子供のころから人一倍不安感が強くて、特に小学校へ通うころになると、通学の駅のプラットホームに上る階段に踏み出す最初の一歩が左足でなければならない、と言うルールが自分の中にできていた。一種のおまじないであるが、右足ではなく左足から踏み出したその一歩のおかげで、心が平静になり、学校の悪ガキどもやこわい先生たちに囲まれての熾烈な一日の間なんとか心の平衡を保っていけるのであった。
それでも増してくる不安感を消すためには、だんだんと左足から一歩を踏み出すおまじないだけでは安心しきれずに、様々なおまじないのルールができ、自分にとっての自宅から学校までの道のりは無数の複雑怪奇な罠に満ちたジャングルになってしまう。
そんな事情は、あれからウン十年経った今でも全然変わっていない。
前回のブログ「
今日一日の花を摘み取る」で、砂漠の真ん中の十字路に立たされている友人の話をしたが、自分だって同じようなものである。いちおうレールらしきものを見つけてそれに乗っかって走りだしてはいるが、いつそこから転落するか、またはレール自体がなくなってしまうか、誰にもわからない。じっさい、毎年そういう実例を見ているのだ。もう将来安泰に見える上司が突然辞めさせられたりとか。目前のライバル会社だった大手の国際会計事務所が一瞬の内に消滅するのも目にしている。それがうちの会社ではなく、相手会社だったということが本当に不思議な偶然に思える。
むかしの中国人はそんな砂漠の真ん中でどちらに進むべきかを判断するための、さまざまなルールを見つけようとした。こうして、気学や風水や奇門遁甲や易が生まれたのかもしれない。
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さて、前置きが長くなりましたが、今回お話ししたかったのは自分が最近受けた試験の顛末についてである。もっと言うならば、砂漠の十字路で大昔の中国人が考え出した易と六爻占術(ろっこうせんじゅつ)の助けを借りながら(笑)試験に挑んだ話である。
試験とは、チョコレートとビール以外にはほとんど誰も知らない欧州の小国ベルギー(ベネズエラと間違える人もいるくらいだ)の税理士国家試験のことです。EU共通の指令や規則が次々と発表される中で10年ぐらい前に税理士資格に対するEUの基準がこの国にも導入され、それに準拠した国家試験に受からない限り名刺の肩書にはタックス・ロイヤーと書けないことになった。
そこで、これまでうちの事務所で特に資格なしで働いていた税理士もどきたちが、一斉に資格試験を受けなければならないことになった。一次試験に受かると税理士補になり、最低3年間の実地研修を受けながら、毎年2次、3次試験に受かると、論文(といっても20ページぐらい)を提出。論文にOKがでると、最終の筆記試験と口頭試問。筆記・口頭で合計24点以上取ると晴れてチョコレートと小便小僧の国ベルギーのタックス・ロイヤーになれる。
「なによそれ。こんな関東地方ぐらいしかない国がなんでそんな大げさな試験をするの。言ってみれば、小国の短小コンプレックスだな。だいたいね、見事ベルギー国税理士資格を取れた時にはベルギー自体が分裂してなくなっているかもしれないんだぜ。」
と亭主のグリは言う。
自分も3年前に税理士補になり、3年間の研修と、2次試験、3次試験、論文は何とかクリアし、数人の同僚たちとこの4月に最終試験を受けることになった。試験の前には同僚たちは3週間ぐらい試験休みを取るのだが、自分の場合所属するチームが小さいので長い試験休みを取るのは不可能だった。クリスマスから正月にかけてのどこかでは有給休暇が取れそうだが、それは亭主のグリと一緒に太陽のある所に行ってビタミンDを補給したかった。じゃないと試験を受ける前にうつ病かくる病になってしまいそうだ。
そこで、昨年の6月頃から毎晩7時にぴたっと仕事をストップして、その後の3時間を勉強に充てることに決心した。この期間、ともかく、お客様との会食以外は、平日の友人からのお誘いは全てお断りすることにした。
