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悩んでいるときは、とりあえず尊敬する人の形だけでも真似してみました。

昨年も悩みの多い年であった。悩みはもちろん、外側からやってくるのではない。自分が作り出しているのであった。だから悩みの解消も外側からやってくるのではない。自分で解決するしかないのだ。

たとえば、2013年の正月に、
「今年中に、綱渡りをしながらジャグリングをできるようになる」
という目標を立てる。荒唐無稽な目標を立てたのではない。どうすれば、自分が働くサーカス団で生き残っていけるかを冷静に考えた結果、「これしかない」と得られた結論である。ジャグリングには自信がある。綱渡りは、ジャグリング一筋できた自分については全く新しい分野だ。数年前から必死で練習して、どうにかできるようになったのだがまだ心もとない。でも綱渡りの名人がひしめいているこのサーカスで、何かお役にたてる存在になるには、綱渡りだけでも駄目だし、ジャグリングだけでも駄目なのだ。でも、いったいどこから練習を始めたらよいのか見当もつかない。

2013年のはじめぐらいまでは、「どうしよう、どうしよう・・・」とおろおろして、自分でストレスを作り出した結果、大事な綱渡りの練習もおろそかになり、得意であったはずのジャグリングの自信も失うありさまであった。

同僚が、
「いいじゃん。ジャグリングがこんなにうまいんだから。綱渡りも、なんとなくサマになってきたよ」
と言ってくれる。でもそんな言葉は自分にとって何の慰めにもならない。

2013年に学んだことは、どうしたらいいのかわからなくて混乱し、やる気を失いかけたり、安きに逃げたくなっている時、とにかく尊敬している人の形だけでもまねることが、自分を支えてくれ、とりあえずロボットのようにでも自分を正しい方向に向かわせてくれるということだった。

そこで、2013年の春ごろから、具体的には、以下のような努力をしてみた。(これを読まれる読者は、「割とふつーね?」と思われる内容かもしれませんが、私にとっては自分の自堕落な本性にかなりメスを入れる行為であり、これを1年続けるのに、自分の薄弱な意志の力は当てにできないので、かなりな創意工夫が必要でした。)

1)平日は毎朝は5時15分に起床後、ジムで運動し、オフィスに8時前に到着。
2)1)を実現するために、晩はできる限り小食にし、23時以前に就寝。
3)1)を行いながら、短時間でも質の良い眠りを確保し、仕事中の体調をよくするため、平日の晩はお酒を一滴も飲まない。(金曜・土曜の晩だけは、少しだけ飲んでもよい。)
4)オフィスのデスク周りはできる限りペーパーレスにし、つるつるに磨く。

一番大変だったのは、2)と3)かもしれない。亭主のグリが毎晩のように夜更けの酒盛りに誘うので、これを振り切って23時に就寝するのが大変であった。始める前に一番難しいと思っていたのは1)でしたが、2)と3)を厳守したら、自然にできるようになったのが意外であった。

初期仏教の修行僧の睡眠時間は、夜の10時ごろから夜中の2時ごろまでとどこかで読んだ。内臓が一番休むこの時間帯にしっかりした眠りを取れば、あまり長く眠らなくとも元気なのだそうだ。たしかに、睡眠時間は6時間と以前より短くなったが、お酒をやめたせいもあり、ほとんど疲れは感じない。

こうやって1年近く続けて見ましたが、ジャグリングをしながら綱渡りをするという最終目標には、けっきょくミクロ前進でしか近づいていない。でも、ミクロ前進しながら時には不安になったり、自暴自棄になる自分の心を、支えてくれ、整えてくれるのが、どうやらこのような形の上での縛りを自分に課すことなのだった。仏教の戒にも、道徳的な意味ではなくて、そういう実際的な意味があるのではないかと思う。

JUGEMテーマ:夢・目標

バッタリ倒れてしまった年末年始(3) 再び、「抽象度を上げる」ということ

2012年の始めに立てた目標の内、完全に実現したのは「クロールが泳げるようになる!」という目標だけであった。

1年間の間、毎週ちんたら練習していただけであったが、1年の終わりには、「イアン・ソープ風の」と自分が信じるフォーム(笑)のフォー・ビートのキックで25メートルプールを何とか往復できるようになり、泳げない大人がゆったり泳げるようにと考案されたというトータル・イマージョンと言うツー・ビートの泳法では、もう少し長く泳げるようになった。

何もないよりはましだが、年の内で本当に実現した目標がクロールだけと思うと、何ともしょぼい。

***

自分にとって2012年を通じての最重要の目標は、やはり「思考の抽象度を上げる」と言うことだったと思う。「思考の抽象度を上げる」とは何とも抽象的な目標であるが、何故かこれを身につけられれば色々な問題が一気に解決するように思えたのだ。

「思考の抽象度を上げる!」。この目標を忘れないよう、自分のPCを立ち上げるパスワードを「Chushodo!」と設定していたくらいです(笑)。こうしておけば、毎日PCを立ち上げたり、スクリーンセーバーのロックを解除するたびに、この言葉を自分に言い聞かせ、常に自分が思考を抽象化する方に努力しているかを反省することになる。

でも、1年を振り返って見て、目標を山の頂上だとすると、やっと裾野にたどりついただけの自分がいる。ブリュッセル方言では、「まだ旅籠屋も出ていない(On n'est meme pas sorti de l’auberge.)」と言うところだろうか。

