現実の中に不意に夢が侵入して来る時

現実の中に不意に夢が侵入してきたという体験をされた方はいませんか? 私は、一度だけあります。もうずいぶん昔、2006年3月のことです。

ある晩、巨大な廃工場のような建物を誰かの案内で地下室に降りて行くと、そこは、床が黒い湿った土に一面に覆われた部屋で、土に根を下ろすように黄緑のぽっかりとしたみずみずしい巨大な植物があった。柔らかい黒い土に食い込んだ、その植物の白い根が見える。
 「すごいものをみちゃった・・・」
と感嘆しながらさらに下に下りていくと、そこは窓のある天井の低いバラックのようながらんとした部屋であると言う夢であった。

その頃の自分は、深夜残業が慢性化した状態が何年も続いていて、自分ではあまり意識していなかったが、今の自分と比べるとかなりイライラして憔悴していたと思う。夜は四十肩が痛くて、こむら返りもひどくよく眠れない。平日の早朝と週末には、亭主のグリに引きずられるようにしてジムとプールに行くのと仕事の他は、疲れ切って家で寝ているばかりだった。どこにもでかけられないし、グリが、テレビを一緒に見ようと言うのにも、起き上がることができない。

グリはおもしろくない。
「タイクツ、オバン!」
と日本語でののしる。その内、フランス語のようにリエゾンさせて、ワンワードで、
「タイクツォバン!タイクツォバン!タイクツォバン!」
と、私が渋々一緒にテレビを見るまで続ける。

そればかりか、パブ仲間全員に、
「うちのワイフは、怠け者のパンダだ」
と言うメールを送った。寝転がって、竹のはっぱをかじるパンダの写真入りだ。しかも、あろうことかCCに私が入っている。そのメールを、会社で受け取った私はついに切れてしまった。

ふだん亭主のグリが何をしても、めったに怒りを感じない自分であるが、怒る時は本気で怒る。そう言う時は、王様が軍隊を引いてきても私の怒りを止めることはできないし、自分でも収拾をつけることができない。

自分は家に戻り、荷物をまとめると、結婚指輪をはずして、近隣のメヘレンの町まで車を飛ばすと旧市街の一角のホテルに投宿した。そこからグリのメールへの返事を書き送る。
「私は怠け者でも、パンダでもありません。私がどれほど必死で働いているかは、あんたがよく知っているでしょう」
するとすぐに、
「まりあ、よくぞ言った!」
と言う返事が返ってくる。グリからではない。メールを送るとき「全員に返信」ボタンを押してしまったので、グリのパブ仲間全員に送られてしまったのだ。すぐに今度はグリから返信が来る。またもや全員がCCにはいっている。
「君が必死で働いているのは知っている。でも、週末に起き上がれないなんて異常だよ。君は、タイムマネージメントとデレゲーションを学ぶべきなんだ」
「問題をすり替えないで。あんたは、私を怠け者だって確かに呼んだわよ。そもそも、デレゲーションをできる人手がないから、私が残業をしているんでしょう。それに、あんたみたいな暇人にタイムマネージメントをうんぬんする資格はないわよ」
「そうだ、もっとやれ!」
「きついなー、お前のかあちゃん」
外野からやじがとぶので、ひじょうに議論がしにくい。それにこれ以上続けると、グリに要らぬ恥をかかせてしまいそうだ。

そこで、気を落ち着けてグリにだけメールを書く。
「貴方のお友達たちに、私を怠け者のパンダだと吹聴した貴方の思いやりのない行為に、私はほとほと愛想がつきました。私はアパートを出ますので、貴方はそこに好きなだけ住んでください」

そうして、携帯電話もPCも切って、その晩は本当に久々の深い眠りに落ちた。いつもは、亭主のグリが横でテレビとラジオをつけているので、眠りが浅いのだ。

翌日は土曜日だった。ホテルの部屋には、明るい春の光が差し込んで、本当に静かだ。ゆっくりと自分のペースで朝食をとり、のんびりとメヘレンの町に出てみる。





とてもピトレスクなメヘレンの町を散歩しながら、これからどうしようかなあとぼんやり考える。ブリュッセルに別のアパートを見つけて・・・等と考えながら旧市街のはずれまで差し掛かった時、体育館のような建物の窓に強く注意を惹きつけられた。

その異常な、何か懐かしい強い感じを無視して、建物を通り過ぎようとした自分は、また何か強い力に引っ張られるようにして、建物の窓の中をもう一度覗きこんだ。

その建物の何にそれほど引き付けられたのか、その時も、今も、謎なのだが、敢えて言うならば、スポットライトがあまりにも低い位置(私から見ると地面の高さ)にあったことだろう。つまり窓から見えない下方の方に、見えない空間が広がっていることを感じたからだったと思う。

しばらく呆然と眺めていた後、その場を去ろうとして、その建物の脇の土の上に、ぽっかりと一輪だけ紫色のみずみずしいクロッカスが花を開いているのを見つけ、はっとした。そのクロッカスがまるで何かを語りかけるような強い存在感でそこにあって、私は震撼した。