ひとつには、たとえ3週間の休みが取れたとしても(年を取って集中力が落ちている気もして)その間ぶっ続けで勉強だけする集中力を持続できる自信がなかったこともある。だから毎日少しずつ勉強すると言う方が自分には合っているような気がしたのだった。
でも7時に仕事をストップして勉強すると言うのは、なかなか意志の力を必要とするのだった。7時にストップできない仕事が入るのはしばしばだし、早く仕事が終わっても7時には疲れ切ってしまって何も頭に入らないと言う時もあった。長く苦しい道のりであった。
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4月10日の筆記試験の日が近づいてきた。
そんな緊張の日々のさなかに母親が、また変な本を送ってくれた。
これは中国の考古学研究所の職員時代に、研究所に運ばれて来る古代の亀の甲などの出土品に書かれた文字を頼りに六爻占術とよばれる古代の占術を発見した王虎応(ワンフーイン)さんの対談本だった。中で解説を担当している森田健さんがAmazonのサイトの解説でこう言っている。
「ものごころついて以来、計画的にしなさいと言われてきました。何のための計画かといえば、目的を達成するためです。目的を作ったら、それに向かってわき見をせずに行けと言われてきました。目的や目標はできるだけ具体的なほうがいいと書いてある本もあります。しかしそういうことをしてきて、どれほど運を上げることができたでしょうか?たぶんあまり上がっていないはずです。なぜなら、具体的目標を持てば持つほど、偶然性を切り捨ててきたからです。」
この森田さんの言葉と、対談をしている王虎応さん(通称トラさん)の魅力的な言葉に、ぐらぐらっときてしまいました(笑)。「目的を作ったら、それに向かってわき見もせずに」努力しているために「偶然性を切り捨ててきた」これはまさに最近の自分のことではないかと思ったからです。
そこでこの本に解説してある六爻占術を恐る恐る試してみた。本当の六爻占術をできるようになるには別売りの高いテキストを買わねばならないが、この本とそれに書いてあるURLのサイトでかなりな所までは占える。
「私は4月10日の筆記試験に受かるのでしょうか?」
結果は、URLのソフトを使ってマイナス10からプラス10までの数値で出る。たとえばプラス7と出たら天の力が働いて少し努力すれば受かる。でもマイナス10と出たらどれほど努力しても受からない。
上の問いに対する自分の占いの結果は+−ゼロであった。つまり天の助けもなければ、地上で邪魔をするものもいない。自分の実力がそのまま出ると言うことであろう。なんだかがっくりきちゃいましたけど、勉強を続けるしかない。
ただ、天と地が+−ゼロの力関係であっても、色では赤、五行では火の元素、干支ではウサギにちなんだものを身につければ少しは天の力を強められるということだった。そこで、試験当日は、下着に真っ赤なタンクトップと、これも母親が巣鴨のお地蔵さんで買って送ってくれた真っ赤なパンツをはき、5時間の試験中には弁当と飲み物を持ちこんで良かったので「BURN(燃)」と言う名前の赤い栄養ドリンクを持って行った(笑)。試験会場に乗り込んでいった自分は、まさに「私は火の球だ〜!」という勢いであった。
ただ、中国の易とか六爻占術の思想では、ある要素が多すぎると「太過」と言って陰は陽に、陽は陰に転じてしまい凶なのであるということをその時の私は知らなかった。赤と火の要素が太過してしまったのかもしれない。私は、持ち込んだ「BURN(燃)」の缶を開けるときに勢い余って、赤い液体を、試験用紙の上にぶちまけてしまった。
「不吉!」