さて、こんな目標を掲げることになった直接のきっかけは、2011年夏に読んだ苫米地英人さんの本「すべての仕事がやりたいことに変わる―成功をつかむ脳機能メソッド40 」で、「思考の抽象度」と言う言葉に出会ったからだった。(2011年7月23日のエントリー

でも、もっと根本的な理由は、前回のブログエントリーの最後の方に初登場した、同僚のサイトーさんである。

サイトーさんは日本の提携先から弊所に出向してきた人で、駐在してから数カ月もたたない内にブレインのスマートさで弊所のベルギー人たちの間で一躍有名になってしまった。ベルギー人たちに認められるためには、凡人であれば語学力が大きく作用すると思う。でも、サイトーさんはとりわけ語学が達者と言うわけではない。でも彼が言葉少なに言うことが、人々のレベルをはるかに超えているのでぐさっと胸に刺さるのだ。

出向して半年たった時、上司のロニーが、しみじみと、
「サイトーは、前任の出向者が4年たってもできなかったことを半年でやっちまったな」
と言った。そんなことを言われるような前任者にはつくづくなりたくないなあと思うが、仕方がない。

サイトーさんは向かいの机に座っているので、ほとんど一日中いっしょにいて、彼の電話の一言一句を聞いていたり、一緒に会社を訪問したりするのだが、2年たった今でも、ほとんど毎日が感動と驚きの連続である。

頭脳が鋭くて回転が速い人はこれまでも周りにたくさんいた。でも頭の回転が2倍速とか3倍速の人であれば、自分でも追って行ける。だから、感心することはあってもびっくりすることはない。サイトーさんの場合はすこし違う。もちろんスピード感はある。そして、一気にバサッと切り捨てて、導く結論が説得力があり、適格でもある。でも、その持って行き方に、速さだけではなく、一つの次元から別の次元にワープするような不思議な飛躍があり、それが独特なのだ。恐らく同僚たちが強い印象を受けるのは、そのためではないかと思う。

「この飛躍は何だろう」、ずっと考えていた時に、前述の苫米地英人の「思考の抽象度」と言う言葉に出会って「これだ!」と気がついた。

多くの場合、あるひとつの問題を誰かから相談された時、自分の場合、相手と同じ抽象度の次元にとどまるように気をつけながら話すことが多いと思う。それは、自分のある種の「優しさ」でもあるし、同時に弱点でもあるように思う。

もちろん、そこで行き詰ると、頃愛を見ながら、角度を変えたり、少しずつ抽象度を上げたり色々試みる。でも相手の抽象度が低いとそのペースに巻き込まれてしまい、泥沼の中を一緒に這いずりまわるような思いをすることがあるのだ。相手はさんざん話した後でカタルシスを感じるかもしれないが、結局何の解決にも行きつかない。そして私自身はどっとエネルギーを失っている。

ところが、サイトーさんに何かを相談すると、たとえそれが日常的なことであっても、一気に会話のレベルがというか、抽象度が強引に数次元上がるのだ。すると、こちらもつられて自分の抽象度を上げざるをえない。お陰で、サイトーさんに話す前に、どう話そうかと考えている時に、知らず知らずに抽象度が上がるので、相談する前にあるていどは自分で問題が解決できてしまうようになったくらいだ。

お客様と話す時は、サイトーさんも、「これは要するに、こう言う問題と言いかえることもできますね。その前提でさらに考えると・・・」てなことを言いながら、「これから話の抽象度をちょっと上げますよ〜」と言うサインを送ることがある。でも同僚同士の会話では前置きなく数次元も上がるので、スピード感があるし、解決不可能に思えた問題があっという間に整理されてしまうので、ほんとうにびっくりするのだ。

抽象化の過程は、不純物をふるいにかけ、取り除くための網の目をどう設定するかによって全く違ってくる。網の目は、人によってまったく違う。サイトーさんについてすごいと思うもう一つの理由は、彼の抽象化の網の目が、彼個人の卑小な目標ではなくて、私たちのいる部署や、ファーム全体、グループ全体の「究極の目標」にそって設定されているからだと思う。

サイトーさんは、年がら年中ほとんど抽象的なことしか話さないと言っても良い。個人の感情とか、社内政治とか、誰それの噂話とか、今日何を食べたとかの具体的な話は全く出てこない。彼の抽象度の宇宙の網の目は本当に詰んでいるので、そう言う不純なごみみたいなものは完全に除去されてしまう。だからサイトーさんとの会話は、純粋な宇宙空間でテニスをするみたいなものだ。不純物を取り除いた宇宙は、本当にクリーンなので、球がものすごい速さで飛び交うし、太陽の光が本当に強くとどく。

太陽の光とは「究極の目標」ということだ。

バッタリ倒れてしまった年末年始(2)  士別三日、即當刮目相待

去年の2月に「鷲の再生」と題するエントリーの中で書いた通り、昨年ずっと考え続けていたのは、どうやって過去に得た知識や地位や仕事の流儀に安住することなく、自分を変えていけるか? 厳しい雨の中で物陰に隠れる代わりに、一気に雲の上まで飛翔するための新しい翼をどうやって身につけるか? と言うことだった。

例えば、こう言う人間を思い浮かべて下さい。ジュニア・アシスタントとして15年前に入社してから、コツコツと仕事をし勉強を続けてきた。特に頭脳がブリリアントなわけでも、スマートで要領が良いわけでもないので、仲間内では有難がられながらも目立たず、人より多くの時間とエネルギーを仕事に注ぐことでようやく係長になり、課長に昇進した。

