iPhoneによって、自分のすきま時間の使い方が一変した。スーパーのレジの待ち時間とか、昼休みに会社の電子レンジに入れたお弁当が温まるのを待つ間に、
青空文庫で宮澤賢治を読んだりする。少しの間だけど時間の流れが変わる。
夜ベッドに入ってから眠りに着くまでの間You-Tubeで荻上直子監督の映画「
かもめ食堂」を観たりする。その間、つかのま「自分」から解放される。
ヘルシンキで出会った3人の孤独な日本女性が、それぞれの抱える何かを最後まで口にすることなく、心の深い部分で絆を深めていく。その心の交流を媒介するのは、おいしいものを食べる無言の幸福な時間を共有すること。
食物に異常に興味がない自分にとっても、「かもめ食堂」のコーヒーやシナモンロールやおにぎりは、美味しそうと言うよりかは、食物という属性を超越した何か神聖な輝きを放っていました。
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「かもめ食堂」を見ながら、もう十数年前に観たパトリス・ルコント監督の「Mari de la Coiffeuse(髪結の亭主)」を思い出した。
最愛の髪結の女性を手に入れた主人公の中年男は、彼が最も愛する場所−妻の経営する美容院の中でのささやかな結婚式の日、へたくそな中近東風のダンスを踊る。
ダンスは彼にとって幸福の絶頂の表現だ。男がダンスを踊る間、ストーリーの時間は中断し、孤独な存在がその存在の垣根をとりはらって、つかのまの交流を実現する特権的な時間が顕現する。
映画の最後、愛妻を失った「髪結いの亭主」が一人残された美容院で、ふとあのダンスを踊リ始める。美容院の客が一緒に踊り出し、つかの間あの過去の幸福な時間が戻るかに思える。・・・突然踊りを止め、怒ったように音楽を停め、座り込む男。客も元の椅子に戻り、2人はまたそれぞれの孤独と無関心の垣根の中に戻って行く。
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ベルギーに来た時、いちばん大きな衝撃をもって自分が感得したのは、
「ここは言葉がすべてだ」
と言うことだった。
日本だったら、外人が片言の日本語を使っていたら、みなそれなりに親切にするでしょう。当地では違う。旧植民地や低開発国からの移民労働者を伝統的に大量に受け入れてきた社会であり、外国人と言えばまずは「貧乏人」か「無教養」か「泥棒」の同義語だ。白人でなければなおさらである。これはこちらに永住するつもりで住んでみた人でないとなかなか感覚的に分からないと思う。
最近ではだいぶ良くなったが、金持のエキスパットでも観光客でもない自分はこの国では移民であり、当地の公用語をしゃべれない移民は、誇張ではなく牛や馬のように扱われる。
現地人と同じように話せなければ、現地人の友達を作ることすら難しい。ものすごくサッカーがうまいとか、バイオリンの名手であるとか、何か言葉以外に自分を表現する手段がある場合は別だが、何もない人間が下手な現地語で話しかけても、よほどの物好きでないかぎり誰も手を差し伸べてくれない。最近少し増えている日本オタクか、アジア人女子狙いの男ぐらいしか寄ってこない。この国の人々は、沈黙ではなく、
言葉だけを媒介にして心を交流させるからだ。
徹底的に全てを言葉で説明し、議論し、説得しなければいけないことに、私はほとほと疲れてしまった。
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半年ぐらいの間、会社の近くにある無料のオランダ語学校に通ったことがあった。ほとんどがアフリカや中近東、中東欧の出身者ばかりだ。教師はくたびれて貧乏くさいフラマン人の髭の中年男でギドと言った。ギドは英語やフランス語をまぜこぜにして文法を説明するのだが、中には英語もフランス語もしゃべれない生徒や、アルファベットもろくに読めない生徒もいたので、ギドは、いつも皆のもの分かりの悪さに「は〜」とため息をついていた。このクラスの授業は抱腹絶倒で、今でも自分の一番美しく楽しい思い出の一つだ。
この授業については別の機会にお話ししたいが、今はチェコ人のおばさんのクリスティーナさんの話をしたい。
クリスティーナさんは50代後半ぐらいのおばさんだったが、いつもクラスの最前列に座って、一度も授業を休んだことがなかった。綺麗に髪をセットして、眼鏡をかけていた。はじめのうちクラスでいちばん物覚えが良かったのはルーマニア人の大学生のカップルと私だったが、休みがちで、そのうち毎回まじめに通っているクリスティーナさんが群を抜いてきた。それは驚くほどの上達だった。私は、いつも一生懸命ノートを取っている彼女の後姿を後ろの方から見て、本当に尊敬していた。
学校が主催したクリスマスパーティーの後、夜道を鉄道の駅に向かって歩きながら、私はクリスティーナさんとはじめて話をした。クリスティーナさんは英語もフランス語も話さないので、私も習いたてのへたくそなオランダ語もどきで。
クリスティーナさんの御主人はチェコ人の技術者で、ベルギー企業に仕事を見つけクリスティーナさんと二人でベルギーにやってきた。御主人の給与はそれほど高くなく、クリスティーナさんはベルギーで仕事を見つけなくてはならなかった。
「あなたはチェコでは、先生をしていたのではないですか?」
そう私は言った。何となく、そんな感じがしたのだ。
「いいえ、普通の会社員だったわ」
クリスティーナさんは、さびしそうに言った。
「でも、ここでは言葉ができないとね、掃除婦をするしかないのよ」
そう言ったクリスティーナさんの口調があまりにも悔しそうだったことに私は胸をうたれたが、気のきいたことはなにも言えなかった。いかんせんボキャブラリーがとぼしすぎたのだ。
クリスティーナさんの乗る電車が来た。
「今夜は有難う」そうクリスティーナさんが言って、私たちは向きあって両手を握りあった。
「クリスティーナさん」
「まりあさん」
ふたりはそれ以上何も云えず、両手を握りあったまま1秒ぐらい瞬きもせずに無言で見つめあった。そのクリスティーナさんの目が一瞬の間にそれはそれは沢山のことを私に語ってくれた。
オランダ語ができなくても、日本という経済大国の言葉ができるために、なんとか満足できる仕事のある自分は、結局その日以来オランダ語学校に戻らず、クリスティーナさんと会ったのも最後になってしまった。