と思ったが後の祭りである。試験前の数日間も、ずっと赤タンクトップと赤パンをはいて火の球のような勉強を続けていた自分であったが、そんなときに、亭主のグリが台所でボヤを出すと言う事件があった。つまり、火の「太過」であった〜。こういう風に、占いでは読みとれなかったメッセージを自然が教えてくれようとして様々なサインを出すらしく、これを前述のトラさんの言葉では「外応」と呼ぶ。「受かるのでしょうか?」と強烈な問いを発し続けていると、続けざまにシンクロニシティーが炸裂するのだ。(ブログ「どこかの細道」の著者老真さんも、中国語検定試験の前にお参りに行ったお寺と神社の樹が2つとも倒れていると言う「外応」を体験した。)
ともあれ5時間の試験の終了時間ぎりぎりまでねばって試験会場を出るときは、「20点満点の8点ぐらいしか取れてないな・・・」というはっきりした手ごたえ(?)を感じていた。
試験会場をでると、廊下で同僚のグレーテルに呼び止められた。グレーテルはぐったりと青ざめた顔で、
「なによ、この試験。こんなのあり?」
とぼそっと言った。そこに、ニコラとステファニーが出てきた。ニコラは、
「最初は、あーこれできるよ。意外と簡単じゃん。と思いながらのんびり進んでたら、突然もう時間ですよって言われて、2科目分何にも書かずに提出しちゃったよ〜」
と言う。
できなかったのは自分だけじゃなかったのかと思って少しほっとする。
結局、筆記試験の結果は、グレーテルは11点、ニコラとステファニーは8点、そして8点しか取れないだろうなーと思っていた自分はやっぱりぴったり8点であった。法律だけじゃなくて、判例や税務通達を熟知している税金の神様みたいなニコラが8点しか取れなかったのは本当にびっくりであった。
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さてベルギー国タックス・ロイヤーになるためには、この最終筆記試験と口頭試問併せて24点以上とらねばならない。自分の場合、筆記で8点しか取れなかったので、口頭試問では16点以上取らなければならないのだった。
ニコラとステファニーはもう口頭試問をあきらめるつもりだと言ったが、自分はなぜか急に受けようかなと思い始めた。
そこで、上司のロニーに「口頭試問を受けるつもりなんだけど」と簡単に報告すると、びっくりされて真剣に止められた。すんなり受け入れてもらえると思ったのに意外だった。
「16点か。不可能だな。うちのファーム全体で最高点が13点なんだよ。ファーム全体でだよ。今回はもうあきらめて、少しリラックスしろ。そして元気を蓄えて、他のみんなのように3週間試験休みを取って準備して10月にもう一度受けろ」
と言う。
そのすぐ後に、同じ部署の同僚のジェシカが私の部屋にくる。彼女は、筆記試験ではおそらくファームでの最高点の12点を取ったのだ。
「わたしだって、去年の筆記試験で8点しか取れなかったから、口頭試問はあきらめたのよ。だからもう少し時間を取りなさい。急ぐ必要はぜんぜんないのよ。」
なんで会社のみんなは必死になって私が口頭試問を受けるのを止めようとするんだろう。仕事はちゃんとやってるし、誰に迷惑をかけるわけでもないんだから。そう自分に言いきかせたがまた迷いがある。不安が来る。なんか無謀なことをしてるのかもなあ。筆記試験で8点しか取れなかった人間が口頭試験に来たら、試験官たちはあきれるんじゃないだろうか。
その時、また母親から電話があって、
「なによ、受けてみたらいいじゃない。16点取れないにしても、様子を見るだけでも。別に受けたからって損するわけじゃないでしょ」
と言う。そう言われてそれもそうかと思う。それに母親のカンは昔からよく当たるのだ。言うことを聞いていて損をしたことはない、と思いその気になった。そこで自分の気が変わらないうちに、すぐに試験の申し込みの電話を入れる。
そうしてしまってから、またこんなことをしていいんだろうかと不安になる。そこで六爻占術にお伺いを立ててみた。
「私は6月8日の口頭試問を受けた方が良いのでしょうか?」
2回占って2回とも結果は+7(受けなさい!)と言う御託宣である。二度目の卦を易の卦に直してみると、沢雷随(先輩の意見に従って現状を維持しろ。龍は暗い淵の底で眠っている。)から沢火革(これまでとは全く違うことをしろ!真心があれば大いに通る。)に変化する卦であった。つまり常識を破り、先輩の意見は無視して、口頭試問を受けてみろというメッセージと理解した。
