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魔の十字架

みなさん、人生の節目はほぼ10年ごとに来ると思われた方はいませんか?
 
自分の場合、次のような大きな節目がありました。
 [梢討慮気鯲イ譴董東京にやってきた歳
◆‘本を離れて、ヨーロッパに住み始めた歳
 今の会社に入社した歳
そして、私の場合、この´↓の節目が、きっかり10年ごとにやってきたのです。

そんなわけで、から10年ほどたった時、
「うわー、そろそろい来るぞ、い来るぞ…」
と思っていたら、なんと、癌になってしまいました。

癌になった歳に、このブログを始め、禁欲と精進と呼吸と瞑想の日々が始まりました(笑)。

ともあれ、このような周期があるのはなぜだろうと考え、四柱推命や気学などを探し回っている内に、西洋占星術の説明が自分の周期にぴったりと符合していることに気付き驚愕しました。

しかも、自分の,鉢以降の時期は占星術でいう「転落」、0聞澆了期は「障害」と出ており、自分のつらかった時期とぴったり符合しております。ぐ聞漾∨榲に居心地がよくなってきたらと思ったら幸運星と言われる木星が「あるべき場所(居所)」に収まっているという良い時期であることがわかった。ふうん。

上記のようないきさつで、西洋占星術をいつかきちんと勉強したいと思って色々ネットを渉猟していたのですが、なかでもつぼぼさんのページが、いちばん網羅的で充実しており、整理されており、醒めておりプラクティカルであるように思いました。(つぼぼさんはメールで鑑定もうけつけてくれましたので、半年間の鑑定をお願いしました。しばらくはこれを頼りに生きていけそうです。)

***

さて、つぼぼさんからは、4月20日頃は「人間関係で少々トラブルがありませんか。思考が乱れていますね。」というご注意を受けていました。

たしかに、今年になってから忙しいのに加え、先週末から頭の中が混乱しており、昨日は、「タイヤのプレッシャーが落ちてます」というランプがついているのを無視して高速道路をぶっとばしたため、ついに、タイヤがバーストしこんなことになってしまいました。

すいません。アイホンで撮った写真がどうしても横倒しになってしまいます。車が横倒しになっているわけではありません。

場所は、この矢印の場所です。高速の真ん中。


びゅんびゅん脇をトラックが通り過ぎる高速道路の端っこで頓挫した車の中に座ったままレスキューを待つ数時間、クライアントからの電話に答えたり、アイホンでメールを送ったりして、わりと普通に仕事をしていました(笑)。

そうする内に、この1週間ほど、もやもや、いらいらしていた頭の中がすっきりしてしまいました。ちょうど、爆発後の私のタイヤ(下図)のように。


おかげで、今日は久々に仕事がはかどりました。

ところで、この数日は、占星術では天王星・冥王星・火星・木星がスクエアを形成する魔の十字架よばれる時期でした。つくづく、無事で良かった。

JUGEMテーマ:スピリチュアル

iPhoneの日

以前「月記のすすめ」で書いた通り、毎月新月の日に、前の新月から今日までの間に心に残ったことをまとめて書いている。そして、年末の一番最後の新月の日に一年の総括をする。

多分自分にとって先月、そしてもうすぐ終わろうとしている今年の3大ヒットのひとつは、たぶん9月20日に生まれて初めて iPhone を持ったことだろう。

会社からはブラックベリーを支給されていないので、お客様まわりなどをしたり、長いミーティングで数時間PCを見れなかった時なんか、そのあとでPCを開けるのがちょっと怖い。PCを見ない間に、何か大変なことが起こってのではないかとびくびくしてしまうのだ。だから、いつでもメールをチェックできるようにiPhoneがほしいなあと思っていたが、ヨーロッパではものすごく値段が高い上に、売り切れ続出で手に入らなかった。

会社から支給されることになったが、社内広報に対する反応がいつもいま一歩遅れている自分と上司のサイトーさんは、ベルギー人の同僚から1カ月ぐらい遅れて、iPhoneを受け取りに行った。

エルゴノミックで直感に訴えかけるようにデザインされているiPhoneは、PCのキーボードとマウスに慣れている自分には、使い方がよくわからない。特にBACKボタンがないのがやりにくい。それでも皆がかえった後、オフィスでしばらく格闘している内に、だんだんと色々なことができるようになってきた。

うきうきして家に帰り、亭主のグリに見せびらかすと、
「このビデオを見なよ。この人が君のiPhoneをつくったんだよ」
と言って、You-TubeのSteve Jobsのビデオを見せようとする。
「うっさいなあ、わかったよ。あとで見るから」
何かに夢中になっている時、邪魔されるのが自分は大嫌いなのだ。

一番気になっていたメールの受信だが、Wi-Fiのコネクションのないアパートの外の駐車場で試してみて、いつでもどこでもチェックできることが分かった。その晩格闘して、何とか日本語キイボードを入れて、日本語で返信できるようにする。そのことを翌朝サイトーさんに話すと、さすがのサイトーさんもちょっと悔しそうな顔をして「むむ、ほんとうですか?」と言うので、少し得意になる。

それから一週間ぐらいは平日も週末も夜更かしをして、いろいろな apps をダウンロードしたり、音楽をダウンロードしたり、もう夢中です。(apps は、値段もタダか100円ぐらいで、他愛のなさもかわいさも、グリコのおまけとか子供のころ駄菓子屋で売っていたおもちゃを思わせますね。)

ベルギーに来たばかりの時、東芝のダイナブックで苦労しながら大学のレポートを書いていた時、友達からもらった、おもちゃの冷蔵庫のような形のマッキントッシュを初めてつかった時の感激を思い出した。当時はスクリーンが白黒だったが、とってもキュートで使いやすかった。

「これは彼が癌にかかった後に2005年スタンフォード大学でやった講義だよ。
ねえ、この人が君のiPhoneをつくったんだよ」
そうまたグリが言う。今度はとても重々しい声で。



完治不可能と言われているパンクリアティック・キャンサーとの一回戦を戦って勝った直後のSteve Jobs。その彼が、力強い声で、「Stay hungry, stay foolish」と繰り返す映像。

その後でグリから見せられた8月のAppleのCEO退任時の小さな写真は別人のように痩せていたけれど、hungryでfoolishな様子も抜け落ちていて、じつは自分はこの方が好きかなあと思った。

それからさらに1週間、先週のある朝6時に起きて、最近習慣になってしまったiPhoneで日本からのメールをチェックしているとき、Steve Jobsの死のニュースを聞いて、うやうやしい驚愕を感じたのだった。

憑依について

 「憑依体質」というヘンな言葉がある。

うちの父親は、お化けもスプーン曲げも全く信じない即物的なひとだが、しばしば墓場や戦跡で急に気分が悪くなったり、ということをくりかえしたために、オカルト好きの母親に「憑依体質」というレッテルを貼られてしまった(笑)。

父親が前の職場を退職するときに、思い出にと職場の色々な場所を一人で写真に撮って歩いた。現像してみて、
「ひゃー、こんなのが写っちゃった」
と言って、母親に見せたのが明らかな心霊写真だった。

わたしもこの体質を父親から受け継いだらしく、大学生のころは、毎日のように夜中に金縛りにあっていた。それが、ベルギーに来てからぴたっとなくなった。ベルギーの幽霊にはあまり好かれないらしい。

でもここ数年は、週末とかに誰もいないオフィスで一人で仕事をしているとき、とつぜん強烈に悲しくなることがあった。悲しくなる・・・のではなく、誰かが悲しんでいるのを強烈に感じると言った方が近い。それが憑依ではないかと思い始めたのは、その悲しみの感覚が自分にとってはなじみのない、何か恨みに近い、とてもさびしい感覚で、自分にとってはそんな気持ちになる理由は皆無だったからだ。そしてその感覚は、1分ぐらい続いた後、跡形もなく消えてしまう。