さて、この人の力量は、課長としては完成している。この人がこのままの完成されたスタイルと能力をキープする限り、それ以上出世はできないかもしれないが、日本の(昔の)会社であればそのまま定年まで課長で勤め上げられるか、悪くても関係会社に出向と言うことになるだろう。(今は日本の会社もそんな悠長なことは言わないかもしれませんが。)

ただこの人がいるのは、日本ではなくて、ベルギーの会社である。ベルギーでは、物価指数の上昇にスライドさせて自動的に給与が上がる法定インデクセーションというあきれたシステムがある。そこで、自動的に、毎年給与額が2〜4%も上がって行くことになる。

また、ベルギーでは、勤労年数により法定解雇予告期間(または解雇補償金)が増えて行く。増え方も半端ではない。勤労期間5年以内は、法定解雇予告期間は3カ月(または3カ月分給与相当の解雇補償金)だが、勤労期間5年を超えたとたんに6カ月、10年を超えると9か月… と、とんでもなく増えて行く。つまり、勤労期間の長いスタッフの潜在コストはそれだけ高いことになる。

ということで、この人の顕在的・潜在的コストは年月とともに増加していく。

この顕在的・潜在的コストの増加率を超えるスピードで、この人が成長していかない限り、この人は次第に会社にとってはお荷物となって行く。

経験による知識の蓄積は多少のヴァリューになるかもしれない。ただし、それも加齢による体力や能力の衰えによって相殺されてしまう。もっと若く、給与が安い若手スタッフがもっと要領よく同じ仕事をできるかもしれない。会社にとっては、これ以上潜在コストを増やすよりかは、早くこの人を解雇して、若手スタッフに仕事を振った方が得策である。

さて、上述の「この人」がいる状況とは、今の私が置かれている状況を冷静に分析したものです(とほほ・・・)。

数年前に考えたのは、いかにして自分を代替不可能な、かけがえのない、競合他社に行かれては困る人材にするかと言うことだった。何か形に残る分かりやすいものが良いと言うことで、とりあえず、税理士の国家試験の準備を4−5年して、合格した。

でもそれでは十分でない気がした。税理士資格は自分の仕事にあるていどは役に立つことであるし、会社の主たる目的にも名目的には直結するのであるが、それは、「会社が本当に自分にしてほしいと思っていること」とは関係ないのではないか・・・ということだった。つまり、試験準備中から税理士資格を取ることは皆が応援してくれたが、それはしょせんは自分の独りよがりの意志で、会社の利益は別の所にあるのではないかと言うことだった。(そのため、試験準備のための休みは取らず、就業時間後の夜の時間だけを使って勉強した。)

つまり、自分を代替不可能な、競合他社に行かれては困る人材にすることは自分の身を守るためには大切なことかもしれないが、それだけに集中することは、企業と言う集団の中で仕事をする喜びをそいでしまうのではないかと言うことだった。

それに気づいてからは、「独りよがりや自己満足ではなく、会社が自分にしてほしいのは何だろうか」と考えることが課題になった。その答えは今も出ていない。でも、考えるとっかかりは獲得したと思う。それは、まずは、会社が、今何を目的としていて、何をどうしたいと考えているかを理解するということ、自分の上司たちを観察して、彼らがそのために何をしようとしているか、いま彼らがそのために日常的にやっていることを理解することはもちろん、そのひとつひとつの行為を、自分だったらできるだろうか(たぶんできない)を考えること。そして、彼らがやっていることの内、部分的にでも自分にできることは何だろうか? を考え続けること。それによって、いつかは答えにたどりつくことができるのではないかと言う気がしている。

***

モスクワ事務所のジャパンデスクにいる同僚Iさんが、先日出張してきた。彼はもともとブダペストにいてハンガリー語がペラペラだったのだが、数年前にモスクワに異動になってからは必死でロシア語を勉強し、2年前に会ったらロシア語がペラペラになっていた。今回会ったら、訪問先の自動車会社の人々と自動車の製造工程やディストリビューション等の話ができるくらい、ロシアの自動車業界の専門家になり、現地の自動車工業会のロシア人たちの中では顔になっていた。

「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」とは三国志の中の言葉だったと思うが、Iさんの変化には、毎回会うたびに瞠目したものだ。

Iさんとお客様を訪問した帰りに車の中で、正直にそれを言うと、
「まりあさんもやってください」
と言って、自分がどうやって業界のビジネスに精通するための勉強したかを教えてくれた。
「私だったらあと5年ぐらいかかるかもしれません」と言うと、
「あと、2年。」
と、元気づけるように言ってくれた。それは、まさに、自分が自分に残された時間として思い描いていた期間だった。

***

年末年始に悩み続けた重い頭で出社し、同僚のサイトーさんに、Iさんの進歩に瞠目した話をし、「ああ、私は変化も進歩もなく2012年を終えてしまいました」
と嘆くと、サイトーさんがめずらしく憤慨したようなでかい声で、
「まりあさん、変わりましたよ!」
「・・・へ?」
「2012年にすごい進歩しましたってば!」
と力強く言ってくださったおかげで、少し元気が出ました。

