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現実の中に不意に夢が侵入して来る時

現実の中に不意に夢が侵入してきたという体験をされた方はいませんか? 私は、一度だけあります。もうずいぶん昔、2006年3月のことです。

ある晩、巨大な廃工場のような建物を誰かの案内で地下室に降りて行くと、そこは、床が黒い湿った土に一面に覆われた部屋で、土に根を下ろすように黄緑のぽっかりとしたみずみずしい巨大な植物があった。柔らかい黒い土に食い込んだ、その植物の白い根が見える。
 「すごいものをみちゃった・・・」
と感嘆しながらさらに下に下りていくと、そこは窓のある天井の低いバラックのようながらんとした部屋であると言う夢であった。

その頃の自分は、深夜残業が慢性化した状態が何年も続いていて、自分ではあまり意識していなかったが、今の自分と比べるとかなりイライラして憔悴していたと思う。夜は四十肩が痛くて、こむら返りもひどくよく眠れない。平日の早朝と週末には、亭主のグリに引きずられるようにしてジムとプールに行くのと仕事の他は、疲れ切って家で寝ているばかりだった。どこにもでかけられないし、グリが、テレビを一緒に見ようと言うのにも、起き上がることができない。

グリはおもしろくない。
「タイクツ、オバン!」
と日本語でののしる。その内、フランス語のようにリエゾンさせて、ワンワードで、
「タイクツォバン!タイクツォバン!タイクツォバン!」
と、私が渋々一緒にテレビを見るまで続ける。

そればかりか、パブ仲間全員に、
「うちのワイフは、怠け者のパンダだ」
と言うメールを送った。寝転がって、竹のはっぱをかじるパンダの写真入りだ。しかも、あろうことかCCに私が入っている。そのメールを、会社で受け取った私はついに切れてしまった。

ふだん亭主のグリが何をしても、めったに怒りを感じない自分であるが、怒る時は本気で怒る。そう言う時は、王様が軍隊を引いてきても私の怒りを止めることはできないし、自分でも収拾をつけることができない。

自分は家に戻り、荷物をまとめると、結婚指輪をはずして、近隣のメヘレンの町まで車を飛ばすと旧市街の一角のホテルに投宿した。そこからグリのメールへの返事を書き送る。
「私は怠け者でも、パンダでもありません。私がどれほど必死で働いているかは、あんたがよく知っているでしょう」
するとすぐに、
「まりあ、よくぞ言った!」
と言う返事が返ってくる。グリからではない。メールを送るとき「全員に返信」ボタンを押してしまったので、グリのパブ仲間全員に送られてしまったのだ。すぐに今度はグリから返信が来る。またもや全員がCCにはいっている。
「君が必死で働いているのは知っている。でも、週末に起き上がれないなんて異常だよ。君は、タイムマネージメントとデレゲーションを学ぶべきなんだ」
「問題をすり替えないで。あんたは、私を怠け者だって確かに呼んだわよ。そもそも、デレゲーションをできる人手がないから、私が残業をしているんでしょう。それに、あんたみたいな暇人にタイムマネージメントをうんぬんする資格はないわよ」
「そうだ、もっとやれ!」
「きついなー、お前のかあちゃん」
外野からやじがとぶので、ひじょうに議論がしにくい。それにこれ以上続けると、グリに要らぬ恥をかかせてしまいそうだ。

そこで、気を落ち着けてグリにだけメールを書く。
「貴方のお友達たちに、私を怠け者のパンダだと吹聴した貴方の思いやりのない行為に、私はほとほと愛想がつきました。私はアパートを出ますので、貴方はそこに好きなだけ住んでください」

そうして、携帯電話もPCも切って、その晩は本当に久々の深い眠りに落ちた。いつもは、亭主のグリが横でテレビとラジオをつけているので、眠りが浅いのだ。

翌日は土曜日だった。ホテルの部屋には、明るい春の光が差し込んで、本当に静かだ。ゆっくりと自分のペースで朝食をとり、のんびりとメヘレンの町に出てみる。





とてもピトレスクなメヘレンの町を散歩しながら、これからどうしようかなあとぼんやり考える。ブリュッセルに別のアパートを見つけて・・・等と考えながら旧市街のはずれまで差し掛かった時、体育館のような建物の窓に強く注意を惹きつけられた。

