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呼吸による気づき

夏の静かな時期に、休みを取らないで溜まっていた書類の整理や、緊急ではないために手をつけられなかった仕事を始めたりするのが好きです。バケーションシーズンのため渋滞がほとんどない、朝の太陽が燦々と降り注ぐ道を普段の半分位の時間でオフィスに着き、人気のないオフィスで自分のペースで仕事をするのが好きなのです。

と言うことで例年通り夏休みは取らないことに決めたのだが、今年は、週末だけは亭主のグリと森の中で過ごそうと思い、オランダとベルギーの国境に広がるリンブルグの森の中に週末だけコッテージを借りていた。

天気が良ければ、陽を浴びながら近くの川でカヤックをこぎ、夕方はテラスでアペリティフでも飲みながら日が暮れるまでの時間ゆっくりとバーベキューでもしよう。天気が悪ければ、雨の音を聞きながら本でも読んで、夕暮れはやっぱりバーベキューをしよう。・・・と思い、自分はこの週末を大変楽しみにしていました。要は、普段狭いアパート暮らしの自分は、夏の長い夕暮れに樹に囲まれた庭でバーベキューをするということに大変な思い入れがあるらしいのだった(笑)。

ところが、急に亭主のグリが1ヶ月半もマイアミに行くことになってしまった。がっかりである。コッテージの予約を取り消すか、一人でも行くか。。。コッテージの庭で一人さびしくバーベキューをしている自分の姿が目に浮かぶ。一瞬心がひるんで、森に行くにしてもコッテージではなくて、どこかのホテルに泊ろうかとも思うが、前回夏にホテルで一人で泊まって、ホテルのおばちゃんの詮索に満ちた目がうざったかったのを思い出し気おくれがする。思い悩んだ末、予約したコッテージで一人で週末を過ごすことに決めた。

一人で行くことを決心させたのは、週末の二日間コッテージでだらだら過ごさなくともよいように、以前ヴィパッサナ瞑想合宿で行った通りのスケジュールにそって、二日間を瞑想をしながら過ごしてみようと言うアイデアがわいたからだった。

以前このブログにも書いたが、ヴィパッサナ瞑想合宿でのスケジュールは次のようなもので、一日11時間ほど瞑想する。

04:00  起床
04:30 - 06:30  ホールまたは自室で瞑想
06:30 - 08:00  朝食・休憩  
08:00 - 09:00  ホールで合同瞑想
09:00 - 11:00  ホールまたは自室で瞑想
11:00 - 12:00  昼食
12:00 - 13:00  休憩
13:00 - 14:30  ホールまたは自室で瞑想
14:30 - 15:30  ホールで合同瞑想
15:30 - 17:00  ホールまたは自室で瞑想
17:00 - 18:00  お茶・果物・休憩
18:00 - 19:00  ホールで合同瞑想
19:00 - 20:15  講話
20:15 - 21:00  ホールで合同瞑想
21:00 - 21:30  講師への質問
21:30      消灯

リンブルグの森で過ごす週末の2日間、起床時間と消灯時間、一日二回の食事、瞑想時間はほぼそのまま踏襲して、夕方の「講和」の時間・「講師への質問」の時間をラリー・ローゼンバーグ著「呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想」の読書に充てることにした。

夜は食事をしないのでバーベキューは勿論ない。また禁酒のため、テラスでビールやサングリアを飲むと言うこともない。まあいいか。冷蔵庫に残っていたサラミとサクランボウをバッグに入れ、スーパーマーケットで消化によさそうな豆のスープと森のきのこのスープ、フルーツ・ジュース、アイスティー、サラダなどを買い込んで、金曜の晩森の中のコッテージに着く。

日が長いため夜の9時頃でも森の黒々とした樹々の上の空はまだ明るいのだが、人気のない森に囲まれたコッテージはなんだか寂しい。瞑想合宿の始めの夜のように、持ってきた豆のスープとフルーツの簡単な食事をひとりテラスで取る。

豆のスープとフルーツをゆっくり味わいながら食べていると、尾崎放哉の、

        せきをしてもひとり

        墓地からもどつて来ても一人

という句(?)が思い浮かんで、自分も行く末はこんな風に一人で過ごしながら死んでいくのだろうと言うことに思い至り、今更ながら、ぞっと淋しくなる。食器を洗い、行水をし、戸締りをきっちりとして決めた通り9時半に就寝する。

***

この二日間は、仏陀の「アーナーパーナサティ・スートラ(出息入息に関する気づきの経)」に従って瞑想をすることにした。

インドの雨季は三カ月つづき、その間は旅ができないので修行者にとって集中的に瞑想するのにはもってこいの時期であったのだそうだ。その年仏陀は、サーヴァッティーの東の園での3カ月の修行がとてもうまく行ったので、雨季の第四番目の月にあたる白水連の月も修行を続行することにしたとある。白水連の月が終わる満月の日に、仏陀が修行者たちに語ったことを、弟子のアーナンダーがその他の弟子たちとまとめたのが、「アーナーパーナサティ・スートラ(出息入息に関する気づきの経)」であった。

中国を経由し日本では「安般念」と呼ばれる経典である。弘法大師空海は、高野山にて安般念に没頭中であることを理由に、天皇からの京への招待を無碍に断っている手紙が残っていると言う。(出典

コッテージに着くと、居間のソファーの上に大きな白水連の画が飾ってあった。ということで、白水連の月の終わりに仏陀が説いたというアーナーパーナサティ・スートラの瞑想は、このソファーの上ですることにした。

アーナーパーナサティ・スートラ(出息入息に関する気づきの経) の全訳は、前掲書「呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想」に掲載されている。

「瞑想修行者は、森に行き、木陰に行き、あるいは空き家に行って足を組んで坐り、身体を真っ直ぐにして、気づきを前面に向けて確立する。常に気をつけて、瞑想修行者は息を吸い、気をつけて瞑想修行者は息を吐く。