バッタリ倒れてしまった年末年始(1) 2012年に去って行った人々

風邪との戦いを楽しみながら、悠々と正月を迎えるつもりでしたが、ゴール直前でバッタリ倒れてしまいました。東京オリンピックで3位ゴールと同時にバッタリ倒れてしまった円谷選手のような心境です。今も思うと、円谷選手は3位入賞でも全然嬉しくなかったのではないか。自分の体力、自分の弱さ、自分の限界を知って情けないと思う気持ち。自分も、風邪のつらさよりもその情けないという気持ちの方が大きくて、布団に張り付いて本当に落ち込みました。

仕事の面では、ほとんど脇目を振らず400メートル走ぐらいのスピードを維持しながら駆け抜けた2012年であった。最後の方では、色々な物事や人々を、踏みつけにしないまでも切り捨てることになった。それが正しいことだと思う必要があった。

「ゴール直前で」と言う表現は、正しくない。折り返し地点と言うべきだろう。それから400メートル走と言うのも正確ではない。競争相手がいるわけではないからだ。でも、こんなにまで必死で走り続けた理由は、そうしないと「退場」の札を渡されてしまうからだ。

「退場」の札とは、もっと具体的に言うと、会社をクビになってしまうと言うことです。冗談ではない。今年は、自分と常に一緒に仕事をしていた直属の上司が3人もクビになった年だった。

まずは、2012年の幕開けと同時に、会社法部パートナーのアンヌ・クリスティーヌが辞めて行った。夏になると、関税部ディレクターのレオが、秋には、付加価値税部ディレクターのパスカルが、マネージメントの決定により去って行った。

3人ともダイナミックで、熱意があって、知識ももちろん一流で大変素晴らしい上司だった。でも、マネージメントにとっては、何かがすこしずつ足りなかったり、多すぎたり、過剰だったりしたのだと思う。私は今になってだが、それが分かるような気がする。それが分かることは、同時に、自分が大幅に、何かが足りなかったり、多すぎたり、過剰だったりすることに気づくと言うことでもある。

一言で言えば、それは腹をくくって、自分の力で会社を維持し、会社を大きくし、自分の配当も稼ぐと同時に、部下たちを食わせて行くんだと言う気概の有無と言うことかもしれない。そのためには、特にはクライアントにも部下にも、上司に対しても鬼にならなければならない時がある。

同じ上司でも、私にとっては最悪で、若いのにいつも不機嫌で顔色が悪くて、チーム全体を引っ張って行くのに苦労の絶えない個人所得税部ディレクターのグンターがパートナーに昇進したのは、ここが違うと言うことかもしれない。

前者が(私も含め)雇われ人根性に甘んじて居るのに対し、グンターは経営者でステーク・ホルダーだと言うことかもしれない。

***

関税部ディレクターだったレオが、今日が最後の日と言う朝、一緒に仕事をしていたみんなにメールを送った。

This morning is my last day at XXXXX.

 

It has been a funny, interesting, meaningful, joyful (and sometimes hard) journey. I have met a lot of extraordinary people of whom I have learned so much…regardless of the hierarchy & their grades.

 

In line with our culture & values, I just want to say goodbye with a quote that describes a bit the way I describe the challenges we all are facing.

 

« Il faut toujours connaître les limites du possible. Pas pour s'arrêter, mais pour tenter l'impossible dans les meilleures conditions.  » R. Gary (自分にできることの限界を知ることは大切だ。でも、それは、その限界で立ち止まるためじゃない。自分にできないことに、最良の条件下で再びチャレンジするためだ。)

***

会社法パートナーだったアンヌ・クリスティーヌが辞める時、彼女のオフィスにあった鉢植えの植物を私にくれた。彼女のごちゃごちゃのデスクの上で死にかかっていた植物は、今私のデスクの上で元気に育っている。

鷲の再生

家の向かいのアイリッシュ・パブ「マイケル・コリンズ」には、ブラッセルに住む英語を母国語とするエキスパットの他、出張で立ち寄ったBBCのテレビキャスター、アイルランド人の欧州議員、航空会社のクルーなどが集まるそうなのだが、中にはいったいこの町にどうやって来て、どうしてここに住み着いてしまったのか分からない外国人も大勢いるらしい。(うちの亭主のグリもその一人かもしれない。)

そんなグリの最近のお友達、デスモンド・シニアがこんなメッセージを送ってくれた。



グリは、
「鷲ってすごいな。40歳になった時、選択を迫られる。死ぬか、再生するか。後者を選んだ鷲は、150日間巣にこもって、古くなったくちばしと爪と羽を全部自分でむしって、新しく生えてくるのを待つんだって。こうすると、70歳まで生きられるんだってさ」
「70歳?」

妙にこのエピソードに感動してしまった自分は、You Tubeで一生懸命BBCドキュメンタリーのフィルムを探すが、くちばしと爪と羽を自分でむしる鷲の映像は見つからない。

色々調べる内に、鷲の寿命は動物園で大事に育ててもせいぜい50歳であり、上の話はアメリカ・インディアンの伝説であることがわかりました(笑)。

「え〜、そうなの?」とグリはがっかり。「でも神話と言うものはどこかに一片の真実を含んでいるもんだよ?」この神話に含まれているのは、動物学の真実ではなくて、心の真実なのだろう。

デスモンド・シニアのメールは、さらに続く。

「雨が降ると、鳥たちは雨に濡れないように物陰に隠れようとする。でも鷲は、雨に濡れないように高く高く飛んで雲の上に行こうとするのさ」

これは、今の自分にはぐさっと刺さるメッセージでした。私も古いものを捨て去って、心機一転しないとこのまま死んでしまう。雨が降ったら軒下で通り過ぎるのを待つのではなくて、力いっぱい飛んで雲の上に出るのだ。