***

そのしばらく後で、あのクロッカスの花は、自分が1週間前に夢の中で見た巨大な地下茎が、現実という地上にあらわれて咲かせた花なのだなあと言うことに気がついた。あの小さい花は、私の無意識の地下の巨大な何かとつながっているので、あれほどの存在感を持って自分に語りかけてきたのだなと。

あの夢も、クロッカスの花も、それを見た私はそれが何かの予兆ではないかと思ったのだが、今思えば、その2カ月後に発見された乳癌の予兆だったのかもしれない。

今思えば、あの時の自分は、色々なものとわかれる瀬戸際だった。たかが、パンダと呼ばれたことぐらいでグリと別れることをなんとも思わなかったし、自分の会社にも愛想が尽きていて別の会社との契約寸前まで言っていた。それが、がんが発見されたことで、どたばたと療養に入り、6カ月の治療生活が終わった後には、会社との関係や、デレゲーションの問題、グリとの関係、全ての問題がなぜか解決していたのだ。

***

グリと仲直りしてから、ジムに顔をだすと、受付の女の子ブランシュが、
「久々ね〜 大丈夫だったの? 心配しちゃったわよ。貴方に出て行かれた時、グリったら、ぼろぼろ泣きながら筋トレしてたわよ」

鷲の再生

家の向かいのアイリッシュ・パブ「マイケル・コリンズ」には、ブラッセルに住む英語を母国語とするエキスパットの他、出張で立ち寄ったBBCのテレビキャスター、アイルランド人の欧州議員、航空会社のクルーなどが集まるそうなのだが、中にはいったいこの町にどうやって来て、どうしてここに住み着いてしまったのか分からない外国人も大勢いるらしい。(うちの亭主のグリもその一人かもしれない。)

そんなグリの最近のお友達、デスモンド・シニアがこんなメッセージを送ってくれた。



グリは、
「鷲ってすごいな。40歳になった時、選択を迫られる。死ぬか、再生するか。後者を選んだ鷲は、150日間巣にこもって、古くなったくちばしと爪と羽を全部自分でむしって、新しく生えてくるのを待つんだって。こうすると、70歳まで生きられるんだってさ」
「70歳?」

妙にこのエピソードに感動してしまった自分は、You Tubeで一生懸命BBCドキュメンタリーのフィルムを探すが、くちばしと爪と羽を自分でむしる鷲の映像は見つからない。

色々調べる内に、鷲の寿命は動物園で大事に育ててもせいぜい50歳であり、上の話はアメリカ・インディアンの伝説であることがわかりました(笑)。

「え〜、そうなの?」とグリはがっかり。「でも神話と言うものはどこかに一片の真実を含んでいるもんだよ?」この神話に含まれているのは、動物学の真実ではなくて、心の真実なのだろう。

デスモンド・シニアのメールは、さらに続く。

「雨が降ると、鳥たちは雨に濡れないように物陰に隠れようとする。でも鷲は、雨に濡れないように高く高く飛んで雲の上に行こうとするのさ」

これは、今の自分にはぐさっと刺さるメッセージでした。私も古いものを捨て去って、心機一転しないとこのまま死んでしまう。雨が降ったら軒下で通り過ぎるのを待つのではなくて、力いっぱい飛んで雲の上に出るのだ。

デスモンド・シニアは、70歳で、グリの一番年上の友達だ。今日は、彼の奥さんの1周期。彼も古い爪とくちばしと羽を脱ぎ捨てて再生しようとしているのだろう。

(最近、こういうストレートフォワードなメッセージに素直に感動してしまうなあ。)

真冬の対決(3)

翌朝、ミヤさんとコジさんを乗せて再びアウトバーンを車で飛ばす。昨朝に比べるとコジさんの口数が少ない。

ミヤさんが言う。
「コジさん、ジョンは比較的扱いやすいのです。すぐかっとなるけれど、赤い布を振ると、こちらの思い通りにすぐ飛びついてくれます。難しいのは親父のポールです。穏やかな紳士ですが、赤い布を振っても、その背景に何があるのかをすべて視野に入れているので飛びついてこない」
「ミヤさん、本当に縁を切ろうと思うのであれば、賠償金は覚悟しないと。そんなところでケチってろくなことはないと思うよ」
ミヤさんは黙っているけれど、たぶんお財布を握っている日本のおじいちゃんを説得するのが大変だと考えているのだろう。

さて、ジョンとポールの親子を前に会議室に向かい合って腰を下ろすと、開口一番、ミヤさんが言う。
「昨日貴方が最後に提案した、おかず二品という代替案、日本のおじいちゃんに確認しましたが、そんな条件は呑めないと言っています」

ジョンの顔がさっと赤くなった。お父さんのポールもちょっと顔色が変わった。
「わかったよ、お前たち、昨日は中立的だと思ったのに、今日はもうおじいちゃんの味方ばかりするんだな。もう俺を離縁するつもりだろう。俺がいなくなってお前たちの会社がやっていけると思っているのか」