十六の考察 最初の四考察(身体に関する組み)
1. 息を長く吸っているときには、「息を長く吸う」と知り、息を長く吐いているときには、「息を長く吐く」と知る。
2. 息を短く吸っているときには、「息を短く吸う」と知り、息を短く吐いているときには、「息を短く吐く」と知る。
3. 「全身を感じながら息を吸おう。全身を感じながら息を吐こう」と訓練する。
4. 「全身を静めながら息を吸おう。全身を静めながら息を吐こう」と訓練する。

第二の四考察(感受に関する組み)
5. 「喜悦を感じながら息を吸おう。喜悦を感じながら息を吐こう」と訓練する。
6. 「楽を感じながら息を吸おう。楽を感じながら息を吐こう」と訓練する。
7. 「心のプロセスを感じながら息を吸おう。心のプロセスを感じながら息を吐こう」と訓練する。
8. 「心のプロセスを静めながら息を吸おう。心のプロセスを静めながら息を吐こう」と訓練する。

第三の四考察(心に関する組み)
9. 「心を感じながら息を吸おう。心を感じながら息を吐こう」と訓練する。
10. 「心を喜ばせながら息を吸おう。心を喜ばせながら息を吐こう」と訓練する。
11. 「心を安定させながら息を吸おう。心を安定させながら息を吐こう」と訓練する。
12. 「心を解き放ちながら息を吸おう。心を解き放ちながら息を吐こう」と訓練する。

第四の四考察(智慧に関する組み)
13. 「無常であることに意識を集中させながら息を吸おう。無常であることに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
14. 「色あせていくことに意識を集中させながら息を吸おう。色あせていくことに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
15. 「消滅に意識を集中させながら息を吸おう。消滅に意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
16. 「手放すことに意識を集中させながら息を吸おう。手放すことに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。」

姿勢を正して座り、ただひたすら自分の呼吸の出入りを観察するというだけのことである。瞑想と瞑想の間に、森を散歩したり、バスタブに張った水で沐浴をしたり、お茶を飲んだり、軽い食事をしたりする間も常に呼吸を意識するようにする。

そうするうちに、心がだんだんと静かになってきて、呼吸の観察が鋭くなり、集中力が増してくるような気がする。

「修行にとりつかれて、何かを獲得しようという考えが潜入してくる典型的な場面のひとつは、呼吸と共にとどまることを仕事にしてしまうときです。(・・・)呼吸と共にあるときは成功で、そうでないときは失敗なのだと、すぐに成功や失敗のドラマを作り上げてしまいます。実際には、呼吸と共にあること、心がさ迷い出してしまうこと、さまよったことを知ること、穏やかに戻ってくること、そのすべてのプロセスが瞑想なのです。」
(「呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想」p.49)

瞑想中、色々な思いが頭をよぎり、また、呼吸に戻ってきた。一日目には、心の中に、かき回した水の中のように色々なものがただよっていたのだが、二日目にはそれらの動きがだんだんと目で追えるようになり、次第に、一つ一つが、心の底に沈澱して行った。

夕方になり、木々の間を巣に戻る鳥の騒がしい鳴き声に交じって、林の向こうの隣のコッテージからテラスに出た子供たちの叫び声、グラスやフォークを並べる音、バーベキューの良い匂いがただよいはじめたが、うるさいとも、お腹がすいたとも思わなかった。鳥の声と、子供の声、バーベキューの匂い、暮れてゆく森、明るい空、ただただそれらが懐かしく、幸せだった。



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ヴィパッサナー瞑想合宿 2008年秋 (3) 妖精のおばさん

森の中の合宿所は昔のホテルを改造した建物で、部屋の中には木のベッドと椅子、洋服や小物を置ける棚があり、バスルームとトイレがある。古くて簡素だが清潔な部屋だ。

瞑想者はこの部屋を2人ないし3人でシェアするが、同室者であっても最初の夜の瞑想時から最後の「慈悲の日」に禁がとかれるまで互いに話したり、ジェスチャーをしたりすること、一切のコミュニケーションが禁じられている。同室者それぞれがバスルームを使う時間帯は、部屋の入口の扉に掛けてある表に各自が書きこむ。

もうあたりが暗くなりそめてから、時間に少し遅れて森の合宿所につく。割り当てられた部屋に行くと、小さなおばさんがベッドの上にちょこんと座り瞑想していた。さっきの説明会でオランダ語のグループの中で説明を聞いていた、あざやかな緑がかった青色のレインコートをきたおばさんだ。邪魔しないようにそっと寝袋とシーツをほどき自分のベッドの上に広げていると、おばさんはやはりあざやかな緑がかった青色のパジャマに着替えて同じ色の寝袋にもぐりこんでしまった。「どうしてかな、まだ夜の瞑想があるってさっきの説明会で言っていたのに…」と思う間もなく、瞑想の開始の合図の鐘が鳴ったので部屋を出ようとすると、おばさんが叫んだ。
「これから瞑想があるの!?」
「そう、夜の最初の瞑想…」
おばさんは
「クソ!」
と叫んでベッドの上にぴょこんと飛び起きた。私の半分ぐらいの背丈しかない。その様子がディズニーのアニメみたいにかわいらしいので、思わず笑ってしまう。
「いいから、先に行って、行って!」
とおばさんがきいきい叫ぶのでそのまま瞑想ホールに向かう。

夜の瞑想は8時頃から始まり1時間ほどで終わった。宿舎と瞑想ホールと庭と林の木々の上に広がる真黒な夜空には、一面に大粒の星に覆われている。消灯は9時半で、翌朝は4時に起床の鐘が鳴る。食事は朝6時半と昼11時の2回。1時間ずつの合同瞑想が1日4回。夜の7時から1時間ほどの講話の時間がある。それ以外は、短い休憩をはさんで、瞑想ホール、自室、瞑想用独房のいずれかで各自瞑想をする。今回は、自分はこの間ほとんど、明かりを消した瞑想用独房にこもりっきりだった。