デスモンド・シニアは、70歳で、グリの一番年上の友達だ。今日は、彼の奥さんの1周期。彼も古い爪とくちばしと羽を脱ぎ捨てて再生しようとしているのだろう。

(最近、こういうストレートフォワードなメッセージに素直に感動してしまうなあ。)

真冬の対決(3)

翌朝、ミヤさんとコジさんを乗せて再びアウトバーンを車で飛ばす。昨朝に比べるとコジさんの口数が少ない。

ミヤさんが言う。
「コジさん、ジョンは比較的扱いやすいのです。すぐかっとなるけれど、赤い布を振ると、こちらの思い通りにすぐ飛びついてくれます。難しいのは親父のポールです。穏やかな紳士ですが、赤い布を振っても、その背景に何があるのかをすべて視野に入れているので飛びついてこない」
「ミヤさん、本当に縁を切ろうと思うのであれば、賠償金は覚悟しないと。そんなところでケチってろくなことはないと思うよ」
ミヤさんは黙っているけれど、たぶんお財布を握っている日本のおじいちゃんを説得するのが大変だと考えているのだろう。

さて、ジョンとポールの親子を前に会議室に向かい合って腰を下ろすと、開口一番、ミヤさんが言う。
「昨日貴方が最後に提案した、おかず二品という代替案、日本のおじいちゃんに確認しましたが、そんな条件は呑めないと言っています」

ジョンの顔がさっと赤くなった。お父さんのポールもちょっと顔色が変わった。
「わかったよ、お前たち、昨日は中立的だと思ったのに、今日はもうおじいちゃんの味方ばかりするんだな。もう俺を離縁するつもりだろう。俺がいなくなってお前たちの会社がやっていけると思っているのか」

お父さんのポールがそれを遮って、
「私たちは離縁するつもりはない。もう一度チャンスをくれ。でも、お宅の要求する条件をクリアするには、昨日言った洗濯機とアイロンだけではなくて、電子レンジとお料理ロボットも必要なんだ」
「パパ、そんなこと言っても無駄だよ。テツにはもう何度もそれを頼んでいるんだ。でもいつも日本のおじいちゃんが許可しないと言って、つっぱねられてきたんだ」

ミヤさんがそこで、
「それなら、日本のおじいちゃんに直接提案書をもっていったらどうだね。テツを間に挟まないで」
 
父親のポール、
「提案書を作るよ。そうしたら、日本のおじいちゃんではなく、ひいおじいちゃんに直接話せるかね」
「それは分からないが、提案書を作ってくれたら、私から話してみる」

そう言うミヤさんの真意が分からない。早いところ縁を切って会社もつぶせと言うおじいちゃんの命令でミヤさんはここに来ているはずなのに、仲を取り持つようなことを言っている。単なる時間稼ぎなのか。

夜遅くブリュッセルに戻ってから、昨日今日でとったメモをもとに、朝4時頃までかかって議事録を作る。まず英文の議事録を作ってその横に日本の翻訳をつけるために、昨日今日のやり取りをもう一度読み直すと、なんだかジョンとポールの親子が猛烈にかわいそうになって来た。

ポールは自分の知能と努力だけをたよりに、今の会社を一代で築き上げてきたつわものだ。でも、こちらの日本の巨大会社に比べると吹けば飛ぶような会社である。日本の会社には、テツの後ろにミヤさん、ミヤさんの後ろにおじいちゃん、おじいちゃんの後ろにはひいおじいちゃんがひかえている。その後ろにはひいひいおじいちゃんもいるのかもしれない。ポールとジョンは一体誰を相手に戦えばいいのか分からない仕組みになっているのだ。ポールとジョンに提案書をいくつも作らせて、戦い疲れてへとへとになるまで弱らせてから一気に縁を切るつもりなのか。
 
にこにこして空港のゲートに消えて行く二人の剣豪ミヤさんとコジさんを見送りながら、なんとなくぞーっとした自分であった。
 
(たぶん数カ月後に決着したら、つづく)

真冬の対決(2)

先方のオフィスに着くと、社長のジョンと父親のポールがにこやかに迎えてくれる。ミヤさんとコジさんもにこやかに握手する。

ジョンは、見るからに気が強そうだが、どこかイノセントなところがあって、これまで人に騙されて辛酸をなめたことはないのだなということがこの私にもわかる。老獪なビジネスマンである父親のポールに守られていたせいだろう。

ポールは、80歳近いと思うが、受け答えがとてもシャープで隙がない。にこやかに冗談を飛ばしながら、ふっとこちらを見る目がタカのように鋭い。

先程のたとえで言うと、夫のテツさんは連れてこないで、テツさんのお父さんのミヤさんとお母さんのコジさんが、妻のジョンさんの話を聞きに来たような感じだ。

ミヤさんとコジさんは、さっそく、
「毎晩夕飯のおかず四品以上と、毎日ワイシャツを洗濯してアイロンをかけてくれろと言うプロポーザルを先日うちの息子のテツから、ジョンさんに送りましたが、受け入れてくれますか」
と切り出す。