お父さんのポールがそれを遮って、
「私たちは離縁するつもりはない。もう一度チャンスをくれ。でも、お宅の要求する条件をクリアするには、昨日言った洗濯機とアイロンだけではなくて、電子レンジとお料理ロボットも必要なんだ」
「パパ、そんなこと言っても無駄だよ。テツにはもう何度もそれを頼んでいるんだ。でもいつも日本のおじいちゃんが許可しないと言って、つっぱねられてきたんだ」

ミヤさんがそこで、
「それなら、日本のおじいちゃんに直接提案書をもっていったらどうだね。テツを間に挟まないで」
 
父親のポール、
「提案書を作るよ。そうしたら、日本のおじいちゃんではなく、ひいおじいちゃんに直接話せるかね」
「それは分からないが、提案書を作ってくれたら、私から話してみる」

そう言うミヤさんの真意が分からない。早いところ縁を切って会社もつぶせと言うおじいちゃんの命令でミヤさんはここに来ているはずなのに、仲を取り持つようなことを言っている。単なる時間稼ぎなのか。

夜遅くブリュッセルに戻ってから、昨日今日でとったメモをもとに、朝4時頃までかかって議事録を作る。まず英文の議事録を作ってその横に日本の翻訳をつけるために、昨日今日のやり取りをもう一度読み直すと、なんだかジョンとポールの親子が猛烈にかわいそうになって来た。

ポールは自分の知能と努力だけをたよりに、今の会社を一代で築き上げてきたつわものだ。でも、こちらの日本の巨大会社に比べると吹けば飛ぶような会社である。日本の会社には、テツの後ろにミヤさん、ミヤさんの後ろにおじいちゃん、おじいちゃんの後ろにはひいおじいちゃんがひかえている。その後ろにはひいひいおじいちゃんもいるのかもしれない。ポールとジョンは一体誰を相手に戦えばいいのか分からない仕組みになっているのだ。ポールとジョンに提案書をいくつも作らせて、戦い疲れてへとへとになるまで弱らせてから一気に縁を切るつもりなのか。
 
にこにこして空港のゲートに消えて行く二人の剣豪ミヤさんとコジさんを見送りながら、なんとなくぞーっとした自分であった。
 
(たぶん数カ月後に決着したら、つづく)

真冬の対決(2)

先方のオフィスに着くと、社長のジョンと父親のポールがにこやかに迎えてくれる。ミヤさんとコジさんもにこやかに握手する。

ジョンは、見るからに気が強そうだが、どこかイノセントなところがあって、これまで人に騙されて辛酸をなめたことはないのだなということがこの私にもわかる。老獪なビジネスマンである父親のポールに守られていたせいだろう。

ポールは、80歳近いと思うが、受け答えがとてもシャープで隙がない。にこやかに冗談を飛ばしながら、ふっとこちらを見る目がタカのように鋭い。

先程のたとえで言うと、夫のテツさんは連れてこないで、テツさんのお父さんのミヤさんとお母さんのコジさんが、妻のジョンさんの話を聞きに来たような感じだ。

ミヤさんとコジさんは、さっそく、
「毎晩夕飯のおかず四品以上と、毎日ワイシャツを洗濯してアイロンをかけてくれろと言うプロポーザルを先日うちの息子のテツから、ジョンさんに送りましたが、受け入れてくれますか」
と切り出す。

相手のノーと言う答えを引き出すのがこの話し合いの目的だ。会話の一部始終は、第三者の私が記録し、証拠として残される。

ジョンは、イエスともノーとも言わないで、次のように言う。
「この提案そのものがおかしい。おかず四品以上作ったら、ワイシャツにかける時間がそれだけ減ってしまう。そもそもワイシャツを白洋舎に出さないで済むためには、新しい洗濯機とアイロンが必要。もうずいぶん前から、洗濯機とアイロンを買ってくれと貴方の息子さんに頼んでいるのに、彼はずっと無視してきた。それに、5年ぐらい前から彼は白物家電そのものを買うのをやめてしまったのです」
と延々と夫のテツに対する恨みつらみを、義父母に述べる。

その時突然、会社で留守番をしているはずの夫のテツが部屋に入ってきて一同唖然とする。テツは満面に笑みを浮かべて、
「えへへ、来ちゃった」
と言う。

妻のジョンも子供っぽいが、夫のテツも天真爛漫なところがある。子供夫婦なのだ。それで、親同士が話し合いをしなければならないと言わけだ。

ミヤさんとコジさんは、テツのことはとりあえず無視して、ジョンに、
「それではどういう条件だったら受け入れられるの」と聞く。

父親のポールがジョンに代わり、
「おかず二品以上と言う条件だったら、善意で呑むことにしましょう。それから、ワイシャツについては、現状では無理だから、どういう洗濯機とアイロンを買ってほしいのか提案書を作ってみよう」
と締めくくった。

会社に帰ったミヤさんとコジさんは、日本の事業部長(これはテツさんのおじいちゃんにあたる)に早速電話で報告をする。おじいちゃんは、
「なに?おかず二品だと?そんな提案呑めんと言え。四品は絶対だとな」
とつっぱねる。