言葉や表情を交わさなくなると、人間の異なる側面が見えてくることがある。これは、昨年夏の初めての瞑想合宿のときに思ったことだった。オランダ人の女性2人と同室になった。2人とも同年代で、愛想がよく感じのいい人たちだったが、沈黙の行が始まると二人の印象の違いが際立ってきた。ひとりは動きが荒っぽく、内面のぴりぴりした感じが伝わってくるような気がする。もう一人は、動作の一挙一動が軽やかで優しさと気遣いに満ちている。自分の気のせいだろうか? でも、言葉や表情を奪われると、露わになってくるものがあるようなのだ。

今回も、顔を合わせるのは起床時と消灯前の2回ほどだったが、その間にこのディズニー漫画のようなおばさんの一挙一動が、実にこまやかな気遣いに満ちていることをすぐに感ずることになった。まず私が部屋にいる時、部屋の出入りにものすごく神経を使っている。扉をあけたり閉めたりする時も、まるで羽で壁をなでているような音しかしない。おばさんは、室内ではパントゥッフル(スリッパ)をはいているのだが、おばさんが歩くと、ポフ、ポフ、ポフ・・・とほんとうにかわいいかすかな音がする。まるでディズニーのアニメ「眠れる森の美女」に出てきた、妖精のおばさんメリーウェザーみたいなのだ。

妖精のおばさん

********************

3日目の午後になり、沈黙の戒が解かれた。わたしとおばさんは、ほとんど3日ぶりに目を合わせて、言葉を交わした。開口一番、おばさんが言った。
「あなたと同室になって、本当にラッキーだったわ。あなたって本当に静かなんですもの」
「私こそ同じことを思ってたんですよ。妖精みたいに音がしないって」
「妖精!?」(おばさんは笑ったが、「眠れる森の美女」の妖精ではなくて、「ピーターパン」のティンカーベルを思い浮かべたかもしれない。)
「わたしはいびきをかかなかった?」私は訊いた。
「ぜんぜん。でもね、3日目の晩、あなたが長い間なにか話しているのを聞いたわ」
「寝言を言ったのね。ごめんなさい」
「いえいえ、とても静かな優しい声でね、長い間話していたの」
「なんて言ったのかしら?」
「わかんないわ。私の知らない言葉だったもの!」
「日本語をしゃべっていたのね」
「それでわたしは、おお、ヴィパッサナー瞑想の効果が出たのねと思ったわ」おばさんは笑った。

おばさんは定年退職年齢を過ぎた今も、出張看護婦として働いているということだった。わたしはハッとした。去年の最初の夏の合宿に同室だったオランダ人の、「優しさに満ちている」と私が思った女性も、出張看護婦だったのだ。

「でも、看護婦さんって大変な仕事でしょう? 病気で苦しんでいる人に沢山のエネルギーを分けてあげなくてはいけないんですものね」
「そうね。でも、とっても楽しいの。素敵な職業よ。わたしはもうずっと瞑想を続けているけれど、朝瞑想を20分だけした日は、ほんとうに違うわね。瞑想をしなかった日に比べて分けてあげられるエネルギーが違うのよ」
そうおばさんは言った。

別れ際に、おばさんは私の両頬にチュッ、チュッとキスして「がんばってね」と言った。魔女の不吉な予言から眠り姫の命を救った妖精のメリーウェザーと会ったみたいに、嬉しい気分だった。

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ヴィパッサナー瞑想合宿 2008年秋 (1) 天山遯

11月11日火曜日は第一次世界大戦の終戦記念日で、会社は週末からの四連休だった。いつもの森の中のヴィパッサナー瞑想センターでOld Student用の3日間の合宿が予定されていたので、ずいぶん前から申し込んでいた。今年の8月に同センターでの10日間の合宿に参加した後、すぐに申し込んだのだ。定期的にこうしてブラッシュアップしないと次第に自己流でへんてこな瞑想を続けるようになるのが心配だった。また、早朝のヨガと水泳のように習慣として定着させていきたくはあったが、それだけの意思が保てるかどうか自信がなかった。

正直言うと、理由はもうひとつある。3ヶ月に1度位は、森の中で少しの間でも誰とも言葉を交わさずに過ごす時間がほしかった。・・・ぜいたくな話ではあるが。(はじめは「なにい?めいそう!?この間行ったばかりじゃない」と呆れていた亭主が、最後には「エンジョイ!」と快く送り出してくれたことに本当に感謝している。)

今回の3日間合宿の参加者は大半がオランダ語を母国語とする男女50人ずつのOld Student(ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想の10日間合宿の卒業生)だ。もっとも、合宿中は互いに言葉を交わすことも、目を合わせることも禁じられているので、母国語の違いはあまり関係ない。ただし、夕刻のS.N.ゴエンカ氏の講話(ダンマ・トーク)の時間だけ、それぞれ自分の母国語毎に小グループに分かれて講話のテープを聴く。

昨年6月に初めてこの瞑想センターの10日間合宿に参加し、ミャンマーのサヤジ・ウ・バ・キンを通じてS.N.ゴエンカ氏が世界中に広めたブッダの瞑想法(アーナーパーナ・サティとヴィパッサナー瞑想法からなる)の手ほどきを受けた。それは自分にとってすばらしい体験だった。そして、今年の8月に2回目の10日間合宿に参加した。それは自分にとって肉体的にも心理的にもとてもつらい体験だった。(その時のことはまた書きたいです。)

さて、第一回と第二回の合宿に共通して言えることは、最初の3日間は、日常のこと(=自分の場合、仕事のこと)が絶えず頭を離れないと言うことだった。最初の3日間、日常の考えに巻き込まれそうになるたびに、その考えにサティを入れ(=客観的に気付き)、かつラベリングをする(=簡潔な言葉で確認する)ことにより、ようやく4日目からほとんど頭が空白になる。サティとラベリングのテクニックはゴエンカ氏の10日間瞑想合宿では教えていないが、この作業なしでは瞑想に集中することは不可能な気がする。「雑念」が起こるたびにサティとラベリングを繰り返すことにより、次第に雑念が消え、4日目ごろから毎日11時間の瞑想中、自分の呼吸と体の微妙な感覚に集中できるようになる。