その異常な、何か懐かしい強い感じを無視して、建物を通り過ぎようとした自分は、また何か強い力に引っ張られるようにして、建物の窓の中をもう一度覗きこんだ。

その建物の何にそれほど引き付けられたのか、その時も、今も、謎なのだが、敢えて言うならば、スポットライトがあまりにも低い位置(私から見ると地面の高さ)にあったことだろう。つまり窓から見えない下方の方に、見えない空間が広がっていることを感じたからだったと思う。

しばらく呆然と眺めていた後、その場を去ろうとして、その建物の脇の土の上に、ぽっかりと一輪だけ紫色のみずみずしいクロッカスが花を開いているのを見つけ、はっとした。そのクロッカスがまるで何かを語りかけるような強い存在感でそこにあって、私は震撼した。

***

そのしばらく後で、あのクロッカスの花は、自分が1週間前に夢の中で見た巨大な地下茎が、現実という地上にあらわれて咲かせた花なのだなあと言うことに気がついた。あの小さい花は、私の無意識の地下の巨大な何かとつながっているので、あれほどの存在感を持って自分に語りかけてきたのだなと。

あの夢も、クロッカスの花も、それを見た私はそれが何かの予兆ではないかと思ったのだが、今思えば、その2カ月後に発見された乳癌の予兆だったのかもしれない。

今思えば、あの時の自分は、色々なものとわかれる瀬戸際だった。たかが、パンダと呼ばれたことぐらいでグリと別れることをなんとも思わなかったし、自分の会社にも愛想が尽きていて別の会社との契約寸前まで言っていた。それが、がんが発見されたことで、どたばたと療養に入り、6カ月の治療生活が終わった後には、会社との関係や、デレゲーションの問題、グリとの関係、全ての問題がなぜか解決していたのだ。

***

グリと仲直りしてから、ジムに顔をだすと、受付の女の子ブランシュが、
「久々ね〜 大丈夫だったの? 心配しちゃったわよ。貴方に出て行かれた時、グリったら、ぼろぼろ泣きながら筋トレしてたわよ」

黄昏時にびしょびしょの泥道を歩くと言う夢

黄昏時にびしょびしょの泥道を歩くと言う夢を繰り返し見る方がいましたら、ご連絡ください。

でこぼこの土の道のあちらこちらに、水たまりがあり、黄昏時の薄赤と薄青の空を反映している。そんな道がどこまでも続いている。そんな悲しい夢です。

以前はまったく見なかったそう言う夢を、最近見ることが増えてきました。そんな泥道を、自分は苦労しながら歩いたり、ポンコツ車に乗ったり、ポンコツトラックを運転しながら進んでいたりします。

そう言う夢にときどきは、向かいの席に座るモーレツ同僚のサイトーさんが出てきて、
「あ、車庫入れだったら僕がやりましょうか」
とか、
「運転代わりましょうか」
とかこちらのプライドを傷つけないように聞いてくる。

自分の夢の中に出てくる泥道や、坂道(下り坂ではなく上り坂)は、仕事に関係しているようだ。

癌になってぶっ倒れた時、最初の抗がん剤治療に続く高熱の中で、日頃ケンカばかりしていた上司のグンターが夢に出てきて、私が苦労しながら運転していた巨大なバスを、私の代りに運転してくれたのだった。

その前に、乾いた坂道を必死で徒歩で登っている時、年下の同僚のハルコちゃんが、自分の自転車を貸してくれた(涙)。

夢の中でまで助けてくれて、みんな本当に有難う。

別の時は、やはり炎天下の上り坂を、同僚のステファンくんと自分は、必死で自転車を漕いでいたのだった。当時、ステファンくんと自分とは、おちこぼれでプロモーションが遅れていたのだった。ステファンくんは、とうとう会社を辞めてしまったが、自分はまだぼこぼこの道を進み続けている。

当時から少し変化したのは、自転車がボロ車になったこと、乾いていた道が泥道になったこと、炎天下が黄昏時になったこと(笑)。

夢を生きる

 先週一週間、クライアント先で缶詰めになっている間緊張のし通しだったのが、昨日、ジムとプールで久々に運動と整体をして、体も心も一気に緊張が解けたせいかもしれない。今朝は、体内時計のおかげで(?)いったん7時に目が覚めたのだが、その後、一気に朝の11時まで眠ってしまった。今年の最高記録と思う。そのまま何も言わないで寝かせておいてくれた、亭主のグリに感謝。