****

さて、最近、ある出来事がきっかけで、憑依についてこれまでとは全く別の考え方をするようになった。

ある出来事と言うのは、オフィスの隣に座っている仲の良い同僚のWちゃんのことだ。Wちゃんは、2月の初めに、7年間の遠距離恋愛の彼氏との結婚を決意した。彼女は北フランスの地方都市で結婚式をあげてそちらに住むので、3月いっぱいでこの職場を辞めることを電撃発表した。でもそれを私に告げた時のWちゃんの様子があまりに悲壮な感じだったので、少し心配だった。4月の結婚式の準備(それにしてもずいぶん急だ)をしに、先週の週末にフランスの彼の元に出かけて行ったWちゃんだった。

週末になぜか猛烈に泣きたい気分が襲ってきた。それと同時に吐き気。でもなんで泣きたい気分になるのかさっぱりわからない。それが月曜日になって出社したWちゃんから「もう別れようと思います」と言われてびっくり仰天した。同時になんだか納得していた。月曜日と火曜日の晩に、みんなが退社したころを見計らって長いこと話を聞いた。その晩はなぜかほとんど眠れなかった。

水曜日の晩になり、Wちゃんから電話がかかってきた。泣きながら「別れを告げました」と言った。でも彼のためにすでに今の職場との契約も切り、クライアントへのアナウンスもし、後任も決まってしまっている。Wちゃんは全部なくしてしまったのだ。その晩も自分は眠れなかった。

木曜の朝、会社に向けて高速のジョンクションでカーブを切っている時、ふと、Wちゃんの彼氏の顔が思い浮かび、どーっと何とも言葉で表せない感情の渦に巻き込まれ、どっと涙が出る。でもすぐにその気持ちが消える。

その後しばらくして、彼に対する強烈な怒り。なんだなんだ、なんで私が彼に怒らなあかんのじゃ。あー、疲れる。

木曜日の午後は、クライアントセミナーの講師をしなければならない。その一週間はセミナーの準備が手につかず、上の空でスライドを準備し、上の空でスピーチノートを準備し、上の空で壇上に立ち、スピーチノートを棒読みであった。セミナーの後のカクテルでも上の空だった。自分は、その晩も眠れずその挙句ワインをがぶ飲みして、翌朝(今朝)は頭痛と吐き気でよれよれであった。自分に鞭打って、出社前に家からWちゃんにメールを打つ。「不幸はもっと大きな幸せを迎え入れるための大掃除」みたいな、あまり説得力のないことを書き(笑)、かえって自己嫌悪に陥りながら、ぼんやりとして出社し緊急のクライアントからの問い合わせへの対応に追われているうちに、別のクライアントとのアポの日にちを間違えていたことに気付いた!この会社に入って15年になるが、始めてのことである。クライアントは笑って許してくれたが、どっと落ち込んでしまった。

何とか気を取り直して仕事に集中しようとしていると、隣のWちゃんがぽつんと言う。「あ〜あ、彼今頃あの広いアパートに一人でいるんだろうな」。彼は、Wちゃんと結婚するために、奮発して新しいアパートを買ったのだ。そう言うなり、広いとても日当たりのよいがらんとしたアパートに、ぽつんとたたずむ彼の姿がはっきりと思い浮かび、強烈にかわいそうになる。

その時、Wちゃんがメールを転送してくれる。たった今彼からWちゃんあてに来たてほやほやのメールだ。短いメールだが「君は僕の人生をめちゃくちゃにした」みたいなことが書いてある。「きちんと謝って、どうして自分が結婚する勇気がないのかを正直にぜんぶ説明するのよ」とWちゃんに言う。もう気分は仕事どころではない。メールに返信し、内部の打ち合わせに席をたつWちゃん。その時Wちゃんの携帯電話が鳴る。私は飛び出して行って、着信画面を見る。彼だ。おもわず電話を取りたくなるが、「私が電話を取ってどーする」と思いなおし(笑)、Wちゃんが席に戻ってくるのを待ちかねて「彼だよ、彼だよ」と言う。Wちゃんは泣きながら早退し、さらにくたくたになった私が後に残された。

そこで、ハタと気がついた。

人間と言うのは、感情や想念の流れをはらんだ波動の束のようなものだ。自我がどうにかこの波動をとりまとめて、ひとつの統一された人格らしきものの像を結んではいる。自我は、通り過ぎる波動を取捨選択するが、同時に無数の波動に揺り動かされている。

こんなモデルで考えると、今週の自分のテイタラクがピタッと説明できる。自分のすかすかのザルのような自我の中に、Wちゃんのザルの中から悲しみと絶望、それ以外の様々な矛盾する感情が流れ込み、自分の波動とまじりあっているのだ。

逆に言うと、自分のザルの中を通り過ぎる波動もWちゃんのザルの中に通り過ぎて行っているのだ。

人には、このザルの目の積んだ人、ザルの厚みが厚い人がいるらしい。自分や父親のザルはへにゃへにゃで、たぶん大穴があいているのだろう。ザルは便宜上の存在であってザル=私ではない。ザルはザルでしかないのだ。言ってみれば、波動全体が私であるし、Wちゃんのザルの中を通っている波動もまた私であるのだ。(だんだんわけが分からなくなってきたので、この辺でやめます。)

だから、何が言いたかったのかと言うと、「憑依」というものはない。憑依という考え方は、一個の独立した人格が、別の独立した人格にとりつき、コントロールすることでしょう。人格などと言うものは、そもそもスクリーンに映った映像のように実体のないものなのだ。だから憑依というモデルはただしくありません。

今はだから、Wちゃんの悲しみと、クライアントのアポを間違えた自分への自己嫌悪のどちらで泣いているのかよく分からないけど(笑)、泣いています。

こんなときは、イルカと泳いだ時の映像でも見て心を慰めようっと。

(自分のザルの中を通り過ぎる雑多な波動に敏感になったのは、やっぱりヴィパッサナー瞑想のおかげかな。)




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旅とシンクロニシティ

このブログにもリンクを張らせていただいているお友達の老真さんのブログ「どこかの細道」に、最近「幻の美術館」「幻の美術館(2)」と題し、とてもとても不思議な話が掲載されていた。

秩父・越生にある「オッペ川」という風雅な名前の響きに以前から引かれるものがあって、老真さまはその近辺の山歩きを重ねていた。ある時ネット調査上で、今は廃墟になっている「オッペ美術館」なるものに行きあたり、その廃墟まで出かけて行く。一方、五月のゴールデンウィークに東松山を歩くつもりでネット調査をしていた時、原爆の絵で有名な「丸木美術館」に行きあたる。そして、この二つの美術館のオーナーが、共に広島の原爆の被害者で、兄と妹であったことを知る。(これだけ書くと簡単に聞こえるでしょうが、じっさいは色々な紆余曲折を経てここまで行きつく様子を、老真さん撮影の美しい写真を見ながらぜひ原文で読んでください。)さらにびっくりしたのは、丸木美術館のオーナーの妻、丸木俊さんの出身地が北海道の「雨龍(うりゅう)郡、秩父別町」であることだった。老真さまの実名は「瓜生(うりゅう)」、そして町の名に埋め込まれた「秩父」という名前。

この不思議な符合に対し、老真さまは淡々と、「偶然に出会ったいくつかの出来事について、そこに小さな共通点があると、それが何やら深層心理に関連したことではないかと、そのヒモ解きにときめく。しかし一方では、その共通点をただ単純に、無理やりに、一本のひもで結びつけて言っているだけにすぎないのかもしれない、と思うこともある。ともかくも、これをシンクロニシティと呼び、深層心理なのかどうかは別として、ま、人生はドラマ。ひも解きも、結びつきも、様々な絡みがあるから面白く、不可思議なのだ。」と結論しておられる。

さて、こういう不思議な偶然には、日常生活の中でよりも、日常から離れた旅という過程でより遭遇しやすいのではないだろうか?特に、老真さまの旅のように「ここからここまで歩こう」と言うだけの目的以外は、期待も思いこみも思い入れも目標もない旅において、人は無心になり、旅の過程で現れる様々なサインに対し心を開き、より敏感になれるのではないだろうか? そして下手な期待がないから、すべての出来事(良いことも悪いことも)同じように楽しめるのだ。

思えば老真様は、知り合った当時からこのいきあたりばったりの旅の達人だった。一番ぶったまげたのは、当時ベルギーに在住中、ベルギーとフランスの国境をまたぐ道を、全部通過してみようと計画されたことだった。(数えたことはありませんが、国境を超える道は100本以上あったのではないですか?)