ミヤさんとコジさんは苦笑い、テツはわが意を得たりと得意そうだ。おじいちゃんは、テツのことを個人的にとても可愛がっているのだ。でもおじいちゃんは、ジョンの父親のポールとも長年の友人だ。テツとジョンとの縁切りを自分の口から切り出すのがしのびなくて、刺客のミヤさん、コジさんを送りこんだらしいことが推察される。

テツがすやすや眠ってしまったところで、ミヤさんとコジさんが静かに話している。
「コジさん、日本のおじいちゃんは、早いとここんな縁組解消して、ドイツの子会社もつぶせと言っているけど、僕から見るとこれはとてもいい会社なんです。従業員の質も、設備の面でも。今回何日か滞在して、なんかつぶすのはもったいなくなっちゃった。でも、問題はジョンですね。もし会社を存続させるとしても、ジョンとこれ以上続けて行くのは難しい」
「ミヤさん、もし、ジョンとの縁組を解消した後でミヤさんがここに来て、会社を立て直すというのはどうですか?ミヤさんだったら、何年ぐらいかかりますか?」
「2年は最低かかりますね。現行の制度を全部リセットしてゼロから始めるとなると・・・」

ミヤさんは、以前別の赤字子会社を2年で黒字会社に変えた実績の持ち主なのだ。

(つづく)

真冬の対決 (1)

今週は、1週間極寒のドイツにいました。

長い赤字が続くドイツの子会社を閉めて、取引先との縁も上手に切りたいと思ってる大手の日本のメーカーと仕事をするためです。

日本の本社は、子会社が赤字続きで、この会社の製品しか扱っていない取引先が黒字続きなのは、構造的に何か間違っていることにずっと前から気付いている。夫が腹をすかしているのに、なぜか妻がダイヤモンドをたくさん持っている夫婦のようなものだ。

こんな結婚は早いとこ解消した方がよいのだが、10年も経過してしまった。日本の会社に相当余裕があったということだろうが、最近は不況と円高でそんなことも言ってられない。でも、妻に訴えられて多額の賠償金を取られるリスクを減ずるためには、慎重に事を運ばなければならない。

日本の本社の思惑は、手短に言えば、現状では実現不可能な条件を取引先につきつけて、相手がその提案を拒否した時に、おもむろに、
「お前がこの条件を飲んでくれないと、わが社は生き残れない。仕方がないので縁を切ろう」
というシナリオだ。

ある日突然、夫が、これまで思いっきり甘やかしてきた妻に向って、
「もうダイヤモンドも海外旅行もなしだ。夕食には毎晩必ず4品以上おかずをつけて、お酌をしろ。俺のワイシャツも白洋舎に出さないで、お前が洗濯してアイロンをかけろ。そうしてもらわなければ、俺はもう働けないので、会社を辞めて、放浪の旅に出る」
と宣言し、妻が、
「そんなの無理よ。だんこ拒否するわ」
と言うのを待って、
「それでは仕方がない。離婚しよう」
と言うようなものだ。

いきなり「離婚しよう」と言えれば話は簡単なのだが、このような前段階を踏むことにより、妻に少しでも負い目を持たせられれば、リティゲーションになった時多少なりとも立場が優位になるからという期待があるのかもしれない。

でも、子会社に駐在しているテツさんと、取引先会社の社長のジョンさんが犬猿の仲で、寄るとさわると怒鳴り合いになってしまうので、一向に話が進まない。

そこで、日本の本社がヒットマンを送りこみ、ジョンさんと話をさせることになった。英語が達者で、切った貼ったの修羅場をくぐりぬけてきたミヤさんだ。ミヤさんと言うのは、宮本武蔵から私がつけたあだ名で、本名ではない。同行するのは、私の会社の大阪事務所からコジさん、このあだ名は佐々木小次郎からとった。

月曜日と火曜日は、前述の現地社長のテツさん、ミヤさん、コジさんと私の4人で、弁護士たちと会い終日事前打ち合わせをし、翌日・翌々日はドイツの取引先まで行って、いよいよ決戦だ。

テツさんを連れて行くとケンカになってしまうのは目に見えているので、ミヤさんとコジさん、そして私の三人だけで行くことになった。

ミヤさんは、一見、着流し、丸腰に見える優しげな紳士だ。同行するコジさんは、日系三世のアメリカ人で、彼も異常にソフトだ。

こう言うソフトな人に会う機会は、私の場合なかなかない。

一方、相手方の社長のジョンは、頭が切れる上に、怒鳴り出すと止まらないと言う強気の男だ。しかも、今回は、老獪な父親のポールも一緒だ。ミヤさんとコジさんがどんな交渉をするのか怖いような楽しみなようなである。