さて、朝寝の中で、久々にストーリーのある鮮明な夢を見た。

大きな黄ばんだホールの中にいる。試験会場または裁判所のようにも見える。正面の演壇の右に小さな机があり、そこにこちら向きに2〜3人が腰かけている。自分の同僚のタカハシさんもその中にいる。私は演壇の方を見て座っているその他大勢の中にいる。演壇の右に座っている2〜3人は、わら半紙に書かれた計算問題を解かされている。何人かが、左側の出口から出て行くので、自分も一緒に出ようとすると、呼び止められて、監督官らしき若い男に「君はまだ問題を解いていない」と言われ、机まで引っ張って行かれる。計算問題は、10問ほどあり、1番目は小学2年生程度の足し算だが、後になるにつれて、意味のわからない記号(数字の後に、点がたくさん並んでいたり)がたくさん出てくる。参考書をみて記号の意味を確認してゆっくり解いていこうと決心するが、人がいなくなると、監督官が背後に来て、右肩をつかまれる。まるで金縛りのように体が動かない。とても恐ろしい。

自分は、いつの間にか、自分の実家の古い家の中に逃げ込んで、窓から外の様子をうかがっている。その監督官が家に近づいてくるので、そこにこもっているよりも、裏口から逃げたほうがいいととっさに判断するが、正面玄関に出てしまったので、仕方なくそこから逃げる。

(眠りが浅いせいか、「久しぶりの悪夢だな。いやだなあ」と思いながら眠り続けている。)

すると、自分はいつの間にか歩いている男の背後に回っており、自分が男の後をつけているような形になる。男はどこか自分にとっては致命的な場所に向かって歩いており、男の後をつけるのは恐ろしい。男と私の間の距離は、たぶん50メートルぐらいあるのだが、男の姿は見えない。私の少し前を、自分が日頃頼りにしている上司のゲールト(なんでこんなところに出てきたの!?)が歩いていて、彼には男の姿が見えているらしく、私を振り向いてもう少しだから、というような合図を送ってくれる。その内、男が戻ってきて、路上にたたずみ、私が追い付くのをやり過ごそうとしている。恐怖。男が自分の後ろに回るのはもっと恐ろしいので、私も立ち止まって、路上で男と向かい合う。恐怖に飲み込まれないように、心を落ち着けて男の顔を見る。男の顔を見た時、自分の恐怖が既にパワーを失っていることに気付く。

***

昨日、ブログで、「初期仏教の心髄感のメソッドで、ある感情に向き合い、それを確認するだけで、その感情がパワーを失ってしまう。」と言う意味のことを書いたばかりですが、早速こんな夢を見てしまいました。幸先がいいと言うか…(笑)。

***

ところで、この夢をここに書きながら、わたしが思い出したのは、人類学者スチュアートが「マラヤの夢理論」で報告した、マレー半島のセノイ族の夢とのつきあい方だった。このスチュアートの報告については、疑義が差し挟まれているようなのだが、以下に河合隼雄氏による要約を引用する。

「セノイ族は少なくとも数世紀にわたって、警察、監獄、精神病院の類を一切必要とせず、すべての成員が平和に暮らしてきた、きわめて珍しい部族である。この部族の生き方を長年にわたって丹念に調査した人類学者スチュアートは、その秘密が彼らの夢分析の能力にあることをつきとめたのである。
 セノイ族は夢を非常に大切にする。朝食の時間に、年長者は幼少の者たちの語る昨夜の夢について耳を傾けて聴いてやる。そしてたとえば、小さい子が、どんどん下に落下してゆく夢を見て怖くて目が覚めてしまったなどと語ると、父親は『それは素晴らしい夢を見たものだ。ところで、お前はどこへ向かって落ちて行った?途中でどんな景色を見た?』と聞く。子どもが怖くて何も見ない前に目が覚めてしまったと言うと、それは残念なことなので、次に機会があれば、もっとリラックスしてよく見てくるようにと励ますのである。
 そんなことをしても何にもならないと思われるだろうが、実際に、その子は次に落下の夢を見た時は、睡眠中でも前に言われた父親の言葉がどこかに残っていて、落下を恐れず、それをより十分に「体験」できるようになるのである。そして、その内容を報告すると、年長者はそれを詳しく聴いてくれ、次の体験へとつなぐような助言を与えてくれる。まさに、セノイ族の人たちは『夢を生きる』ことを文字通り行っている。
 夢に対するこのような態度は、自分の夢を傍観者として「見る」のではなく、それを主体的に『体験』し、深化して自らのものとするもの、ということができる。このような『体験』の蓄積によって、セノイ族の人々は精神の健康を保つことを可能にしたのである。」(河合隼雄「明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫) 」p.44)