今回の3日間合宿は、仕事の事ばかりを考えて終わってしまった。それは、期間が短かったせいもある。加えて今回は、「雑念」が生じたときにサティを入れて雑念を消すのではなく、その雑念が起こるがままにして、それとじっくり向き合ってみようと思い、あえてサティを入れる事をしなかった。その結果、思考と感情の雪だるま状態にまきこまれ、「じっくり向き合う」どころではなくなってしまったのだが・・・。

H・D・ソローの古典的名著「ウォールデン 森の生活」は自分の大好きな本だが、「呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想」の中で著者ラリー・ローゼンバーグがソローの言葉を引用している。

「もちろん森に向かって歩を進めたとしても、それが私たちをかの地に連れて行ってくれないとしたら何にもならない。体は森に入ってすでに一マイル歩いているのに精神がそれに伴っていないことに気付くとき、私は不安を感じる。午後の散歩で私は午前中の仕事や社会に対する自分の義務などをさっぱりと忘れるが、それでも村のことがなかなか頭から離れない場合が時々ある。何らかの仕事についての思いが頭の中を駆け巡り、私は自分の体が存在するところにいない。正気を失っているのだ。何か森の外側の事を考えているのならば、森の中にいるのは何のためだ?」

自分の場合、食べることも、ショッピングも、社交も、趣味にも興味がないので、基本的に仕事の事を考えているのが自然な状態だ。亭主のグリにいつも批判されるが、社会で起こっていることにも興味がない。残念ながら仕事以外にほとんど考えることがないのだ。でも、毎晩家に戻ったとき、気分転換して「仕事の事をいったん忘れねば」と考えるとき、お酒を飲んでスイッチを入れ替えようとする。そのために非常に深酒をすることになる。

ところが、合宿中はお酒も飲めないし、人々と会話をすることもなく、毎日11時間以上目を閉じて座っているので、1つの事を考え始めるとさえぎるものは何もない。思考がものすごい勢いでエスカレートする。半跏府座を組んで座っている脚の痛みも忘れて数時間、仕事に関するひとつの問題だけをグルグル考えると言うことが起こってしまった。それが、2日目、3日目と静まっていくのではなく、だんだん考える持続時間と強度を増していく。(そんなに悩むほど大した仕事をしてるわけではないのですが・・・。)

仕事のことばかりを考えて瞑想に集中できない焦燥感がつのり、瞑想時間と瞑想時間の間の休憩時間中も、短い食事を取る時間を除いては、瞑想用の独房にこもり瞑想を続けてしまう。1日に2回の食事をするのも面倒くさくなるが、無理やり食堂に足を運ぶ。都合1日15時間瞑想を続ける。でも結局、仕事の事を考えてしまい自己嫌悪に陥ることになった。

***********************

2日目午前の合同瞑想中に相変わらずグズグズ仕事の事を考えていた時、突然、ドーンとある映像が目に浮かんだ。それは、どこかうらぶれたアスファルトのゆるい坂道の途中にある小さな食堂の映像だ。ギリシャのミコノス島辺りだろうか。それともサントリーニ島だろうか。荒涼としたアスファルトの田舎道。夜とも真昼ともつかない風景。その途端、仕事に関する思考が完全にストップした。なぜか気分がさーっと楽になった。そして瞑想の姿勢で座りながら、ギリシャを旅行したときのこと、サントリーニ島の西端で見た夕日の色などを鮮やかに思い出していた。そして、何故か深く安心していた。

どうして10年以上も前(1996年5月)と思われるそんな記憶が突然よみがえったのかはわからない。ただ、その小さなうらぶれた食堂の映像の断片が繰り返し頭の中に現れる。その映像が私に何かを伝えたがっているようなのだった。

その気持ちのよい(そして少し悲しい)映像と感覚は少しの間続いたが、数時間瞑想を続けるうちにまたもや奔流のような仕事関係の思考に巻き込まれ、かき消されてしまった。

***********************

そんな風に3日間がまたたくまに過ぎ、3日目の昼の最後から2番目の合同瞑想の時が来た。これが終わったら、3日間の「沈黙の戒」が解かれ、周囲の人々と話をしなければならない。昼食の後、最後の瞑想があり、夕方まで皆で掃除をしてから帰途に着くのだ。
「3日間が仕事の事を考えながら過ぎてしまった。何か森の外側の事を考えているのならば、森の中にいるのは何のためだ?」
ソローの言葉を思い出し、心底情けなくなった。

それは、アーナーパーナ・サティの瞑想(呼吸に意識を集中する瞑想)とヴィパッサナー瞑想(体の感覚に気づく瞑想)の数日間の訓練を締めくくるメッタバーナ(慈悲の瞑想)の時間だった。

ゴエンカ氏のテープの声がホールに響く。
「周囲の人々に慈悲の気を送りなさい」
と言う意味の事を言っている。
今の自分にはとてもそんな元気も資格もない、そう思うと心底惨めな気持ちになった。思えば自分はこんな気分を夏ごろからずっと引きずっているのだ。でも仕事の方が忙しく且つ快調だったので、それにわれを忘れて問題を先送りしていたのだ。それに気付くと涙が出そうだった。
そうしたら、ゴエンカ氏の声が言った。
「周囲の人々に慈悲の気を送る元気のない人は、自分に慈悲の気を送りなさい」

その時、とつぜんまるで稲妻みたいに、
「天山遯」
という言葉が頭に浮かんだ。それは夏の瞑想合宿に入る前、気分的に切羽詰っていた頃、易を立ててみたところ出た卦だった。その卦の象意をさまざまに解釈しようとし、結局、8月の瞑想合宿で山に逃れることを表しているのだろうと表層的に解釈しようとしていた。

ところが今、「天山遯」という卦が表す夕暮れの天の下に黒々と山が動かない風景が何を意味しているのかが、突然すっきりと判ったような気がした。同時に長い託宣のような文章で、ある一連の言葉がすらすらと心の中を流れて行った。複雑な話なのでここには書かない。今の状況で、自分のすべきことがすっきり全てわかったように思えた。ただしその困難さも同時に分った。(合宿中はノートを取ることは禁じられているので、家に戻ってすぐにそのときの託宣を全て書き留めた。)