真冬のアウトバーンを車を走らせる私の耳に、後部座席にかけたミヤさんとコジさんののんびりした会話が聞こえてくる。

「ミヤさん、僕は最近、剣豪小説をたくさん読んでいるんだけど、小説の中で、相手との距離と言う話が出てくる。深いダメージを受けないように相手の剣の届かない距離をとりながら、ジャブの応酬をしているんだけど、ある時わざと相手の剣のスパンの中に入って見る。それは、相手の反応を見るためなの」
「フェイントをかけるってことですね、コジさん。たしかに、交渉の中で相手の反応を見るためにフェイントをかけることはありますね・・・僕も時々やります(笑)」

また、しばらくして、コジさんが話し始める。
「今こうやってミヤさんとお話ししますね。そして、二人の話はある所で落ち着きます。そうすると、次の日また話を始める時に、前の日に話して合意した所から、始めることができます。でも、僕の上司ですが、翌日話し始めると、昨日言ったこととは全然違うことを言い出す人がいる」
「忘れているんでしょうか」
「いえ、憶えていると思います」
「わざとやっているということですか」
「はい。たぶん僕のコンシスタンスを試しているのだと思います」
運転しながら私が口をはさむ。
「え〜、そんな人、信頼できないじゃないですかっ!」
「はい。信頼できません」 
コジさんは物思わしげにそう言って、黙る。

アメリカで生まれ育ち、最初の就職が私の会社のアメリカ事務所だったコジさんは、今は日本の、大阪の事務所で働いている。日本での就職経験がない自分の偏見かもしれないが、大阪は特殊な商習慣とエートスを持っているのではないかと想像してしまう。そんな中で、コジさんは大変苦労しているのではないか。

(つづく)

暗い水の中をクロールで泳ぐ

クロールがきれいに泳げるようになる!」と言う本を買ったのは、2004年の10月のことです。練習を始めた直後に、四十肩になり、次いで癌になり、その内に、ジム併設のプールが使えなくなり・・・と言ったことが続き、本を買ったがよいが、当然のことながらぜんぜん泳げるようになりませんでした。

昨年11月にプールが使えるようになったが、再びクロールの練習を始める意欲がなくそのままになっていた。それが、数週間前のある日、いつもやっている平泳ぎがふと生ぬるく感じられ、クロールの練習に再チャレンジする気になった。

この本は、バタ足のコツから、息継ぎのコツ、手の掻きのコツなど、順を追ってとても丁寧に説明している。

週末ごとに1時間ぶっ続けで、本に書かれている通りに辛抱強く練習していたら、先週とつぜん、体が水に乗り、手が水をつかみ、ものすごい(と思われる)勢いで泳げるようになった。運動神経の悪い自分がここまで泳げるようになったのは、やはりこの本の指導がとても優れているからだと思う。

こうなると病みつきです。ウィークデーにも残業しないで、プールに通ってしまう。



こんなふうに(笑)。

そうすると陸に上がっている時も、仕事で一息ついた時も、ベッドに入ってからも、心の中でがむしゃらに水をかいている自分がいます。

***

強烈な悪夢はあまり見ない自分が、今朝は大変怖い夢を見て、それこそ暗い水の中をもがくように目が覚めた。目が覚めて夢で良かったと思った。でも何が怖かったのかなあと思いながら、思い出せない。嫌な夢の後味がが残っている。

会社に来ると、以前「100点以外はダメなときがある」で話した上司のロニーが、私を含めたチームの20人を部屋に集めて、自分が癌にかかっていること、来週手術して6月まで療養することを告げた。

そこに集められたみんな(男も女も)あまりのことに、泣いてしまった。ロニーも泣いていた。次席のグンターだけは泣かないで、
「みんなロニーのいない間がんばろう」
と言ったのがさすがだった。

私が癌治療や試験の間ロニーがいつも元気づけてくれたことを、自分ががんがんケンカを売っておとなしいロニーのストレスを増やしていたことを思いだし、彼の癌は部分的に私のせいだと思い、悩む。

暗い水の中をがむしゃらに泳ぐことが、前回エントリーで申した、夢の中で泥道をがむしゃらに進むことと等価になっている気がする。泳ぐことは、自分にとって物理的であると同時に心理的な行為であるらしいのだった。

***

30分から1時間の決めた時間内は、プールの隅から隅までびっちり休まずに泳ぐのが私は好きなのだが、亭主のグリは、四角いプールを丸く泳ぐ。

それも、片道はいいかげんな平泳ぎで、逆方向はボーフラのようなふわふわした背泳ぎだ。泳いでいたかと思うと、とつぜん、水の中でクルンとでんぐり返りを打ったりする。そしてまた、ふわふわ泳ぎ始める。



こんなふうに。(カメラを向けられて少しむっとしている。)

グリは予測不可能な泳ぎ方をしながら、必死で泳いでいる私の行く手をさえぎったり、ふわ〜と意味もなく寄って来たりするので、こちらは大変イライラさせられるが、たまに心がなごむ時もある。