同様の、夢に能動的に係る方法は、カルロス・カスタネダが「呪術と夢見―イーグルの贈り物」の中でも報告している。

それを読みながら、「自分もいつかは、機会があったら、夢の中で能動的に行動してみたいな」と夢見ていた(笑)。その夢が今朝かなったのだ! 非常に浅い眠りを中断されずに長時間続けたので、夢の中で行動するための意識の制御装置を保つことができたせいだと思う。





JUGEMテーマ:スピリチュアル






2月 そんなにもシビアな月

みじかい二月のうつくしさは
娼婦ツウインガレラの荒れた頬に
ほのぼの浮かぶ
化粧の色
二月は そんな かなしい月
(北川冬彦)

ヴィパッサナ瞑想のめざましい効用のひとつは、思春期のころ憶えたきり忘れてしまっていた詩を、次々と思い出すようになったということだ。

それは、2007年夏に参加した10日間の瞑想合宿の3日目に、宿舎から瞑想ホールの途中の林のベンチで休んでいた時に突然起こった。「国破れて山河あり・・・」中学2年生のときに初めてならって、その後忘れてしまった杜甫の漢詩をとつぜん最初から最後まで思い出したのだ。

だからどうだということはないのだが、瞑想によって確実に、脳みそのこれまで使わなかった部分が活性化されるらしきことだけは分った。

上述の北川冬彦の詩も中学から高校にかけて自分が夢中になって読んでいた詩集の一冊にあったのだと思う。残念ながらその詩集がここにはないので、上述の引用は正確ではないかもしれない。ブログ「どこかの細道」の著者であるお友達の老真さん(このページのリンクから入れます)が梶井基次郎なんかを引用しているので、真似をしました(笑)。



さてその昔、「秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの」の上田敏の訳で知られるフランスの詩人ポール・ヴェルレエヌにもあこがれてヨーロッパに来てしまったような自分ですが、実際にこちらに来てみてこちらの厳しい秋を体験すると、上田敏の訳は偉大なる誤訳ではないかと思うようになった。フランスの秋についてのテキストを素材にしながら、ここに歌われているのはまぎれもない日本の秋なのだ。

それと同じで、自分にとってのヨーロッパの2月は「そんな かなしい月」であったことは一度もなく、いつも自己憐憫や感傷を吹っ飛ばす「そんなにも シビアな月」だったような気がする。(そのせいか、すっかり性格が変わってしまった。)特にこの2月はすごかった。2月3日に気学で言うところの節入りによって年が入れ替わると同時に、良いニュースと悪いニュースがいちどにどっと押し寄せてきた。

良いニュースの一つは、昨年末に同僚たちと一緒に受けた税理士中間試験の結果の合格通知がようやく来たことだった。1月末から毎日郵便受けを覗くのが癖になっていたが、いつまでたっても来ないので生きた心地がしなかった。諦めかけていたある朝、亭主のグリが私のオフィスにメールを送ってきた。フランス語の4つの科目名の横に点数が書いてある。どうも今朝郵便受に通知状らしきものを見つけて、内容をそのままタイプしてくれたらしい。「フランス語のできないグリが、私に早く知らせようと意味もわからずに一生懸命タイプしてくれたんだな〜」と感激した。3人のベルギー人の同僚たちもみな合格していて、みんなで喜びあった。3人が冬の繁忙期に夜中まで仕事をしながら試験準備をしているのを見ていたので、ほんとに嬉しかった!(自分の方は仕事の内容も彼らほど責任が重くはなく、しかも試験準備は昨年の9月頃から計画的に始めていたので気分的にはずいぶん楽だったのだ。)

悪いニュースの方は、ついにわが社にも人員削減の波が訪れたことだった。今の会社に勤めて13年たつが、これほど大規模に組織的に解雇が行われたのは初めてのことだ。まず1月の終わりに、試用期間中のスタッフが大量に解雇されたといううわさが流れ、自分と同じ部署のジュニアスタッフ3人がなぜか突然自主退職していった。2月に入ると解雇の対象となる人員の選別のための役員会や、中間評価のための面接で重苦しい雰囲気が立ちこめていた。ある晩、自分の部の部長から全員にメールで本日付でうちの部で解雇になる7人の名前が発表された。本人たちもおそらくその数時間前に知らされただけだと思う。そしてその日のうちに人事部に呼ばれて、自分のPCや車を会社に返却させられて会社を去るのだ。管理職ではないジュニアスタッフばかりだったので、「うわー、この後はシニアスタッフが解雇されて、そのあとはマネージャーだ〜。勤労年数が少なくて、解雇手当が少ない順に解雇されていくんだ…」と思ってぞーっとした。