今思えば、その夕暮れの山の風景は、合宿の2日目に思い浮かべたギリシャの島の丘の中腹から見た夕暮れの風景とも呼応しているように思える。

瞑想の時間が終わり、一同がホールを去っても、自分はまだしばらくそのままの姿勢で座り続けていた。やがてホールを出たときには、夜が明ける前に重い気持ちで瞑想ホールに入ったときとは全く違った、晴れやかで幸せな気分になっていた。思いがけなく空が晴れ渡り、秋の色の庭と林一面に明るい陽光が射していたのに驚いた。

その後、自分の家のある夕焼け空の美しい西に向かって車を走らせつつ、自分はつくづく幸せだなあと思った。

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呼吸と瞑想の日々 (1) 瞑想合宿明けの混乱

7月4日から15日までの瞑想合宿から戻って、ほぼ3週間が経過した。この期間はちょっとした混乱期だった。

瞑想合宿中は、運動やヨガや呼吸法やそのほかの瞑想法などを行うことが固く禁じられていたため、運動不足におちいり、持病の四十肩が極度に悪化していた。また合宿中は毎朝4時起きだったために、合宿から戻ってきても毎朝とんでもない時間に目が覚める。目覚めると早速習い覚えた瞑想をやりたくてたまらずに起き上がり、1時間ぐらい瞑想をしてしまう。瞑想が終わってもまだ朝の6時である。それからジムに行ってヨガをし、水泳を30分してから出社する。かつ毎晩のように仕事やその他の会食が続き、出張もあり、夜は四十肩の痛みや抗癌薬の副作用で眠りが浅く、寝不足でふらふらの日々が続く。それでも、瞑想を習い覚えた幸福に心は高揚している。「心は熱しているが、肉体が弱いのだ。」ゲッセマネの園から出てきたイエス様は、そこに眠り込んでいる弟子たちを憐れんでそう言った。私の肉体は弱いが心は熱している。

この3週間は、合宿前に続けていた運動やヨガや呼吸法の習慣を徐々に取り戻し、かつそこに新しく習得した瞑想を組み込んでいきながら、毎日の生活のペースをどのように整えていくかが課題だった。

特に、10日間ヨーガをやらなかったせいか、合宿から戻った直後は、うつ状態というか無気力状態のかすかな兆候があった。この兆候は、パワーヨーガを再開したとたんに霧散した。おかげで、パワーヨーガの威力を再確認することになった。

問題は瞑想だった。ゴエンカ氏の講話では、合宿後も自宅で、少なくとも1時間の瞑想を毎日朝と晩の2回ずつやるのが理想的と言うことだった。狭いワンルーム・マンションで、ほとんどいつもCNNテレビとBBCラジオを同時に大音量で聴きながら、新聞と雑誌を読んでいる主人の横で、いかにして1日2時間の瞑想の場所と時間を確保するかが問題だった。

「だから1日2回って言うのは、無理かと思うのよ。とりあえずは1日1回ずつにしようかなと・・・」
合宿明けの月曜日に久々に出社した私に「合宿どうだった?」と訊く現地人の同僚Gにそう言うと、
「1日2回と決まってるんだったら、2回やらなきゃだめだ。旦那に話して分ってもらうんだな。自分にはとても大切なことなんだって。」
「そういうもの?」ふだんは瞑想なんてとんと興味のなさそうなGの反応に、ちょっとびっくりして聞き返す。
「さもなけりゃ、もっと広い家に引っ越すんだな。」
「えー、おかねは?」
「銀行から借りるのさ。いいローン紹介してやるぜ。個人所得税法上有利な利息控除スキームもあるし。」
「そこまで言う?あんた銀行の回し者?」
相手の表情には冗談を言うような様子はない。この同僚は、ある日酒を一滴も飲まないと決めて以来、何があっても、たとえ誰かが自分の代わりに「住宅ローンを全部返済してやるから一滴飲め!」と言ってくれても絶対に飲まないと公言している頑固者だ。自分の信念を貫き通すことに重きを置くという意味で、あながち冗談ではないかもしれない。この即物的な税務コンサルティング事務所で、私はこのほかにも、私が瞑想合宿に参加したことをどちらかと言えば好意的に見てくれているらしい人々の反応に数々出合って、なんだか嬉しくなった。

いずれにしても、小さな子供がいるわけでも、寝たきり病人を介護しているわけでもない自分には、瞑想をする時間を1日2時間確保することが不可能なわけはない。主人に相談したら、びっくりするほど真面目な顔で「いいよ」と承諾してくれた。面白い番組や記事があるとすぐに「見ろ、見ろ!」と騒ぐ主人だが、私が瞑想中は絶対に話しかけないと約束してくれた。まず主人が普段絶対使わない窓際の小さなソファーを自分の瞑想場所に決めた。主人が夕方出かけたり、早朝まだ眠っている間に、それ!とばかりにその場所に行き、瞑想を始める。主人がテレビをつけているときでも瞑想ができるよう、強力な耳栓も買った。この期間3日間のウィーン出張のときは、自由時間に同僚たちが出かけている間に、「疲れたから」とか言い訳をして、暇さえあればホテルの部屋で瞑想をしていた。ウィーンは好きな町なので観光したいのは山々だったのだが、いまや瞑想が三度の飯より好きになってしまったのだ。行き帰りの飛行機の中も耳栓をして目を閉じて、無理やり瞑想空間にしてしまった。