黄昏時にびしょびしょの泥道を歩くと言う夢

黄昏時にびしょびしょの泥道を歩くと言う夢を繰り返し見る方がいましたら、ご連絡ください。

でこぼこの土の道のあちらこちらに、水たまりがあり、黄昏時の薄赤と薄青の空を反映している。そんな道がどこまでも続いている。そんな悲しい夢です。

以前はまったく見なかったそう言う夢を、最近見ることが増えてきました。そんな泥道を、自分は苦労しながら歩いたり、ポンコツ車に乗ったり、ポンコツトラックを運転しながら進んでいたりします。

そう言う夢にときどきは、向かいの席に座るモーレツ同僚のサイトーさんが出てきて、
「あ、車庫入れだったら僕がやりましょうか」
とか、
「運転代わりましょうか」
とかこちらのプライドを傷つけないように聞いてくる。

自分の夢の中に出てくる泥道や、坂道(下り坂ではなく上り坂)は、仕事に関係しているようだ。

癌になってぶっ倒れた時、最初の抗がん剤治療に続く高熱の中で、日頃ケンカばかりしていた上司のグンターが夢に出てきて、私が苦労しながら運転していた巨大なバスを、私の代りに運転してくれたのだった。

その前に、乾いた坂道を必死で徒歩で登っている時、年下の同僚のハルコちゃんが、自分の自転車を貸してくれた(涙)。

夢の中でまで助けてくれて、みんな本当に有難う。

別の時は、やはり炎天下の上り坂を、同僚のステファンくんと自分は、必死で自転車を漕いでいたのだった。当時、ステファンくんと自分とは、おちこぼれでプロモーションが遅れていたのだった。ステファンくんは、とうとう会社を辞めてしまったが、自分はまだぼこぼこの道を進み続けている。

当時から少し変化したのは、自転車がボロ車になったこと、乾いていた道が泥道になったこと、炎天下が黄昏時になったこと(笑)。

正月ぐらい家でも旨いものを食べたい

「三度の飯より好き」なものが山ほどある自分にとって、食事の優先順位は本当に低い。

料理の上手な友人たちが見かねてご飯を作ってくれるとそのおいしさに感動するものの、ふだんの自分は、とりあえずおなかがいっぱいになりさえすれば味はどうでもいいようなものばかり食べている。食事を作る時間も、食べる時間ももったいないのだ。

自分の1回の平均食事時間は、5分ぐらいだろうと思う。

そんな自分がいつかは作ってみたいと夢見る料理があった。それは、以前「ナミュールで魔女の末裔に会う」に登場いただいたお友達のボブさんの作った自作自演のビデオでを見て、あまりにもおいしそうで、しかも簡単そうだったからだ。

プーレ・オー・シコン、鶏とシコンのクリーム煮。



ね。おいしそうでしょう。

ボブさんは、たぶん自分の友達の男性の中ではたぶんいちばん料理がうまい。一度ボブさんにハムエッグを作ってもらったことがあったが、何の変哲もないハムエッグが夢のように美味しかったことを思い出す。異常なほど食べ物に興味のない自分であるが、あのハムエッグを毎日食べられるボブさんの奥さんのシエコさんがうらやましい。

***

正月ぐらいは旨いものを作って食べよう、プーレ・オー・シコンを作ろうと思って、年末にスーパーで地鶏をさがすが手頃なものが見つからない。

そこで急きょ予定変更し、地鶏の代わりにキジを買う。少し前にFT日曜版に、イギリスの人気シェフRowley Leighのレシピが載っていたキジとシコンの煮物を思いだしたのだった。

<材料>
バター 75g
パンチェッタ  75g
キジ 1羽
白ワイン 200ml
シコン 3個
レモン 1個
シェリー酢 大匙1
砂糖 小匙1

言っておくが、パンチェッタもシェリー酢も、見たことも聞いたこともない。スーパーマーケットの中を必死で探す。あった〜、そう言う名前のものがふたつとも見つかった。信じられん。

<作り方>
鍋にバターを溶かし、パンチェッタの角切りをゆっくりと脂が溶け出しカリカリになるまで炒めます。パンチェッタを丁寧にフォークで取り除き、お皿に取り置きます。お鍋にキジを入れ、表面がきつね色になるまで炒めます。さらにバターを加え、キジの周りにさっき取り置いたパンチェッタを撒きます。白ワインを加えてふたをし、20分ぐらいことこと煮ます。
その間に、フライパンにバターを溶かし、縦に四つ切りにしたシコンを並べ、色づくまで炒めます。砂糖とレモン汁を加え、水分が完全に蒸発しかけたころ、シェリー酢を加え、シコンに絡めます。
キジを鍋から出し、脚を切り離し、胴体を半分に割り、シコンと一緒に鍋に戻し、数分煮て、最後にバターを加え、鍋を動かしながらキジに絡めます。

ふだんバターをほとんど使わない自分にとっては、驚異的なバターの使用量である。うはあ、健康に悪そう。でも1年に一度、正月ぐらいは許されるだろう。

お皿にキジとシコンをうつし、鍋に残ったソースをたっぷりかけて食べると、ちょっと荒削りだったけど、やっぱりふだんは自分の作るいい加減な料理とは違って、フクザツでなかなかウットリするような味でした。