「道に迷うのが好き」とか「冬には北へ、夏には南へ」という老真さま独特の旅の哲学は今でも自分の心の中にしっかりプリントされているが、自分が学んだのはこの「地図上の地点はきめるが、後は行き当たりばったりの旅」ということではないかと思う。そして、行き当たりばったりの旅では、びっちり計画された旅やツアーに比べて、はるかに面白いことに出会えると言う確信を強めた。

                    *

自分もことしの初夏から夏にかけて、週末を利用して車でいろんな所に一泊旅行をしたが、老真さんに倣い行先はすべて地図をにらんで「えいや!」と選んだところばっかりだった。ただ、目をつぶって選んだわけではなく、一応の選考ルールを設けようと思い、その日の風水で「吉」と出た方角にある場所を選ぶことにした。

ある週末は、ブリュッセルから真西に直進し海にぶち当たる地点のフランスの Le Touquet(ル・トゥーケ)の海岸で魚料理を食べ、別の週末は真南東の山岳地方にあるLa Roche(ラ・ロッシュ)でカヤックをし、また別の週末は真北に直進し北海にぶち当たるオランダのScheveningen(スケベニンゲン)の海岸でバンジージャンプ(笑)をした。それぞれの行き先において、後からいちおう目的らしいものを設けたのは、亭主のグリに説明が必要だったからであってべつにバンジージャンプをしたかったからでは決してない。

どれも地名以外は聞いたこともない場所だったので行くまでが不安だったが、風水のおかげもあってか毎回なかなかすてきな体験ができた。(とくにバンジージャンプは、まったく期待していなかっただけに、素晴らしい体験でした。これについては別の場所で書きたいと思います。)

さて、先週の月〜水曜日にスペイン・マドリッドに行く必要があり、それに先立つ週末をスペインで過ごそうと思った。マドリッドは気温が40度近いと聞いていたのでそこにとどまる気になれず、自分の憧れの巡礼地サンチャゴ・デ・コンポステラに行こうかとも思ったがかなり遠いので、サンチャゴに向かう巡礼路沿いの町の一つに行くことを考えた。サンチャゴに向かう巡礼路は、内陸を通る道と海岸べりを通る道と2つあり、内陸を通る道にあるBurgos(ブルゴス)に行こうかと迷ったが、海岸べりの道、真北のカンタブリア海岸にある名前も聞いたことのない町を「えいや!」と選んだ。金曜日の晩にマドリッドに着くとそこからプロペラ機に乗り、Santander(サンタンデル)というその町に着いた。

空港からのタクシーの運ちゃんが、たどたどしい英語で、
「今日はサンチャゴのお祭りだよ。夜の11時から海辺で花火が上がるよ。」
「サンチャゴって、あのサンチャゴ・デ・コンポステラの?」
「そうだよ。明日がお祭りの主日なのでもっとにぎやかになるよ。」
ほう、私の到着を、サンチャゴが鳴り物入りで迎えていてくれるようだ。幸先がいい、と思った。

ホテルに着いたのは夜の10時半で、なるほど11時になった時に外でぽんぽん花火が上がる音が聞こえた。表に出て見ようかとも思ったが、明日の朝早く起きたかったので、花火の音を安らかに聞きながらその晩は眠ってしまった。翌朝は早起きして、海沿いを歩いていると、ちょうど小さなボートが停泊していて、「Playa del Puntal(プンタル・ビーチ)まで往復3.5Euro」とあるのでそのまま切符を買って乗ってみる。ボートは10分ぐらいサンタンデル湾を航行した後、鮮やかなブルーの海に中に砂州のように突き出たそれはそれはきれいな、ワイルドな感じの砂浜に停泊した。ビーチに一軒しかないひなびてはいるがなかなか素敵なバールできんきんに冷えたビールとタパスを取っては、海岸で昼寝をし、少し冷たく澄み切った海で泳ぐという繰り返しで、その日も翌日もそのビーチで過ごしてしまった。結局サンチャゴの祭りも見なかったし市内観光もしなかった。変な観光客だ(笑)。

自分にとっては久しぶりの一人旅で、レストランやホテルで簡単な会話をする以外は、まったくの沈黙の2日間。太陽と海。至福の旅であった。愛用のSamsung Digimax A50は、海岸の砂交じりの潮風と太陽にイカレてしまったのか、海岸に胡坐をかくわたしの足の映像を撮影した後きゅうに動かなくなってしまった。「長い間、ごくろうだったね。ありがとう。」とDigimax A50に礼を言いながら、その最後の映像をおさめたSD CardとDigimax A50の亡骸を大事にブラッセルに持って帰った。



さて、ブラッセルに帰り、早速この映像を編集してYouTubeに載せる過程で、いつものようにバックに音楽を入れようと思った。自分の場合、たいてい映像を編集している段階で「あの音楽をいれたい」というイメージがわく。でも今回は何を入れたらいいのかわからなかったので、「何かスペインの音楽でいいのがなかったかな?」と思いつつ、CD棚にある「La Folia」というスペインの15−18世紀の世俗楽曲を集めたCDを取りだした。その時、となりにあったCDが偶然一緒に手の中にあった。見ると、亭主のグリが集めているアイルランド音楽のCDの一枚だった。タイトルが、「セビリア組曲―キンセイルからラ・コルーニャへの道」(The Seville Suite - Kinsale To La Coruna)。キンセイルは、自分も行ったことがある西アイルランドのとてもきれいな海辺の町だ。そしてラ・コルーニャは、前述のサンチャゴ・デ・コンポステラの北にあるスペインの海辺の町だ。でも、なぜ、キンセイルとスペインが関係あるんだろう。

グリにこのCDの説明を求めると、1601年に、アイルランドとイングランドの間に「キンセイルの戦い(The Battle of Kinsale)」と呼ばれる戦いがあり、スペインもアイルランドに協力して戦ったが、イングランドに負けてしまう。戦いに敗れたアイルランド人達は、船に乗りスペインのカンタブリア海岸に逃れ、ガリシア地方に定住した。そもそもガリシア地方には紀元前6世紀ごろからケルト人が定住しており、そのような背景でアイルランド人にとっても親和力のある土地だったのかもしれない。このCDはそれをテーマにした組曲だと言うのだ。「サンタンデルって地名、おれ知ってたよ。イングランドから逃れたアイルランド人達は、この辺にも漂着したんじゃなかったっけかな。」

CD「セビリア組曲―キンセイルからラ・コルーニャへの道 」の6曲目は、「ガリシアの海岸にて(The Coast of Galicia)」という題名だ。見知らぬ国の海岸に漂着したアイルランド人達は、どんな思いでこの海岸での最初の朝を迎えたのだろう。この曲は、アイルランド人のフィドラーやパイピスト、スペイン人のハープ奏者の混成グループによる素敵な曲だ。これを自分のビデオのバックに入れることにした。

                     *

行き当たりばったりの旅では、地理的に移動するうちに、不意に様々な記憶が錯綜する様々な時間の迷宮の中に取り込まれてしまうことがある。不思議なことだ。




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アンビリーヴァボーな話 (4) スーパー・シンクロニシティ

話はまだぜんぜん終わっていない。本当にアンビリーヴァボーな話はこれからだ。

早々にジャンおじさんの家を出て、シャワーを浴びるためにジムに行く。ほとんど一睡もしていないので、さすがに今朝は筋トレと水泳をする元気はない。おじさんが餞別にくれた新しい電動歯ブラシで歯を磨くことにする。(おじさんは兵役時代に銃傷で歯を傷つけて以来総入歯なので、歯磨きは持っていなかったがなぜか電動歯ブラシを持っていた。)幸いジムバッグの中に白いチューブを見つけたので、それを歯ブラシにつけるが、口に入れたところでシェービングクリームであったことに気付く。仕方なくそのまま歯を磨き続ける。スーツがタバコくさいが、見かけ上は一応さっぱりして会社に向かう。本当は、アパートの入口で賊が戻ってこないか一日見張っていたい所だが、クライアントとの約束があるのでそうも行かない。

