河合隼雄は、「
講座心理臨床2−心理療法と物語」の中で言っている。
「病を治すという観点からも『物語』というのは、実に大切なことだと思っている。現代はそのような物語を一般に通じるものとして提示できないところに難しさがあるように思う。各人はそれぞれの責任において、自分の物語を創りだしていかねばならない。」
自分自身の神話ないし物語を見出していくために、無意識の底から差し出される象徴的形象を、無意識との相互交流を重ねながら徐々に自我に取り込んで行くためのひとつの手段として、河合隼雄は
箱庭療法を提唱している。(箱庭療法の鮮やかな例証は河合隼雄と中沢新一の対話「
ブッダの夢」その他で披露されている。)
カール・グスタフ・ユングが例えば「
個性化とマンダラ」の中で見せてくれるように、絵を描くのもひとつの方法だろう。
でも、画才もなく、テラピストの元で
箱庭療法を受ける機会もなかった自分にとって、自分の無意識とつながり、それを自分のものとするためにもっとも手軽で有効と思えた方法は、物語を書くことだった。
私事をくどくど話して恐縮だが、前述の惨めな高校生時代に書いていたのは、極度に閉ざされた独りよがりのコスモロジーで、結局これらは私にとって現実世界からの逃避場所にしかならなかった。先の
ジョセフ・キャンベルの言葉を借りれば、現実との対話を欠いた閉ざされた神話だった。その後、進学し徐々に外界とのつながりを回復し、人並みに友人や恋人もできたが、それにより切れてしまった内界へのノスタルジアだろうか、ふたたび物語を書き始めるのだが、その度に精神の均衡が崩れ抑鬱状態になる。海底を運行中の潜水艦のハッチをあけた時のように、物語を通じてものすごい勢いで無意識の水が浸入してくるみたいに。あるいは、「退行」と言うのだろうか、真空航行中の宇宙船のハッチをあけた時のように心のエネルギーが一瞬にして無意識の方に吸引されてしまったような状態だ。そんなわけで、次第に物語を書くことを止めてしまった。
ところが学生の頃書きかけていた未完の物語を、2年ほど前不思議な僥倖から完成させることになった。長らく放置されていた物語、それは、久々にふたを開けてみると精緻な逆さ天国を模った箱庭みたいな場所だったが、物語を再開するためにそっと足を踏み入れてみると、物語の中の自分の身体が、当時に比べてずっとたくましく、賢くなっていることに気づいた。あれから、学校を卒業した後社会に出、数々の失望を体験し、人を傷つけ、傷つけられ、さまざまに鍛えられ、いくばくかの知恵と辛抱強さを身に着けた事が、私の現実の世界の身体だけではなく、物語の世界の身体をも成長させていたらしい。「ニルスの不思議な旅」で、小人になり異界を旅したニルスが、知恵と勇気を身につけて現実の世界に戻ってきたのとちょうど逆に、現実の世界で苦労した自分が「精神の事実」の世界にもマチュリティーを身につけて戻ってきたらしいことが、物語の箱庭の中に身をおいてみて始めて分かったのだ。
学生時代、物語を書くと言うことはこの人口楽園の内部を精緻に磨き上げていくことだった。ところが、この度の書くことはその箱庭に入り込み行動することを意味していた。作品を作ると言うことにはあまり関心はなく、テラピーのつもりで箱庭に置かれた自分がどのように感じ、行動するかだけに集中した。それは、学生時代の「物語の身体」にはなかった、行動するための心的なエネルギーが、新たな「物語の身体」には備わっていたということかもしれない。学生時代の未完の物語の中の「私」は、私が実際に子供時代をすごした日本海のひなびた町を思わせる魅惑的な風景の中にいて、(「双子の弟」と呼んでいる)物語の外にいる誰かの到来を予感しているが、その不安に満ちた予感の中に留まりただ待っているだけだった。ところが新たに書き次がれた物語では、「私」は物語の果てまで行き、最後にその美しい物語の書割が崩れる(これは物語の中では戦争というか暴力により崩壊するのだが、自分の幼少期の世界の崩壊に対応しているようだ)。ところが、海辺の町の書割が崩れそこに現れるのは見知らぬ風景だけど、やはり海なのだった。そして、「私」は最後にその海の風景の中に現れた「外側の誰か」と遭遇する。(こう書いてしまうと、結末だけは映画「
トゥルーマン・ショー」みたい!
話が少しそれるが、この物語を書く作業自体が不思議な体験だった。物語を書いている間中、まっさらな白紙のノートに既にうっすらと文字が書いてあって、わたしはそのうっすらとした文字が消えない内に、大急ぎでそれをなぞって行くという感じがしていたのだ。文字がはっきりしている所は、一言一句がかなりはっきり見えるのでものすごい速さで書いて行く。でも、所々薄くなっている所や、完全に文字が消えて見えなくなっている所もある。そういう時、無理に頭で推理して、空白を埋めようとすると、しばらくは書けるのだが、やがて「なんかおかしい」と気がつく。そこで、その部分を全部消して、文字が見えてくるまでぼんやり待つ。すると、最初の一文字が見えてきて、その後、ばあっと先の方まで見えるのだ。何故これほど早く書けるのか、しかも頭でほとんど考えていないことが書けるのか。もしかしたら、昔何十遍と読んで一言一句を憶えてしまった小説があって、しかもそのことの記憶自体は失われているのではないか、と心配になったほどだ。
前掲書「
ブッダの夢」の中で、河合隼雄は
箱庭療法についてこう言っている。
「(箱庭療法はヨーロッパでも)、今だんだん広がりつつあると思います。でもヨーロッパは言語の世界ですから、言語的に認識して、言語的な洞察を得て立ち直るというような、そういう心理療法のイメージが非常に強いわけです。欧米の箱庭療法の場合、治療者がどうしても早く言語化して、解釈を与えたいと思うわけです。僕らは、それをやるなと言ってるのです。」(p.109) 「箱庭療法の技法は日本人に向いてたわけです。日本人は、だいたい治療者のほうもあんまり解釈する気がないでしょう。一緒にワヤワヤやってたら、ええ、治りました、というようなもんです。はじめのころなんかは、極端な場合は、治療者も何故治ったかわからない。」(p.110)
物語書きも、これと似た体験であるように思う。つまり、自分の書いた物語の意味は最後までわからなくても、物語を書くことによって、自分の意識の及ばないところで何かが整理され、収まるべき所におさまるということが起こるのだ。
この物語を書く間も書いた後も抑鬱状態になることは一度もなかった。むしろ、書くことによって、停滞し忘れられていた世界が活性化されるのか、ものすごく元気になった。こんな体験は初めてだった。特に、物語の最後、見知らぬ海岸の風景の中に人影が現れ、その見知らぬ誰かが「私」に近づき、「待っていたよ」とだけ言う。その顔は、陽光と海の激しい照り返しを背に逆光となってまだ見えない。それは何故か心を引き裂かれるほど恐ろしい瞬間だが、こうあえて書くことによって、また、この部分を読み返す度に、何故か生きる力がみなぎってくるのだ。