相手のノーと言う答えを引き出すのがこの話し合いの目的だ。会話の一部始終は、第三者の私が記録し、証拠として残される。

ジョンは、イエスともノーとも言わないで、次のように言う。
「この提案そのものがおかしい。おかず四品以上作ったら、ワイシャツにかける時間がそれだけ減ってしまう。そもそもワイシャツを白洋舎に出さないで済むためには、新しい洗濯機とアイロンが必要。もうずいぶん前から、洗濯機とアイロンを買ってくれと貴方の息子さんに頼んでいるのに、彼はずっと無視してきた。それに、5年ぐらい前から彼は白物家電そのものを買うのをやめてしまったのです」
と延々と夫のテツに対する恨みつらみを、義父母に述べる。

その時突然、会社で留守番をしているはずの夫のテツが部屋に入ってきて一同唖然とする。テツは満面に笑みを浮かべて、
「えへへ、来ちゃった」
と言う。

妻のジョンも子供っぽいが、夫のテツも天真爛漫なところがある。子供夫婦なのだ。それで、親同士が話し合いをしなければならないと言わけだ。

ミヤさんとコジさんは、テツのことはとりあえず無視して、ジョンに、
「それではどういう条件だったら受け入れられるの」と聞く。

父親のポールがジョンに代わり、
「おかず二品以上と言う条件だったら、善意で呑むことにしましょう。それから、ワイシャツについては、現状では無理だから、どういう洗濯機とアイロンを買ってほしいのか提案書を作ってみよう」
と締めくくった。

会社に帰ったミヤさんとコジさんは、日本の事業部長(これはテツさんのおじいちゃんにあたる)に早速電話で報告をする。おじいちゃんは、
「なに?おかず二品だと?そんな提案呑めんと言え。四品は絶対だとな」
とつっぱねる。

ミヤさんとコジさんは苦笑い、テツはわが意を得たりと得意そうだ。おじいちゃんは、テツのことを個人的にとても可愛がっているのだ。でもおじいちゃんは、ジョンの父親のポールとも長年の友人だ。テツとジョンとの縁切りを自分の口から切り出すのがしのびなくて、刺客のミヤさん、コジさんを送りこんだらしいことが推察される。

テツがすやすや眠ってしまったところで、ミヤさんとコジさんが静かに話している。
「コジさん、日本のおじいちゃんは、早いとここんな縁組解消して、ドイツの子会社もつぶせと言っているけど、僕から見るとこれはとてもいい会社なんです。従業員の質も、設備の面でも。今回何日か滞在して、なんかつぶすのはもったいなくなっちゃった。でも、問題はジョンですね。もし会社を存続させるとしても、ジョンとこれ以上続けて行くのは難しい」
「ミヤさん、もし、ジョンとの縁組を解消した後でミヤさんがここに来て、会社を立て直すというのはどうですか?ミヤさんだったら、何年ぐらいかかりますか?」
「2年は最低かかりますね。現行の制度を全部リセットしてゼロから始めるとなると・・・」

ミヤさんは、以前別の赤字子会社を2年で黒字会社に変えた実績の持ち主なのだ。

(つづく)

真冬の対決 (1)

今週は、1週間極寒のドイツにいました。

長い赤字が続くドイツの子会社を閉めて、取引先との縁も上手に切りたいと思ってる大手の日本のメーカーと仕事をするためです。

日本の本社は、子会社が赤字続きで、この会社の製品しか扱っていない取引先が黒字続きなのは、構造的に何か間違っていることにずっと前から気付いている。夫が腹をすかしているのに、なぜか妻がダイヤモンドをたくさん持っている夫婦のようなものだ。

こんな結婚は早いとこ解消した方がよいのだが、10年も経過してしまった。日本の会社に相当余裕があったということだろうが、最近は不況と円高でそんなことも言ってられない。でも、妻に訴えられて多額の賠償金を取られるリスクを減ずるためには、慎重に事を運ばなければならない。

日本の本社の思惑は、手短に言えば、現状では実現不可能な条件を取引先につきつけて、相手がその提案を拒否した時に、おもむろに、
「お前がこの条件を飲んでくれないと、わが社は生き残れない。仕方がないので縁を切ろう」
というシナリオだ。

ある日突然、夫が、これまで思いっきり甘やかしてきた妻に向って、
「もうダイヤモンドも海外旅行もなしだ。夕食には毎晩必ず4品以上おかずをつけて、お酌をしろ。俺のワイシャツも白洋舎に出さないで、お前が洗濯してアイロンをかけろ。そうしてもらわなければ、俺はもう働けないので、会社を辞めて、放浪の旅に出る」
と宣言し、妻が、
「そんなの無理よ。だんこ拒否するわ」
と言うのを待って、
「それでは仕方がない。離婚しよう」
と言うようなものだ。

いきなり「離婚しよう」と言えれば話は簡単なのだが、このような前段階を踏むことにより、妻に少しでも負い目を持たせられれば、リティゲーションになった時多少なりとも立場が優位になるからという期待があるのかもしれない。

でも、子会社に駐在しているテツさんと、取引先会社の社長のジョンさんが犬猿の仲で、寄るとさわると怒鳴り合いになってしまうので、一向に話が進まない。

そこで、日本の本社がヒットマンを送りこみ、ジョンさんと話をさせることになった。英語が達者で、切った貼ったの修羅場をくぐりぬけてきたミヤさんだ。ミヤさんと言うのは、宮本武蔵から私がつけたあだ名で、本名ではない。同行するのは、私の会社の大阪事務所からコジさん、このあだ名は佐々木小次郎からとった。