そんなときこの状況を見透かしたように、2−3のヘッドハンティング会社と思しき会社から電話がかかってくる。こんなご時世だが、人員削減による人材流出を見込んで人を雇おうという会社もあるんだろう。こんな自分にも声がかかることがあるのだとびっくりしたのであった。仕事の内容に対して少しだけ「これならできるかも」と思ったのは、税理士専門のヘッドハンティング会社(へー、こんなのあるのね、と初めて知った)からのオファーで、欧州間接税に関するニッチなサービスを提供する大手コンサルティング会社(というと分かる人もいますよね)の日本人マネージャーを探しているのだそう。ヘッドハンティング会社のやたらに陽気なイギリス人のおねえさんは「お勧めよー、この会社。決まれば、出張でしょっちゅう日本に帰れるわよ」と請け合ってくれた。でも自分にとってはそんなことはどうでもよい。仕事が欧州税務だというのに心を引かれた。もう若くない自分が、これまでとは全く別の分野で仕事を始めるのはものすごく不利だという気がしたので。勤務地はロンドンかダブリンということだった。もし運良く雇ってもらえたとしても住み慣れたブラッセルを離れて、物価も高く治安も悪そうなロンドンやダブリンに引っ越しをしなければならないかもしれないと思うと気が重い。
「グリ、ロンドンに住む気ある?」
「やだよ、俺。あんな所」
「じゃあ、ダブリンは?」
「もっとやだよ。ダブリンのやつらの運転がひどいのおぼえてるだろ?ブラッセルにいようよ。俺、ブラッセルが好きなんだよう」
自分だって同じだ。でも仕事が見つからねばどうしょうもない。

以前は色々と悩んで辞めようかと思ったこともある会社だが、最近は「うちの同僚たちは、本当にクォリティーが高いよね。クライアントに対しても私が誇りに思えるサービスを提供してるよね」と心底感じるようになっていた。自分の会社と同僚と仕事の内容がとっても好きになっていたのだ。こんな時に、この会社を去らねばならないとしたら本当につらいと思った。ここに勤める以前に働いていた翻訳会社が撤退して職を失ったときも、乳がんが発見された時も、「へえ」とちょっとは驚いたがほとんど悩まなかった自分だった。でも今度ばかりは違う。執着するものが自分にもあったのだ。眠れない日々が続いた。頼みの綱の上司は、なぜかこの非常時に2週間もインドに出張していて連絡さえ取れない。



緊張がピークに達したある晩、夢を見た。考えても何も解決策が浮かばないとき、自分の頭は突然ぷちっと夢または白昼夢モードに切り替わってしまうのだった。

自分は丘の向こうのフェリー港まで歩いて行かねばならない。陽に照らされたまっすぐな広い坂道を登っていく。坂道は芝に覆われていて、人の歩いたと思われる部分は芝がはげてアスファルト(または土?)の地面が露出している。自分はその露出した部分をたどりながら坂道を登っていく。あるところで、まっすぐな道筋から分かれて左の方にそれるもう少し広く平らな道がある。そちらの方は車も通れそうなぐらい広く、草も生えておらず、平らできれいだ。夢の中で、以前もこちらの方に行きかけたことを思い出す。でも、「フェリー乗り場」と白字で書かれた青い看板は、草に覆われて消えかかって、でこぼこした細いまっすぐな道を指している。一瞬迷うが、細いまっすぐな道を歩き続けることにする。

坂が下り坂に変わると、その道がはるか向こうの輝く海へとまっすぐ下っていくのが見え、その手前に白い石造りのものすごく大きな大聖堂がある。(坂や海に比べると、アンバランスなほど異様に巨大な大聖堂。でもぞっとするほど美しい。)グリや、上司はもっとずっと先を歩いて行ってしまっている。

坂を降り切ったところで、夕闇の中にしっとりとした美しい林が広がっており、小さな光をそれぞれ捧げ持つ人々の群れが途切れることなく右から左へとそぞろ歩いているのに出くわす。この人の群れと一緒にグリ達も行ってしまったのではないかと思うが、大聖堂の方にいる可能性の方が高いと思い、人の流れとは反対に右に向かって歩く。

大聖堂の中は観光スポットのように整備されていて、人ごみの中に上司がいる。グリはいない。大聖堂を出ると、夕暮れの灰色の薄闇の中に、水をたっぷりとたたえたそれは美しい湖水が広がっている。白鳥たちの影が静かに水面を滑っていく。

