夕方の5時まで、コカコーラを飲む他は昼飯も食べずにものすごい勢いで無言で働き、1週間ほどで仕事を終えてしまった。
見よ、2人のおっさんの丁寧な仕事ぶりと、うつくしい床。床がきれいだとIKEAの安い家具や、救世軍で買いたたいたり道端で拾ってきた家具も立派に見える。おじさんたちのお陰で、ささやかではあるが幸せな年越しができそうだ。今はこの時のささやかな幸せに感謝し、これを大切に味わうことが自分たちにできるすべてだ。ある日ほんとうにテロリストに爆破されても、津波で押し流されることになっても。
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