出社して同僚に、「あのー、昨日と同じ服着てるけど、これはかくかくしかじかで・・・」と釈明をする。目を丸くした同僚に「大丈夫なんですか、会社でこんなことしていて?」と言われるとさすがに心配になり、ミーティングの合間にアパートの管理会社に電話をかけ、管理人にも「へんな奴がいたら、気をつけててね」と頼む。それでもまだ心配だ。管理人だって四六時中見張れるわけではない。午後のミーティングは疲れて集中力がない。ぶったおれそうだが、夜11時に亭主のグリが戻ってくれば、アパートに帰っていつもの睡眠薬を飲んでゆっくり眠ることができる。それまでの辛抱だ。家財道具が盗まれてたらしょうがない。アパートに戻れさえすればいい。

なんとか夜11時まで会社で仕事を続け、空港に向かう。いつものパーキングでグリを待っていると、ほぼ時間に遅れずに空港の建物からグリが出てきて、ほっとする。しかし、片手にブリーフケースを下げただけの姿だ。トランクがない。

車に乗り込むや否や、グリが話し出す。
「いやいや、すごい目にあっちゃってさ。北京空港でチェックインしたトランクがなくなっちゃったんだよ。その上さ、北京空港のデューティーフリーで買ったみやげ物の袋を2袋、飛行機の中に忘れてきちゃってさあ・・・」
「へえ、偶然だね。私もかくかくしかじかでひったくりに遭っちゃって」
「なに〜!? 大丈夫だったの?」
「大丈夫じゃないわよ。ひったくられたバッグの中にアパートの鍵が入っていて、路頭に迷っちゃった。昨夜はジャンおじさんの家に泊めてもらったの」
「やっぱり、俺達ってただ者じゃないよな。ひったくりも、トランクの遺失もそんなにあることじゃないのにさ。それが2つ一緒に重なるなんてさ」
「ははははは・・・」
「ははははは・・・」
その時、グリの笑いがさっと引いた。
「・・・それで、鍵はでてきたのかい?」
「だから出てこないわよ。残ったのは、車のキーだけ。幸い、車のキーはバッグではなくポケットに入れてたのね」
「・・・オー、ファック!」

グリは、普段はズボンのポケットに入れっぱなしにしているアパートの鍵を、その日は空港の金属探知機にひっかからないようにジャケットに入れトランクにしまったと言うのだ。そして、そのトランクはどこかへ行ってしまった。つまり、二人の内の誰も鍵を持っていないことになる。二人一緒に路頭に迷ってしまったわけだ。そして、消えたトランクは、ブリュッセルにあるのか北京にあるのか、いつか出てくるのか二度と出てこないのか見当もつかない。

二人が偶然に同時にアパートの鍵をなくした。それも、直接的には自分達のせいではなく、何かの他力のせいで。こういうのって、やはりシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)とユングが呼ぶ現象ではないだろうか。自分とグリは変な現象にはしょっちゅう遭遇するが、今回のは歴史に残るメガ級のスーパー・シンクロニシティだ。とは言え、これに何か「意味がある」とは到底思えない。たんに神様の退屈しのぎみたいだ。

「どうしよう・・・」
「とりあえず、アパートに戻ってみる? もし賊が入っていたら、アパートの鍵を開けたまま出てってくれたかもよ。そしたら眠る場所だけは確保できるじゃん」
「そうだな」
意見が一致してアパートに戻ってみる。遅い時間に申し訳ないが管理人のベルを鳴らす。インターホンを通して、ポーランド人のアリスおばさんの眠そうなだみ声が聞こえる。
「あんたの話聞いたよ。時々気をつけて見てたけどね、怪しい奴はいなかったわよ」
「そう、遅い時間にごめんね」
と言ってビルの入口のロックだけはずしてもらい、エレベーターで四階まで上がってみる。

アパートのドアは残念ながらロックされたままだった。これだけでは賊がやってきたのかそうでないのかは分らない。いずれにせよ、今夜はアパートに戻ることはできない。二人でとぼとぼ建物を出、裏のフォー・ポインツ・ホテルまで歩き、そこに泊まることにした。グリがお金を持っているので、とりあえず寝場所が確保できただけでもありがたい。衣類を全部洗濯しバスルームにつるした。一日中ほとんど何も食べていなかったので、ミニバーのポテトチップスとグリが機内でもらった湿気たピーナッツ、北京で買ったという一口サイズの林檎を食べる。ベッドに入ったが睡眠薬がないので、寝つかれない。

不安な一夜が明けた。寝不足でふらふらしているが、問題は一向に解決していない。

このままグリのトランクか、ひったくられた私のバッグが戻って来るまでホテルに泊まり続けるわけにはいかないし、全く戻ってこない可能性もある。アパートのドアをこじ開けて中に入るには、鍵屋を呼んでドアを壊さねばならない。グリは明日の朝から来週までまたもや旅行で留守だ。だから、空港の遺失物係にも私が問い合わせを続けなければならない。全部自分ひとりでやらなければならない。盗まれた身分証明書の再発行に区役所に行かなければならないし。あー、この忙しいときに。それにお金もかかる。そう思うとひどく憂鬱だ。

まさに鍵屋を呼ぼうとしている時に、グリの携帯電話が鳴った。空港の遺失物係からの電話で、「トランクが見つかりましたので取りに来てください」と言う知らせだった。「オーケー!」グリが嬉しそうに電話を切った途端、ぴーと言う音がして、携帯電話のバッテリーが切れた。
「ふー、危なかったぜ。電話が鳴る前にバッテリーが切れてたら、知らせを受け取れなかった所だ。携帯電話の充電器は消えたトランクの中だからね・・・ ファッキン・アンビリヴァボー」
そうグリが言った。

フォー・ポインツ・ホテルの窓から写した風景。

フォー・ポインツ・ホテルの窓から写した風景。

アンビリーヴァボーな話 (5) ジャンおじさん再び登場 (11/1)
アンビリーヴァボーな話 (3) 恐怖についての考察 (10/26)
アンビリーヴァボーな話(2) ジャンおじさん登場 (10/24)
アンビリーヴァボーな話 (1) (10/24)

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アンビリーヴァボーな話

今週の火曜日に、また泥棒さんにあってしまった。

4月12日の記事「シンクロニシティ・マニア」の中で、車の運転席に座りまさに発車しようとしている時に、助手席の窓ガラスを割られ助手席に置いてあったハンドバッグを持って行かれたことを書いた。今から2年半前の4月の出来事だ。

自分の場合、なぜか、4月と10月は要注意月だ。自分の平凡な日常を根底からゆるがすような、椿事が発生する。

さて、今回は、アベニュ・ルイーズの自分のアパートの前でである。

夜10時過ぎに仕事を終え、いつものようにアパートの前のパーキングに車を停め、トランクからショルダーバッグとジム・バッグを出し、アパートのあるビルの入口を開けるため暗証番号を押している時だった。気がついたときには、小柄な男が私の左肩に下げたショルダーバッグを引きむしっていた。(顔を見た時、やれやれ、また北アフリカ人かと思った。)

当然のことながら、自分はバッグを取り戻そうとバッグにしがみつく。一瞬バッグの引っ張り合いになったが、相手の力がつよい。振り切られた自分は右肩と右膝から地面に転倒した。その隙を突いて、男は逃げ出す。自分は追いかける。夜10時過ぎと言っても、街灯に照らされて通りは明るい。

大通りなのでレストランやカフェから出てくる人々がそぞろ歩いている。私の叫び声を聞いたのか、女の声が「あの男を追いかけて!」と叫びながら男を追っかけていく様子。その声のお陰で、男が大通りを左にまがりフラジェ広場に向かって坂道を駆け下りていくらしいことが分る。坂道の前方では、スーツにネクタイをしめた会社員らしき男の人が、何か叫びながら賊を追いかけてくれている。走っている人が何人もいるので、いったいどれが泥棒なのかわからない。

ともかくみんなが走る方向に向かって坂道を駆け降りていると、ビルディングの4階の窓が開き、中から女の人影が「男は、2番目の通りを左に曲がったわよ!警察を呼ぶからね!」と声援をおくってくれる。ありがたい。2つ目の角を曲がってみると暗い通りには人の影も形もない。男は逃げ足が速くハイヒールの自分はかなり遅れを取っていたので、通りを駆け抜けてイクセル通りまで行ってしまったかもしれない。両側にぎっしりと路上駐車した車の陰に潜んでいるのかもしれないが、しらみつぶしに探す元気もない。そこで、人気のない通りに向かって、演説をすることにする(笑)