2時間の瞑想時間を確保するため、できれば毎晩夜11時前に就寝して、翌朝は5時に起床するという生活を続けたい。じつはこの睡眠パターンはいろいろな人が推奨している。中でも、母親が送ってくれた江原啓之編集の「A・NO・YO (あのよ) 2006年 12月号」と言う雑誌の中で、江原さんが「スピリチュアルな視点で見て理想的な睡眠時間は、夜十一時ごろに寝て明け方五時に起きる、六時間睡眠です。夜十一時に眠りにつけば、午前一時から二時頃はちょうど熟睡していられます。この時間帯は、この世と霊的世界の距離がもっとも縮まる時。このときに里帰りしていれば、密度の濃いエネルギー補給ができます。また、六時間というのは、もっともいいインスピレーションを日常的に授かりやすくなる睡眠時間でもあります。六時間では足りない人もいるかもしれませんが、熟睡できる環境を整えて眠れば、だんだん足りるようになってきます。」(p.145)と言っている。(母は時々「あっ!」と驚くほど今の自分がちょうど求めている本を、日本から送ってくれることがある。)自分は霊界についての知識は全くないし、霊の世界とはなるたけ関わりを持ちたくないと思っているが、「密度の濃いエネルギー補給」ができると言うのが魅力だ。

と言うわけで6時間という短い時間に熟睡することが非常に大切になってくるが、とくに四十肩の痛みのために睡眠の質が極度に悪化している。でも、目のほうは毎朝5時ごろに、目覚まし時計なしで自然に覚めてしまう。そのため睡眠不足で仕事中へとへとになってしまうことが問題だった。そんな時、元お客様で、今では古いお友達のSさんがこのブログを読んで、少し前に日経新聞に掲載された四十肩を改善するための体操の記事を送ってくださった。(Sさん、有難うございました!)これを毎日続けることにした。さらに、先日癌の担当医の定期チェックを受けたとき、相談して四十肩の専門のお医者さんを紹介してもらった。

そうだ。8月6日(月)から26日(日)までの3週間は、この6時間熟睡をペースに載せ、かつ、仕事も順調にできる・・・と言う状態を実現しよう。と言うわけで、今これを書いていても眠くてよれよれだが、心は希望に満ちて、わくわくしているのだ。

江原啓之 編集
A・NO・YO (あのよ) 2006年 12月号
新潮社 1000円

ヴィパッサナー瞑想合宿日記 (3) 痛みについての考察

自分にとってこの瞑想合宿が、4日目からが突如「苦行」の様相を帯びてきた・・・と以前書いたが、それは主として、「瞑想ホールでの合同瞑想中は体を全く動かしてはいけない」と言う縛りが設けられたためだった。瞑想中は必ずしも半跏趺座・結跏趺座である必要はなく、参加者たちは、大きなクッションを3つ重ねた上にちょんと腰掛けたり、キリスト教の祈祷台のようなものに膝まづいたり、椅子に座ったり様々な姿勢で瞑想することが許されているが、いったん瞑想を始めたら目を開いたり足を動かしたりしてはならない。

私の場合小さな座布団2枚の上に胡坐をかいていたが、30分ぐらい同じ姿勢でいると猛烈に脚が痛みだす。と言うわけで、瞑想の後半は体の様々な部位の感覚に意識を集中するどころではなく、もっぱら脚の痛みとの格闘だった。

しばらく格闘しているうちに、脚の痛みを感じなくする唯一の方法は、痛みに意識を集中しそれをつぶさに観察することだということが分ってくる。すると、ひとつに感じられていた痛みが、いくつもの明滅する感覚の束だと言うことも分ってくる。痛みは、一種の信号であり、血流を妨げられた脚が「動かしてよ!」と合図を送っているのだ。その微細な信号は誇張されて、痛みに変換され、さらに心理によって激しい痛みへと拡大されていく。そのことに思い当たったとき、信じられないことだが本当に痛みが完全に消える。雷雲の中から突然ぽっかりと晴れた天空に頭を突き出すような感じだ。しかしそれはつかの間で、痛みはやがてまた戻ってくる。

痛みと無感覚が交互にやってくるその間隔が次第に速くなり、6日目には、痛みの信号を感ずると同時に無感覚をも味わっているような状態になる。

ただし、集中が弱まるとすぐ平常の意識状態に戻ってしまうのかたちまち猛烈な痛みが襲ってくる。呼吸に意識を集中し平静になろうとする。そして、頭で「これは明滅する信号を拡大しているに過ぎない」「これは自分の痛みではない」と繰り返す。ゴエンカ氏がしゃがれ声で唄うダンマ・ソングが頭の中でがんがん鳴り響く。合宿所に大きく掲げてある「Strong Determination (固い決意)」という張り紙の意味がようやく分かってくる。全身汗びっしょり。1時間の瞑想が終わったときにはくたくたになっている。

このように、痛みを通して得た学びは大きなものだった。集中力が十分ではないために完全に痛みに無感覚になるには至らなかったが、そのメカニズムだけは何となく分かったように思う。(催眠術による麻酔も同じ原理なのだろうか?)

その後、合宿から戻ってきて、なぜか(瞑想の習慣と関係あるのだろうか)ますます悪化していく四十肩の痛みに耐えかねて、ある朝夜明け前に目覚めてしまったとき、ベッドの中で静かに呼吸し、「これは現れては消えていく信号に過ぎない」「これは自分のものではない」と自分に言い聞かせた。すると、このときもまた激しい痛みがすっと消えた。以前親知らずの痛みで眠れなかった時のことを書いたが、その時にはできなかったことが瞑想合宿以後できるようになったらしい。

それはたいそう嬉しいが、次回瞑想合宿に行くときは、もっとすわり心地のいいクッションを持って行こうとひそかに考えてもいる。

ヴィパッサナー瞑想合宿日記 (2) ネガティブな反応

瞑想合宿は4日目から本格的なヴィパッサナー瞑想に入った。プログラムは以下のとおりだった。

4日目 体の様々な部分に、頭からつま先まで順番に意識を止め各部分の感覚を感じていく。
5日目 頭からつま先まで、つま先から頭まで、順番に意識を止め各部分の感覚を感じていく。
6日目 左右対象となる部分を同時に、頭からつま先まで、つま先から頭まで、順番に意識を止め各部分の感覚を感じていく。
7日目 なるべく多くの部分を同時に、頭からつま先まで、つま先から頭まで、順番に意識を止め感覚を感じていく。
8日目 自由な息吹のように頭からつま先まで、つま先から頭まで意識を通す。その中で重苦しい部分、何も感じない部分があれば、そこにじっと意識を止める。それを体全体が等質の感覚を持つようになるまで、繰り返す。
9日目 8日目と同様。