食べている内に、がりっと音がして、キジの肉の中から散弾銃のかけらが2個出てきた。



自作の写真ではなく、FT日曜版に載っていた写真(笑)。

2011年を振り返り、個人的な絶望・個人的な幸せを想う

そのむかし友人から借りた萩尾望都のSF叙事詩「銀の三角 」で印象に残っているのは、殺された一人の少年の叫びによって宇宙が歪んでしまったと言うくだりだった。

失業中だった若いチュニジアの野菜売が、商品と秤を警察官に没収され、さらには婦人警官の1人から暴行を受け、没収品の返還と引き換えに賄賂を要求され、抗議の焼身自殺を遂げたのは昨年の12月だ。青年の怒りと悲しみが、チュニジアからエジプト、リビアへと波及し、あっという間にアラビア半島にも飛び火した2011年だった。2011年の正月にエジプトから帰った直後に、エジプトが炎上したと聞いた時さいしょに思い浮かべたのはウン十年前に読んだ「銀の三角」のこのエピソードだった。

一人の名もない青年の絶望や死が、今回のように地域や国境を越えて人々に行動を促すと言うことは、FacebookやTwitterの存在なしには考えられなかったと言われている。

最近のモスクワでのウラディミール・プーティン反対デモも、規模はちっちゃいがわが町ブリュッセルののジョゼフ・カビラ反対デモもこの余波を受けてのものではないかと言う気がする。

ジョゼフ・カビラ再選反対デモは、12月17日の我家の御近所のポルト・ド・ナミュール(コンゴ出身者が多い)で和やかな感じで始まったが、最後にはなんだか暴力的な感じになり、結局144人が逮捕され、可哀そうなベルギーの警察官16人が負傷した。

一本隣のアベニュ・ルイーズに住み、アパートの前に路駐している自分は車のガラスを割られるのは慣れているが、イクセル通りに路駐してたらボコボコにされるところだった。イクセル通りに路駐してなくて、ほんと、ヨカッタ・・・。








ディクテーターのいない西欧諸国の人々は抗議するターゲットがないので(?)、しかたなくEU本部の前で「キャピタリズム」に対する抗議集会をしたり、最近では「バンクスター」と呼ばれている銀行の前に抗議のテントを張ったりしている。打倒すべき具体的な顔が存在しないせいか、何を要求しているのかがわかりにくいデモンストレーションで、いまひとつ迫力にとぼしい。

****

個人の絶望や死が、言葉や映像としてリアルタイムで世界中に共有されてしまう。3月11日の東北地方太平洋沖地震のすさまじい映像もリアルタイムでヨーロッパまで入ってきて、(日本で放映されたかどうかはわからないが)被害者の骸などの映像も含めて繰り返しこちらのテレビで放送された。1995年1月の阪神・淡路大震災の時は、週刊誌のグラビア等を通してわずかに映像を見ることができるだけだったので、隔世の感がある。

世間はコロネル・ガダフィやオサマ・ビン・ラディンやキム・ジョン・イルなどの大人物がこの世からいなくなり、シルビオ・ベルルスコーニや、ブライアン・カウエンが退陣したにぎやかな一年であったが、自分はと言うと、昨年からチャレンジしていた試験にようやく受かったことを除けば、あとは粛々と自宅と職場を往復しながら、仕事では鼻先にぶら下げたニンジンをひたすら追っかけ、毎朝ジムに通い、瞑想をし、試験も終わり少し時間の余裕ができた週末には、買い集めた脳関係の本を読みふけり幸せ感に浸ると言う地味な一年だった。

その中で一番のイベントは、以前登場したジャンおじさんのお陰で、6月に、狭いアパートの古い木の床を張り替えられたことだったろうか。

あまり執着するものはないのだが、自分が一番大切に思っているのはやはり自分の住居だとおもう。小さいアパートであるし、家具や食器もぶっ壊れたようなものしかないのだが、火事で焼けてしまったり、津波で押し流されてしまったりすれば、たぶん、しばらくの間精神的に立ち直れないのではないかと思う。

だからアパートは大切に綺麗に住みたいのだが、平日はほとんど外にいるし、週末の限られた自由時間を何に使うかと言えば、インテリアの優先順位は低い。

友人が、
「なんか、いつ来ても引越しの途中みたいなアパートだね」
と言えば、亭主のグリもしみじみと、
「なんか、爆弾テロの後みたいだね」
と言う。

爆弾テロの後みたく見えるのは、片付けても片付けても、グリの脱ぎ捨てた洋服や読み捨てた新聞や雑誌がアパート中に散乱しているのが主な原因だが、数十年も経っていると思われる木の床が相当痛んでいることも大きいと思えた。

6月にグリが10日間位旅行に出かけることが分かったので、この隙にジャンおじさんに床を張り替えてもらうことにした。床の張り替えは結構大変な仕事だ。アパート中の家具を片方に寄せ、古い床をはがし、新しい床板を張り、つぎに家具を別の方に移しまた同じことを繰り返す。