「お願いだからバッグを返して!バッグの中には、残念ながら金目のものはなにもないの!でも、自分にとっては大事な書類が入ってるのよ!」

そう叫びながらひとけのない通りを歩く。すると、通りの脇でのんびり立ち話をしている2人連れの男に気がつく。自分はその男達に向かって話し続ける。
「バッグを取られたのよ」
「ひったくりかい」
一瞬、この男が賊の仲間ではないかと疑ってしまう。それでこう付け加える。
「馬鹿みたいよ。バッグの中には、賊が喜ぶようなものは何も入ってないのにね。紙切ればかり」
それは本当だった。あんまりしょっちゅう泥棒に遭うので、自分は20ユーロ(3000円)以上の現金は持ち歩かないようにしているのだ。入っているのは、身分証明書と運転免許証、今朝郵便受けに入っていた請求書類、クレジットカードと銀行のATMカード、会社の支給の古ぼけた携帯電話、そんなものばかりだ。

親切な女の人が呼んでくれたパトカーがすぐにやってきて、中に乗れと言われた。パトカーであたりをもう一度一周した後、警察署に連れて行かれて調書を取った。ベルギーの警察で調書を取ったのはもう10回目ぐらいだ。(平均して2.5年に1度と言う勘定だ。)警察の人々は相変わらず親切で、その後パトカーでアパートまで送ってくれたが、でも、問題がひとつあった。

自分のアパートのキーは盗まれたバッグの中に入っており、もうひとつのキーを持っているのは亭主のグリで、グリは明日の夜まで出張で不在と言うことだった。

続く
 

アンビリーヴァボーな話 (5) ジャンおじさん再び登場 (11/1)
アンビリーヴァボーな話 (4) スーパー・シンクロニシティ (10/27)
アンビリーヴァボーな話 (3) 恐怖についての考察 (10/26)
アンビリーヴァボーな話(2) ジャンおじさん登場 (10/24)

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運の法則(2)

「運の法則」と言うタイトルは、あたかも運が良くなるための秘密が書いてあるような印象を与えますよね。たとえば有名サッカー選手と結婚できたり、百万ユーロの宝くじに当たったりするための一定の「法則」をここで紹介しているのだろうと、これを読んでくださる読者は期待するかも知れない。

もしそうだったら、ごめんなさい。

ここでは前回ブログ「運の法則(1)」で紹介したAさんの話をしたいと思う。彼女は、人知を超えた不思議なサポートのお陰でベルギーに来ることができ、ベルギーで暮らし続けることができて苦労しながらも幸せだったのだが、その後2度の人生の岐路において、非常に奇妙な偶然を体験している。ただし、ここにはサッカー選手のことも百万ユーロのことも書いていない。もっとずっと地味な話なのだ。そして、彼女の物語からある「法則」をすぱっと導き出すのはむずかしい。もっと微妙というか、霊妙な話なのだ。だから「運の法則」というタイトルは全くの羊頭狗肉と言われるかもしれないが、こうでも書かないと読んでくれる人がいないのでこう書いた。

Aさんがベルギーに来て10年が経とうとしていた。フリーランスの通訳として出発した彼女だったが、コンスタントに通訳の仕事があるわけでもなく、生活を安定させるためにハーフタイムで米系の翻訳事務所にも勤めるようになった。その内、彼女は忙しく移動し色々な人に会う通訳より、翻訳事務所でコンピュータ相手に翻訳をしたり、DTPをしたりしている時間が一番好きだと思うようになった。彼女は心の中でこの翻訳事務所でフルタイムで働ければと思っていたが、会社はフルタイムの日本人翻訳スタッフは必要としていないようだった。

一方、多岐の分野に渡る通訳・翻訳の仕事をしながら彼女は、次第に自分の仕事を法務関係に絞っていければと考えるようになっていた。大学で勉強したのが法学だったこともあるし、今から技術翻訳の専門家になるのは無理だと思った。勉強すれば何とかなりそうな分野で、かつお金になりそうなものは法務関係の翻訳だった。翻訳事務所の仕事の枠外で、個人的に法務関係の翻訳をすすんで探し、引き受ける内に、面白いことに気がついた。

法務関係の翻訳の仕事を依頼してくるのは、この国に事務所を構える日系企業の駐在員が多かったが、その人たちから、
「現地の弁護士事務所にちょっと質問したらさ、こんな30ページもあるレポート送ってきやがって・・・。全部訳す必要はないから、要約を作ってくれるかな。」
とか、
「弁護士事務所と会計事務所に調査をさせたんだけど、両方のレポートがちぐはぐでネ。」
とか言う言葉を聞くことがあった。
その時、与えられた書類をひたすら日本語に翻訳する翻訳家と言う立場ではなくて、もっとフレキシブルに動いて、現地の弁護士や税理士や会計士達とのコミュニケーションギャップを埋めるコーディネーターをこの人たちは必要としているんだと思った。

例えば、在る日系企業がこの国に子会社か支店を作ろうと考えている。設立の手続について弁護士事務所に頼むと、弁護士事務所は頼まれた通りにやってくれるが、税務・その他の面での留意点まではアドバイスしてくれないことが多い。設立がほぼ完了した時点で、税務上の大ポカが発覚して騒ぎになることもある。だから、設立などに際しては、会社法上の手続だけではなく、雇用法、移民法、税法のさまざまな分野をある程度視野に入れたオーケストラの指揮者のような存在が必要になる。

当時の彼女は、そこまではっきり分っていたわけではないが、何となく、日系企業と弁護士事務所・税務会計事務所とのすきまを埋めるという仕事のイメージがあった。そこで、これまで翻訳の仕事でつきあいのあった弁護士事務所や、地元の小規模の会計事務所や税理士にコンタクトを開始し、自分のアイデアを話した。具体的には、自分が日系企業を訪問して、これらの事務所を売り込む。契約を取ってきた後は、自分が引き続き、その日系企業と事務所の間のコミュニケーションのサポートをするというアイデアだった。そのためには、法務だけではなく会計・税務の知識が必要だ。彼女は自分のアイデアに自信があったが、会計・税務の学校に行くお金も時間もなかったし、実現するのはあと何年先かな・・・と思っていた。

年が明けて大変なことが起こった。ハーフタイムで仕事をしていた米系翻訳事務所に出社すると、所長が開口一番、「明けましておめでとう。実は、米本社の決定で、この事務所を閉めることになりました」と言う。小さな事務所ではあったが、所長をはじめ全員が職を失うことになったわけだ。彼女はフリーランス契約だったので、とうぜん退職金も解雇補償金も出ない。失業保険もない。でも不思議とショックは受けなかった。貯金があるわけではないが、かといってローンの返済もないし、扶養家族がいるわけでもない。「これまで忙しすぎてお昼ご飯をゆっくり食べる暇もなかったから、これからは自分のペースで仕事をできるな」と思って、嬉しいくらいだった。

翻訳事務所の閉鎖を告げられたのが1995年1月4日。同1月15日に阪神・淡路大震災が、同3月20日に地下鉄サリン事件が起きた。彼女が定職を失ったと聞いて、以前彼女が仕事をした2つの日系銀行が親切に仕事のオファーをしてくれたが、決心がつかず返事を保留していた。そんな時、あまり頻繁に連絡のない友人から、「あるベルギーの会社が日本人をさがしているから、会いに行ってみれば?」という連絡を受けた。急いで定職を探していたわけでもないので、軽い気持ちで会いに行った。そうしたら、その場であれよあれよと「いつから来てくれる?」と言うふうに話が決まってしまい、押しの弱い彼女は翌月からその会社にフルタイムで通うことになった。せっかくのんびりしようとしていたのに、ちょっとがっかりだった。

それは名前も聞いたこともない会社で、他に日本人もいなかったが、入社してみると、1つの会社の中に弁護士事務所と会計事務所と税理士事務所と監査法人の部門をかかえた会社だということが分った。そして、その会社は日系企業の顧客を多く抱えているために、通訳と翻訳をするかたわらで、日本人顧客とベルギー人の弁護士・税理士・会計士とのすきまを埋める、日本人コーディネーターを求めていたのだった。