こんな鮮やかな夢を見たのは、たぶん、抗がん剤治療の最中に高熱出して寝込んでいた時と、手術のあと麻酔が切れて、ハサミを持った男に追いかけられる夢(笑)を見たとき以来だ。それから、5年前に会社の業績が悪くて、もう少し小規模の人員削減があった時にも陽に照らされたまっすぐな坂道を上る夢を見た。その時は自分は何とか解雇を免れたんだった。自分はどうも強いストレスを感じている時に、それを補償するかのようなきれいな夢を見るらしい。



なんだか良くわからないながらも、この夢が、自分はいま正しい道を歩いていて、これからもあれこれ悩まず、正しいと思う道を歩いていくしかないのだということを教えてくれたような気がする。そんなこんなで、うまくは言えないが、前述の会社に履歴書を送ることは止めることにした。2008年12月のブログで、幼馴染のひろちゃんが教えてくれた野口晴哉の言葉を紹介したが、この2月の最後の1週間ほどその言葉が身にしみたことはない。

「闇の中で光を求めているのは、知り得ないことを頭で判った人だ。
知り得ないことを本当に納得した人は光を求めない、また頼らない。
その脚のおもむくままに、大股で闊歩している。彼はその裡なる心で歩いているのだ。

後ろを振り返るのは弱いからだ。手探りをするのは信なき者だ。
足元を見ているのは、先の見えぬことを腹で判らぬ人だ。」



水と夢 (2) 心の浄化について

ここしばらくの自分の瞑想フィーバーの原動力となっているのは、自分の心をきれいにしたいという差し迫った強烈な欲求だ。この欲求は随分前からあったように思う。

例えば、以前にも書いたこんな夢の中にその願望が現れているように思う。

2005年3月28日の夢
大きなガラスの水槽の中に、ミドリムシ、ゾーリムシ、ウジなどがいる。その水を飲んだらしいことに気づく。水槽の中に藻などを入れて、それらの生物の成長を観察したいとも思うが、一方で、それらがどんどん成長して収拾がつかなくなることも恐れて、その水槽の中身をすてて綺麗にしなければと思う。

その他、自分が頻繁に見る水の夢は、多かれ少なかれ浄化の願望と結びついているように思う。

以前、「子供のころからしょっちゅう水の夢を見るが、早朝水泳を始めてからと言うものぱったりと見なくなった」という意味のことを書いた。それが自己暗示の作用をおよぼしているのかもしれないが、先週火曜日と水曜日、2日続けて朝の水泳をさぼったとたん、翌木曜日の朝に久しぶりに鮮やかな水の夢を見た。

水(1メートル幅ぐらいの川か水路)の中を泳いでいく。すると、前方に古い木の家具が堆積していて、進めず、また後ろから別のガラクタが流れてきて詰ってしまう。

ふと見ると、右手の水面に若い男のやせた体が仰向けに浮いている。右目からゆで卵の白身のように眼球が流れ出している。わたしは、水の中から、左側の道を通りかかった初老の男たちに助けを求め、若い男の体を引き上げてほしいと言う。若い男は死んでいるのか、泥酔しているのかわからないが、その顔は卵の白身のように真っ白だ。

その後、私はこの初老の男たちと連れ立って、道行を続けようとするが、水路がコンクリートで蓋をされていて地下を流れているため、地下に入ってそれ以上水の中を進む気がせず、陸にあがってしまう。

歩いていくのも疲れるので、地下鉄か何かに乗ったようだ。3人の男達は、みな灰色のくたびれたセーターとズボンと言う貧しいなりをしている。到着地で、駅から外に出ると、そこはとても美しい静かな夕暮れの水辺である。わたしは、男のうちの1人に手を引かれている。べつの男が、駅の出口の小さい店でプラスチックの箱に入ったみすぼらしい小粒のイチゴを買ってくれる。それを2つ、3つ口に入れるがしなびてあまり味がしない。

夢の中では、しばしば水辺に出ようとして中途で挫折したり、建物越しに遠くから水面を望んだりするだけのことが多いが、美しい静かな水辺に到達した夢は本当に久しぶりのことだ。