4日目の課題については、実際には3日目の3時のセッションで説明と実習があった。これははじめはかなり難しく、貧血を起こしたみたいに気分が悪くなってしまった。体の各部分に意識を集中するときに無意識に息を詰めていたため、酸欠状態になってしまったらしいことに後になって気づいた。馬鹿みたいだ。体の各部位に意識を集中することと同時に、呼吸にも意識を払わねばならないのが難問だった。特に4日目・5日目は体に意識を集中するあまり、呼吸のリズムががたがたになってしまっていることに気づいた。そこで、しかたなくまず呼吸のリズムを一定にし、意識を移動させるリズムの方をそれに合わせることにした。(この方法が正しかったのかどうか、今でも分らない。)

ゴエンカ氏の講話によると、合宿を中断して逃げ出そうとする人が出るのは、この4日目の晩が一番多いらしい。自分は瞑想を習得することにあまりにもワクワクしていたため、途中でやめたいと思ったことは一度もなかったが、4日目の昼前に部屋で一人で4日目の課題を練習しているときに猛烈に泣きたくなった。

このように瞑想が進むにつれて、さまざまな不快な感情や感覚がわきあがってきて、体や心が嵐のようにざわざわとしてくるが、何があっても平静を保たなければならない、とゴエンカ氏は繰り返す。

自分の場合も左肩と腕に意識を集める度に、左肩と腕がぶるぶる震えだし、激しく動かしたくなるのをこらえなければならないことが何度かあった。その時、自分の体と心と言う荒馬に乗って振り落とされないよう手綱をしっかり握り、体を固定させなければならないのだということが分ってくる。瞑想中に体を動かしてはいけないのはそのためで、手綱となるのが呼吸なのではないだろうか、と。

もう一つ、面白いなと思ったことは、体中に意識を循環させ始めると途端に体中がぽかぽかと暖かくなってくることだった。合宿所は森の中にあり、7月だというのに湿って底冷えがする。それで始めの3日は瞑想中も毛布をかぶり、夜もベッドの上でがたがた震えるほどだった。ところが、3日目以降、瞑想中は毛布がいらなくなり、夜ベッドに横たわっても意識を体中に循環させると暖かくなって眠れるのだった。それが瞑想の正しい結果なのか、それとも、呼吸と意識をシンクロさせているために誤って気功のようなことをやってしまっているのかが分からなくて、心配になる。先生に質問しようと思うが、気功について上手く説明できるか自信がなくて質問をあきらめる。

気功については興味はあったが、以前紹介した赤松子の本を読みながらちょっとかじった程度だった。というわけで、気功のことは良く分からないが、赤松子の本には「気功をして体の中で気の通りが悪い部分に気が通ると、ぴくぴく震えることがある」と言う意味のことが書いてあった。上述の左腕がぴくぴく震えると言うのもこれで説明がつく。また、野口晴哉の活元運動も、患部に気が通るとその部分がひとりでに動き出すと言う。と言うことは、瞑想で意識を身体に循環させると言うことと、気を通すと言うことは同じなのかもしれないと思ったりもした。(誰か、ご存知の方がいたら教えて下さい!)

ゴエンカ氏の講話でも、最初の月着陸船の機体の開発に関わった著名な科学者がミャンマーの1ヶ月のリトリートに参加したとき、瞑想中に身体がぶるぶる震えたり、胡坐を組んだまま身体が15センチほども跳ね上がったというエピソードが紹介された。その科学者は、これまでノイローゼ気味だったのが瞑想によりすっかり治癒したと言うので、瞑想中に震えが出るのは決して悪いことではないのだろう。
(続く

ヴィパッサナー瞑想合宿日記 (1) 呼吸にかんする気づき

地橋秀雄氏の「ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践」に出会えたこと、そして、7月4日(水)から15日(日)の10日半の当地(ベルギー東部のドリーパール)のヴィパッサナー瞑想合宿に参加できたことは、今後の自分を大きく変える原動力になるのではないかと言う予感がしている。

上司や同僚に10日間の休みを取ること、その目的が10日間の瞑想合宿に参加することであると打ち明けたとき、同僚のT氏から、「瞑想って、それやると、どうなるんですか?」と訊かれた。「はあ、どうなるかって言われても・・・」と言葉に詰まったが、気を取り直して、地橋秀雄の著書に書いてあった通りのヴィパッサナー瞑想の効用をそのまま列挙した。

・ 頭の回転が速くなる
・ 集中力がつく
・ 記憶力が良くなる
・ 分析力が磨かれる
・ 決断力がつく
・ 創造性が開発される
・ 現象の流れが良くなる
・ 苦を感じなくなる
・ 怒らなくなる
・ 不安がなくなる
・ 執着しなくなる・・・

しかしこれ以上に差し迫って自分をヴィパッサナー瞑想に駆り立てているものは、うまく言葉にはできないが、日頃からどこかが詰まった水道管のように自分を感じているということだった。その詰まりが、自分の知性や心の健全な働きの邪魔をしている、そしてそのことが自分自身だけではなく自分を取り囲む物事や人々をも巻き込み、健全な流れを妨げている、そんな感覚だった。

別の同僚のWさんが、「10日間やり遂げたらきっと達成感がありますよね!マラソンと同じで」と元気付けてくれる。うーん、10日間やって得たものが達成感だけだったら悲しいかも・・・と思う自分がいる。