彼女が、そんな会社が存在することも、そんなポストが存在することも知らない内から、その仕事の正確なイメージを抱いていたのが非常に不思議だし、絶妙なのは、そのタイミングだ。彼女が気に入っていた米系翻訳事務所が急に閉鎖されることがなければ、彼女にそういうオファーがあっても、彼女はそれに耳も貸さなかったことだろう。また、日系銀行からのオファーに慌てて飛びついていたら、彼女の人生はもっと違った展開になっていただろう。(その日系銀行は、二行ともその翌年に撤退してしまった。)

私の目から見れば非常に不思議なこの偶然を、狭い解釈の枠にはめてしまいたくはないのだが、やはりユングの言うシンクロニシティということを思わずにはいられない。わかりにくいシンクロニシティの概念を最もよく言い表しているように思えるのは、イギリスの物理学者デビッド・ピートの次のような言葉だ。

「シンクロニシティは、しばしば変換の時期にむすびついている。たとえば誕生や、死や、恋愛や、心理療法や、集中した創造的な仕事や、ひいては転職といったような場合にまで。まるでこういった内的な構造の作り変えが外的な共鳴をうみだすか、あるいは『心的エネルギー』の爆発が、外の物理的世界へとつたえられてゆくかのようなものです」(デビッド・ピート『シンクロニシティ』)

人間が現在の状態から、別の何かへと変容しなければならないときに、内部からの強い促しにより、ある「意味のある偶然の一致」が起こり、人間を本人の意思にかかわりなく根底から変容させていくのだと言う。この「意味のある偶然の一致」をシンクロニシティと呼ぶ。

彼女は言う。
「米系翻訳事務所での仕事は本当に好きでした。とても居心地が良かったんです。でも、あそこであのまま仕事を続けていたら、ある意味で私の成長はストップしてしまったかもしれません。新しい会社でハードに働かせられ、勉強させられることによって、無理やり成長させられたんだと思います。」

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運の法則(1)

私の友人に途方もなく運がいい女の子がいた。当時、作曲家の卵だったが、先輩作曲家を追い抜いて大手の企業からぽんと作曲の依頼を受けたり・・・とかとにかく運がいいと自分でも言う。(たんに実力があったからだとも思うのだが。)ただ、その運のよさで色々な人から嫉妬を受けたり、友人を失ったりすることが多いそうなのだった。そんな彼女があまりぱっとしない私と付き合っているのは、彼女が運がいい話を聞いて、私が「へえ、すごいね!」と素直に喜ぶからだと言う。

彼女の運がいい話のなかでも極めつけは、ある日茶の間でテレビを見ていたら母親に、「そんな所でテレビ見てごろごろしてないで、見合いでもしなさい!」と言われた所、「私この人と結婚するんだもん!」とちょうどテレビに映っていた有名サッカー選手を指差した。その後数年たって、そのサッカー選手と偶然知り合う機会があり、何と恋人になってしまったのだった。

そんな華々しい話ではないが、これまでの人生の中で重大な岐路に立つ度に、まるで運と言うか、神様というか、シンクロニシティというか、なんとも名づけようもない自分の意思を超えた力が働いたという経験がある人を知っている。

その人は、何故かベルギーに縁があった。近所で英語を教えていた神父さんがベルギー人だったとか、小学校の頃の同級生が行った国がベルギーだったとか、その程度の縁ではあったがそのせいか子供の頃からこの国のことは知っていた。その後思春期になって、好きになる絵画、文学、音楽がなぜかベルギーのものだった。学生時代にヨーロッパに留学しようと思い立ったとき、ちょうどベルギー留学生の募集があるのを目にした。6月頃に願書を出そうとしていたときに、彼女の母親が近所の電気屋さんに自分の娘がベルギー留学を目指している・・・と世間話をすると、「ほう、ベルギー。うちのお客さんで、近所にベルギーに詳しい大学の先生がいますよ」と教えてくれ、親切に紹介までしてくれた。その先生の奥さんはベルギー人で、先生の専門も彼女の専攻と同じだった。選考試験は9月だったが、その段階では彼女の語学力も研究能力も明らかに選考基準には満たなかった。その夏中、先生と奥様が特訓してくれたお陰と、その先生が留学受入先の指導教授を世話してくれたお陰で彼女は奇跡的に留学生試験に受かることができたと言う。受験者は80人ぐらいで、合格者は3人だった。この先生夫婦の献身的なヘルプがなければ試験に受かることはなかっただろう。

母親の何気ない世間話のお陰で、奇跡的なヘルプがあり、ベルギーに来られたのだ。

2年の留学生活を終えると学生ビザが切れたが、彼女はこの間に身につけたスキルを生かしてこちらでフリーランスの通訳として仕事をしたいと考える。いまここで帰国すると、これまで勉強したことが無駄になってしまうような気がした。外国人がフリーランスで仕事をしようとする場合、政府から自営業許可証を取得しなければならない。自営業許可証を取るのは大変難しく、とくに学生として入国した者がこの許可証を取得するのはほとんど不可能といわれていた。そして申請は弁護士を通じて行い、審査にも弁護士を立ち合わせるのが普通だった。しかし彼女はそんなことを知らなかったし弁護士を雇うお金もなかったので自分で申請書を作成し提出しに行った。政府の受付の待合室に入ったとたん、どこかで見たことのある人とぱっと目が合った。つい数日前に名刺を交換したばかりの翻訳事務所の社長さんだった。かれは自分の翻訳事務所が抱える中国人通訳の自営業許可証申請のサポートのためにここに来ていたのだった。「君の申請書をみせてごらん」と社長さんが言った。黙ってそれを見せると「この申請書は全然ダメだ。申請の動機の書き方もなっていないし、推薦状もついていないし・・・」と言い、自分に任せてくれれば申請状も書き直してやるし、推薦状も集めてやると言ってくれた。その社長さんの助けがなければ、許可証がおりることはなく、自分は泣く泣くベルギーを去っていたことだろう。

偶然名刺を交換した人と、奇跡的なタイミングで再会したお陰で、ベルギーに残ることができたのだ。

ほんとうの偶然から、これらの親切な人々に出会うことがなかったら、自分はベルギーに来ることもなかったし、今こうしてここにいることはできなかっただろう・・・でもこれは「運がいい」とは違うかもね、と彼女は言う。ベルギーに来たお陰で、そして日本に帰らなかったお陰で日本にいれば遭わなかったようなつらい目にも随分遭ったし、苦労もしたような気がする。日本にいたほうが世間的な意味では幸福になっていたかもしれない。以前も日本からの駐在員の上司から、「君はしなくてもいい苦労をしたねえ」と冷笑気味に言われてムッとしたこともある。彼女は言い返さなかったが心の中でこう思っている。

「しなくてもいい苦労というものはこの世にはないと思います。いま確信できるのは、確かに何かに導かれてここまで来たらしいと言うことです。だから物事が思い通りに行かなくても、これからどんなに悪いことがあっても、これには何か意味があるだろうと思えるのが、私の強みです。」

運が悪いと言ってなげいたり、運がよいといってぬか喜びするまえに、この出来事が何を自分に学ばせようとしているのだろうと考えることが、運を生かすことにつながるのではないだろうか。

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シンクロニシティ・マニア

ヨーロッパに住んでいて、日本とちがうなーと思うことは色々あるが、未だにあまり好きになれないことが2つある。ひとつは、日曜日になるとどの店も閉まってしまうこと、もうひとつは、わりと日常的に小さな犯罪に巻き込まれることだ。

日本やイギリスと違って、この国ベルギーでは猟奇的な犯罪はまだほとんどないが、殺傷をともなわない犯罪のリスクは一歩外に出るとどこにでも転がっている。特に日本人は警戒心が少なく多額の現金を持ち歩いていることが多いので、必ずと言っていいほど、1度や2度は犯罪の被害者になっていると思う。

空き巣や置き引き、すり、かっぱらいなんて言うのは日常茶飯事だ。日本人の多く住む地域に「泥棒マンション」と呼ばれるマンションがある。ちょっと聞くと泥棒の棲家かと思うが、そうではない。泥棒の被害者の集まるマンションと言うことだ。ほとんど全ての世帯が何度も空き巣の被害にあっているため、こんな不名誉な綽名がついてしまったらしい。