月曜日と火曜日は、前述の現地社長のテツさん、ミヤさん、コジさんと私の4人で、弁護士たちと会い終日事前打ち合わせをし、翌日・翌々日はドイツの取引先まで行って、いよいよ決戦だ。

テツさんを連れて行くとケンカになってしまうのは目に見えているので、ミヤさんとコジさん、そして私の三人だけで行くことになった。

ミヤさんは、一見、着流し、丸腰に見える優しげな紳士だ。同行するコジさんは、日系三世のアメリカ人で、彼も異常にソフトだ。

こう言うソフトな人に会う機会は、私の場合なかなかない。

一方、相手方の社長のジョンは、頭が切れる上に、怒鳴り出すと止まらないと言う強気の男だ。しかも、今回は、老獪な父親のポールも一緒だ。ミヤさんとコジさんがどんな交渉をするのか怖いような楽しみなようなである。

真冬のアウトバーンを車を走らせる私の耳に、後部座席にかけたミヤさんとコジさんののんびりした会話が聞こえてくる。

「ミヤさん、僕は最近、剣豪小説をたくさん読んでいるんだけど、小説の中で、相手との距離と言う話が出てくる。深いダメージを受けないように相手の剣の届かない距離をとりながら、ジャブの応酬をしているんだけど、ある時わざと相手の剣のスパンの中に入って見る。それは、相手の反応を見るためなの」
「フェイントをかけるってことですね、コジさん。たしかに、交渉の中で相手の反応を見るためにフェイントをかけることはありますね・・・僕も時々やります(笑)」

また、しばらくして、コジさんが話し始める。
「今こうやってミヤさんとお話ししますね。そして、二人の話はある所で落ち着きます。そうすると、次の日また話を始める時に、前の日に話して合意した所から、始めることができます。でも、僕の上司ですが、翌日話し始めると、昨日言ったこととは全然違うことを言い出す人がいる」
「忘れているんでしょうか」
「いえ、憶えていると思います」
「わざとやっているということですか」
「はい。たぶん僕のコンシスタンスを試しているのだと思います」
運転しながら私が口をはさむ。
「え〜、そんな人、信頼できないじゃないですかっ!」
「はい。信頼できません」 
コジさんは物思わしげにそう言って、黙る。

アメリカで生まれ育ち、最初の就職が私の会社のアメリカ事務所だったコジさんは、今は日本の、大阪の事務所で働いている。日本での就職経験がない自分の偏見かもしれないが、大阪は特殊な商習慣とエートスを持っているのではないかと想像してしまう。そんな中で、コジさんは大変苦労しているのではないか。

(つづく)

論理的話し方・情動的話し方

人を動かす [超] 話し方トレーニング【サブリミナルCD付き】 劇的な成果が手に入る驚異の会話術」の中で、苫米地先生は日本人は論理的話し方が苦手だと言っている。たしかに、日本の子供はすこしでもそう言う話し方をすると、理屈が通っていても「屁理屈を言う」とか「生意気だ」とか言われてぼこぼこにたたかれるので、そういう能力が育ちにくいだろう。

(自分は子供のころは口から先に生まれてきたと言われるくらい口の達者な子供だったが、こんなたたかれ方をしたおかげで、すっかり無口になってしまった。)

逆に、自分の夫など西洋人にたいしては、一見理屈が通った説明をすると、こちらが拍子抜けするほどあっさり納得してくれることが多い。特に彼が弱い言葉は、「ジャスティス」とか「フェアネス」とか「権利と義務」とか言う言葉だ(笑)。

例えば、同居を始めたころ、私がいつも夜遅くまで残業してくるので夫が、
「なんでいつもこんなに夜遅くまで仕事してくるんだよ。就業時間が終われば家に帰る権利はあるだろ。」
と文句を言う事が多かった。聞き流していたが、うるさくなってきたのでためしに、
「あんたがアイリッシュパブに行ってビールを飲むのと同じように、私は仕事が好きなんだよ。あんたがパブに行って夜中の3時に帰ってきても、私は一度も文句を言ったことがないでしょ。私が好きなことをやるのに対し、あんたが文句を言うのはフェアじゃない。」
と優しく言ってみた。そしたら、彼はあっさり納得してくれ、それまで何度も文句を言っていたのに一切言わなくなってしまった(笑)。

これは、ディベートをやったことのある人にとってはいくらでも突っ込む余地のある論理的話し方もどきであったろう。

***

小学生のころ学生運動が盛んで、通学のバスの中で催涙弾を浴びたり、バスの中で「権利」とか「義務」とかその他の難しいことばを聞くこともあった。

ある日、若い頭のよさそうな女性が女友達に対し、別の日にバスの中で出会ったおばあさんについて話をしていた。そのおばあさんが席を立ったので別の若い男性が座ろうとした。すると、そのおばあさんがわざわざ戻ってきて、若い男性が座るのを阻止し、「あんたではなく、あんたが座りなさい」と隣にぼーっと立っていた別のおじいさんを座らせた、と言う話であった。

その若い頭のよさそうな女性は、友人に向かってそのおばあさんのことを批判しているのだが、「変なおばあさん」という言葉によって情動を友人と共有しようとする代わりに、変だと言う根拠を論理的に示そうとしたようだった。

「そのおばあさんは、自分が電車を降りるために席を立った段階で、もうその席についての自由裁量権を失ったわけだから、その席にだれが座るかを決める権利はない」と言う意味のことを口角泡を飛ばして、友人に説明していた。