でも試験まであと12日しかない。平日はろくに勉強できないだろうから、週末4日間を使うしかない。私の今の実力で口頭試問にいどんだら、試験官たちの顰蹙を買うだけだろう。でも9科目全部を勉強しなおす暇はない。山をかけるか・・・。
でもどうやって山をかけるか分からないので、また六爻占術にお尋ねすることにした。
「この12日間にどの科目を集中的に勉強すべきでしょうか?」
そうしたところ、次のような結果が出た。
・簿記論 +3
・会社法 −5
・個人所得税法 +4
・法人税 0
・付加価値税法 −4
・登録税・相続税法 +10
・税務訴訟法 +6
・国際税法 +4
・職業倫理法 +11
確かに、ポイントの高い下の4科目は、これまで十分に勉強せず、筆記試験の回答もかなりいい加減だったので、ここでしっかり勉強する必要があると言うのもうなずける。そこでポイントの高さに比例して12日間の勉強時間を配分し、それに従って勉強することにした。
そんな時、ジェシカが「グレーテルが口頭試問で13点をとって、タックスロイヤーになれた」という知らせを持ってくる。
「グレーテルのためには嬉しいけど、複雑な気持ちだなあ。なんだか、小学校の時、自分だけが跳び箱を飛べなくて体育館に残されていた時のことを思い出しちゃうよ」
と正直に自分は言う。
「そんなこと思う必要はないのよ。クーンなんか5年間受け続けてまだ受からないんだし、ヘールトなんて税理士補試験にすら受かってないんだから・・・」
と慰めてくれる。お陰で何とか元気を取り戻す。
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12日間の間、迷うたびに六爻占術にお伺いを立てながら、ひたすら勉強を進めた。六爻占術の託宣を聞いていると、これまでぜんぜん気がつかなかった自分の知識の穴に気付くようになり、次第にそれを埋めるのが楽しくてたまらなくなっていた。最後の頃には、占術にたよらなくても、つぎつぎと「あれはどうだっただろう」「あそこも調べたいな」と好奇心が広がって行って、それを追っかけながらどんどん勉強を進めていった。(筆記試験の準備の時に、こういう精神状態になれていたら、絶対受かっていたのにね〜と思ったが、後の祭り。)
試験の2日前、上司のロニーが部屋にくる。
「本当に受けるのかい?」
「うん、受けると思う。様子を見るためだけにも受けたいのよね」
「そうか。自分が楽しめるんだったら受けることだね。でも試験官の前で小さくなって、それがトラウマになるようだったらやめた方がいいよ」
「大丈夫。私は試験は大好きなんだから。きっと楽しいと思うよ」
「そうか。そんなら僕は止めない」
自分でそう答えてから、本当にうきうきしてくる。
試験の前日の午後、半日休みをもらって部屋に閉じこもって最後の仕上げをしていると、ジェシカが様子を見に来て、
「結局を受けることにしたの?」
とびっくりしている。
「うん。16点取れないことはわかってるんだけどね。せっかくここまで勉強したから。試験を受けて、どんな問題がでたかあとであなたに教えてあげるからね!」
と約束する。彼女は私の3日後に口頭試問を控えているのだ。
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翌日指定された時間に試験場に行く。待合室に入ると、女のひとが一人と、二人のおじさん(40代風と50代風)がにやっと目で挨拶してくれる。その時、試験部屋から背の高いブロンドの女の人がしくしく泣きながら出てくる。待合室で待っていた女の人は付添だったのだろう、なぐさめるように肩を抱いて2人で出ていく。
「なんだなんだ。今のは。試験の結果が良くなかったのかな。でも何も泣くことないじゃん〜」
と思うが、それを見た自分もかなり動揺している。