一時は日本人駐在員の間で、ホールドアップされてメルセデス・ベンツを強奪されるという事件が続発した。知り合いの日系現地企業の社長さんなどは、自宅のガレージを出ようとしたところ、ピストルを突きつけられてメルセデスを取られた。新しいメルセデスを取り寄せた1週間後に、またピストルで脅されて持って行かれてしまった。その社長さんによると、同じ泥棒が戻ってきたらしいということだ。

かく言う自分も、20余年のヨーロッパ生活で、フランス、スペイン、イタリア、オランダで各1度ずつ、ベルギーでは数えるのもあきらめてしまったほどいっぱい、すり・置引・かっぱらい等の被害にあった。日本では一度もあったことはない。

ある日本の映画監督(ざんねんなことに名前を忘れてしまった)が雑誌のインタビューの中で、
「貧しい職人だった父の教えでいちばん印象的だったのは『盗人を恨んだらあかん!』という言葉でした」
と言っていた。それを読んだ私は、
「昔の日本には、庶民の中にもずいぶん立派なお父さんがいたものだな」
と感動した。以来、また街で盗人の被害にあったとき、相手をなるべく恨まなくても済むように20EURO(約3000円)以上の現金は持ち歩かないことにした(笑)。

最近この町で割と多いのは、女子のドライバー狙いの強盗だ。女が一人で運転している車が、人気のない道で赤信号などで停車した時を狙って、物陰から飛び出して来て助手席の窓ガラスをヌンチャクなどでガチャンと割って、助手席においてあるハンドバッグを強奪して去る。この被害にわりと最近あった女友達2人と、南駅近くのスペイン料理屋でサングリアを飲んで食事して、別れた後、気分よく人気のない大通りに停めてある自分の車に乗り込み、ハンドバックを助手席の足元に置いたとたん、少しはなれたところを歩いていた少年が急に方向転換してこちらにつかつかと歩いてきたと思ったら、いきなりポケットから出した右手を振り上げガチャンと助手席の窓を割った。一瞬の内に細かいヒビに覆われた窓ガラスを突き破って、少年の上半身が車の中に飛び込んできた。そして正確にハンドバックをつかむと、次の瞬間には少年は逃げ去っていた。

私は「ほー、これか!」と思ったが、ショックでしばらく呆然としていた。少年がハンドバックをつかんだとき、私も夢中で彼の頭をつかんだらしい。手の中に、薄汚れた化繊織の水色の帽子だけが残った。もう夜中近かったが、そのまま窓ガラスの壊れた車を運転して警察署に行き、携帯電話やクレジットカードや銀行カードをブロックし、アパートの鍵も一緒にとられたので夜中の2時過ぎに友人宅のベルを押して泊めてもらわねばならなかった。その翌日からも、車を修理したり、カード類を作り直したりと色々と面倒なことがあったが、例の映画監督のお父さんの言葉「盗人を恨んだらあかん」が頭に染み付いていたものか、恨む気にはなれなかった。現金も20Euroぐらいしか入ってなかったので、「実入りが少なくて残念だったね」と少年に言いたい位である。同時に、少年の手際のよさと正確さ、落ち着いた様子に感銘を受けてもいた。いったいどういういきさつで、こんな稼業をするようになったのだろうという好奇心もあった。でも、見知らぬ他人にいきなり攻撃されたと言う事実に、結構傷ついていたのだとおもう。その後しばらく、似たような場面が出てくる怖い夢を見た。

このトラウマが引き金になって、この出来事を中心に物語を書くことにした。物語を書くことは自分にとって、河合隼雄の箱庭療法や伊賀順子のコラージュと似たようなヒーリング作用があるみたいだ。

まず、少年がどんな生い立ちなのかを想像した。車の中で対面した少年の風貌からするとモロッコ移民ではないかと思われた。モロッコ人の友人も同僚もいるし、モロッコにも数回旅行したことがあるが、ブリュッセルの貧しいモロッコ移民のことについて自分がほとんど何も知らないことに気がついた。そこでモロッコ系の青少年のためのチャット・サイトをさがし、何日かかけて読むうちに、当地のモロッコ人移民事情が少しわかってきた。そこで語られた話、モロッコ出身の友人達から聞いた話などを総合して、強盗少年アジズの物語、アジズがどうやって遠い北の町ブリュッセルにたどり着いて、どのように成長し、どうして女子ドライバー狙いの強盗をするに至ったのか、そしてあの日私の車を攻撃し、逃げ去った後どうなったかの物語を毎日少しずつ思い描き、書き留めるのが習慣になった。

物語の中でアジズはまるで実在の人物のように躍動するようになり、いつしか物語の中に入った私自身の分身ユキの車を襲撃する。物語がそこまで進んだ頃には、私はアジズをもう一人の自分の分身のように感じていて、トラウマからは完全に解放されていた。それで物語の当初の目的は果たされたはずなのだが、物語の中のユキはそれに満足せず、逃げ去ったアジズをそのアジトまで追い詰めていく。それは、あの強盗少年が私の車を襲撃してから、どこに逃げ去ってどんな風にしているのかを見届けたいと言う、私自身の願望が、物語の中のユキをそのように行動させているようなのだった。もうひとつの理由は、ここで物語を終わることは、あの出来事を「あー、恵まれないモロッコ移民の男の子かわいそう!」みたいな、人類愛的でセンチメンタルな安易な物語の中に収束させてしまうことになると自分が感じていたことだった。安易な物語で終わらせないで、もうひとつ高次の物語に移行するためには、ユキに行動させること、それも危険と犠牲を伴う行動をさせる必要があると感じていたのだと思う。

箱庭療法を受ける人や、コラージュを作る人もそうなのだろうが、自分も物語を書き始めるときはほとんど結末を考えていない。書き進めるうちに、登場人物が勝手に動き出して、書手が予想もしなかったような展開へと導いていくのだ。
                      *
さて、この物語を書き始めた晩にアパートの前に路上駐車してあった自分の車のガラスが再び破壊され、今度はCDプレーヤーとカーナビを盗まれた。まるで物語に呼ばれて、アジズが戻ってきて、「ぼくはここにいるよ!」と言っているようだ。私はこれで怖気づいて物語を続けるのを止めてはいけないと自分に言い聞かせた。

亭主のグリに、
「不思議。ちょうどあの強奪事件のことを物語に書いていたところなのよ。物語の中ではね、ユキはハンドバッグと一緒に盗られたアパートの鍵を取り戻そうと、強盗の少年を地下の隠れ家まで追い詰めるのだけど、逆に少年に殺されて、少年は私の代わりに私のアパートに住み始めるの」
と言うと、グリは呆れ顔で、
「なんだそれ。そんな物語誰も読まないよ。読者のシンパシーを生まないし、だいいち正義(ジャスティス)に反する。俺だったら、こう書くな。ユキは窓ガラスを割って入ってきた強盗の面におもいっきり催涙スプレーをぶっかけ、相手が倒れた所を車でひき殺す」
と真顔で言う。
「でも正義とはなんでしょう? アメリカがイラクを攻撃することでしょうか」と私は言いそうになったが、けんかになるので黙っていた。(グリのDNAには十字軍以来の回教徒との確執が組み込まれてしまっているのかもしれない。)
                  *
書き終わった物語を、最近一年以上たって読み返していて、物語の中からある不思議な構造が浮き上がってくるのに気づいた。夜空を見上げていて満天の星の中に、星座が浮き出して見えるみたいに。これは、ユング派の用語なのかもしれないが、河合隼雄がよく「布置」とか「アレンジメント」とか「コンスタレーション(星座という意味もある)」と呼ぶものだ。訓練をつんだユング派の臨床心理士が、患者のつくった箱庭やコラージュから読み取ることができる「相」のようなものだ。