その時小学校だった自分は、この女の人の言う事こそ少し変だなあと思って聞いていたが、ウン十年たった今思い出しても、これは変だなあと思う。だいたい、「バスの席についての自由裁量権」なんか何ていう法律によって保証されていると言うのだろう。

だから亭主のグリとの会話や、こんなレベルの低い議論からもう一歩超越して無駄な時間とエネルギーを省くためには、クリティカル・シンキングはまじめに勉強しなければならないのだ。

***

大昔フリーランスで通訳稼業をしていた頃、日本のある中小規模メーカーの社長さんとベルギーのディーラーとの商談の通訳をした時のことを冷や汗と共に思い出す。商談の通訳が価格と条件の話に終始していればよいのだが、お互いに苫米地先生の言う「臨場空間」を共有させ親近感を深めるための世間話の通訳が意外と難しい。

前後の文脈は忘れたが、ある時突然この社長さんが、
「日本には兵役を復活させるべきだと私は思います」
ときっぱり言った。

私がうっかりそのまま訳すと、ベルギー人のディーラーは、次の説明を促すような目つきをした。普通の西欧人だったらその後に、「なぜなら・・・」と言ってとうとうと説明を続けるからだ。でも、日本人の社長さんは、晴れやかににっこりしてそのまま口を閉ざしている。日本人同士であれば、そこで一種の無言の空間が共有されて、相手もにっこりするはずである。「なぜなら・・・」と説明するのは野暮と言うものだろう。

しかし、ベルギー人のディーラーはものすごく変な顔をした。

そこで仕方なく、私が口を切った。
「あのー、この社長さんは右翼でもなんでもありませんし、日本が戦時中したことは西欧社会では悪と言う事になっていて、敗戦して軍隊も禁じられていることも分かってます。欧州でもどんどん兵役は廃止されて行っている今、兵役を日本にも復活させるという言い方は、ちょっと危なくて反動的な言い方に聞こえるかもしれません。ただ、社長さんの言いたかったことは、日本を戦前の日本に戻すと言う事じゃ決してなくて、最近の若者がたるんでいて日本と言う国にも関心を失っているから、自分の国を愛して精神的にも肉体的にもびしっとさせる教育を施す体制をつくるということではないかと・・・」

ベルギー人のディーラーは顔をこわばらせたままである。社長さんの方も、私が何か長々と説明しているので変な顔になった。ベルギー人のディーラーと日本人の社長さんとの間に、同じ臨場空間をつくりだすことに失敗した苦い思い出である。



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向こう5年のキイワードは「自分の抽象能力を高める」です

前回の続きで)ヴィパッサナー瞑想の本を読み止観をしたおかげか、自分の落ち込みの原因がどうにか理解できた。階段をやっとの思いで一段登り終え、さて次の階段(はるか高い所にある)を見上げて、そこに至るための能力と自分の能力とのあまりのギャップに目がくらんで、すっかり落ち込んでしまったと言うわけだった。

そう分かりはしたが、まだベッドから出る元気がない。その能力のギャップを具体的にどうやって埋めたらいいのか、見当もつかないからだ。

ベッドのわきに積んである少し前に買った本の中から、もう少し遠くにあった本をつかんでみる。売れっ子の苫米地英人先生の「すべての仕事がやりたいことに変わる―成功をつかむ脳機能メソッド40 」と言う本だ。

仕事関連で気分が落ち込んでいる今の自分は、「仕事」とか「成功」という言葉を見るだけで、ひくひくっとしてしまう。でも「自分が『つらい!』と感じることを1日2つ以上はしてみよう」という目標を掲げているので(笑)、苦いものを呑み込む気持ちでその本を開ける。

今の自分の気分では、仕事は「やりたいこと」ではまったくない。だから、この本を読むことで仕事が「やりたいこと」に変わるのであれば、これはまさに自分にとっての良薬であるはずなのだ。

2時間ぐらいかけて、線を引いたり、ノートに図を書いたりしながらその本を読みおえて、この本が今の自分がまさに必要としていたブーストを与えてくれるものであることに気付いた。

苫米地先生の本を一度も呼んだことがなかった自分は、
「あ、自分が慣れ親しんでいるコンフォート・ゾーンをずらさなければ、願望実現できないって言ってる人でしょ」
ぐらいに考えていた。

でもこの著書の主眼は、「人は思考の抽象度を高めることにより、自分の枠を出、自分の価値や能力を高め、自らの力とすることができる」と言う主張だった。わりと普通のことだが、今の自分には刺さりました。

具体的なばらばらな事象をより高次の次元から見て理解すること。たぶん、もう一段階段を上るためには、これが今の自分に足りないものなのだと言う事が分かった。そして、言うのは簡単だが、その能力はたえず意識的に訓練することによってしか獲得できないものなのだ。抽象の次元には限りがないからだ。この本には、かなり大雑把だが、その訓練法やヒントが書いてある。

この本を読む前には、一つ上の階段が100メートル位上にぼーんと見えていた。この本を読んだ後も階段の高さは変わらないのだが、そこに至るまで小さな段々が100段ぐらいあることが見えてきました。ということで、これからの5年の私にとってのキイワードは
「自分の抽象能力を高める」
です。道のりは長いが、とりあえず道があることは分かった。途方に暮れていた気分は脱せたのであった。

それにしても、このブログの文章を読むと本当に抽象度が低くてあきれる。今後、ブログを書を、抽象度を高めるための自己訓練の場にしようと思います。なんちゃって。



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