次に、待合室にいた二人のおっさんたちが呼ばれて部屋に入っていく。年上風の方がおそらく研修期間中の指導者なんだろう。(口頭試問には研修指導者を同席させてもいいのだった。)40分ぐらいして試験が終わったのだろう、二人がぐったりした顔をして部屋から出てくる。若い方は顔をバリバリに緊張させて「だめだったかも」と落ち込んでいる。5分ぐらい後、また二人が部屋に呼ばれて入っていく。試験の結果とコメントが告げられるのだ。出てきた二人の放心したような顔を見て、彼が合格したことがすぐわかった。目が合ったので、「うかったのね!」と言ったら、「うん、うかっちゃった〜」と言ったので、Vサインを送る。向こうもVサインを返しながら「だいじょうぶ。君もきっと受かるよ」と根拠もなく受合ってくれたので、すごく元気が出る。
さて、いよいよ自分の番だ。でも、試験室の扉がなかなか開かない。じっと丹田で呼吸しながら(笑)心を鎮めるように座っていると、心の中が澄み切ってきて、啓示のような言葉がひらめいた。
「筆記試験の準備を1年間したことで、自分の知識はずっと増えた。そしてこの12日間口頭試問の準備をしたことで、自分の知識はさらに飛躍的に増えた。勉強の仕方も効率的になった。これからもずっと勉強を続けて、どんどん知識を増やしていくだろう。今日の試験は、そんな長い道のりのどの辺に自分がいるか、ランドマークを見るだけのものなのだ。24点取れたからと言ってそれで終わりではない。長い道の途中にいるだけなんだ。」
その時扉が開き名前が呼ばれた。部屋に入っていくと、中には5人のおじさんたちが長い机の向こうにしぶい顔で座っていた。中の一人に見覚えがある。当地の税法大学院のあまり出来の良くない学生時代に授業を受けたティルマニー先生だ。向こうは全然こちらのことを憶えていないみたいだ。よかった〜。
ティルマニー先生以外のおじさんたちの素性は分からない。たぶんみんな大学の税法の先生たちなのだろう。
さて、試験が始まったが、ふだんあがり症の自分には似ず、なぜか全然緊張しなかった。
ふだん会社では、急に人の名前が思いだせなくなって「あれ、何だったっけー、ほらほら、あのテレビに出てた人の名前」と若い同僚たちにしばしば尋ねてぼけ老人扱いされる自分であるのに、今回はなぜかそう言うことが全然なかった。聞かれた質問で、既に自分が勉強した内容については、弾丸のようにすらすらと答えが言えた。ふだんなかなか言葉が出てこなくてモソモソしている自分とは、まるで別人みたいだ。
一方、自分が勉強したことがない内容について質問を受けた時も、ぜんぜん動揺しなかった。「落ちて元々」と思っていたからかもしれないが、これもふだんすぐ動揺する自分ではなく、なにか別の人が乗り移ったみたいだった。
口頭試問の問題は10問ぐらいだったが、その内の8問ぐらいが六爻占術の助けを借りてこの12日間で勉強しなおした問題だった。お陰で試験の結果は12.5点。予想通り16点にははるかにおよばなかったが、せいぜい10点ぐらいしか取れないだろうと思っていた所にまずまず合格点がもらえたのでびっくりした。
結果を聞いてにこにこしている私に、ティルマニー先生が気の毒そうに言う。
「合計で24点とれないと、資格は与えられないのは知っているね。筆記がわるかったからね。」
「わかってます。10月にまた受けに来ますからね。」
「10月? ちょっと早すぎるんじゃないのかい?」別の先生が言う。
「いやいや、大丈夫だよ。夏に一生懸命勉強することだね」また別の先生が言ってくれ、私は決意も固くその場を去ったのだった。
たぶん、六爻占術と母親の言葉がなかったら、自分はこの試験を受けていなかったし、その準備のために12日間の充実した期間を過ごすチャンスもなかっただろう。そしてがんばれば自分にもできるんだという自信をつけることもないまま、漫然と10月の試験の準備をしていたことだろう。
今回もまた、母親に感謝である。
夏が始まる。ビデオはアパートから見る2010年の夏の風景。