初日の夕方、ベルギー・ドイツ・オランダの国境近くの森の中にある瞑想センターに到着し、登録、部屋の割り当て、貴重品の保管(ここで携帯電話、車のキー、財布などをまとめて預ける)、野菜と豆のスープの軽い夕食。全員の登録が確認された時点で入り口の門が封鎖され、男性と女性の立ち入りエリアがロープで仕切られる。宿舎と瞑想ホールを取り囲む森のベンチでしばらく休み、8時15分から瞑想ホールで最初の合同瞑想。この時点から10日目のメータ・デイ(慈悲の日)の朝まで一切の会話が禁じられる。

この瞑想合宿のプログラムは、ミャンマーの政府高官だったサヤジ・ウ・バ・キンが行っていたプログラムを、その弟子のS.N.ゴエンカ氏が継承し世界中に普及させたメソッドに従っている。このプログラムに従って、生徒は、起床・就寝、瞑想、食事、講話聴講を、厳密なスケジュール管理下で10日間続ける。ゴエンカ・メソッドの瞑想センターは世界中にあり、日本の瞑想センターは京都と千葉(開設予定)にあると言う。

以下がプログラムの詳細だが、これは世界中のゴエンカ・メソッドの瞑想センターのプログラムと同じと思われるので、参考にしていただければ幸いです。

04:00  起床
04:30 - 06:30  ホールまたは自室で瞑想
06:30 - 08:00  朝食・休憩  
08:00 - 09:00  ホールで合同瞑想
09:00 - 11:00  ホールまたは自室で瞑想
11:00 - 12:00  昼食
12:00 - 13:00  休憩
13:00 - 14:30  ホールまたは自室で瞑想
14:30 - 15:30  ホールで合同瞑想
15:30 - 17:00  ホールまたは自室で瞑想
17:00 - 18:00  お茶・果物・休憩
18:00 - 19:00  ホールで合同瞑想
19:00 - 20:15  講話
20:15 - 21:00  ホールで合同瞑想
21:00 - 21:30  講師への質問
21:30      消灯

合算すると1日11時間弱の瞑想だ。通常毎晩20:15からの合同瞑想の折に、ゴエンカ氏の声(テープ)が翌日の瞑想の方法のインストラクションを与える。インストラクションは毎日少しずつ異なる課題を与えていき、生徒たちは一日中一心にそれを練習するうちにその日の晩にはそれができるようになっている。そして毎日、だんだんと難しい課題をこなせるようになっていく。課題とは次のようなものだった。

1日目(到着日の翌日) 鼻腔の感覚に注意し自然な息の出入りをはっきり感じ取る。
2日目 鼻腔の内側を含み上唇の上から鼻全体の感覚に注意する。
3日目 上唇の輪郭を底辺とし鼻にいたる小さな三角形の部分の感覚に注意する。

これらの課題はどれも私にとっては難しいものだった。特に最初の2日間は、職場での色々なことが絶えず思い出され、しばしば集中が途切れて思考の雪だるま状態になっていくことが多かった。
また普通に静かに呼吸をしている状態では、鼻腔の内側の感覚を感じ取るのがほとんど不可能だった。さらに鼻の下の皮膚は、私の場合ほぼ無感覚と言ってよい。
そこで定められた瞑想時間だけではなく、休憩時間は森のベンチに座って昼寝をするふりをしながら、消灯してからはベッドに横たわったまま、暇さえあれば一心不乱に練習を続けた。そうする内に鼻の下の三角の部分の感覚がクリアになっていき、さらに少なくとも30分は他の事は一切考えずにこの感覚に意識を集中できるようになった。

瞑想ホールに座り鼻の下の三角形の部分の感覚に意識を集中する。集中があるときがくんと深まり、さらに階段を下りるようにまたがくんと深まっていくのを感じる。感覚への集中はそのままで、クリアな思考が「この感じは何かに似ているな」と考える。そして、それが深い催眠状態と似ていることに思い当たる。グラスナー博士の「ヒプノテラピー」も、「催眠とは深い集中状態である」と言う意味のことを言っていたと思う。少しがっかりして、「それでは、今やっていることは催眠とどう違うのか?」と考える。そして、「違いは、いま自分が深く集中しているだけではなく、鼻の下と言う限られた場所のかすかな感覚を感じ取り、観察し、気づこうとしているということだ」と考え、それ以後は安心して自分の感覚の観察に集中できた。

この初めの3日間の訓練はブッダが説いた特別な経「アーナーパーナサティ・スートラ(出息入息に関する気づきの経)」に従っているらしいことが分った。この経は、ラリー・ローゼンバーグ「呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想」に紹介されているように、「サマタとヴィパッサナーの両方を包括するために呼吸に関する意識をどのように使えばよいか、そのアウトラインを示したもの」(p.4)であると言う。後に4日目、5日目と訓練を続ける中でようやく、これがいかに大切な訓練であるか、いかに大きな力を発揮するものであるかを体感することになる。
ベルギーで行われているのは10日間コースだけだが、ミャンマーなどで行われている1ヶ月以上のリトリートの場合でも、修行期間の始めの3分の1がかならずアーナーパーナサティの訓練に割かれるという。

さて、3日目の3時の合同セッションで、今から初めてヴィパッサナー瞑想に入ることが宣言された。この時から、自分にとってはこの合宿がとつぜん修行の様相を帯び始めた。

ゴエンカ氏は言う。これから行うヴィパッサナー瞑想は心の大手術のようなものだ。心の深層の部分は体の感覚と結びついていて、ヴィパッサナー瞑想ではこの体の繊細な感覚に深く分け入りながら心の中に入っていく。これを続けるうちに、かつて自分が積み重ねてきて自分の中に堆積しているネガティブな反応(嫌悪や渇望などで「サンカーラ」と呼ばれる)が浮き上がってきて、不快感や重苦しい感覚を感じさせるだろう。その時、この感覚は自分ではないこと(アナッター)、そして、生成するが消滅するものであること(アニッチャ)、この二つを体の感覚を通じて理解しなさい。常に平静であることを心がけなさい。そしてヴィパッサナー瞑想が始まったら、どのように苦しくとも、体のどこかが痛み始めても、少なくとも合同瞑想の間の1時間は目を開けることはおろか体を一切動かしてはなりません。そのように硬く決意しなさい。
(続く

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