ジャンおじさん一人では無理そうだったので、友人のギイおじさんを連れてきた。ジャンおじさんとギイおじさんは、毎日9時から夕方の5時まで、コカコーラを飲む他は昼飯も食べずにものすごい勢いで無言で働き、1週間ほどで仕事を終えてしまった。

見よ、2人のおっさんの丁寧な仕事ぶりと、うつくしい床。床がきれいだとIKEAの安い家具や、救世軍で買いたたいたり道端で拾ってきた家具も立派に見える。おじさんたちのお陰で、ささやかではあるが幸せな年越しができそうだ。今はこの時のささやかな幸せに感謝し、これを大切に味わうことが自分たちにできるすべてだ。ある日ほんとうにテロリストに爆破されても、津波で押し流されることになっても。



夢の中で左に下る

みなさんは、子供のころ自分の右手と左手の区別がはじめてついた瞬間を憶えていますか?

自分の場合、幼稚園の初日に先生がいきなり「右側を向いて」と何げなく言った時に、どちらが右側か分からなくて大変困ってしまった。右側・左側と言う言葉は知っている。家に帰って母親に、
「右側ってどっち?」
と聞いたら、あきれたように、
「お箸を持つ手の方よ!」
と言われて、またこまってしまった。実際にご飯がはいったお茶碗を持って、食べはじめてみないとどちらの手にお箸を持っているかなんて分かりはしない。先生に号令をかけられる度に、そんなことをしているわけにはいかない。

今思えば、「右」とか「左」とかは、「目」や「手」や「足」とかと比べるともう一段抽象度の高い概念で、右手と左手の形が違っていればまだしも、左右対称に思われる体に右とか左の概念を結び付けるのはもうひとつ高度の作業だったので難しかったのかもしれない。

また、「右」とか「左」は一定の物や場所に結びつくわけではない。こちらを向いて立っている先生がお箸を持つ手は、自分から見るとお箸を持たない方の手だ。多分そんなことで混乱してしまったのだと思う。

それから間もなく、お茶の間で庭を見るように立っているたとき、そこにいた誰かに、もう一度どちらが右手か聞いてみた。その時自分が立っている位置と向きからは、お台所があるのが右側、廊下に続く扉のあるのが左側であった。それからというもの、どこにいても、幼稚園にいても、どちらが右か左かわからなくなった時は、人気のない春の午後に茶の間にたたずむ自分から見た台所と廊下の位置を眼に浮かべて、右と左を区別することにしたのだ。

それは、自分にとって右と左の概念が理解できたというよりも、右と左と言う決めごとをとりあえずも便宜上身につけるためのショートカットを思いついた感動的な瞬間であった。

***

こんなことを思い出したのは、先週、亭主のグリと、彼の故郷のアイルランド共和国と英国の北アイルランドとの国境に近いドニゴールの近辺を車で走っていた時だった。その時、自分の体の位置や向きによって変わる相対的な左右ではなくて、絶対的な左右の感覚が自分の中にあることに気付いたのだった。

ドニゴールのロック・エスクという湖のほとりの1860年代のお城を改造したホテルに日暮れ時に投宿し、翌日、湖のほとりまで下りてみたが、午後1時過ぎというのに夕暮時のように薄暗い。

以前、「水と夢」でも書きましたが、自分の場合、坂道を下って行くとものすごく美しい水辺に着くと言う夢を良く見ていた時期がある。今目にしているロック・エスクの水辺は、まさにその夢の中で見た水辺のようなうつくしさなのだった。



また、高所から突然ものすごく美しい渓谷の裂け目に青い水が見えると言う夢も見たことがある。ロック・エスクに近い大西洋岸に面したキルカーの入江はその風景にそっくりな非現実的な美しさなのだった。



夢の中の水辺や入江は、なぜかかならず自分の左下にあるのだった。キルカーからキリベッグの港に車を走らせながら、過去に観た夢を色々思い出してみる。夢の中の自分は歩いているか眺めているかなのだが、歩みや視線と言うなにかしらの動きないしは方向性がある。一連の登る夢はどちらかと言えば右に向かっており、一連の下る夢は左に向かっているのだった。

夢の中で右側は秩序や理性や社会を表象し、左側は無意識や混沌を表彰すると言われている。自分の夢にはこのルールがぴったり当てはまるような気がする。他の人々はどうなんだろう。もし人々の夢がすべて同じような構造をしているとすれば、それはなぜだろうか?

そして、今思い出す現実のロック・エスクの水辺は、自分の意識の中では、何故か左に坂を下ったところにあるし、キルカーの入江も、記憶の中で自分のはるか左下に見えているのだった。

もっと不思議なのは、大西洋岸を海岸線に沿って現実に車を走らせながら、自分が今「左側」に向かっていると感じていたことだった。自分は正面に車を走らせていたので、右にも左にも行っていない。

自分の視線とは関係のない、なにか絶対的な左と右という場所ができてしまっているようなのだった。これはどういうことなのだろう。またも、答えのないまま記事が終わる。

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