わたしを美しい水辺にいざなってくれた、3人の魔女ならぬ、3人のおっさんたちは、沈黙と悲しみがしみついたように静かだった。あれはいったい誰だったのだろう。

水と夢

私の見る夢は、圧倒的に水の夢が多かった。ところが、水泳をするようになってから、なぜか確実に水の出てくる夢を見なくなった。水泳をすることと、水の夢を見なくなったこととの間に因果関係があるのかどうかは分からない。村上春樹が、「小説を書いている間は、夢を見ない」(「村上春樹、河合隼雄に会いにいく 」)と言っているが、ここに何かのヒントが隠されているのかもしれない。夢には一定の役割、まだ完全に解明されているとはいえないが、精神の平衡を保つための一定の機能があるらしい。村上春樹にとっては小説を書くことが夢見と同様の役割を心に及ぼすため、小説を書いている間は夢を見なくても済むのだろう。

同様に、毎日実際に水の中に体を浸すことが、これまで水の夢が私の心に及ぼしていたのと同じような効果を及ぼし、水の夢が必要でなくなったのかもしれない、と考えてみる。そして、夢の中に出てくる水は、象徴としてではなく、水という物質そのものとして心に何らかの働きかけをしているのではないだろうか。とすると、私の夢の中に現れる水はどのような役割を持っていたのだろう。そして、泳ぐこと、つまり水に触れ、水に体をあずけると言うことは、軽い運動による循環器系の改善や脂肪の燃焼以上に、どのような意味があるのだろう。

一番古い水の夢の記憶は、母と一緒に海辺へ出ようとして、近道をするために病院のような暗く大きな建物の中に入り込むが、中が迷路のように入り組んでいて、なかなか向こう側の水辺へ出られないと言うものだ。

その後子供時代を通じて、じめじめとした暗い建物の中に、浴場があるという夢も良く見た。(ちょっと、つげ義春の「ゲンセンカン主人」に出てくる旅館の浴場を大掛かりにしたような不気味な湯治場。)

ここ10年位は、安らぎに満ちた海または水辺へと通じる細い長い下り坂が、少しずつ形を変えて何度も夢に出てくる。本当に美しい水辺に辿り着くことができたのは、ずっと昔に見た夢の中1度きりだったような気がするが。2002年8月24日の夢では、いつもは人気のなかったこの水辺へと降りる坂道が、有名になったものか、大勢の人が往来し、道の入り口には入場券を払うための小さな事務所まで設けられている。

スイミング・プールの中で、おぼれそうになる振りをしていると、日本人の駐在員(ちょうど私の仕事のクライアントとして毎日会うような人)が自分も飛び込んで、プールサイドまで引っ張って行ってくれる。私は、引っ張られながら、右手を高く水の上に上げて、手に持った本(「眠らない少女」というタイトルの実在の本)をぬらさないようにしている。おぼれそうになった振りをした私を日本人が助けてくれたのに対し、プールサイドの椅子に座っている白人の監視員は知らん顔をしている。

上記のプールの夢を見たのは、ユングの著作を集中して読んでいた頃だ。ユング主義者はユング的な夢を見ると言うが、これも「解釈して!」と言わんばかりの夢だ。ジャン・ジロドゥの戯曲「ウンディーネ」では、水の精ウンディーネは人間の世界に来て男の妻になるが、水の中に戻ると人間界での記憶を失ってしまう。私のこの夢でも、水ははっきりと無意識とか忘却の象徴であるように思える。

2005年3月28日の夢では、大きなガラスの水槽の中に、ミドリムシ、ゾーリムシ、ウジなどがいる。その水を飲んだらしいことに気づく。水槽の中に藻などを入れて、それらの生物の成長を観察したいとも思うが、一方で、それらがどんどん成長して収拾がつかなくなることも恐れて、その水槽の中身をすてて綺麗にしなければと思う。

2005年7月24日の夢では、回遊式プールの中で、毛に覆われた目のかわいい小型のアザラシの子供と遊ぶ。

2006年1月4日の夢では、キヨスクのようなバラックの裏で子供のチンパンジーをしっかりと抱いている。チンパンジーは、私と会話もでき、わたしは「頭がよい子なのだな、字も読めるかしら」と自問する。水路をはさんだ向かいにある書棚に天井まで本が並んでいる。本の背表紙の題名をチンパンジーに読ませ、ひらがなだけは読めるらしいことが分かる。私は彼女の名前を呼ぼうとして、名前が間違っていないことを祈りながら、「・・・ソフィー」と呼んでみる。(その日、眼が覚めてから「ソフィー」の名前の由来=「ソフィア(知恵)」であることに気づく。)