殺された主人公ユキは、自分を殺した少年に、一番大切にしていたアパートの鍵をあげるのだ。アパートの鍵を受け取ったアジズは、最後にユキのアパートに入り、そこでつかれきった体を白いベッドに横たえ、深く眠る場面で物語が終わる。眠る前に、無性にのどが渇いているアジズは冷蔵庫からミルクを出して飲み干す。その時、ユキを殺したために両手を汚していた血がまるで奇跡のように消えているのに気づく。この結末には、血に対しては、血で制裁するのではなく、乳で癒すことによって、戦いを止めるしかないのだと言う自分の祈りのような気持ちが込められていることが自分で分かる。

その時、この物語がユキが女友達とスペイン料理屋でサングリアを飲むシーンで始まっているのに気づいた。Sangriaは、Sang(血)と言う語を含む。つまり、この物語は、血で始まって乳で終わっていることになる。

でも、スペイン料理屋でサングリアを飲んだのは、物語の主人公だけではない。物語の外にいるはずの自分も、現実にあの強盗にあった晩、現実のレストランで女友達とサングリアを飲んでいた。

そうすると、物語の中だけではなく、現実の世界ものみこむような大きな構造の中に自分がいるような気がする。自分があの晩、あの場所で少年に襲われた事は、まだ全貌が明らかにされていないこの巨大なシナリオの一部であると考えることもできる。

こんな風に、日常の様々な事柄の中に、隠れた巨大な布置の表象を読み取ろうとする癖がついてしまっている。こんな自分を、私は自嘲気味に「シンクロニシティ・マニア」と呼んでいる。ただ、安易な物語で満足することなく、常に物語を開いたままにすること、物語からの逃走、物語を裏切り続けることが大切なのかなと思っている。
                  *
さて、以下はおまけです。
強奪事件から、2ヶ月ほど経ってから私の不在中に警官が郵便受けに一枚の書状を残して行った。「事件のことで追加の聴取をするので即日警察署に出頭するか、アポのために電話をするように」と言う内容だ。ベルギーの警察は保険会社に提出するための被害届を作成するのだけが仕事だと思っていた私は、「最近のベルギーの警察は、意外と仕事熱心だわね」と内心驚いた。翌朝警察に電話をしようとしていた所に、呼び鈴が鳴り、体格が良く目の鋭い若い警官が乗り込んできた。警官は硬い声で、「盗まれた携帯電話をあなたが購入したときの領収証が必要なのです」と言う。「この携帯電話は会社のものでしたので、領収証は有りません。会社の人事部に電話をかけてみれば、保管してあるかもしれませんが」と言うと、警官は真剣な表情で「それでは、早速人事部に電話をかけてください」と言う。自分の被害届の真偽が疑われているのかと思い不安になりながらも人事部に電話をかけ、警官に受話器を渡す。「社員用の携帯電話は数百個単位でまとめて購入するため、1個1個に対応する領収証はありません」と人事部の担当者が言うと、「それでは盗まれた携帯電話のシリアル番号を」と警官は食い下がる。警察からの電話に泡を食った人事部担当者がシリアル番号を探す15分ほどの間、警官は受話器を耳に当てたまま辛抱強く待っていたが、ようやく相手から番号を告げられると、持ってきた書類の中に記入し、それを復唱した。
盗品携帯電話の闇取引のリングに対する大規模な捕物でも始まったのかしらと、どきどきしながら期待の目を向ける私に、警官は言った。
「御協力ありがとうございました。実は、この事件の書類をチェックしていた上官に、携帯電話の領収書番号の記述だけがぬけていることを指摘されたのです。お陰さまで書類が埋まりましたので、本件をクローズし、ファイルを保管所に送ることができます。もうこれで今回のようにお邪魔をすることもなくなります。あなたもこれでこの件をすっかり忘れることができるし、わたしも忘れることができます。」
そう言って、警官は始めて晴れ晴れとした笑顔を見せた。警官の仕事が終わるのを今か今かと待ちかねていたグリが、自分のパソコンまで警官を引っ張っていき、警官をネタにした冗談ビデオをみせる。警官は、グリと一緒にしばらく楽しそうにそれを見てから、ニコニコしながら帰っていった。

これは、小説のような話ですが実話です。
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コラージュ療法(1) シンクロニシティ

ユング派の精神分析医河合隼雄が提唱し普及させた、箱庭療法について、以前「心理療法と物語」と題した記事の中で触れた。

同じユング派の秋山さと子の教え子であったと言う伊賀順子と言う先生が、カルチャーセンターで夢分析とコラージュのワークショップを主催している。夢分析は、生徒が自分の見た夢を記録し、先生やグループの皆に披露し、先生や他の生徒たちがコメントを言うと言う形式で進められるらしい。コラージュの方は、先生が用意してくれる古雑誌のグラビアから、各自が気に入った写真を切り抜き、それをA3大の紙に思いつくままにぺたぺた貼っていき、一枚の絵を仕上げる。

うちの母親は数年間このワークショップに通っているが、特に気に入っているのはコラージュのようで、電話をかけてきては、今回はこんなコラージュを貼っちゃった、とか詳しく説明してくれる。私の方は実物を見ているわけではないので、「へええ、おもしろいね!」とか言うしかないのだが、私が気晴らしに物語を書くときに感ずるようなカタルシスを、母親もコラージュをやりながら感じているらしいと言うことだけは分った。

ただコラージュには単なるカタルシスでは片付けられない、上述の箱庭療法と同じようなヒーリングの効果があるらしいことがその後分った。

数年前のことになるが、自分の存在を揺るがすような・・・と言ったら大げさかもしれないが、ある意味たましいの危機ともいえる危ない時期を、母親は潜り抜けていたようだ。それは(私の目から見ると)わりと些細な出来事がきっかけだったのだが、それから彼女の人格を支えていた何かが粉々にくずれてしまった。その出来事の少し前に、母親が15年以上子供のようにかわいがっていた猫が死んだ。まるで前兆のようだ。

その危ない時期は数年間も続き、その間私は数回彼女を気晴らしの旅行に連れ出したりする以外には何も助けにならずに、遠くから手をこまねいて見守っていた。やがて彼女はものすごい力で自分で立ち直った。それからと言うものは、まるで別人に生まれ変わったようになった。これまで、どちらかと言えば貧血性の文学少女がそのままおばさんになったようなぼーっとしたタイプだったのだが、目に見えて生き生きとして、受け答えがシャープになった。まるで「守護霊が入れ替わった」みたいに。

少し前に電話で久々にその時の話をしていて、
「それにしてもよく元気になったよねえ。一時はどうなるかと思ったけれど」
という私の言葉に、
「立ち直れたのはコラージュのおかげだったの」
と母親は意外なことを言った。良くわからないけれど、コラージュを貼っているうちに「どんどん楽になっていくような気がして」、心の病気の元が自然に治ってしまったらしいのだ。

元気になった今でも伊賀先生の下でコラージュは続けているが、先日それに関して不思議な事があったと言ってきた。

前回の伊賀先生のワークショップで、雑誌のグラビアの仏像の写真に惹かれて、それを自分のコラージュに貼った。その、名も知らぬ不思議な仏像の名前が知りたくていろいろ調べてみたけれどどうにも見つからない。そんな時にふとチャンネルを合わせた「仏像百選」というテレビ番組で、あれほどさがしていたその仏像の映像に出くわし、それが京都の室生寺の十一面観音であることが分った。それからと言うもの、母親は、十一面観音のことが知りたくて本を探す。それと前後して、掃除の最中に10年以上前に買ったまま読まなかった「覇王転生」と言う本が手に触れた。そして、読もうと思って場所を移しておいた。今日ふとその本を開くと、その本のいたるところに十一面観音の記述があるではないか。

一方この本を買ったいきさつはこうだ。10年以上前に島根県の神魂(かもす)神社を訪れたときそこで平安時代の服装をしたスサノオノミコトと天照大神の壁画を見た。その壁画のスサノオが秋篠宮殿下にそっくり(笑)の顔なので「面白いな」と思っていた。さて、しばらくして本屋で、例の壁画のスサノオの顔が表紙に印刷された本を偶然見つけた。それが上述の「覇王転生」と言う本だった。

こういうのを「シンクロニシティ」と呼ぶのかもしれないが、これがどのような意味を持っているのかがいずれは母親の目に明らかになる日がくるのだろうか。

母親や私のちっぽけな人生の中では明らかにされないような、壮大な布置が隠されているような気もするのだが・・・。

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