2006年7月17日(第一回目の抗癌剤治療の日)の夢の中では、2年前の7月24日の夢に出てきたアザラシの子供を捜している。それは、金色の目をした特別のアザラシで、水の中に沈んでいないかと、石の水槽の中を探すが見つからない。日本の地下鉄に乗っているときに、ドアと窓の間の壁からコードのようなものが飛び出ていて、それを引っ張ると壁がはがれ、氷の破片と一緒に埋められたアザラシが出てくる。

その後数日間熱が出て夢うつつの中で見た夢。巨大なビルディングの窓から中に入ろうとして、窓から中を見ると、そこにはまるでドックに乗り上げた船のように、黄色いバスが窓の方に車首を向けて乗り上げており、制服を着たままの運転手が休んでいる(それとも、休んでいる運転手の制服が脱ぎ捨ててある)。ビルディングの2階で落ち合おうと主人に言い残して、私は地上階から建物に入る事にする。建物は水の上にあり、地上階の入り口にはボートでアクセスすることが出来る。ボートで移動する間すばらしく美しい夕焼けを楽しむ。やがて自然にボートが入り口に着き、建物に入ることができる。

最後の夢は、病気になったことで、「巨大なビルディング(会社)で、大きなバスを運転するような力仕事から解放されて、水の流れに運ばれて自然に入口につける事になった」と、言語的に翻訳できる。象徴ではなく記号的に解釈できるのは、比較的眠りの浅い時に意識の表層に近い部分で見た夢なのかもしれない。仕事を長期間休まなければならないことが分かり断腸の思いでいたときに、この夢を見たことで、随分気が楽になったのを思い出す。

2006年7月28日の夢。ホテルを出ると、なだらかな傾斜を下った先に、暗い森に囲まれたすばらしい青い湖(または入江)が見下ろせる。「ここは観光案内にも乗っていない場所にある宿泊所で、町の方に行くためには地図もないだろう。ホテルの人に道順を聞かなければ」と思いながらそちらの方に向かって歩いていく。道は泥道の下り坂で、やがて崖っぷちにつく。がけの上から30メートルほど下を見下ろすと、下も泥地で、泥にまみれたような色の馬や牛がいる。車が走ってきて、がけに落ちないよう急ブレーキを踏むが、タイヤが滑って中々停まらず危険な感じがする。
再びがけ下を見下ろすと、巨大な緑の鰐が別の爬虫類(リクトカゲ?)と戦って食べようとしている。しかし良く見ると、仲良く組み合って寝ているようにも見える。

2007年1月23日(手術後10日ほど経過してから)の夢。陰気な感じの湯治場の木造の建物の中にいる。いろいろな小部屋があり、木の柵の中にかなり古いちょうちんを沢山つけたみこしのようなものが安置してある。真ん中の給水桶のようなものから木の筒が出ており、そこから薬効のあるうす青いお湯を出して胸の傷にかける。奥の部屋に白い陶器の浴槽がありその中に体をつけると暖かくて気持ちが良い。

いずれにせよ、これらの夢の中で、水はつねに強い感情的電荷を帯びており、物質としての存在感と多義性がある。水は水なのだ。だから、夢を分析することにはあまり興味はわかない。夢の象徴解釈を行うのではなく、秋山さと子が「夢診断」の中で言うように、「夢を味わう」ことにより何かが得られるような気がする。

水は洗い清めるものであると同時に、汚濁の温床でもある。水は遮るものであると同時に、何かを運ひ、結びつけもする。水の中は母胎のように安らぎに満ちた場所であると同時に、恐ろしい死の世界でもある。このような水の両義性は、近年自死したダイバー、ジャック・マイヨールをモデルにした、リュック・ベッソンの映画「グラン・ブルー」に余す所なく描かれている。

学生時代、ベルギー象徴主義の戯曲作家で博物学者モーリス・メーテルリンク
の戯曲「ペレアスとメリザンド」に関するレポートを書いているとき、この戯曲に実にたくさん出てくる水のイメージを読み解くために、ガストン・バシュラールの「水と夢―物質の想像力に関する試論」を援用したことがあった。まず、戯曲の幕開けに下女達が水で門を洗う。泉のほとりで泣いている少女メリザンドが発見される。メリザンドは泉の中に指輪を落としたと言っている。メリザンドの髪のなかで溺れる少年ペレアス。城の地下の湖・・・。バシュラールは、水という物質の「下方に溜まる性質」と「全てを溶解させる性質」について言っていたことを思い出す。水は主体と客体の対立を溶解し、言葉を溶解し、時間を溶解する。この本をもう一度読み直すことで、水の夢をより深く味う助けになるかもしれない。

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